2.解題


   ~ ~ ~


「――ちょっといい? まだ続くのかな?」

 テーブルを挟んで真向かいに座るクラスメートが聞いてきた。遠慮がちな口ぶりではあるけれど、強い調子を伴っている。

「続けてもいいけれども、聞いてもらいたかったことはほぼ終わった」

 私はそう答えて、麦茶の残りを呷った。最初に口を付けたときよりも少しぬるくなっていたが、それでも充分に冷たく、喉にしみる。

「じゃあ、質問をさせてくれ」

 聞き役を務めていたのは、私の同級生男子で、大日方忍おびなたしのぶ。高校に入ってから新しくできた最初の異性の友達だ。

岸原きしはらさんは思い出話を僕に聞かせて、何をどうしたいって言うのさ?」

「あれ? 前もって言ってなかった?」

「相談事があるからとだけ。具体的には聞いてない。わざわざ僕を家に招いてまでする相談だから、よほど深刻な事態かとあれこれ想像していたんだけど、地震プラス怪談話? しかも現実に起きたかどうかすら、あやふやと来ては困惑もするよ」

「実は最近になって、本当に起きた出来事なんじゃないかと思えてきたの。だから第三者から見ても、あり得ることと言えるかどうか、検証してくれないかなーって」

「目的は分かった。検証の前に、何で実際に起きたと思うようになったの?」

「何でって……女の勘、かしら?」

 半分以上本気で答えたのだけれども、私の返事がお気に召さなかったのか、大日方君は首を傾げた。

「頼りない根拠だなあ」

「あ、待って。一つだけ言えることがあるの。私が小学二年生の夏、夜中に大きめの地震が実際に起きていたと分かったのよ」

「うん、それなら僕も覚えてる」

 言われるまでもないというニュアンスを言外に漂わせつつ、大日方君は小さく息をついた。

「まあ、根拠はいいや。もう一つ、聞きたいことがある。君のお母さんに話してみたかい?」

「ううん。何となく言いづらいし、聞きづらくて。だってそうでしょ。お母さんの顔、蕎麦だったことある?なんて、聞けないよ」

「他に言い方があるでしょうに……。うーん。今日、岸原さんのお母さんが不在なのは、敢えていないときを選んだのか。さっきの思い出話を気兼ねなくするには、お母さんがいてはやりにくい、と」

「ま、そういうこと。それでどう思う?」

「待った。もう一個だけ、追加の質問。何で僕に尋ねようと思ったのさ? 他にもいるでしょ。僕よりも適任そうな友達が。ほら、オカルト好きな友田ともださんとか」

「私は現実的な解釈が聞きたいのよ。友田さんはどうしても不可思議現象の方に原因を求めるから、適任じゃあないわ。その点、大日方君はクラスの中では論理的な方だし、知識も豊富な方でしょ?」

「自分のことは分からん。でもまあ、そういう理由でのご指名とあれば、一応、がんばってみるか」

 大日方君はテーブルに身を乗り出すようにして、居住まいを正した。

「話を聞いているとき、僕がまず連想したのが、『そば清』だ」

「何それ」

「落語の演目。物凄くかいつまんで内容を説明すると、蕎麦の大食い勝負に負けたくない男が山道でたまたま、大蛇に出くわす。大蛇は旅人を丸呑みにしたばかりで胴体が太くなり、動きづらそうにしていた。が、ある草の葉っぱを、舌を出してチロチロとなめると、あら不思議。見る見るうちに胴体がすっきりとスリムになった。蛇が去ったあとに、男はいい物を見付けたと、さっき蛇がなめた葉っぱを摘み、持ち帰った。ひとなめしただけで大蛇の腹が元通りになるなんて、たいした胃腸薬だ。これさえあれば蕎麦の大食い勝負にも負けるはずがない。意気揚々として勝負に臨んだ男は、大量の蕎麦を食べ、腹がぱんぱんに膨れたところで例の葉っぱを密かになめた。これで胃がすっきりして、再び食べられるようになるはず……が、男の期待通りにはならなかった。男の座っていた位置には、蕎麦が服を着て鎮座していた」

