怪談~眺めつづけし老木の花の頃

オボロツキーヨ

御痔の薬あり


(一)


 花のお江戸、谷中の門前町に住んでいながら、気づかなかったわ。近所に一軒間口の小さな店があって「御痔おんぢの薬あり、よろずによし」と書かれた板切れがぶら下がっていたの。店の軒端のきはじの松が大蛇みたいにくねくねと曲がっていて奇妙で、笑っちゃった。優しい朱色の凌霄花のうぜんかづらが店を覆い隠すようにふわふわ咲き乱れていて、凌霄花に埋もれたような不思議な店。怖い物見たさで、勇気を出して障子を開けてみすの中を覗いてみたの。そしたら、暇そうなじじいが二人、店の奥で囲碁を打っていた。店主は犬よ。年取ったような、大人しいまだらのちんが木箱の上に座って店番しているのよ。


「ここのの薬は良く効くのかしら」

狆を撫でながら、冷やかしで声をかけてみた。


 痔の薬の他に、爺たちが書いたらしい大橋流の習字の手本も売っていた。誰が買うのかしらね。狆はしっぽを振って迎えてくれたけど、爺たちは、にこりともしない。こんなきれいな若い女客が来たっていうのに。感じ悪いったらありゃしない。すぐ店を出ようとしたけど、奥に座っている一人の爺と目が合ってしまって、にらまれたのよ。そしたら金縛りに合ったように、身動きとれなくなくなった。何か買わないと、殺されるんじゃないかと思って、とりあえず二服だけ痔の薬を買って、あわてて店を出たわ。目つきの鋭い只者ただものじゃない、かくしゃくとした爺様だった。

 

 あたしは痔持ちじゃないから、行きつけの呉服屋のちょっと気になる優男やさおとこの番頭さんにあげたのよ。そうしたら、すごく喜ばれてね。もっと買ってきてくれと頼まれたんだけど、断ったわ。二度と行きたくない。だって、店から出て振り向いたら、爺たちが店の前で、あたしに向かって盛大に塩水をまいていたのよ。客に塩水をまくなんて変でしょう。後で、その理由がわかったんだけどね。でも後日、番頭さんから評判を聞いた大旦那様までが、その痔の薬を求めて店まで足を運んだらしいわ。そんなわけで、その二人の爺の素性を詳しく知ることができたのよ。


 その昔、筑前福岡の城下で知らぬ者はいないほど、武芸に秀でた若侍の半右衛門はんえもんは十九歳。博多小女郎はかたこじょろうに見間違われるほどあでやかな若衆の主水もんどは十六歳。博多一の花魁おいらんに似ている若衆って、どういうことよ。会ってみたいわ。

 

 二人は互いに惹かれ合い義兄弟の契りを結んだ。つまり衆道しゅどうね。でも、同じ藩の侍に主水が横恋慕よこれんぼされて、その侍に口説かれたけど、つれなくしたから、よくも武士としての矜持きょうじを傷つけたなと、言いがかりをつけられた。可愛さ余って憎さ百倍。横恋慕侍は主水と半右衛門を深く恨むようになる。野暮な男ね。ついには刃傷沙汰にんじょうざたとなってしまう。武士同士の衆道は殺し合いになるから怖いわよ。まさに命懸いのちがけの恋よ。半右衛門と主水は腕っぷしが強くて、たちまち横恋慕侍と助太刀すけだちに来た友人たちをすべて切り捨て大勝利。でも藩士たちを殺めたとなると、ただでは済まされない。

 

 だから二人は脱藩して、豊後ぶんごから船に乗って江戸へ逃げて来たんですって。二人はずっと浪人のままで、人目を忍んで生きてきたのね。

 

 衆道は若い時分だけの事で、ふつうは弟分が前髪を落として元服して、兄分が嫁をもらえば、そこで男同士の恋は終わり。その後は親友として付き合うようになると聞いたけど。あの二人は筋金入りの衆道者で女嫌いなのよ。ちなみに、その呉服屋の大旦那は奥様と死に別れてから、衆道にはまったらしいわ。きっと、贔屓ひいきの歌舞伎若衆たちに痔の薬を配っているんだわ。




(二)

 

