結
空の彼方より黒焦げの竜が墜ちてくる。
テルが杖を振るうと、その矮躯は重力を忘れたかのように空中でぴたりと止まり、なにもない空間に磔にされた。
「まだ生きているか。さすがはドラゴン」
「……神威の顕現とはな。ニンゲンが使うのを見るのはいつぶりか」
全身からプスプスと黒煙をあげ、宙吊りにされながらもニズキスは不敵な笑みを崩さなかった。
さすがに十二階梯級――【神】に匹敵する魔法に打ち据えられたその身はたやすく治癒することはないが、竜の死はいまだ遠い。
「反省はしない。最高位の魔法でも殺しきれない。となれば、しばらく頭を冷やしてもらうしかないか」
テルが掲げた黒杖が燐光を発する。
全てを吞み込む底なしの蒼。
杖の先端を中心に、周囲の空間を侵食する輝きに、墜ちた竜がズルズルと引き込まれていく。
これも見たことのない魔法だった。
おそらくは己の技量では抜け出すことのできない封印。
ことによっては術者が死しても解除されることのない永遠の監獄。
それでも、想像もつかない巨大な魔法を喰らった今、魔導竜はどこか満足気ですらあった。
「好きにしろ。ワシはしばしこの快感に浸らせてもらう」
「ほんとに反省しないな……」
「それが竜よ」
そう言ってからからと笑い、抵抗することもなく蒼光に呑まれていくニズキスだったが、ふとその脳裏に過去の光景が閃いた。
「いやさ、この魔力光……思いだしたぞ、蒼の魔術師、“十二階梯殺し”!!
異界より侵攻せし魔神を叩き返した英雄!! まだ生きていたか!!」
「鳥頭のドラゴンがよく覚えてたね。帝釈竜は元気にしてる?」
「彼奴が元気でない日なぞあと千年は来ぬだろうさ。
……ああ、だが、敗れたのが“十二階梯殺し”であれば悔いはない。キサマと戦えたことはワシの誇りだ」
「相手の力量を認めるまでひたすら傲慢なのは竜の悪癖だね」
「クハハ、それこそ生まれ持った宿痾よ。貴様とてそれは同じだろう」
魔導竜は笑う。嘲るように、憐れむように。
「それほどの力を持ちながら同族すら支配せぬは怠慢よ。
その力ゆえに排斥されながら復讐せぬは怯懦よ。
人界より離れ隠棲して孤高を気取るなぞ、定命の無駄遣いに他ならん」
「恥ずかしがり屋なんだよ、お前たちと違ってね」
テルの返答が意外だったのか、ニズキスは金の瞳を瞬かせると、困ったように笑った。
どれだけ手を伸ばしても届かぬ輝きを羨むように、惜しむように、幼気な笑みを浮かべた。
「クハッ、これだからニンゲンは面白い――」
そうして、最後まで己を省みることなく、ニズキスの姿は光の中に消えていった。
その光すらも、瞬きの内に幻のように薄れていく。
「好き勝手言いやがって、まったく……」
あとには、魔術師だけが残った。
◇
「……終わったのか?」
短い時間だが、思考の世界に入り込んでいたようだ。
テルはおずおずと近づいてくるエリーズに気づくと、安心させるように微笑んだ。
「終わったよ。ドラゴンは封じられ、エルフは世界樹を取り戻した。めでたしめでたしだ」
だから、魔術師の時間は終わり。あとは後始末をするだけだ。
「テル殿!!」
眦を決して声をかけてきたエリーズは、次の瞬間、土下座した。
額で地面を擦る、それはそれは見事な土下座だった。
「貴殿を侮り、謗ったことを謝罪する!! ごめんなさい!!」
「豪快な謝罪だなあ」
「かくなる上は東方に伝わるハラキリの作法にて我が不明を雪ぎたく!!」
「博識だね。それはともかく――」
『――謝罪を請けよう、エルフの姫。貴殿は守るべきものの為に立ち上がった。
そして勝利を得た。膝を折る必要はない』
テルの口から放たれた流暢なエルフ語に、エリーズはぽかんと口を開けた。
『えっと、お上手ですね、エルフ語』
『久しぶりだから不安だったのですが、姫にそう言っていただけて安心しました』
『母さまとの会話も伝わっていました?』
『親子の会話に口を挟むほど無粋ではありません』
『……』
『……』
『……腹を切ってお詫びしますうううううううう!!』
『それはいいから』
「――で、退位っていつできます?」
「は?」
ところ変わってエルフの玉座。
恙なく事後報告を終えたテルは唐突にそう切り出した。
「何を言っているのだ、テル殿?」
「いやさ、エリーズ、あのドラゴンを退治するのに必要だから王様になったけど、国を統治する気なんてさらさらないから。正直さっさと譲りたいんだけど?」
