鉢植え娘の恋人

彩瀬あいり

第1話

 王太子殿下の婚約者選びが終了したと同時に始まったのは、選考に漏れた令嬢たちによる「高位貴族の令息をゲット」選手権である。

 主に十代の後半から二十歳にかけて。二十二歳の殿下に合った年齢の令嬢たちは、この日のためだけに生きてきたといっても過言ではない。

 親の期待、親戚の期待を背負ってこのいくさに臨んでいた中でも特に上位貴族の令嬢たちは、身分が身分なものだから次の相手を探すのが難しい。同年代の令息たちにはもう決まった相手がいることが多いのだ。

 いままで見下していた下位の令嬢たちが持つ「婚約者」というものを手にするべく、今シーズンは熾烈な争いがおこなわれている。

 一番人気は、王太子の再従弟はとこにして公爵家の次男であるグレン・ガリエ、二十歳。ガザニア王立騎士隊に勤める騎士である。

 黒髪と濃い菫色の瞳は闇の化身とも言われ、鋭い目つきと態度で相手を威圧する冷酷無比な剣士としても有名だ。これまではずっと怖いと恐れられていたのだが、王太子の隣が埋まってしまった今となっては、次に一番地位が高い独身令息は彼である。

 果敢に挑んでは、氷のような一瞥で撃沈していく令嬢が続出。

 数はだいぶ減っており、残っているのは高位貴族のご令嬢が数名。自分より下位の男には嫁げないというプライドがあるのだろう。



(大変そうだなあ、いいとこのお嬢さまって)

 のんびりと独りごちたのは、王宮で救護師を務めている娘。名をジャスミン・ノースポールという。宮廷医師である祖父マクニールの元で、その手伝いのようなものをしている。

 王族の診察を任されるほどの腕を持つマクニールは一代かぎりの男爵位を与えられているが、孫であるジャスミンは庶民でしかない。祖父の人徳によって王宮での立場を得ている状態だし、わずかばかりの同情もあると思われる。

「なにあれ。下働きの子がどうしてこちらの区画にいるのよ」

「違うわよ。ほら、あれが有名な」

「ああ、鉢植え娘。本当に持っているのね」

 ドレスをまとったきらびやかなご令嬢たちの聞こえよがしな声に足を止めたジャスミンが顔を向けると、彼女たちは扇で口元を隠しながら何事かを囁いている。

 細められた瞳は嫌悪だったり嘲笑だったりと様々だが、そんな視線は慣れたものだ。なにしろ自分でもおかしいと自覚している。わかってやっているから、むしろ「なんかすみません」という気持ちにもなってしまう。

 ジャスミンの手には、土だけが入った鉢がある。

 彼女はガザニア王宮名物「はちむすめ

 何も植わっていない鉢を持って歩いている変人として有名であった。




 そもそものキッカケは、幼少時の事故だ。両親とともに王都へ向かう際、乗っていた馬車が暴漢の襲撃を受けた。

 犯人は当時王都を騒がせていた犯罪組織で、追われていた彼らは逃げるための手段を求めて近くを通りがかった馬車を襲った。それがたまたまジャスミンたちが乗っていたものだった。

 祖父の叙勲祝いに王都へ赴くということで、特別に手配した馬車だったことが不幸を招いたともいえる。馬車を貸し切れるほどの家なら、軍資金も賄えると考えたらしい。

 たくさんの声と足音。

 知らない大人の男たちの罵声と馬のいななき。

 のちに響いてきた金属が触れ合うような硬質な音。

 悲鳴。

 七歳のジャスミンは、なにがなんだかわからなかった。

 横転した馬車と地面の隙間で、ただ縮こまっていることしかできなかった。

「大丈夫か、お嬢ちゃん」

 光とともに聞こえた男のひとの声を最後にジャスミンは気を失い、そして次に気づいたときは豪華な一室にいて、覗き込んできた知らない少年の頭頂部に一輪の花が咲いているのを見たのだ。

 どうして頭に花が咲いているの?

