03 It's me

  6


 トヨダくん滞在四日目。昼。

「最後の日、キミの家に行きたい」

 ホテルを出たあと、わたしは別れ際に約束を取りつけた。正確には強請ねだっていたのだが、彼は困った様子で笑い、最後はうなずいてくれた。

 離れるのは辛かったが、別れ際に十一ケタのホットラインを渡すことで心の平穏を保ち、格安の1Kに帰宅した。胸の鼓動が高鳴り続けている中、数時間前とは異なるベッドの区画でじっくり考える。彼はこのあと、なにかしらの選択を迫られるだろう。あす、わたしに審判を下すために。

「……寝ましょ」

 頭痛がひどかったので、わたしは早々に目を閉じた。質の悪いホルモンのように、噛み切れない胸騒ぎを咀嚼し続けながら。


 トヨダくん滞在最終日。朝七時。

 早く起きすぎて、なにかが漏れそう。いや、まずお洒落をしよう。そして、お義父さんやお義母さんに気に入られる練習をしておこう。

「実はわたし、トヨダくんとは七年前に出逢っているんです! あれは寒風が肌に突き刺さる冬の日、わたしの近くで大きな音がしました。音のほうへ目を向けると、バイクと一緒に倒れていた少年が……それがトヨダくんだった。わたしは無我夢中で救急車を呼び、トヨダくんを救護しました。けれど、病院へ運ばれたあとは離れ離れになってしまい、ひとりで悶々と過ごす日々が続いていたんです。でも数日前、わたしたちは運命の再会を果たしました! 黙っていてごめんなさい……それに嘘もついてしまった。でもこれだけは言わせて。わたし……キミのことが好きなんや!」

 ――大体こんな感じである。もろたで、シミュレーションは完璧や。

 そうして意気揚々と家を出てから、ある事実に気づいた。想いが先行しすぎて、トヨダ邸に伺う時間を指定していなかったのだ。

「どうしよ」

 ひとまずコンビニに足を向けて、今後の動向を一考した。

 チューハイもジャンクフードも買わない本日は、プライベートブランドのルイボスティをイートインスペースで飲む、意識高い系女子である。

 この一文でも横文字が五つ並んでいる。これはだいぶ意識が高い。なんだか素敵だ。これを機に、早寝早起きを続けよう。

 

 十時過ぎ。

 積雲を見通せる町の西側へ出向き、トヨダ邸の前を通りすぎた。それを二、三回繰り返したあと、住宅街の一角にできた木陰に移動し、そこに座りこんで一休みする。だって彼の家の前でじっとしていたら、まるで犯罪者予備軍みたいだから。

 眼下では、干からびたミミズにアリの大群がたかっている。

 遠くでは、小汚い白猫が手足を伸ばして寝転がっている。

「はぁ……」

 溜息ではなく、緊張の余韻が漏れ出した。

 人生のルーティンのごとく、ショルダーバッグからスマホを取り出して、なんとなく本日の最高気温に目を通す。この電話が鳴ったら、とうとう新境地が広がるのだ。というのに、彼からの連絡は一向に来なかった。なにか至らぬ点でもあっただろうか。やはり訪問する時間を伝え忘れたのがいけなかったか。

 ――夏風。

 朝の気候は穏やかすぎて、一日が長くなりそうな予兆があった。目を閉じると寝てしまいそうなフィールド。それほど過ごしやすい田舎町で、突然着信音が鳴った。

 見知らぬ番号だ。きっと彼に違いない。

「わたしよ? あ、トヨダくんね。電話してくれたの、嬉しい」

 It's meわたしよ.



