△▼△▼かぐや姫コンプレックス△▼△▼

異端者

『かぐや姫コンプレックス』本文

「いつか私は、月に帰るの」

 それが彼女の口癖だった。

 これは、幼馴染の彼女を観察し続けた僕の記録――


 彼女は特にこれといって特徴のない子だった。

 容姿が優れている訳でも、勉強ができる訳でも、スポーツができる訳でもない。

 僕が彼女と知り合ったのも、家がたまたま近くで同じ幼稚園だったからに過ぎない。

 ただ、それなら十人並みかと言うとそうではなく、どことなく異質な雰囲気があった。それは太陽のような眩しさではなく、月明かりのような微かなものであったが。


 そんな彼女は、小学校になるといじめの標的となった。

 クラスでも目立つリーダー格の女子が、彼女のその存在感が気にくわないらしく無茶な要求を度々した。

 僕は彼女を守ろうとはしなかった。

 卑怯だと思われるかもしれない。けれど、僕にはそんな力も意思もなかった。

 たまに彼女と一緒になる機会があると、わざとらしく「大丈夫?」と聞くだけだった。

 我ながら、欺瞞に満ちた態度だったと思う。

 そんな時、彼女はこう答えた。

「うん、大丈夫。どうせいつか私は月に帰るから」

 彼女がそう答えるのを聞いて僕はキョトンとした。

 その様子を見て彼女はおかしそうに笑った。

 その表情があまりにも無邪気で――僕の方が大丈夫かと聞かれたのではないかと錯覚する程だった。

 月に帰る――そう、彼女はかぐや姫のお話が大好きだった。

 幼い頃から読書家でいろんな本を読み漁っていることは知っていたが、その中でも昔話、特にかぐや姫の話は好きだった。

 そういえば、勉強ができる訳でもないと言ったが、国語だけは別だった。彼女は国語の成績だけはトップクラスだった。

「月には大気がないから人は住めないよ」

「え~、そんことないよ」

 そう無邪気に続ける彼女を否定することは、僕にはできなかった。

 今思えば、否定し続ければ何か変わったのだろうか。彼女のささいな夢を壊しておけば良かったのだろうか。


 彼女はいつも損な役回りを押し付けられていた。

 それなのに、嫌そうな顔をしなかった。僕なんかはたまに回ってくる日直の仕事さえも面倒だと思っていたというのに……。

 いじめグループは、いつまで経っても彼女が屈しないことに諦めを見せ始めた。

 それは抵抗するというよりも、暖簾に腕押し、糠に釘といった感じで無意味だと気付いたようだった。

 それでもせめてもの悪あがきというか、ことあるごとに彼女をのけ者にした。

 そんな様子にも彼女は意に介さないようだった。

「いつか私は、月に帰るの」

 僕と一緒に居る時、その言葉を時折口にした。

 彼女が言う「月」とはなんだったのか……僕には未だに分からない。


 小学校も高学年になると、いじめはなくなったが彼女と接しようする者さえ居なくなった。僕以外は。

 そんな中で、彼女はいつも本を読んでいた。

 その多くは物語の本だった。何を読んでいるのか聞くと、表紙を見せて答えてくれた。

 中には、こんな難しい本を読むのかという物も混じっていたが、多くは年相応の本だったように思う。


 やがて僕と彼女は小学校を卒業し、当然のように同じ中学校に通った。

 この頃から、彼女との接点は少なくなった。

 それというのも、部活動があったからだ。

 僕はサッカー部。彼女は文芸部を選んだ。

 当然、接点などできる内容ではなく、帰る時間も異なるので一緒に帰ったりすることも無くなった。

 それでも、幸いなことにクラスは一緒だったので話す機会も無くはなかった。

 ただ、中学生にもなると妙に話しかけ辛い、周囲の目を気にすることが多くなってそんなにも話せなかったが。

 それでも、お互いが帰宅してからスマホで話すことはあったし、仲が悪くなった訳ではなかった。電話越しにでも、彼女の無邪気な様子が手に取るように分かった。

 話す内容は――僕が話して彼女が聞き役になることが多かったが、部活動の話が多かったように思う。僕は練習内容や試合の成績を、彼女は読んだ本の内容を話した。

 他愛もない話だったが、こうして話すのは好きだった。彼女も小学校の時のようにいじめられることもなく、今は同じように本好きの人たちと楽しく過ごしているのだと思うと安心した。

