ヴァンパイア・ヴァケーション!
Ellie Blue
ヴァンパイア・ヴァケーション!
切り立った崖。夏の嵐に荒れ狂う波がその遥か下方で躍る。雲が重く垂れ込める空を稲妻が切り裂き、崖の縁にそびえ建つ尖塔の突き出した古めかしい城を、夜の闇の中に浮かび上がらせた。
城の暗い暗い地下墓所。とある黒い棺の蓋がゆっくりと内側から開かれる。その中から蝋のように白い顔をした男が、両腕を胸の前で交差させたままぬうっと身を起こし立ち上がった。男は大口を開く。そこから長い牙が覗いた。
「ああ夏! なんと忌まわしき、短い夜か! 呪いあれ! 呪いあれ、この夜よ!」
そう叫ぶヴァンパイアの丹念に整えられたオールバックの頭に、何かが投げつけられる。それは、たっぷりとした天然毛製の最高級ヘアブラシだった。
「うるさいっ! 〝夜っぱら〟から騒がないでくださいまし、このバカ夫!」
物と声が飛んできた方を見ると、ネグリジェ姿で寝起きの髪をかき上げて棺から起き上がる、同じく蝋のように白い顔をした女が、二発目をと言わんばかりに大ぶりの髪留めをその手に握りしめていた。
「まてまて、それは投げるな我が妻よ。私が四百年前に贈ったプレゼントではないか」
ヘアブラシを拾いながら、ヴァンパイアの男――ユージーンは妻アナベラの元にふわりと浮いて駆け寄った。
次々と棺が開く。おチビの双子のトニーとニーナ、その向かいでは丸々と太った従兄のダグラス。両親のブレンダンとエイダ、叔父夫婦のギルバートとキャスリーン、伯母のノリス。そして祖父母のフィリップとローザ、大伯父のパーシーとピーター、曽祖父母のジョーゼフとブリジット。最後にボルゾイ犬のラッキー。みないずれも蝋のように白い顔をしたヴァンパイアたちが、続々とその目を覚まして起き上がった。
そう、ここは一族全員がヴァンパイアとなったヴィンセント家の住まう城。遥か昔に呪いをかけられたのだが、なんやかんやあって、今ではなんだかんだと楽しく暮らしている。
各々身支度を整えてダイニングに着き輸血パックをすする。ヴァンパイアの能力たる催眠術を用いてここを診療所か何かだと人間達をだまくらかし、日々の食事を得ているのだ。
「夏は、嫌いかの? ユージーンよ」
曽祖父であるジョーゼフが、テーブルの遥か向こうから気さくな様子で声をかける。
「ええ、当然ですジョーゼフ大おじい様。夏は最悪だ。太陽が幅を利かせ、暑苦しいのもさることながら、この夜の時間のなんと短いこと!」
「……だからと言って、起き抜けからああだこうだと騒ぎ立てるのはどうかと思えてよ? それこそ本当、暑苦しいったらないと言うものですわ、このバカ夫……!」
アナベラがきいきい言う。ハーフアップに結い上げたその髪に、あの髪留めは無かった。
その様子を見てジョーゼフは、何故だかフフと笑い声を漏らした。そしておもむろに、手を二回打ち鳴らす。
「みなの者、耳を拝借。ではここは一つ、夏を楽しむ日を設けようではないか。みなそれぞれ、夏らしく楽しいものを持ち寄っておくれ。日時は、そうじゃのう……」
曽祖父は一族がじっと次の言葉を待つ中、大窓の外、激しく打ちつけ滝のようにガラスの上を流れ落ちる雨と、その向こう側でひっきりなしに鳴り響く雷の空模様を見て続けた。
「今日から五日後にしようかの。その日の夜に、決行じゃ」
約束の日。かくしてヴィンセント家の一族は、わいわいと連れ立って城の建つ崖の下のビーチに向かった。
夏の嵐はとっくに過ぎ去ってビーチは穏やかな様相を見せていた。夜のモノクロの世界の中、海には穏やかな白い波が立ち、空には大きな入道雲が浮かんでいる。
「ここへ降りてくるのも、何だか随分と久しぶりねぇ!」
アナベラはエイダ、ノリス、キャスリーンの義母や小母達三人と一緒に、日傘を差してはしゃぎながらビーチを歩く。夜中ゆえに日傘はまったくの飾りではあったが、レースとフリルのふんだんにあしらわれた大きな日傘を差す彼女らの姿は、なんとも優雅で涼しげだった。