「……母上、母上。そのあたりどうですか?」
娘に小突かれて、はっと気を取り戻したエルヴィールはコホンと咳払い。
どうにか真剣な表情を取り繕って、目の前でぽややんとする魔術師を見据えた。
この魔術師はなにもかもが
その御伽噺のような甘さに甘えてしまうわけにはいかなかった。
「エルフの王は世界樹への誓約です。そう簡単に譲れるものではありません」
「王様になるのはあっさりできましたよね?」
「本来はそうはいきません。テル様の場合はエリーズの夫という立場で抜け穴を通したのです」
「逆はないってことか。でも生前退位はできるんですよね、実例さん?」
実例は頷きをもって答えた。
「わたくしの場合は世界樹を守れないという誓約の不履行がありましたので。少なくとも、エルフの過半数が王位をまっとうしたと認識するくらいの期間は在位していただく必要があります」
「そっか。なら貴女を摂政に任命するから、あとは良きにはからって」
「はっ!! ――は?」
「じゃあ僕は帰ります。お達者で」
テルはひらひらと手を振って玉座を後にする。
娘が慌ててそのあとを追っていくのを見送りながら、エルヴィールはそっと息を吐いた。
本当になにもかもが都合よすぎる。
「まるで、御伽噺の魔法使いのようですね」
それでも、国を任されたのならエルヴィールにはできることと、やるべきことがある。
さしあたっては廷臣たちと今後のことを協議しなければならないだろう。
女王は踵を返し、玉座の前に立つ。
腰かけるかしばし迷い、それから――笑って月桂樹の冠を外すと、そっと玉座に置いた。
新たな英雄と御伽噺を語り継いでいくのが、己の使命だ。
「テル!!」
魔術師は竜退治に沸く表通りを離れ、裏路地へと消えていく。
どうにかその背に追いついたエリーズは男の着古したローブの裾を掴んだ。
「エリーズ」
「理由を聞かせてほしい。玉座が要らぬというのなら、なぜ王になるなどという回りくどい方法をとった? 竜を退治するために魔力が必要ならそう言えばよかったではないか」
「――世界樹を守るためと言って、全てのエルフが全ての魔力を僕にくれたかい?」
暗がりの中、振り向いた魔術師は、底なし沼のような黒瞳でエリーズを覗き込んだ。
それは疑問の体をとった確信だった。
他者への不信などという段階を遥かに過ぎ去った完全なる確信。
人間という存在に完全に見切りをつけた目だった。
(この人の瞳はこんなに昏い色をしていたんですね……)
そんなことはない、とエリーズは言いたかった。
我が国の民は全身全霊を賭して世界樹を守っただろうと。
だが、王族として国政に携わっていたエリーズは知っている。
竜の脅威を前に逃げ出した者、あろうことか当の竜に阿った者すらいたことを。
彼らを謗る気はエリーズにはなかった。
誰だって我が身が可愛い。当然のことだ。
己の命が惜しい。エリーズだってそうなのだ。戦う力を持たない者なら尚更だろう。
だから、テルの確信はまったくもって正しい。
魔術師は言葉を弄さない。
だから、エリーズは行動で示した。
エルフのお姫さまは魔術師の胸倉を掴むと、背伸びしてその唇を奪った。
時が止まった。
そのまま数秒して、ようやくエリーズはテルの唇を解放した。
胸倉を掴んだまま、互いの息がかかる距離で底なしの黒瞳をみつめる。
「……はじめに言ったな。竜退治の対価にわたしという存在の一切を貴殿に捧げる、と」
「国を救うには足りない、と言ったはずだけど」
「今でもそう思っているか?」
「…………次の王様はどうするのさ?」
勝った、とエリーズは確信した。
湧き上がる笑みを堪えて、答える。
「安心しろ。母上はあと二千年は生きる」
「……なるほど。先に僕の寿命が尽きそうだね」
くすり、とどちらともなく笑う。
エリーズはもう一度背伸びして、テルの耳元に唇を触れさせる。
いつか良き人ができたら言おうと思っていた言葉を。
そうであればいいと願った他愛のない祈り。
『長生きしてくださいね、わたしの王さま』
そうして、御伽噺はめでたしめでたしで終わった。
(魔術師テルとエルフのお姫さま、完)
魔術師テルとエルフのお姫さま 山彦八里 @yamabiko8ri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます