第2話 らぶらぶ大天国の代償



 初めに言っておくと、平原仔狗プレーリードッグは一夫多妻制の種族である。


 なので『らぶらぶ大天国ハーレム』を作ること自体は罪じゃない。

 罪じゃないはずなのだけど……


「いだだだだだ! 耳引っ張らないでよ、キャシー!」

「だって! いくらオババ様と言えどもおふざけが過ぎますよ! 私たちは今真剣に群れコテリーのこれからについて話し合っていたんです。それを茶化すなんて……!」

「茶化してなどおらぬ。わしかて真剣そのものじゃ」

「では教えてください! 『らぶらぶ大天国ハーレム』のどこが人間への対策になるっていうんですか!」


 オババはふうと息を吐くと、僕の部屋の隅に落ちていた二つの種を拾い上げた。


「一つは向日葵ヒマワリの種。もう一つは月光草げっこうそうの種。さて、どちらの方が価値が高いかね?」

「もちろん、月光草の種だよ」


 向日葵の種は平原のあちこちで収穫できるが、月光草はそもそも数が少なく、種も満月の夜の翌朝にしか落ちていない。ゆえにメスの気を引くための贈り物によく使われる。


 本当は誰かにあげる前に味見しようと思ってこっそり収穫しておいたのだが、すっかり機嫌よくして期待に満ちた眼差しを向けてくるキャシーには悪いので黙っておく。


「その通り。世の中は珍しいものに価値をつけたがる。経験値もしかり、じゃ」


 オババの言いたいことが見えてきた。

 つまり僕らがたくさん繁殖すれば水晶尾クリスタルテールの希少価値が下がって、経験値も下がるってことなのだろう。

 もらえる経験値が下がれば、人間たちも躍起になって僕らを狩る理由がなくなる。


 とはいえ『らぶらぶ大天国ハーレム』を作るのは簡単なことじゃない。

 大天国というからには今群れコテリーにいるメスだけでなく、草原を散策して他のメスを探し出し、気を引くために贈り物をしなければいけない。

 草原を出歩く時間が長くなれば、それだけ人間と鉢合わせる可能性も高くなるだろう。


 リスクはある。

 だけどどこかで誰かがそのリスクを冒さなければ、運命からは逃れられないのだ。


 僕はオババから月光草の種を返してもらうと、覚悟と共にそれを食らい——口づけをした。


 そう、オババの口にである。


「んん~~~~~~っ!?」

「エエエエエルヴィス!!??」


 困惑する二匹のメス。彼女たちに構わず、僕は口移しでオババの口に月光草の種を送り込んだ。

 へなへなと座り込み、ほんのり上気した顔で放心するオババに僕は宣言する。


「いいさ、やってやる! それで群れコテリーを守れるなら……!」






 あれから3か月。群れコテリーは順調に大きくなっている。

 元々5匹しかいなかったのが、今や100匹の大家族。

 人間たちも薄々気づき始めているはずだ。その証拠に、先日水晶尾クリスタルテールの素材としての売値が下がったことをぼやいている冒険者に出くわした。

 このままいけば、いずれ僕らはレアモンスターではなくなるだろう。


 だが、今度は別の問題が浮上してきた。

 家族が増えたぶん大量の食糧が必要になったのだ。


 巣穴の近くの草原は食糧を獲りすぎたせいで枯れ果て、荒地になりつつある。

 こうなると少し足を伸ばして人里の近くまで出なければいけないが……。


「キャシー、近くに人間がいる。いったん食糧集めは中止だ」

「わかったわ。すぐに隠れましょう」


 やはり人里に近づくほど人間との遭遇エンカウント率が高くなる。

 僕らは側にあった岩陰に身をひそめることにした。

 相手は3人組の冒険者のパーティ。幸いこちらにはまだ気づいておらず、キャンプの設営準備をしながら話し込んでいる。


「しかし本当に私たちにできるだろうか。ダンジョンの史上最速攻略なんて」


 パーティの1人、武闘家の女が盗賊の男に尋ねる。


「へへっ。そのために奮発してこいつを買っておいたのさ」


 盗賊の男が腰に提げていた麻袋の中身を取り出す。


 ……僕もキャシーも、思わず声をあげそうになった。


 彼が手に持っていたのは水晶クリスタル。僕らの尻尾についているのと同じものだったからだ。


「『コカトリスの羽筆』は持っているな?」

「ああ、もちろん」


 盗賊の男に尋ねられ、剣士の男が何かを手渡す。


(ちょっと、あれ……!)


