ランタンの魔女『アザミの復讐』
西桜はるう
「喜び」を取り戻したい……
1
こぽこぽとお湯が沸く音と蓄音機から低く流れるハープの演奏。
そこかしこに積まれた本は様々な言語で書かれており、常人が読むような本ではないことが表紙のおどろおどろしい絵から見てとれる。
「ハンス、今日はもう店を閉めようか」
衣擦れの音ともに現れた女性──真っ黒なドレスに真っ黒なレースのトークハットを被ったドロレスは助手のハンスに声をかけた。
「そうですね。もう夕方ですし、この雨じゃこんな奥まった路地まで来る人もいないでしょうし」
ドロレスの店は路地の奥の奥、人目に付かない場所に存在している。それは、普通の人間にはドロレスに用があることめったにないからだ。
「この店にお客さまが来ないのはいいことなんだけど……。最近、物騒よね。ちまたでは強盗、殺人、強姦、たくさんの犯罪が跋扈しているというし……。人々の『感情』が心配だわ」
「まあ、人間の世界に犯罪はつきものですよ。魔女さまが気に病むことではありません」
ドロレスはフッと濡れそぼる窓を見つめた。いつにもまして陰鬱さが増した路地がその紅の瞳に映る。
「そうね……。人間はいつなんどきも『感情』というものに振り回されるわ。それは魔女という立場になった今でもたまに感じることだわ……」
「でも魔女さまは依頼されれば100パーセントの確率で遂行なさるじゃないですか。どんんな残酷な依頼でも……」
助手のハンスはにこにこと本を片付けながら言った。
「それはわたしが魔女という存在だから。お客さまから依頼されればどんなことでも遂行するわ。依頼に『感情』は含めないのが主義だもの。対価は、きっちりもらうけどね……」
「その対価で僕たちは生きているんです。全人間が感情を失ってしまったら、商売あがったりですよ!だれも『感情』を取り戻したいって思わなくなっちゃうんですから」
「わかってるわよ、わかってる。ハンスだってもう元の生活に戻りたくないものね」
からかうような口調でドロレスはハンスの頭を撫でた。栗色の少しパーマのかかった髪を慈しむように手で梳く。
「はい、魔女さまのおそばでずっとこうやって暮らしていたいです」
「ふふふ。わたしもハンスとずっと店を切り盛りしていきたいわ。そのためにもきちんとお客さまの『感情』を取り戻さないとね」
「はい!僕も全力でお手伝いします!」
2
ある日の日暮れ。ハンスがドロレスにいつものように店をもう閉めるかと問うたとき、1人の老紳士が入ってきた。外は相当に冷えるのか、マフラーをきっちりと巻き、上等そうな革の手袋をしている。
「いらっしゃいませ。ご予約はしていますか?」
いつものようにハンスが最初は客の応対に出る。
「いや、していないんだ。それでも大丈夫かい?」
老紳士は帽子をサッと脱いで、ロマンスグレーの髪をかき上げる。その仕草が見た目の年齢よりも若さを感じさせた。
「かまいませんよ!どうぞ、そちらのソファにお座りください」
ドロレスはハンスと老紳士のやり取りを見たのち、スッと奥の扉へと引っ込んだ。その扉にはドアノブがなく、端から見ると開き方の検討がつかない扉だ。
「それで、魔女さま……?こんな飛び込み、見てもらえるのでしょうか……?」
「今準備をしているところです。少々お待ちください!」
老紳士は不安げにハンスを見やったが、ハンスはハンスでドロレスが全然姿を現さないので呼びに行こうかと奥の扉を見つめた。
「お待たせいたしました……」
ドロレスは1つの真っ赤なランタンを持って現れた。鮮やかなアザミの装飾が施されたランタンである。
「いらっしゃいませ、フェリクスさま。お待ちしておりました」
「わたしの名前を知っているのですか?」
驚いた表情を浮かべる老紳士・フェリクスに、ドロレスはにっこりと笑いかけた。
「もちろんでございます。あなたさまが訪れることも、この時間帯に訪問してくださることも承知しておりました。ハンスに伝え忘れていたので、あのようなやり取りをさせてしまい、申し訳ございません」
ドロレスは丁寧に頭を下げ、カウチへとフェリクスを誘った。緑色のカウチは店の雰囲気によく合い、客をリラックスさせるようにたくさんのクッションで飾っている。
「まずはカウンセリングをいたしましょう。あなたが失ってしまった『感情』をゆっくりと探って、取り戻していきましょうね……」
妖しく笑ったドロレスは、アザミの装飾がついたランタンをカウチのそばのテーブルの置いた。中では赤い炎が燃えている。
3
「ハンス、もう『close』の看板を出しておいて。今日はフェリクスさまで終わりだから」
「わかりました」
「それと、ハーブティーの用意を」
「はい」
フェリクスはカウチに腰掛けると不安げにドロレスを見つめた。緑色の瞳いっぱいにドロレスを映し、その存在と能力を測っているかのようだ。
「緊張なさらないでくださいまし。フェリクスさまが求めていらっしゃるものはきちんと手に入りますので」
「はい、よろしくお願いします」
「ではカウチに横になって目をつむってください。あ、靴のままで大丈夫ですので」
フェリクスは言われるままカウチに横になり、目をつむった。ドロレスは蓄音機の音を最少までしぼり、カウチの前の椅子にゆったりと腰掛けた。
「では、始めていきます。フェリクスさまが失ったと思いになる『感情』は、ご自分ではなんだとお思いでしょうか」
「たぶん……『喜び』です」
「『喜び』ですね。最近喜んだ記憶がないということでしょうか」
「はい……。実は、喜ばないといけない出来事が最近あったのです」
「まあ、なんでしょう」
「一人娘が結婚をするんです」
「それはそれは!おめでとうございます」
「ありがとうございます……。しかしわたしは喜べなかった……。娘が幸せになるという選択をするというのに、まったく喜べないのです」
「でも、奥さまは喜んでらっしゃるのでしょう?」
「生きていたら、喜んだでしょう。妻には先立たれているのです」
「あ、わたしとしたことが……。申し訳ございません」
「いえ、いいんです。妻だったら娘の結婚を手を叩いて喜んだことでしょう。今や親族がわたし1人だけになったのだから、笑顔で送り出してやらねばならないというのに。わたしはいったいどこに『喜び』という感情を置いてきてしまったのでしょうか!」
少々興奮気味になってきた様子を見て取ったドロレスは、ハンスに目で『香を焚きなさい』と指示をした。
「落ち着いてくださいまし、フェリクスさま」
ゆったりとした口調で話しかけるとフェリクスは次第に落ち着きを取り戻していった。ハンスが焚いた香の効果もあったのだろう。
「取り乱してすみませんでした。続けてください」
「では、質問を続けますね。娘さんのご結婚を喜べないということでしたが、なにか思い当たる原因はありまして?例えば……、家柄や人となりなど気になる点があったのではないでしょうか」
「いえ、そこは問題ないと思います。娘から相手の人柄や身分などは十分に訊いておりますので。相手として申し分ない方だと思います」
「…………1つ伺ってもよろしいでしょうか」
「はい」
「フェリクスさまの今の口ぶりからしますと、娘さんのご結婚相手にお会いになったことがないように聞こえましたわ。そこは、どうなんでしょうか?」
「はい……。実はまだ娘の相手とは会ったことがないのです。正式にわたしが結婚を認めるまでは会わせないと言われてしまい……」
「では、お相手の方の情報はすべて娘さまの口から聞いただけ、ということでしょうか?」
「その通りです」
「なるほど……。わたしは正直、フェリクスさまは娘さんがお嫁に行ってしまうことが『寂しくて』、『喜べない』と思っておりました。しかし、今のお話を聞いていると少し状況がちがうようですわね。フェリクスさまの失ってしまった『喜び』という感情は、おそらく娘さんの相手の得体の知れなさから来る『不安』のせいではないかと思い始めていますわ」
「そう……かもしれません……。しかし、娘はしっかり者なんです。会ってはいませんが、きっと娘を大切にしてくれる方だとわたしは信じております」
そう言うとフェリクスは大きく息を吐いた。何やら呼吸が苦しそうである。
「ご気分が悪いですか?汗をかいていらっしゃいますよ」
ドロレスが心配そうに声をかけると、フェリクスはしぼりだすような声で話し始めた。
「実は、肺を病んでおりまして……。医者には長くないと言われています。だから……だからこそ!娘の結婚を心から喜んで送り出したいのです!お願いします!魔女さま!わたしの『喜び』という感情を取り戻してください!」
再び興奮しだしたフェリクスに、ドロレスは香の匂いを強めた。ハンスにメモを書いて渡し、薬草部屋からはハーブや薬草を持ってこさせ、調合をする。ハンスも手伝い、手際よく鮮やかなブルーのハーブティーが出来上がった。
「フェリクスさま、一度起き上がりましょう。リラックス作用のあるハーブティーを淹れましたわ。カウンセリングもだいぶ済みましたし、次の段階へ移りましょう」
ぜえぜえと息をするフェリクスを助け起こし、温かいハーブティーのカップを手に持たせる。最初こそ手が震えていたものの、徐々に落ち着きを取り戻したフェリクスはゆっくりとハーブティーを口に含んだ。
「わたしは……わたしは……、仕事人間でした。妻に家事も子育てもすべて任せて、ひたすら働きました。それが家族のためにいいと思っていたのです。ですが……、それはまちがっていました。妻に先立たれたとき、わたしは娘のことを何も知らないことに気づいたのです。好きな食べ物、好きな色、何が得意で何が苦手か。何も知らないのです……。だからこそ、わたしはなんとしてでも娘の結婚を心から喜んで送りだしたい……。それが…
…最後に……わたしが……」
そこまで言うとフェリクスはカウチにぱったりと倒れてしまった。ハーブティーのカップが無残に手から滑り落ちる。
「ハンス、脈を」
「はい」
動かなくなったフェリクスの側に跪き、ハンスは腕を取って脈を確かめた。10秒ほど経ったあと立ち上がり、ドロレスに向かって首を振る。
「依頼は完了したわね」
「そうですね。娘さんに電話します」
4
「まあ!首尾よく父は死んでくれたんですね!」
仕立てたばかりであろう、品のよいドレスを着たフェリクスの娘・アリーは嬉しそうに、カウチに横たわる父親の遺体を見つめた。
「はい。だいぶ肺病が進んでいましたので、死因も問題ないかと。ご遺体は手配して葬儀会社へと運ぶ予定です」
ハンスが手際よくドロレスの代わりに説明をした。ドロレスは再び奥の部屋へと入り、何やら準備をしている。
「あはははは!いい気味だこと!あたくしの結婚を認めないからこういうことになるんですわ!」
高らかに笑うアリーの声が店にこだまする。ハンスは不愉快そうに顔をしかめた。
「アリーさま」
「あぁ、魔女さん。今回はなんとお礼を言っていいか……!これで心置きなく結婚ができますわ!」
「それはそれは……。ご結婚にお力添えができてよかったですわ。では、対価をいただきたく思います」
ドロレスは不敵な笑みを浮かべ、アリーに近づいた。その迫力に思わずたじろぐ。
「父の遺産が入ったら料金は払いますわ!だ、だからちょっと待っていただけたら……」
「いいえ。お金など要りません。少し目をつぶっていただくだけで済みますわ」
「目を……つぶる……?」
「痛くもなければ、苦しくもありません。対価をいただけなければ、あなたを警察に告発することになりますわ。どういたしますか?」
「わ、わかったわよ!目をつぶればいいんでしょ!」
アリーはあまりのドロレスの圧に、叫ぶように言葉を吐き捨てて目をつぶった。
「ハンス、ランタンを」
「はい、魔女さま」
ドロレスを受け取ったランタンをアリーの前に掲げ、ふーっと息を吹きかけた。途端、アリーの体が淡く光り、その光りがランタンに吸い込まれていく。ハンスはいつも見ている光景ながら、しげしげとその様子を眺めた。
「はい、終わりましたわ。十分な対価はいただきました。お帰りいただいてもよろしいですよ」
「何をしたの?」
「何も。ただ、わたしがほしい対価をいただいただけですわ。では、また縁がありましたら……」
ハンスが店の扉を開け、帰るよう促す。その有無を言わさない雰囲気に、アリーは仕方なく店を出て行った。
「あの子、もう末期ね……」
5
