第4話 試行と錯誤
雲居太陽は悩んでいた。レジ内の金額が10円足りないことに、ではない。それは自分の財布から10円玉を入れてしまえば(買い物に出かけた星月宙に見つからない限りは)問題ない話だ。だからそれは悩みではない。
お客が入ってこないかどうかを一応確認をしてから奥の部屋に入り、財布を手に取る。誰か来る前にと急いでレジの前に戻ってもちろん間に合って、レジを開けたところでカウンターの上に突っ伏した。
悩みというのは仕事のことだ。今やっているこれも仕事ではあるのだがこっちのことではない。「ヒーロー」の方である。
仕事の内容に不満があるわけではない。確かに始める前にあれこれ考えていたようなことは何一つ起こっていないのだけど、どんな仕事であっても──例え恒例になってしまっている猫探しであっても──やり遂げたときにお礼を言われれば嬉しかったし、やった甲斐があったと思えた。だから悩みはそこでもない。自分のことだ。
例えば安曇海だったら頭がいいし資格も幾つか持っているからそういう関係のことができる。例えば土生緑だったら手先が器用だから何かを修理したり作ったり、そういう関係のことができる。ちゃんと得意な分野が二人にはあるのだ。
それに比べたら自分はどうだろう。体を使うことや体力勝負であればそうそう負けない自信があるのだけど、残念ながらそういう仕事が入ってきたことはない。誰かと戦うことなんて日常の中ではそうそうあるものではないのだ。
「なんかなー……」
突っ伏したまま太陽は手に持った10円玉でカウンターをコンコンと叩く。
滞っているのは他の誰でもなく自分のせいだ。それは分かる。だけど「じゃあどうしたらいいのか」となるとそれは全く分からない。レッドだった頃は悩んだりしなかったのに、とすら思う。だけどよく考えてみればそれは敵が向こうからやってきたからであり、何かがあったときにはブルーやイエローが助けてくれていたからで───
「ただいま」
「宙さん!」
宙の声が聞こえて太陽の意識が過去から現在に戻る。パッと顔を上げると眉間に皺を寄せている宙の顔が見えて───出しっぱなしだった財布と持ちっぱなしだった10円玉を思い出したがもう遅い。
果たしてこんこんと説教を食らう羽目になってしまったのであった。
「んーーーーー〜〜〜〜〜〜〜」
一通り絞られた後に「気分転換してこい」と店から放り出された太陽は、余計に頭を捻らせながら駅までの道を歩いていた。といってもどこかに行くわけではなく、単に駅まで行って戻るとちょうど良い具合に時間を潰せると言うだけの話である。
「どうすりゃいいんだろうなーーーー〜〜〜〜〜」
悩む場所がレジカウンターの上から道端になったというだけで他はなんにも変わっていない。強いて言えばさっきよりも凹んでいるだけだ。
怒られたことに凹んでいるわけではない。いや無いわけではないけれどそれよりもガッカリされたくないというか失望されたくないというか、そういった方向にである。
何しろ宙は太陽のやりたいことに付き合ってくれている状態なのだ。であるからには少しでも後悔させたくないし、自分を信じて良かったと思ってもらいたいのは当然だろう。それなのにこの現状といったら!
「おう、"ヒーロー"の坊主じゃないか」
「あ、西さん」
太陽が天を仰いだところに声をかけてきたのは同じ町内に住む中年の男性だった。太陽たちがここにやってきて以来、何かと雑用───仕事を持ち込んでくれるお得意さんのような存在でもある。
「今日は兄ちゃんの方は一緒じゃないのか?」
初めて出会ってこの方、一度も名前を呼ばれたことがない。これは太陽や宙相手にだけではなく、他の誰にでも同じように呼んでいるのものだから多分そういう性格なのだということなんだろう。
「宙さんはお店だよ」
「そうかー。ちっと頼みたいことがあったんだが」
頭を掻く相手を見て太陽の顔がパッと輝いた。
「何?仕事?!やる!!!」
いつも仕事は星月宙を通してだった。それを不満に思ったことまではなかったが、もっと直接言ってくれればいいのに、とはずっと思っていたのだ。
意気込みだけならいつだって万全だ。本当にできることなのかどうかはさておき、やる気でやればやってやれないことはそうそうはないと思っている。頭や手先を使うことではない限りは!