「いやはや、五日間とはかくも短いものか!」
「こういうことならば、もっと準備をしたかったものだなぁ」
「我々には時間が、それこそ幾らでもたっぷりとあると言うのに!」
パーシー、ピーター、フィリップの三兄弟がそう口々に言い合っているところに、甥にあたるブレンダンとギルバートが声をかける。アロハシャツを着るだけには飽き足らず、二人は頭にハートや星型のサングラスなんてものまで乗せて、まるで何か仮装のように浮かれ切った格好だ。
「まあまあ叔父さんたち。僕らの時間が無限でも、この夏は待ってくれないからね」
それもそうだなと、三人は城の倉庫から引っ張り出してきたウクレレを手に手に構えた。 ビーチにウクレレの陽気な音色と手拍子とが響く。
一族の列の一番後ろを歩いてビーチまで来たユージーンは、よっこらせと、肩にかけていた大きく重たそうな木製の保冷箱を砂浜に下ろし、自身もその前で屈み込んだ。そのオールバックの頭に、おチビのトニーとニーナの手を引いた祖母ローザから声がかけられる。
「良かった、ユージーン。あんた、ちゃんと来てくれて」
「ええ、そりゃあ、まぁ。ジョーゼフ大おじい様たってのご希望でしたしね」
それに今日の夜はそんなに暑くなくて良かった、とつぶやいて、ユージーンはゆっくりと木箱の蓋を開いた。それをローザの手を引っ張って覗き込むトニーとニーナ。その途端。
「あーっ、パパぁ、ぼくそれしってるぅー!」
「わぁーっ、アイスクリームだぁーっ!」
ビーチに子供達の歓声が響いた。祖母ローザは感心したように言う。
「毎日、几帳面に台所で何か混ぜているなぁとは思って見てたけど、それだったのねぇ!」
「ビーチでパックをすするのも味気ないでしょう。それに、夏を楽しむと言うのなら断然冷たいものが良いですが、あれは凍らせちゃあ駄目ですし。であれば、牛の乳を凍らせたものくらいなら我々も口にできる。……まぁ、栄養には何もなりませんが。でも、ほら」
そう言いながら、目をキラキラ輝かせているおチビの双子を見やる。そしてその二人に、白く丸く輝く、カップに入ったアイスクリームを手渡した。二人の目が一段と明るく輝く。
「子供達も、喜ぶでしょう?」
言いながらユージーンは保冷箱からもう一つアイスを取り出し、祖母ローザに差し出す。にっこりと笑って祖母はそれを受け取った。
「もちろん、大人達もね」
どすどすと砂浜を走る足音が聞こえる。従兄のダグラスがその腹を揺らして、犬のラッキーとじゃれ合いながら駆けてきた。
「おーぅい、ボクは、これを持ってきたぞぅ!」
従兄が掲げる何かの玉。彼の腹回りのように丸々としている。その表面には縞模様。
「ウォーターメロンか!」
ユージーン達の前に、ダグラスはその縞模様の玉をドッカリと置いた。
「東の島国の夏はこれで遊ぶそうだぞ! こうやって置いて、誰か一人が目隠しをして、棒で叩くんだってさぁ。えーと、棒、棒は……」
そう言ってダグラスが、ビーチをきょろきょろと見回す。
ぐるるるるるぅ……
その時、どこかから唸り声が聞こえた。犬のラッキーの方を見る。しかし彼はきょとんとした顔をして砂浜に大人しく座っていた。その視線がジッと、目の前の縞模様の球体に注がれている。
ザッと音を立てて、何とその玉は高く宙へと跳び上がった。そしてそれは空中で踵を返しておチビの双子達に向かって躍りかかり、そして――すっぽりとニーナのその腕の中に収まって、満足げに喉を鳴らすような甘えた声を上げた。
「きゃーっ、かあいいーっ!」
「ぼくもだっこするぅー!」
ユージーンは呆れた顔をした。
「おいおい、だいぶ古くなったのを持って来たな? どこぞの畑に残っていたものだ? もうすっかりヴァンパイア化しているじゃないか」
「ハッハッハ! まぁ、どのみちおチビたちの遊び相手にはなったんだし、良いだろう? ハッハ!」
ダグラスはいつの間にやらちゃっかりとアイスを手にして、腹を揺らしてそう笑った。
「おなまえつけるの! ええと、そう、スーリィ!」