3日後の朝。自宅のダイニングでハンスが作った朝食とコーヒーに舌鼓をうっていたドロレスは、目を落としていた新聞にある記事を見つけた。それは、とある上流階級の娘が川から転落して溺死したという記事だった。
「ハンス、これを見て」
「どうかしたんですか?」
新聞をハンスの方へと向け、記事を指さす。
「あ、これは!」
「そう。あの、アリーよ」
フェリクスの娘・アリーはドロレスの店を後にしたあと、どうやら川に落ちて死んでしまったようだ。
「やっぱり結婚相手が関わっているんでしょうか」
「そうねぇ。存在しない結婚相手とようやく結婚できて、有頂天になって川に落ちたのかもしれないわね。フェリクスは結婚相手に会ったことがないことが不安ではないと言っていたけれど、それはあり得ないことだわ。どこの親が会えない相手との結婚を認めると思うかしら?アリーは精神を病んでいたのよ。おそらく母親が亡くなったことを契機に。でもフェリクスはそれに気づかず、やっと娘と向き合ったけれどもう遅かったのよ。アリーは結婚を認めてくれない父親に業煮やし、『喜び』の感情を失ったとフェリクスにけしかけてここへ来させた……。そしてわたしに殺害依頼をしてきた。何を思ったのでしょうね。わたしが魔女だからかしら?わたしは『感情』を司る魔女なのに」
「でも魔女さまはアリーに加担しましたよね?」
「そうね。あの2人はもう死期が近いことが感覚的にわかったのよ。ここに来たときフェリクスは死相が出ていたし、アリーは依頼時に既に妄想に取りつかれて自分1人では生きてはいけない……。フェリクスが死んでしまったら、アリーは気狂いをさらに加速させて精神病院に収容、最期はどうなるか目に見えているわ。それに、いもしない結婚相手と幸せな最期を迎えた方があの子にとって幸せだもの。だから今回は協力したのよ。でも、後味のいいものではないわね……。何百年と生きていても、人の死に直接的に関わるのは気分がよくないわ」
「魔女さま……」
「ハンス、ダメね、わたし」
「そんなことありません!」
ハンスは少年の姿から長身の青年の姿へと変化し、ドロレスを抱きしめた。
「魔女さまはお強い方です。そんな魔女さまが大好きです。でも、僕の前だけではこうやって弱音を吐いてもいいんです。大丈夫ですよ、魔女さま」
ドロレスはハンスのぬくもりに包まれ、いっとき目を閉じた。あたたかな『安心』という『感情』がドロレスの中に広がる。
「ありがとう、ハンス」
「いいえ。僕は魔女さまが大好きです」
「わたしもハンスのことが大好きよ」
2人は見つめ合い、微笑んだ。柔らかな空気が流れる中、静寂を郵便配達のベルが破る。
「まあ、うるさいこと。ハンス、今日は店を休みましょう。わたし、読みたい本が溜まっているのよ」
「いいですけど、明日は予約が入っていますからね」
「えぇ、今日だけ。ゆっくりしましょう」
「はい、仰せのままに」
ハンスは朝食を片付けると、自分用とドロレス用に新たにコーヒーを淹れなおした。
「ところで魔女さま。アリーから取ってあのアザミのランタンに閉じ込めた対価ってなんですか?」
「あぁ、あれはアリーがまだ父親を慕っているときに抱いた父親に対する『恋慕』の感情よ。上等な感情だったわ。その感情がなくなってしまったから、アリーは狂ってしまったとも言えるわね」
「でもどうしてアザミのランタンに?」
「アザミの花言葉は『復讐』なのよ。アリーは確かに精神を病んではいたけれど、父親が自分の方を向いてくれないという憎しみを抱いていた。その復讐として、今回の依頼をしたのよ」
「なんともいえない、複雑なものなんですね、親子って」
「そうね。わたしも人の子ではあったけど、とうの昔に忘れてしまった感情だわ……。さっ、こんな話はおしまい!ハンス、今日は仕事のことは忘れましょ」
「はい!魔女さま!」
1人の魔女と1匹の猫は、今日も路地の奥でひっそりと店を続けるのだった……。
ランタンの魔女『アザミの復讐』 西桜はるう @haruu-n-0905
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