  7


「あのね、今トヨダくんに向かってるのよ。ねえ、もうすぐよ? もうすぐ着くよ?」

 わたしはコールを合図に木陰を出て、改めて彼の家へ足を向けた。

 けれど、彼からの電話はほぼ質問――いや、誘導尋問だった。通っていた高校、そのクラス、わたしの年齢など、今になって鎌をかけてきたのだ。やはり、こちらの存在を疑っている。

 引くに引けず、彼の質問を曖昧に回答しながらトヨダ邸の前で一言、「着いたよ」とチャイムを押すわたしの指は、正直言うと震えていた。

 あとは彼次第なのだから。


 しばらく世界が止まってしまったようなラグが生まれたあと、トヨダくんが姿を見せたが、こちらの顔を見ようとはしていなかった。

「あの……あなたは誰なんですか?」

 格子の門扉もんぴを隔てた第一声がそれだった。スマホを握り締め、事故当時に戻ったみたいに、死んだ魚の目をしている。わたしは本能的に悟った、下手な嘘をついても関係が悪化するだけだと。

 いや、悪化ならまだしも、右手のスマホで警察を呼ばれたら、騙し騙し積み上げてきた女としての株価が大暴落してしまう。

「わたしはキミを知ってるわ。わたしは七年前に――」

「嘘ついてたんですよね?」

 が、こちらが真実を語ろうとしても返ってくるのは拒絶だった。

「全部が嘘だったんですよね……」

 嘘? 全部? 違う――なにを言うのだこの青年は。

「ち、違うわよ……あの、確かに嘘はついた。でもそれはキミと――」

「マジで誰? 高校だって年齢だって嘘だったし。あなたは、いったい……」

 どれだけ取り繕おうとしても、彼はこちらの話を最後まで聞いてくれなかった。



  8


 観念して、「わたしは……」と一拍。溜息で音頭を取り、腕を組んで目を落とした。今から口にするのは、好きな人に気に入られるための空言そらごとではない。

「東の貧民街で育った社会のド底辺だよ。本名は、漢字一文字に対してカタカナ五文字くらいの読み仮名がつくDQNネーム。中卒でロクに教育を受けてないし、成人してからは親と絶縁して改名した。あとは性格もメイクも地雷系の女に寄せて、寂しさを紛らわすために男を求め続けた。そういや、薬を服用してた時期もあったかな」

 これは紛れもない、おのがバックグラウンドである。

 対する彼の返答はなかった。わたしのポーズをミラーリングするように、腕を組んでうつむいているだけだ。

「あとは――いや、これで満足でしょ? わたしは無敵の人になる寸前のヤバい女。てか笑える……イタイ真実を語るほうが立て板に水なんて。キミは……わたしにとって、しょせん幻想ホログラムだった。幻はいくら手を伸ばしても掴めないもんね」

 わたしが腕を下ろすと、彼は『無敵の人』に反応するように身構えた。

 当然である。このご時世、ショルダーバッグからいつ刃物が出てくるかなんてわからないのだから。それでも、家に逃げこんで施錠しようとはしないので、わたしをまだ人間として見てくれているのだろう。

「でもキミは勘違いしてる。確かにキミからしたら、わたしは存在すべてが嘘かもしれないけど、伝えてない真実もあるから」

「なに……? 好きという真実なんて戯言は――」

「あのね、七年前に事故ったキミを助けたのはわたしなんだよ?」

 そうして、ふたたび時間が止まってしまった。

 ――生まれたばかりなのだろう、鳴き下手なセミが耳につく。目の前にあるのは否定しようとする元少年と、受け止めようとする彼の姿だった。

「そんなわけ……」

「キミはバイトの制服を着て、『豊田』の名札をつけたままげんチャで帰宅中、ネコなんか居ないところで勝手にすっ転んだの。その時、たまたま居合わせた非行少女が救急車を呼んであげて、救護も――」

 いや。救護は、したようなしなかったような。

 都合の悪いことは黙っておこう。

「あっ……だから最初、なにも情報を与えてないのに、『バイト帰りの二十一時半』って。それにネコのくだりも疑問形だったし……え、じゃあ本当に――」

「でもま、ここまで嘘ついてた女なんて信じてもらえるわけない。これ以上はマジで通報されかねないし、オオカミ少年はもう消えるよ」

 虚偽の言動を捨て、真剣に訴えかけた結果、どうにか誤解は解けたようだ。損切りという意味では、これだけでもマシな結果だったと思おう。

「この数日間、お世辞抜きで楽しかった。キミ言ってたよね、『もう思い出せなくても良い。新しい思い出が作られてるから』って。あの言葉、本当に嬉しかった。どんな理由であれ、わたしなんかに付き合ってくれて……ありがとね」