「お話を書いてるの」

 彼女はそう言って、自分が書いているという物語のあらすじを教えてくれた。

「すごいなあ……俺なんか、読書感想文で原稿用紙一枚も書くのに苦労するのに」

 俺――当時僕は、「僕」とは決して言わず「俺」と好んで言っていた。理由は単純で「僕」というのがなんとなく子どもっぽいと思って気取っていたのだ。

「書き始めてみれば書けると思う。書きだすのが大変なだけで」

「無理無理! 絶対に無理!」

 僕がそう言うと、彼女はおかしそうに笑った。


 やがて中学も卒業して、高校へ進学した。

 驚いたことに、彼女も僕と同じ高校だった。

 この頃には、僕と彼女の学力はかなり差が開いており、彼女の学力ならばもう少し上の高校も狙えたのではないかと思ったから意外だった。

 僕はサッカーを辞めたが、彼女は相変わらず文芸部に進んだ。

 理由は簡単。僕には勉強についていくのが精一杯で、部活動までする余力が無かったからだ。逆に言えば、今までサボってきたツケを払わされているのだった。

 彼女の方は勉強もちゃんとしてきたので、そこまでする必要は無かったようだ。むしろそれまで以上にキャパシティを発揮して、部活動も精力的に取り組んでいるらしかった。

「いつか私は、月に帰るの」

 勉強の合間、夜中にスマホで話した時も、彼女はそう口にした。

 彼女の書いた小説が、コンテストの最終選考まで残ったという報告を聞いた時だった。

「まだそんなことを言ってるのか。小説家さん」

 僕はおどけてそう言った。

「ふふ……いいでしょ?」

 彼女はそう言って笑った。


 それが彼女にその言葉を聞いたことの最後になった。


「あの子がどこに行ったか知らない?」

 五日後、夏休み前の定期テストを終えてすぐの晩に彼女の母親からそんな電話がかかってきた。

 話を聞くと、彼女が行方不明だという。スマホにも出ないらしい。

 まだ夜の早い時間だったが、彼女はそんな時間まで連絡をせずに遊び歩いているとは考えられないとのことだった。

 僕は自転車に乗って、彼女の行きそうな場所を回った。

 近所の公園や川原、念のため駅や商店街にも――だが、見つからなかった。

 深夜になってとうとう警察にも連絡したらしいが、何一つ見つからなかった。

 そのまま彼女はなんの痕跡も残さず消えた。


 それから三年後、僕は大学に進学していて、単位のために取った心理学の講義で「シンデレラコンプレックス」という言葉を知った。

 シンデレラコンプレックスというのは、シンデレラの物語のように理想の男性が迎えに来てくれるのを待ち続ける女性の心理状態をいうらしい。


 ――彼女の場合は「かぐや姫コンプレックス」とでもいうのかな?


 そう。彼女はきっと、かぐや姫が月に行ったように理想の世界を待ち続けていたのだろう。

 もっとも、彼女が望む理想の世界とはなんだったのかは知るよしもない。

 彼女はもはや手の届かない「月」へと行ってしまったのだから。


※追記

 作中では「かぐや姫コンプレックス」という言葉はこのように使われていますが、実際にこれとは異なる定義で用語としてあるようです。

 ただ、インターネットで絞り込んで検索しても非常に件数が少なく使い方も微妙に差異があるため、作中では主人公の一個人の感想としてこのようにしました。

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