 開口一番、そう問うた少女に動じなかった少年はたいしたものだとジャスミンは思う。のちに彼が語るところによれば「訓練の賜物だ」だそうだが。

 続いて覗き込んできたのは祖父であり、けれどやはりその頭頂部にも花があった。少年とは違う色合いで、水分を失って萎れたような花。

「おじいちゃんもだ。お花咲いてるよ、でもげんきない。お水あげなきゃ枯れちゃうよ?」

「……ジャスミン」

「なに、おじいちゃん」

 ボロボロと涙をこぼしながら祖父は自分を抱きしめて、背中をゆっくりと叩きながら、よかったと何度となく呟いた。祖父の背中越しに見た少年は踵を返して部屋を出て行くと、やがて屈強な体格の男性とともに戻ってきた。

 その男は意識を失うまえに見たひとで、騎士隊を率いていた隊長だとか。カルスと名乗った。ここは公爵家の御邸で、彼は王家に最も近い血筋といわれる、ガリエ公爵家の人物だったのだ。ジャスミンの祖父は王宮で医師を務めており、騎士隊の救護も職務の範疇ということで、親交があったらしい。

 暴漢被害に巻きこまれた少女が宮廷医師の孫だと知った、カルスの父である公爵閣下が呼び寄せてくれた。仕事がある祖父は公爵家から王宮へ通い、ジャスミンは静養させていただくことになった。

 両親は回復することなくそのまま亡くなったと聞かされた。安置所で対面した両親の頭部にも植物があったけれど、花も葉も落ちて水分を失っている状態。そっと手を伸ばすとカサリとした感触を伝えたのちに消えた。

 そのときジャスミンは悟る。

 ああ、これはきっとひとの命なのだ、と。

 自分は生命の危機にさらされたことで、こんなものを見るようになってしまったのだと、ぼんやりと考えた。

 思考が飛躍しすぎだとは思うが、それぐらい当時の自分は病んでいたのだろうと振り返る。事実、頭に咲く草花の話をすると、皆が決まって同じ微笑みを浮かべた。つまり「可哀想な子を見る目」だ。王都でも幅を利かせていた組織に、乗っていた馬車を襲撃され、怪我を負ったうえに両親を亡くした子どもである。少々おかしなことを言っていても、許容されるというものだった。

 元来のジャスミンは前向きな子で、実家が客商売をやっていたこともあって周囲の空気にも敏感だ。公爵家の使用人たちの顔から「あ、これはみんな困ってるな」と理解したジャスミンは、見えているものに対してくちを噤むことを選択した。

 現在この秘密を知っているのは、祖父マクニールと公爵家の主だった者のみ。荒唐無稽な話を信じ、両親を説得してくれたのは、目覚めて最初に姿を見たグレン・ガリエだった。

 グレンは二歳年上で、整った顔立ちの少年。ジャスミンが暮らしていた田舎ではまず見ない、ようするに「育ちのよさ」が垣間見える男の子で、はじめは萎縮していたジャスミンであったが、持って生まれた性質は変えられない。動けるようになると邸内を歩きまわり、使用人たちにあれこれ質問を繰り返した。

 グレンはその後をついてまわり、すっかり世話係のようなポジションに落ちついてしまったことは悪かったと思っている。

 だが彼の父であるカルスは、逆にジャスミンに礼を述べた。

 グレンは、公爵家の人間として「周囲に内面を悟らせない」訓練に入れ込みすぎるあまり、子どもらしからぬ落ち着きと無表情が標準装備されてしまったという。

 貴族としては良くあっても、父親としては忍びない。楽しいことや嬉しいことを共有できる相手がいないのは、とても寂しいことだ。

「ジャスミンのおかげで、グレンにもきちんと感情が戻ってきたように思う。ありがとう」

「そうなの? わたしはグレンをこまらせてばかりでわるいなっておもってたのに」

「あら、それは大事だし将来有望ね。いい女は男を困らせるものよ」

 割って入ったのはカルスの妻。頭に美しい百合を咲かせた女性はジャスミンをたいそう可愛がってくれる。母を亡くしたジャスミンは、屈託なく彼女に甘えていたし、彼女もまたそれを許してくれた。

 過去の自分を振り返ると、命知らずというか恐れ知らずというか。王都で暮らして十年も経てば、貴族社会の序列は理解している。事件の被害者というだけで公爵家から庇護される平民は常識から外れているし、もっといえば公爵家の御令息の傍にいる年頃の娘が平民であるということも大いに問題がありそうだ。

(でもさ、仕方ないじゃない。グレンのこと大好きだし)

 無論ジャスミンだってわかっているのだ。貴族社会というのは、好きという感情だけで事が運ぶほど甘い世界ではないことを。

 だからせめてもう少し。

 十八歳おとなになるまでは何も考えず、彼の傍で、一番親しい女性でいたいと願っている。


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