 しかし、今回の失恋は堪える。あすからはもっと無敵になるために、残りの財産を仮想通貨にぶっこもう。

 わたしは清々しい諦観のあと背を向けた。

「ま、待ってください! だったら早く言ってくれれば良かったのに……全然知らない人がずっと一緒に居たんだと思って、ゾッとしたんですよ」

 すると、返ってきたのは予想外の反応だった。振り返ると彼は申し訳なさそうに、上目遣いでわたしの目を見てくれているのだ。そうか、悲惨な過去を語りながら涙目になれば、男は罪悪感を覚えるのか。チョロい。

「お礼を言うのは俺のほうです。助けてくれて……ありがとうございました」

 トヨダくんは、頭を下げてきた。なんと言うかムズムズした。人に感謝されるなんて、まるでない人生だったから。

「いや、別に良いよ。誤解させてたのはわたしだし。生きてて良かったね」

「あの、もし良かったら……事故のこと詳しく教えてくれませんか? 実は俺、精神的ショックによって、記憶の一部を失ったみたいなんです。本田さん、その時になにか見てませんか? ショックの原因みたいなの」

 流れるように語ってくれたのは、記憶喪失ではなく健忘だったという真実。とはいえ、彼はなにかをいたわけでもないし、原チャが大破したわけでもない。それどころか、今はこうしてピンピンしているのだ。事故の衝撃以外に、精神的なショックにつながる要因が見当たらない。

「なにかって言われても……」

 では、わたしの行動は?

 確か救急車を呼ぶ前に、事故に遭って苦しんでいる少年に馬乗りになって、服を脱がそうとしたあと、虚ろな目を見つめながら何度も首を絞めて、そのたびに下腹部を擦りつけて、体が火照ってゆくのを感じて、あぁ――

 なるほど、そういうことか。

「そ……そうねえ。なにかあったかな?」

 の夏。嫌な汗が流れてきた。

 七年前。彼のメンタルにショックを与えたのは、どうやらわたしみたいだ。いやはや、朝から謎が解けてスッキリした。

 けど、あれを思い出されたらマズイよ? わたしの人生、色々と終わるよ?

 過去に抱いた本能に対し、少しばかりの罪悪と恐怖が生まれてくる。

「あーぁ……わたしなにも役に立てなさそう。だから、もうこれ以上は――」

 というか、さっさと逃げよう。そうだ、それが最適解だ。

「あっ! それから……これは誰にも言ってないんですけど――!」

 思った矢先、出し抜けの大声がわたしをバインドした。他人の大声ほどストレスに直結するものはない。

「な、なに……? まだなにか?」

「事故を起こして以降、同じ夢を見てるんです。ノックの音が聞こえる部屋で、ネコみたいな女の子に首を絞められ続ける悪夢を……何度も」

「あらあら、それは……ふふっ」

 ――の夏! 予期せぬ方面から汗が噴き出てきた!

 こんなに嬉しいことがあるだろうか! わたしは、ずっとずっと以前から彼の夢に登場していたのだ! わたしのことを無意識に、潜在的に気にし、常に触れ合ってくれていたのだ! 想像だけで罪悪も恐怖も吹っ飛び、体中がジンジンしてくる!

「ねえ。……したいな。良ければ、人の居ない……とこで。きっと、悪夢の正体を教えてあげられるから」


 ――コンコン。わたしよ? 人間のハルカよ。

 図らずともキミの記憶を、で奪い取ってしまった張本人。

 It's me.


                                   了

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このなつ Dual 常陸乃ひかる @consan123

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