第3話 逃げられない戦い



 記憶刻印セーブ。何かあった時にやり直すことのできる力。

 一見無敵だが、弱点はある。

 盗賊の男が話していたように、水晶クリスタルに許容限界があるということだ。


 冒険者のテントの側に戻ってきた時、僕の尻尾の水晶クリスタルには指の長さほどの小さなヒビが入っていた。おそらく5回も使えば水晶クリスタルは割れてしまう。

 割れたらどうなるか——以前「水晶尾クリスタルテールがなくなれば人間に襲われなくなる」と考えたやつがいたが、自ら水晶クリスタルを割った後すぐに死んでしまった。

 どうやら僕らと水晶クリスタルは切り離せない関係にあるらしい。


「ねえ、これからどうするの?」


 僕から1回前戻ってくる前に起きたできごとを聞いたキャシーが不安げな様子で尋ねてくる。

 あの後僕らは途中何度か人間と遭遇エンカウントしつつ、巣穴まで逃げてきた。せっかく集めた食糧は逃げる際にほとんど落としてしまい、群れコテリーの食糧はあと2日もすれば底を尽きる状況だ。


「人間の街まで行って食糧庫を漁れば……」

「そんなのリスクが大きすぎるわ!」

記憶刻印セーブの力を使えばなんとかなるよ!」

「それだって限界がある! よその平原に引っ越した方がましじゃないかしら」

「でも他の平原には強いモンスターがすでに縄張りを持ってる。僕らじゃとうてい敵わないよ」

「じゃあどうすれば……!」


 議論は平行線のまま、時間だけが過ぎていく。


「とにかく、当面のぶんだけでも食糧を集めなきゃ。僕だけで行ってくるから、キャシーは休んでいて」

「だめよ! 私はあなたの身を心配して——」


 その時だった。

 巣穴の上方で空気を裂くような激しい音がした。たぶん、人間の爆発魔法だ。衝撃で巣穴全体が揺れ、家族たちがざわめく。


 すぐさま巣穴の外へと向かった僕は、そこで見た光景に言葉を失った。


 何組もの冒険者のパーティがずらっと巣穴を取り囲んでいる。

 そのうちの1人が、僕を指して「水晶尾クリスタルテールよ!」と叫んだ。

 ぎらつく人間たちの視線が一斉に注がれる。


「本当だ!」

「噂通り、ここが巣穴だったんだ!」

群れコテリーごと狩れば一気に上級冒険者になれるぞ……!」


 なんでだ。いつ僕らの巣穴がバレた?

 いや、そんなことより先に家族たちを逃がさないと——


 考えている間にも、冒険者の一人が剣を振り上げて斬りかかってきていた。


「見せてやる! この日のために習得した剣技! "初手ワンターン斬り"!!」






(その……できちゃったみたい)


 僕は再びに戻ってきた。

 尻尾の水晶クリスタルを確認すると、ヒビは2倍に大きくなっている。

 記憶刻印セーブが使えるのは残り3回。

 それまでに僕は家族を救えるのか?