「ラッキー、ほら、あたらしいおともだちだよぉ!」
ラッキーは立ち上がり、ぱたぱたと尻尾を振った。そうして子供達と犬、ウォーターメロンの玉はキャッキャと砂浜を駆けていった。
その様子を見送って、じゃあアイスでも配って歩くかとユージーンは再び木箱を担いだ。その目が、とある人影を捉える。曽祖母のブリジット大おばあ様と二人連れ立って波打ち際を歩く曽祖父、この企画の言い出しっぺの姿を。その肝心のジョーゼフは何故だか気もそぞろといった風に、海と空の方をしきりに首を伸ばすようにして眺めていた。
どうしたと言うのだろう、ジョーゼフ大おじい様は。いくら夏の夜が短いと言っても、今から日の出の心配をしているわけではあるまい。アイスを手渡すついでだとばかりに、ユージーンは曽祖父母達の元へと足を運んでいった。その時。
「おお、ようやくじゃ」
ジョーゼフの声がそう言った。
「みな、あれを見よ。あの天を――」
一族は一斉に空と海の方、曽祖父の示した先を見やる。ビーチに感嘆の声が漏れた。
そう言えば、どうしてこの日だったのだろう。集まりの日時を言い渡された時に抱いたその疑問の答えが今、ユージーンは分かった。
厚い入道雲の切れ目から現れたのは、白く丸く輝く満月だった。真夏の夜の空気の中、それはいつもよりも一段と明るく輝いている。それは、まるで――。
「ああ、やっぱり、ビーチでさんさんと浴びる光は、とってもとっても、良いものねぇ」
曾祖母ブリジットの声が、しみじみと言う。ジョーゼフはその肩にそっと手を置いた。
「これを見せたかったんじゃ、一族のみなに、いや、他ならぬ君に。べディ」
邪魔はできないなと、木箱を担ぎ直してユージーンは踵を返す。すると振り向いた目の前に妻アナベラがしかめ面をして立っていた。ユージーンは面食らって口を開く。
「あーー……、アイスは、いかがかな?」
「何か夏らしいものを、と言うことなのだけど……」
そう言ってアナベラは手を差し出した。ユージーンはそれを見る。手の上にあったのは、貝細工の髪留め。ユージーンは弾かれたようにバッと頭を上げ、妻の顔を見た。
依然として変わらないしかめ面。だが、天から差す明かりに照らされて、その蝋のように白い頬がわずかに染まっているのが分かった。アナベラは目を伏せたまま言った。
「こちら、着けてくださる?」
アナベラの結った髪に、そっと優しく貝細工を留める。そうしてゆっくりと目を上げた妻のその瞳を見る。明るい青色の瞳。天からの光が照らすところの海と空の色。あの、夏の日の色……。
「君が私の太陽だ」
思わずそう口を突いて出たユージーンの言葉に、アナベラはクスッと笑った。
「それ、ヴァンパイアとしては毒じゃあありませんか」
そう言った後ではたとしてまた顔をしかめ、口を開く。
「……まさか本当に、その意味でおっしゃっているのではないでしょうね?」
その牙の覗く口元を、ユージーンは、同じく牙の生えた口で塞いだ。牙のなかった頃と同じように、そっと優しく。
切り立った崖、穏やかな波、天に浮かぶ月。ウクレレの音色、子供達の歓声、一族の談笑。その中でアイスを食べながらゆったりと砂浜に腰を下ろしている。傍らには妻が。
ヴァケーションだ。ユージーンはそう思った。
貴族間の覇権争いに明け暮れた過去も、吸血鬼狩りの鎚から逃げ隠れた日々も、もはや遥か遠くに去ったもの。今はこうして穏やかな日々を楽しむ。そう、この時はまさに、ヴァケーションなのだ――。
時が流れていく。ゆるやかに揺蕩うように、そして同時に、駆け足のようにせわしなく。
ユージーンはふっと顔を上げ、軽く開いたその口から、静かな声を漏らした。
「ああ、夏。なんと素晴らしき、短い夜か! 永遠なれ、永遠なれ、この夜よ――」
[End]
――本日二〇二二年八月十二日。
今日この日はまさに満月の夜。
もしかしたら、どこかのビーチで彼らが――
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