 キャシーがわさわさと僕の肩を揺すった。

 剣士が手渡したのは、以前草原で人間の落とし物を集めていた時に手に入れたものと同じ。今はキャシーの頭飾りになっているものだった。


「これをこうして、っと」


 盗賊の男は羽筆を使って水晶に何やら書き込む。

 すると水晶が一瞬虹色の輝きを放った。


「よーし、記憶刻印セーブ完了。これでいつでもやり直せるぜ。ただし水晶クリスタルの許容限界までだけどな」

「おお、すごいな。……で、この後どうするんだ?」

「おいおい、ちっとは頭働かせてくれよ。いいか、史上最速攻略を達成するにはちまちまレベル上げなんてしてらんねえ。必要なのは効率だ。だからここらで水晶尾クリスタルテールに遭遇するまで何度もやり直して、攻略時間を短縮するんだよ」


 ……なんてことだ。

 人間は頭の回る種族だとは思っていたけど、まさか時間すら操ることができるなんて。

 こんなやり方が他の冒険者たちにまで浸透したら、僕たちはあっという間に狩り尽くされる。


(エルヴィス、ねえエルヴィスったら)

(なんだよ、今考え事を——)

(その……できちゃったみたい)

(えっ!? 僕まだ君とは一緒に寝てないよね!? もしかして他のオスの……!?)

(ち、違うわよ!! 記憶刻印セーブがってこと!)

(ええええ!?)


 よく見ると僕の尻尾の水晶クリスタルにキャシーが羽筆を使って何やら書き込んだらしい。水晶クリスタルが虹色に輝き、隠れ蓑にしている岩陰から溢れ出す。

 っと、まずい。

 今ので冒険者たちに気付かれたようだ。

 いぶかしんだ盗賊の男がこちらへ近づいてくる。

 とりあえず逃げるしかない。

 僕らは全速力で駆け出した。


「おい、水晶尾クリスタルテールだ!」

「えっ、ちょっ待って、今装備外したところで……!」

「ちぃっ! 逃げられる!」


 盗賊の男はしばらく追ってきていたが、日が完全に落ちて目が利かなくなったのかやがて元いた場所へと引き返して行った。


 僕とキャシーはよく食糧を拝借するとある畑にたどり着いた。老夫婦2人で営んでいる小さな畑で、見つかったとしても簡単に逃げ切れる。


「よし、ここでちょっとひと休みしていこう」

って……?」

「そそそそういうのじゃないから!」

「そう、なんだ。やっぱり私はダメなんだ」


 月明かりに照らされるキャシーの瞳が潤んでいる。

 群れコテリーのメスのほとんどが妻となっている今だが、実はキャシーだけは違う。

 昔からよく知っている彼女だからこそ踏ん切りがつかないところがあったのだ。これまでの関係を変えたくないとか、彼女に「母」となる使命を追わせたくないとか、色々な感情がないまぜになって、僕を踏みとどまらせていた。

 ただ、それはあくまで僕の都合であって、彼女は違うらしい。ということに今更ながら気づく。

 だけど、そこで気の利いた言葉が即座に出てくるほど僕は器用なオスではなく、いつも強気なキャシーが涙を浮かべたことにおどおどするだけであった。


「もういい。私、群れコテリーを出る」

「え……!? なんでそういうことに」

「だってもう限界!! 今までどんな気持ちであなたが他のメスとイチャイチャするのを見ていたか分かる? それでも我慢できたのは、あなたが贈り物をくれたり私を頼ってくれたりしたからだった……。でもやっぱり脈がないんなら、これ以上は耐えられない」


 キャシーは頭飾りにしていた羽筆を外して僕に押し付ける。


「……さよなら、エルヴィス」

「ちょっと待ってよ! 待ってってば!」


 くるりと背を向けて僕の元を去ろうとする彼女。

 その足元で、一瞬何かが光ったような気がした。

 本能的な悪寒が背筋を走り、僕は彼女に向かって手を伸ばす。


「待って——」


 だけど、一歩遅かった。

 夜の静寂を破る、ガチャンという金属の音。無慈悲な刃をむき出しにして、地面から飛び出しキャシーの足を食らう。


 罠だ。


 キャシーの甲高い悲鳴が響くと共に、暗闇に溶けていた農家に明かりが灯った。中からくわを持った農家のおじいさんが出てきて、罠にかかったキャシーと彼女を助け出そうとする僕らを見下ろした。


「ようやく捕まえたぞ。毎度毎度大事な畑を食い荒らしおって……!」


 おじいさんの瞳にためらいはなかった。

 持っているくわを頭上まで高く振り上げる。


「私のことはいいから、早く逃げてっ……!」


 キャシーに言われても、その場に根を張ったように身動きが取れない。

 ここで、終わるのか。

 くわが風を切る音が迫り、僕はキャシーを抱きしめながら目を瞑る。


 その時、まぶたの奥で虹色の光が弾けるような気がした……。






(その……できちゃったみたい)


 キャシーの囁き声で僕はハッとまぶたを開ける。

 冒険者たちのテントの側、岩陰でキャシーと二人。

 罠はない。血まみれになっていた彼女の足は綺麗なまま。

 思わず涙をこぼす僕にキャシーはきょとんと首をかしげる。


 戻ってきた。

 僕は今、記憶刻印セーブした瞬間に戻ってきたんだ。



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