 ……無理だ。


 僕はキャシーの手を引いて無言で疾走した。

 そう、とも言える。

 逃げた先は住み慣れた巣穴ではなく、平原を超えた先、木が鬱蒼うっそうと生い茂る森林地帯だったからだ。


「ねえ、いい加減説明してよ。どうしてこんな場所に? その、駆け落ちだっていうんなら、私は別に構わないけど」

「……もう、嫌になったんだ」


 木陰に座り込んで俯く僕に、ただならぬ事情を悟ったのかもしれない。キャシーは黙って僕の隣に座って、背中をさすった。


 もうすぐ夜明け。

 太陽がてっぺんに昇る頃には、冒険者たちが巣穴に押し寄せてくる。

 何も知らずに僕らの帰りを待つ家族たちのことを思うと、胸が張り裂けそうだった。


「僕は、リーダー失格だ」

「そんなことない。あなたは頑張りすぎなくらいよくやってる。むしろこうやって弱音を吐く方があなたらしくてホッとするわよ」


 裏表のないキャシーの言葉が今はじんと染みる。

 彼女の言う通り、僕は一人ですべてを抱え切れるような包容力のあるオスじゃない。

 僕は彼女に1回前のことを打ち明けた。

 一通り話を聞いて、彼女は怪訝そうに首をかしげる。


「どうして巣穴の場所がバレたのかしら。今の巣穴は先祖代々一度も見つかったことがないって、オババ様に聞いたことがあるけど」

けられていたのかな」

「それはないでしょう。巣穴に戻る時はいつも迂回するようにしていたから。人間たちの言う『噂』ってやつを確かめてみた方がいいかもしれないわね」

「『噂』……街に行くしかないか」


 だとしたら街とは反対側のこの森に来ている場合ではなかった。今から街へ向かえば日が暮れてしまう。


 僕は自分の尻尾を再度確認した。やり直しができるのは残り3回。といっても3回目をやったら水晶クリスタルが割れて死んでしまうので、実質残り2回だ。


「……行くの?」


 立ち上がった僕を、キャシーが心配そうに見上げてくる。

 黙って頷くと、彼女はふっと小さく笑った。


「そっか。私は別に、駆け落ちでもよかったのに」

「それは最後のお楽しみにとっておくよ」

「分かった。でも、一つ約束して。街に行くなら、私も連れて行ってね」

「うん。約束する」


 キャシーと頬を擦り合わせると、僕は彼女に背を向けた。

 すぐそばに切り立った崖がある。

 彼女がそっと目を伏せる。

 その瞬間、僕は崖からひと思いに飛び降りた。






 4回目の今日。

 僕はキャシーと共に街を訪れた。

 『噂』は案外早く見つかった。街の中央広場の掲示板にどんと貼り紙があったからだ。


「今だけ! 『水晶尾の平原仔狗クリスタルテール・プレーリードッグ』の巣穴情報アリ! お求めの方は魔物使いモンスターテイマーのアイリーンまで」


 早速そのアイリーンとやらの家の近くまで行ってみると、中で見覚えのある冒険者と、もこもこの羊毛の服に身を包んだ可愛らしい少女が話をしているのが聞こえてきた。


「へえ、あなた"初手ワンターン斬り"が使えるんだ」

「ああ、水晶尾クリスタルテール対策にな。で、肝心の巣穴の情報ってのは……」

「あ、うん。知りたかったら270Gグリードね」

「高っ!? ワンランク上の武器が買える値段だぞ!」

「えー、それだけ価値がある情報だと思うけどなあ。なんたって、巣穴だよ? 最低でも5匹……大量発生してるって目撃情報とも照らし合わせると、もっとお買い得かも」


 冒険者は金貨の入った麻袋の中身を見てしばらく唸っていたが、やがて意を決したように「買った!」とテーブルに麻袋を置く。少女は「やった!」と目を輝かせて麻袋をぶんどった。

 そして彼女が冒険者に伝えたのは……確かに僕らの巣穴についての情報だった。


「しっかし、お嬢ちゃんはどうしてこんな情報を?」

「ほら、あたし魔物使いモンスターテイマーでしょ。仲間にしたコからいろいろ教えてもらうんだぁ」

「ってことは、もしかして水晶尾クリスタルテールを!?」

「うん。せっかくだから紹介するね。おいで、リオちゃん」


 そう呼ばれて部屋の奥から出てきた水晶尾クリスタルテールの姿を見て、僕は思わず目をこすって二度見した。そしてキャシーの方を見やるが、彼女も同じく信じられないといった風に目を丸くしていた。


 少女の趣味なのか、ふりふりの白い服を着せられているその平原仔狗プレーリードッグは。

 僕も、キャシーもよく知っている相手。


 冒険者に襲われて行方不明になったはずの、父さんだった。


 父さんは少女に背中を撫でられ、心地よさそうに彼女の膝の上で丸くなると、差し出された高級そうな種を寝そべりながらほおばった。

 僕たちの知っている姿とはかけ離れた、堕落しきった姿。


「なんで……なんでだよ、父さん……!」


 拳が震える。今すぐ目の前にある窓をかち割って、父さんを問い詰めたい。

 なんで巣穴の情報を漏らしたんだ。

 なんで生きているのに帰ってきてくれなかったんだ。

 なんで、なんで、なんで!


 その時、部屋の中の父さんと目があった気がした。


 ハッとした表情を浮かべ、少女の膝から飛び降りる。


「ちょっと、リオちゃん!?」


 逃げる気だ。

 僕とキャシーはすぐさま家の裏に回った。ちょうどそこから逃げ出そうとしていた父さんと鉢合わせる。


「エルヴィス、キャシー……! どうしてお前たちがここに」

「それは僕らのセリフだよ、父さん」


 以前の父さんなら僕らに追いつかれることなく逃げおおせただろう。だが、甘やかされて蓄えた腹の脂肪に、人間のエゴで着せられた服がそれを邪魔しているのは一目瞭然であった。


「仕方ないだろう……! 彼女は冒険者から救ってくれた恩人だ。拾われた以上、彼女にすがっていくしか俺はもう生きられない……」

「だからって、家族の巣穴の情報を売るなんて……!」


 糾弾しようとするキャシーを制する。

 父さんのしたことは最低だ。

 だけど、少しだけ気持ちが分かってしまった。

 父さんは逃げたかったんだ。

 狩られ続ける水晶尾クリスタルテールの運命から。

 家族を率いるリーダーとしての責務から。

 1回前、同じように逃げ出したくなった僕に、父さんを責める資格はない。


 僕らは逃げ足だけが唯一自慢の種族だ。

 だから逃げたっていい。

 ……でも、戦わなきゃいけない時だってある。


 今がその時だ。


「父さん。今度こそ本当のさよならだ」


 僕が構えると、父さんも僕の想いを理解して応じてくれた。


「見くびるんじゃないぞ、坊や。こんな体たらくでも、腕自慢だったことに変わりはない」


 キャシーが見守る中、僕らの互いの存続を賭けた戦いの火蓋が切って落とされた——






 父さんは強かった。

 僕は勝てなかった。


 ……ただし、1回目だけ。


 最後の記憶刻印セーブの力を使って、僕は父さんに打ち勝った。


 生まれた時から変わることのなかったレベルが、一気に上昇する。

 1から15へ。

 ここらの駆け出し冒険者であれば一撃ワンパンで倒せる強さになった。


 水晶尾クリスタルテールとしては異常にレベルの高い僕の存在は次第に人間たちにも知られることになり、街では「危険モンスター」として注意喚起されているらしい。

 おかげで好んで僕らの巣穴に近づく者はほとんどおらず、群れコテリーは順調に拡大して今や500匹の大家族。水晶尾クリスタルテールの希少性も霞むようになってきた。


 そして僕は現在。

 最後まで逃げ続けたものに、ようやく向き合おうとしている。

 500個もの大量の月光草の種を持って、彼女の部屋の扉を叩く。




「……ねえキャシー。話があるんだ」




〈おわり〉

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ワンターン・エスケイプ 乙島紅 @himawa_ri_e

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