第24話〈母性に目覚める伊能ちゃん〉

「ふああぁぁぁ……」


 朝になり、大きなあくびをする俺。


 あの後、なかなか俺は寝付けなかった。


 次郎くんが布団の隙間に落ちてしまわないかとか、急に不安になって泣き出してしまわないかとか……色々と考えていたら、結局夜遅くまでうっすらと起き続けてしまった。


 隣で寝ている次郎くんの様子を伺う。


 ……すやすやと、気持ちよさそうな寝息を立てている。


 この子、本当に迷子なんだよね? あまりにも落ち着きすぎだけども。


「ふぁぅ……」


 と、どうやら伊能ちゃんも起きたみたいだ。小さく、可愛らしいあくびが聞こえてくる。


「あ、起きてたのね、エイ」


 次郎くんを起こさないように、小声で話しかけてくる伊能ちゃん。


「ついさっき目が覚めたばっかりだけどね」


 俺も小声で返す。なんだか、秘密の会話をしているみたいでドキドキしてくるな。


「ふふふ……こんなに安心した寝顔で、警戒心とかないのかしらね」


 楽しそうに次郎くんの顔を見る伊能ちゃん。思わず、そんな伊能ちゃんの表情に見惚れてしまった。


 ふわりと優しく、そっと見守るようなその笑顔は、俺に向けられたものではなくてもどきりとしてしまう。子供に対して嫉妬しているようだけど、やはりそう思わざるを得ない。


「……どうしたのよ、エイ?」


「いや……伊能ちゃんは今日も可愛いな、と思って」


「んなっ……! 何言ってるのよ!」


 小声で抗議してくる伊能ちゃん。


 拗ねたように俺から目線を逸らす。と、次郎くんの頭を優しく撫ではじめた。


「んん……ぅん」


 次郎くんは一瞬身じろぎをしたが、伊能ちゃんに頭を撫でられて落ち着いたようだ。まだ寝ている。


「……早めに準備してしまいましょうか。明日は日食の予定もあるし、今日中に宇都宮周りの測量を終わらせておかないとよね」


「そうだね。……というか、明日の日食はどうしようか。電信板を使って日食を記録する予定だったよね?」


「本当に……どうしようかしらね。今日中に届けてくれたらいいんだけど……もし届かなかったら、色々自力でなんとかしないといけなくなるわね」


 そうなったら本当に面倒だ……けど、そうなったらそうなったで対応しよう。


 今のところは、次郎くんを親御さんの元へ無事に届けることに専念しなくちゃ。




 朝食は適当な保存食を3人で食べ、できるだけ早めに宿を出る。もちろん、部屋ではプラネが稼働しているよ。帰ってくる頃には測量が終わっているだろう。


「次郎くん。お母さんたちが探していそうなところって、わかるかな」


「うーん……わかんない」


 昨日の出会ってすぐの頃よりはだいぶ反応が子供っぽくなってきた。緊張がほぐれて素の表情を見せてくれるようになった……ってことかな?


 だとしても危機管理能力が足りてなさすぎる……世の中には悪い大人がいっぱいいるのに。


「わからないわよね。ふふっ、そりゃそうよ。知らない場所だもの」


 ……伊能ちゃんも、こんな一面だけ見てると危機管理能力が低そうに見えるんだけどね。まあ、人見知りするおかげで、ある意味用心深いんだけど。


「……エイの方が心配よ。わたしが喜ぶって言われたら、高い壺でも買っちゃうんじゃないかしら?」


 心を読まれたように、伊能ちゃんが発言する。


「確かに、買っちゃうかもしれない」


「そういうところが心配なのよ。人を信じやすいのは、次郎くんと一緒なんじゃないかしら?」


 次郎くんが不思議そうな顔をして見上げてくる。その顔に笑いを返すと、太陽のような笑顔が咲いた。


「そろそろ行きましょ。早く親御さんを見つけないと、向こうも心配してるでしょうし」


 伊能ちゃんが歩き出そうとする。が、その右手を次郎くんが左手で掴んだ。


「手、つなぎたいの」


 伊能ちゃんが一瞬驚いて止まってしまうが、またもふわりと笑顔が開いた。まるで本当に母親みたいだね。


「ええ、いいわよ。ほら、エイも繋いであげたら?」


 伊能ちゃんに勧められて、次郎くんの右手を左手で優しく包む。


「……えへへ、あったかいよ」


「次郎くんは手がひんやりしてるね。夏場はちょうど良さそう」


 次郎くんの体は、寝ているときには気づかなかったが少し冷たい。基礎体温が低いんだろうか。


「まあ、昨日行ったって話してた二荒山神社に行ってみるわよ。もしかしたら、今日も朝からそこを探してるかもしれないし」


 伊能ちゃんに手を引かれるような形で、俺と次郎くんが歩き出す。いつもは伊能ちゃんと2人きりだったから、間に一人増えているのはなんだか変な感じがする。


 当の次郎くんは、とても楽しそうにしている。時折跳ねたりして、本当に迷子の自覚ある?


「そういえば、お母さんたちの見た目に特徴とかってあるの? 着物の柄とか、髪飾りとか」


「おかあさんのきものはイチョウのがらをしてるよ。お姉ちゃんも、イチョウのかたちのかみかざりをしてると思う」


 親娘そろってイチョウね。ある意味わかりやすい。


 確かに、次郎くんの着物にもイチョウ柄が手縫いされている。お母さんの愛だろうか。


「イチョウ親子……ね。なんだか、この間見たイチョウの木を思い出すわね」


「ああ、確かに」


 俺と伊能ちゃんは次郎くんと手を繋いで、二荒山神社へ向かって歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地理オタ美少女“伊能忠敬ちゃん”と行く、全国測量(という名の旅行記というかイチャイチャ記) 熊倉恋太郎 @kumakoi0606

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