第5話 敬意と齟齬

 

 安曇海は星月宙をすごいな、と思っていた。

 得体の知れない雲居太陽を保護してそのまま面倒をみたのも、突拍子のない話を受け入れてくれたのも、その後の絵空事のような思い付きに付き合ってくれているのも、どれもそうだ。その思いつきなんて彼から見たらままごとのようなものだろうに、それを現実的な範囲で適えてしまっているだから本当にすごいと思う。

 もちろん彼の全てをすごいと思っているわけではないし、直して欲しいところだって幾つかある──例えば土生緑に対する態度だとか──けれどそれらはわざわざ言うほどのものではないし、自分が口を出すのもおかしいと分かっている。だから最終的には「尊敬している」という極めて単純なところに落ち着くのだ。これは太陽や緑に対して抱いているものとはまた別のものである───


 ───などと安曇海に思われているなどと、星月宙は気がつく由もない。だから急な頼みも引き受けては期待に応えてくれる海のことを、ありがたくも申し訳なく思ったり何かしらで報いたりしなければいけないとずっと考えていた。

 例えば今日だってそうだ。急に入った仕事の関係で店番が欲しくて海に頼んできてもらったのだが、


「悪いな、急に連絡して」


「大丈夫ですよ。元々来ようと思ってましたから」


 これである。

 実際のところ、一週間のうち姿を見せない日のほうがずっと少ないし、そういった日には必ず連絡が入る。大学生はもう少し、いやもっと自分のために時間を使うべきではないのかと自分を振り返ればそう思わずにはいられないのだが、どうにもそんな気持ちは希薄のようで心配になる。


「いつまでなんでしたっけ、雲居先輩」


「今週の日曜までで、来週の月曜には戻ってくる予定だけど」


 雲居太陽は今、実家に戻している。これは前回のペナルティだ。

 どれが適切な処罰になるのかが分からないながらに提案したものだったのだけど、思いの外ショックだったらしく、しょぼくれた様子で出ていったのだから正解だったのだろう。

 よく考えればやりたいと言い出した当人なのだから当然といえば当然の反応なのだろうが。


 そう、言い出したのは太陽だ。そしてその背を押したのは土生緑だと聞いている。とすれば海は巻き込まれたようなものだろう。確かに自分も彼に甘えてしまっているところがあるとはいえ、そこまで身を粉にしなくてもいいのではないかと思わずにいられない。


「何かあったら言ってくださいね。できる範囲での手伝いになってしまうと思いますが……」


 申し訳なさそうに海が言う。が、本来ならば申し訳なさそうにするのはこちらの立場であって、海ではないはずだ。

 これではいけない。宙は少しだけ考えてからそうだ、と手を打った。


「ああ。海も何かあったら言ってくれて構わないんだぞ」


「えっ」


 驚いた様子で海の動きが一瞬止まる。なるほど鳩が豆鉄砲を食らったような顔とはこんな顔のことをいうのだろう。ちょっとした感動を覚えながら宙は言葉を続けた。


「海はいつも言われてばかりだろう。たまには不満とか希望とかそういう……そういうの、なんかないのか?」


 幸い今は太陽も緑もいない。気を使う相手はいないはずだ。問題は自分相手にも気を使いそうなところだが、そこはその時考えるとして。


「いえ、特には……」


「本当か? 遠慮しなくていいんだぞ」


 どちらかといえばこれは「遠慮をしてほしくない」だ。日頃の感謝の気持ちをこれ一つで済ませるというのは不義理なのだろうが、一度前例を作れば次の機会を作ることだってやりやすくなる。

 とにかく、たまには海に喜んで欲しいのだ───



 ───と考えられているだなんて、もちろん海が分かる由もなく悩んでいた。

 宙が自分のことを気にかけてくれているのはなんとなく分かっている。ただそれは太陽や緑と比べて気を使ったほうがいいからだと思われているのだと推測すると、とても素直には喜べない。だいたい気を使われて全部が全部嬉しいかというと、そうでもないのが事実である───例えば、今がそうだ。


「……」


 全く何もないわけではない。だけどやはりそれは自分が言い出すものではないと思うし、何故かと聞かれたら上手く答えられる自信がなく────そして十中八九「何故?」と聞いてくる気がするのだ。

 じゃあ他に何かあるのかと言われても急に出てくるものではないし、そもそも言うほどの不満なんて基本的にはないものなのだ。……ということを分かってもらえていないのが問題のような気がしなくもない。


「……。やっぱり、大丈夫です」


「やっぱり、ってことは。本当は何かあるんじゃないのか?」


 僅かに眉間を潜めて問いかける宙に、海は慌てて首を横に振った。こういうところは本当に敏い。なのにどうして、と思ってしまうのは悪いことだろうか。


「……」


「……」


「………」


「……分かった。じゃあ帰りにケーキ買ってくるってことで」


「え? いえいいですよそんな?!」


「いいからちょっと位は譲歩しろ。甘いのは苦手か?」


 そうは言うけれど、先に譲歩したのは明らかに宙のほうだ。だから反論なんてできもしない。海はゆるりと首を横に振る。


「いえ、甘すぎなければ……」


「ん、ならチーズケーキだな」


 じゃあちょっと行ってくるから頼むな、と言って出ていく宙を見送って海は小さく息を吐いた。

 期待に応えられなくて申し訳ない気持ちと、少なからずホッとしてしまって申し訳ない気持ちと───つまりは、申し訳ない気持ち100%であることにやっぱり申し訳なく思いつつ。頼まれた仕事をこなすためレジカウンターの中に入るのだった。

 

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一年後のヒーロー 渡月 星生 @hoshiu

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