「よし、少ない髪で、なんとかもとどり元結もとゆいで二つに折って巻き立てたぞ。こりゃ名人技じゃ。わしにしかできない。いつものあれをつけてやろう。えーと、何という名だったかな」

近頃、歳のせいか物忘れがひどくなったと思う。


「兄さん、鬢付びんつけ油<花のつゆ>でしょう」

「そう、それだ」

六十六歳の半右衛門は慣れた手つきで、六十三歳の主水の白髪を若衆風に結い上げた。仕上げには白梅のような、甘く爽やかな香りの鬢付け油をなじませる。


 脱藩してから数十年。主水は相変わらず十代の若衆の髪形をしていた。房楊枝で丁寧に歯を磨く。髭を抜く。若衆の身だしなみを欠かさない。暮らしのために、藩士時代の上等な着物や道具はすべて売り払ったが、若衆の華やかな振袖と袴を一揃ひとそろいだけ、大切に持っている。今でも時々着て出かけることがある。藤の花のように揺れる紫の振袖を纏った白銀の前髪の六十三歳。その姿を見た谷中の人々は「妖怪爺ようかいじじい」と呼ぶが、当の本人は全く気にしていない。



「兄さん、得意先の大旦那へ薬を届けてくるよ。夕方までには帰るからね」

「すまない、腰の具合が悪くて歩けない。気をつけて行って来てくれ」

「ゆっくり寝ていてよ。久しぶりに薬代がたくさん入るから、夕飯に何か美味い物を買うよ」


 うだるような夏の日、扇子が手放せない。空色の木綿の単衣ひとえの着流し。腰には竹光の脇差。風呂敷包みを下げて、主水は得意先の商家へ出かけて行った。



(三)


「暑いから、帰って来たらすぐに行水させてやろう」


半右衛門は、猫のひたいほどの裏庭に大盥おおたらいを出す。庭には、二人で育てた黄色い夏菊が優しく微笑んでいる。腰をさすりながら、近くにある井戸から水を何度も汲んでは運ぶ。


「よし、こうして、盥に水を入れて日に当てておけば、わざわざ湯を沸かさなくとも、水はぬくまる」

ひと仕事をした半右衛門は、庭に面した狭い縁側にごろりと寝ころんだ。


 

 どれぐらい眠っていたのだろう。目を覚ますと。あたりは暗くなっていた。薄暗がりの庭に、ぼんやりと人影が浮かぶ。こちらに背を向けて人が立っている。


「主水、帰ったのか」

声をかけたが返事が無い。


人影は半右衛門を誘うかのように、後ろ向きで両肩を見せてから背に滑らすように、着物を脱ぐ。ほっそりとした後ろ姿。白いふんどしを絞めている。足元は夏菊に隠れてよく見えない。盥の中に腰を落ろした。


「おかえり、疲れただろう。背中を流してやろう」

そう言いながら半右衛門は近寄り、濡れ手ぬぐいで首筋や背を撫でる。


「ありがとう。気持ちがいいよ。あの、兄さん、半右衛門様、お願いがあります」

「何だ、あらたまって」

「わたしと心中していただきたいのです。いつの間にか歳をとりました。昨日は少年、今日は白頭。もうこれ以上、長生きするのがつらいのです」

背を丸めて、首をうなだれる。


「どうした、体が冷えている。水が冷たいのか。いや、そりゃ誰でも皆歳をとる。やまいでもないのに気弱なことを言うな。肌だって、まだこんなにすべやかで美しい。相変わらず柳腰に色気がある。命を粗末にするものではない」

半右衛門はそう言いながら、尻を撫でまわし、褌の前のふくらみに手を入れる。


「今すぐ兄さんと一緒に死にた、あ、ちょっと、やめて。真剣な話しているのに」

悪さをする手をばちんと叩く。


「む、好きにさせぬというのか。何故なにゆえ、このわしがおまえと死なねばならぬ。そもそも、おまえは誰だ。主水ではないであろう」

半右衛門は立ち上がり怒鳴りつける。


 それに答えるかのように、突然、雷鳴がどどろき稲光いなびかりが半右衛門の頭上に光る。つるぎのような稲光が半右衛門を串刺しにしようと狙っている。驚き「あっ」と息を飲んだ瞬間、突き飛ばされて尻もちをつき、無様ぶざまにひっくり返った。主水によく似た何者かが馬乗りになっている。物凄い形相で半右衛門の首を両手で絞める。


「死ね、半右衛門」

「く、苦しいやめろ。誰だ、おまえ」

足をばたつかせて、のけぞる半右衛門の頭が土にめり込む。


「好色な爺め。おまえに恨みがあって、こうしてあの世から戻ってきた。その昔、博多小女郎主水を奪い合い、ついには果し合いをして切り殺された。口惜くちおしいしい」

歯をむき出し、目を大きく見開き凄む。


「そうか、横恋慕してきたおまえか。哀れ幽鬼となり果てたか。こうして主水に化けて現れるとは、まことにしつこい」


腰を痛めている半右衛門は、仰向けのまま起き上がれないで、もがくばかり。赤い顔の幽鬼を睨みつけ、締め付けてくる手を解こうとするのが精いっぱいだ。狆の獅子丸ししまるが、二人の周りをぐるぐると走り回り、激しく吠え立てる。


助太刀すけだちいたす」

聞きなれた、やや甲高い男の声が響く。


 主水が帰って来た。夏菊をひらり飛び越え、腰に差した脇差をすらりと抜き、幽鬼の背に「えい」と振り下ろす。幽鬼だから手ごたえはない。そもそも本物の刀ではない。刀身が竹製の見せかけの刀。だが切先は鋭くとがっていた。主水は敵の前に回り込むと、刀を握り直す。そして、己に似た幽鬼の目を思いきり突く。


「ぐわっ、目を狙うとは卑怯者。主水よ、おまえは昔からそうだった。情け容赦ない残忍な若衆。だが、そういうところも好きであった。地獄で待っておる」

目から赤黒い血を流した幽鬼は、そう言い残して、しゅるしゅると萎み、夕闇に消えていった。もう雷は止んでいる。


「待っているだと。愚か者め。わしらにかなうものか。あの世でも、また返り討ちにしてくれるわ。はははは」

半右衛門はそう叫んで嘲笑あざわらうが、仰向けに倒されたままだった。


「兄さん、幽鬼を庭で行水させるなんてどうかしている。しっかりしてよ」

「いや、薄暗かったから、よく見えなかった。でも、近くに寄ってよく見たら、おまえではないと、すぐ気づいたぞ」

「気づいていたなら、いいけど」

主水がふくれっ面をする。


「それにしても、数十年前にその手で亡き者にした男に、今だに執着されているとは。つくづくおまえは、もてる」

半右衛門が恨めしげに言う。


「へっ、兄さん、やきもちかい。起き上がれますか」

「ああ、すまん、手を貸してくれ」

「兄さんの好物、鰻の蒲焼を買ってきたよ。冷めないうちに早く食べよう。長い行列に並んで買ったんだ」


 主水は半右衛門を抱き起して、髷や浴衣に着いた土をはらう。主水の薄い肩を借りて立ち上がった。


「ほら、肩につかまって。ゆっくり歩くよ」

「うう、博多の横恋慕幽鬼にやられた」

「おはらいしてもらおうか」

「いや、拝み屋に払う金はない。わしらで適当に供養しよう」

「そうだね」


二人の後ろには、尻尾しっぽをぱたぱたと振る獅子丸が付き従う。


「ところで、兄さんはどうして、わたしじゃないと気づいたのですか。あの幽鬼は、わたしそっくりに化けていたのに」


 半右衛門は知っている。主水の背中は痩せて骨ばっている。腰から下は皺とたるみがある。だが、幽鬼が化けた主水の背と腰は、なめらかで張りがあった。あれは二十年前の裸体。このことは主水には言えない。


「昨日の少年、今日の白頭」

心の中でつぶやいた。


「そ、それはだな、香りだ。おまえなら良い花の香りがするはず。ほら、あれ」

言葉につまる。


「花の露」

主水が笑いながら言う。


 その邪気の無い笑顔は、今も博多小女郎など足元にもおよばないほど美しいと、半右衛門は思う。二人は仲睦まじく一匹の蒲焼をつつきあう。


(了)

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