3.さげ
「……」
「うん? どうしてと聞いてこないの? この先は少々言いづらい話になるかもと、気が重かったんだけど」
「え、ええ。白状すると、私、おおよその見当は付けてた。つまり、母が自身の身代わりになるような物をこしらえたのは、ほぼ決まりだろうって。呪いや妖怪じゃない限り、顔が蕎麦になるなんてないもの。知りたかったのは、どうして蕎麦に見えたのかということと、もう一つ、そんなことをした理由」
「蕎麦の方は、僕が披露した解釈で納得できた?」
「まあね」
「……残る理由も、本当は察しが付いているんじゃないか」
「かもしれない。答合わせを待っている感じかな。大日方君の意見を聞いて、一致していたら認めざるを得ない」
「だったら、お母さんに直に聞いた方がいいんじゃないか」
「……」
「君原さんはお母さんが深夜、君を置いて家を抜け出して、誰かと――男性と会っていたと考えているんだよね。恐らく、当たっている。わだかまりを覚えるのは当然だとも思う。ただ、そのわだかまりをなくすには、他人の僕なんかの意見で判定するより、君原さんがお母さんに聞いて、事実を話してもらう方がどれほどいいことか」
「分かってる。けれど、なかなか踏ん切りが付かないよ」
「……立ち入ったことを聞くけれど、答えたくなければ黙っていていいから。今現在、君のお母さんはお付き合いしている人がいるのだろうか」
私はいつの間にか下を向いていた顔を起こし、「いない」と即答した。言い切るだけの自信があった。
「今の母は私だけのために一生懸命してくれている。男の人と会う時間なんてない。ネットのやり取りもない」
「だったら。きっと地震の夜、幼い君原さんを置いて出て来たことを後悔して、反省して、そうしてるんじゃないかな」
「うん……」
「でももう少ししたら、君原さんも大学に入って、成人して、一人前の大人になって。そうなれば、もうお母さんのこと――」
「分かった。皆まで言うな、大日方君」
私は笑顔を作った。そして彼にお礼を述べて、頭を下げた。
後日、母とは腹を割った話ができた。概ね推測通りで、母は改めて謝ってきた。こちらが困るくらいに。最後は笑い合えたから、よかったけれど。
それから私は部屋で一人、朧気な記憶を便りにネット検索した。母は出掛けた先で地震の被害に遭わなかったのか、ちょっと気になって記事を探してみたのだ。
結果を言えば、よく分からなかった。ただ、あの地震で何人か命を落とした人がいるのを初めて知った。
その中の一人に、注意をひかれた。偶然なんだろうが、若い男性噺家が倒れてきた壁に押し潰されて亡くなっていた。
バラエティ番組でタレントとしても活躍中だった成長株で、得意の演目は「蛇含草」。
落語にも詳しい大日方君の解説によると、「蛇含草」は「そば清」と根っこを同じくする噺だそうだ。
終わり
蕎麦が寝間着を着るわけは 小石原淳 @koIshiara-Jun
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