「……かいつまんだ割には長いよ。それでそのオチって、もしかして、蛇がなめていた葉っぱは単なる胃の消化を助ける薬じゃなく、ある種類の肉だけを溶かす薬だったってこと?」

「そうそう。はっきり言えば人間を溶かす」

「やだ、まるで怪談じゃないの。落語っていうから、笑えるものだと思ってたのに」

「落語は笑いばかりじゃないよ。怪談風のもあれば人情話もあって、たとえば……いや、この話はまた別の機会にしよう。今は『そば清』、じゃなくて岸原さんの体験談だ」

「え、待って。その落語をそのまんま当てはめると、私のお母さん、溶けちゃったことになるじゃないの。どうやって戻ったのよ」

「あはは、いくら何でもそんな説は唱えないってば。期待に応えられるよう、なるべく論理的、現実的に迫ってみる。最初に確認だけど、見間違いってことはないかな」

「顔が蕎麦の束に見えたのが?」

「うん。具体的に言うと、地震で目覚めたとき、部屋は真っ暗じゃなかったのか」

「あ、それなら大丈夫。今は違うけど、小さい頃はライトを点けていないと寝付けなかったの。常夜灯ってやつ」

「岸原さんが寝入ったあと、お母さんが消していたのでは?」

「ううん、点けてた。安全の意味もあったから。もし消すにしても、明け方、外がに白み始めてからよ。地震が発生したのは、確実に真夜中だったわ」

「地震の影響で、停電になった可能性は?」

「なるほどね。でもそれもなかったわ。地震で目覚めて、レコーダーのデジタル時計を見た覚えがある。ちゃんと動いていた。ああいうのって、停電が起きたときは何も表示されなくなるし、復旧したあとは0時を示して点滅するものでしょ?」

「すべてのメーカー品がそうとは限らないかもしれないけどね。まあ、説得力のある証言で納得した。部屋はそれなりに明るく、見間違えの可能性はほとんどないと認める」

 ほとんどというのが気になったけれども、実際問題、百パーセント見間違いがないと言い切るのは難しいのも分かる。

「じゃあ次。お母さんは当時もフードファイターとして活動はしていたんだよね?」

「そう聞いてる」

「勝率が落ちてはいても、ギャラは出るだろうし、何らかの賞品を獲得することもあったと思うんだけど、どうかな」

「そのはずよ。得るものがまったくないんじゃあ、続ける意味がない」

「ふむ。賞品はスポンサーの提供品である場合がほとんどだと思う。そして大食い番組や大会のスポンサーは、ほぼ食品メーカーで間違いない、だろ?」

「でしょうね。お菓子が山のように積まれていることがしょっちゅうあったわ」

「想像を膨らませると、お菓子以外にも色んな食品を受け取っていた。そこには乾麺が含まれていてもおかしくはない」

「乾麺? あ、蕎麦の束!」

 先行きの見えない話が急につながって、私は思わず手を打った。大日方君は首を縦に振り、続けた。

「恐らく、当時の岸原さんの家には乾麺タイプの蕎麦のパッケージ品がたくさんあったんじゃないかな。それこそ一年分とかさ」

「言われてみれば……二日に一度かそれ以上の頻度で、食卓にお蕎麦が出ていたような」

「だとしたら、当時の君が蕎麦嫌いだったのも、そのせいかもしれないな」

 確かに。うんざりしていたのに、母には言い出せずにいた記憶が、まざまざと蘇る。

「さらに想像、というか空想めくけれども、推測してみると……岸原さんのお母さんは、仕舞いきれないほど大量にある蕎麦を主な材料に、人形ひとがたを作った。他にウィッグと寝間着があれば、それっぽくできるだろう」

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