「大丈夫なのか?」
「多分!」
太陽が勢い良く返事をすると、西はプッと吹き出した。そうして少し考えると両手で押し留めるようなジェスチャーをつけてこう、話しだした。
「分かった。実はな、うちの庭に───」
「宙さん!」
明らかにしょんぼりとした様子で出ていった太陽がこんなに早く、しかも勢い良く帰ってくるだなんて思いもしなかったのだろう。のんびりと時計を眺めていたらしい宙がびっくりとした顔を向ける。
「お帰り……どうした?」
「仕事! 俺が仕事見つけてきた!」
「仕事を?」
喜色満面といった様子で顔を輝かせて告げる太陽に宙は目を瞬かせてから細めて見つめる。明らかに訝しんでいる。
「本当だって! 西さんに直接言われたんっだって!」
太陽の返答に「ああ…」といった様子で宙の表情が少し和らぐ。そういったこともあるだろうと、今までを思い返せば容易に想像がついたのだ。それぐらい何度ともなく雑用を頼まれてきている。
「で、どんな仕事だって?」
「西さんちの庭にできた蜂の巣をとるやつ」
「は?」
太陽があんまりサラッというものだから宙は一瞬自分が聞き間違えたんじゃないかと思ったし、太陽は太陽で宙の感触がよくなさそうに見えたことにきょとんとしていた。互いに「どうして?」となった瞬間。
「宙さん?」
「……お前、今まで蜂の駆除をやったことはあるのか?」
「ないけど……あれだろ、袋かなんかにくるんで叩き落とせばいいんだろ?」
こともなげに言う太陽を見て宙は頭を抱える。恐らく何も分かっていないし考えもしなかったのだろう。深いため息をついてレジカウンターから離れる。
「宙さん?」
そうして未だにきょとんとしている太陽の前に立ち、
「───?!」
───自分よりわずかに高い位置にある頭にゲンコツを落とした。
「どっ、なんで?!」
「馬鹿だからだ」
「そりゃ俺頭よくないけど!」
「そうじゃない」
いつもと違う雰囲気を感じ取って太陽がビクリと震える。淡々と話しているけれど、浮かべる表情は今までに見たことがないようなものだった。怒られたことは今までにいくらでもある。だけどこんなのは初めてだった。
「蜂の駆除は専門の業者がいるくらい危険なものだ」
「えっ」
「なのにやったことがないのにできるなんて無責任じゃないか?」
「でも、やってみたらできるかも──」
「それで西さんちに被害が出たら?誰かが刺されたら??お前が刺されたり万が一があったら西さんがどう思う???」
「万が一が……」
そんなことは考えもしなかった。そう、考えていなかったのだ。それがどんなものなのか、上手く行かなかったらどうなるのか。
今までは割り振られたことをただやっていたからなのだろう。そこに至るまでに考えるべきことが山ほどあるだなんて思いもしなかった。
ヒーローだったとき、現れた怪獣にただ立ち向かって撃退していたように。
太陽の視線が僅かに下がる。ごめんなさい、という言葉は自然とこぼれた。
「説明してキャンセル入れておく。分かったな」
有無を言わさぬ口調で告げたところで電話がなった。スマホではなく店のものでもなく、仕事用の電話だった。宙が受話器をとる。
「はい、なんでも屋のヒー……ああどうも」
太陽は俯いたまま宙の声を聞いている。何か仕事の依頼だろうか。胸の奥がズキンと痛む。もう、信頼できないと思われてしまっていたら。もしかしたら、もう。
「ええ、今聞きました。……つまり?」
「───なるほど、そういうことだったんですね。はい。はい……」
「分かりました。いえ、ありがとうございます。ちゃんと言っておきますので」
今聞いた。
ちゃんと言っておく。
太陽の視線が上がる。電話の相手は、恐らく。
「た───
「西さんだよね?俺のことなんて言ってた?!もしかして、その……」
なにか言いかけた宙を遮って確認するように太陽が叫ぶ。二人の距離からすればそれはいささか大きすぎる声で、そのくせ勢いは尻すぼみになってしまうものだから宙は驚いて身を外らして、それから眉間に皺を寄せて。そのままの表情でため息をついてから、ほんの少しだけ表情を和らげた。
「話をちゃんと聞かないところが相変わらずだ、と言っていた」
「…………え?」
「だから取り敢えず怒られとけって思った、と」
何を言っているのか分からずに太陽の困惑の色は深まるばかりだ。驚かせて悪かったな兄ちゃん、という謝罪が西から入れられたことを宙は言わない。だから太陽はそれを知る由もなく、
「アシナガバチだからちゃんとすれば対処ができる。ちゃんとできるなら改めて頼む。と言われたんだが、どうする?」
だから太陽にとってそれは思いがけない言葉だった。
「でき……!
勢い任せのような言葉が途中で止まる。何かを飲み込んだ仕草を見せて、ええとええとと唸ることしばし。
「……どうすればいいんだ?」
「よし」
考えたけれど分からなかった、だから本人は気不味そうだったのだが、宙は満足そうに頷いた。
分からないなら分からないと言う。一歩立ち止まって考える。これはとても大切なことだ。そしてそれは仕事の話に限らない。
「必要なものは明日買いに行く。やり方は出しておくから木曜夜までに覚えておけ。……それと、」
宙を窺う太陽の顔にはじわじわと喜色が戻りつつある。さっきまでの雰囲気はもう消えていそうな事と、結果的に仕事を任せてもらえそうな事と、何よりさっき「よし」と言ってもらえたこと。
「今回のペナルティはこれが終わった後にな」
「えっ」
だから、許されたものだと判断していたのだ。そんな太陽の顔が思いがけない言葉にへにゃりと崩れていく。それを見て宙はようやく、ほんの少し笑ったのだった。
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