ワンターン・エスケイプ

乙島紅

第1話 レベル上げモンスターの宿命



 と初めて遭遇したのは、僕が父さんに連れられて初めて巣穴の外に出た時のことだった。


「いたぞ! 水晶尾クリスタルテールだ!」

「絶対に逃すな! 回りこめ!」


 毛皮のない二本足で立つ種を「人間」と呼ぶことは僕も群れコテリーのオババに習って知っていた。知能が発達していて、言葉や道具を巧みに操る種だと。

 だが、僕と父さんを取り囲んだのは、鼻息荒く血走った眼で獲物を前に舌なめずりをする4体の獰猛な獣。


「1体でも仕留めれば経験値1,000だ。どちらかに狙いを絞ろう」


 剣を携えた男が言った。


「それなら一回り体格の小さい方にしましょ。魔法は効かないんだっけ」

「ああ。だから君も杖で物理攻撃に回ってくれ」

「りょーかいっ」


 頭巾を被った女が本来は魔法に使うであろう杖の先を僕に向けた。その瞳に宿る殺気に、僕は父さんの背にしがみつき震えることしかできなかった。父さんは僕を庇うように立つが、相手は4人、どうしても背後を取られてしまう。


「……坊や」


 父さんは張り詰めた表情で、されど必要以上に僕を怖がらせないよう優しい声音で言った。


「父さんが合図したら、一目散に逃げなさい。あの腰布の男の股下を走り抜けるんだ。決して振り返っちゃいけないよ。いいね?」


 その男は他の3人に比べてがたいが大きいぶん足元に目が届きにくいし、動きも鈍そうだ。確かに僕の全速力なら逃げ切れるかもしれない。だけど。


「父さんは? 父さんはどうするの」

「彼らをまいたらすぐ後を追う。だから、それまで坊やだけで頑張るんだよ」


 そんなの無茶だ。

 「ワンターン・エスケープ1ターン目で逃げろ」。

 生まれた時から教え込まれる、人間と遭遇した時の鉄則。

 そうでなきゃ狩られてしまう。

 たとえここら一帯で一番の腕自慢の父さんだとしても、人間と小型モンスターである平原仔狗プレーリードッグでは力の差が大きすぎる。

 

 だが、父さんは僕の制止の言葉さえ待ってはくれなかった。


 ギャンッ! と短く吠えると、全身の毛を逆立てて敵に相対する。人間の1人が武器をふりかざして僕に向かってくるよりも早く、父さんは跳躍しながら全身をぶんと回転させ、尾の水晶を例の腰布の男のすねにぶち当てた。


「ってぇぇッ!!」


 周囲に響く野太い悲鳴。


 今だ! 父さんが僕の方を振り返り短く鳴く。


「逃さないわよっ!」


 頭上には魔法使いの女の杖が迫っていたが、僕はそちらを顧みることなく一心に駆け出した。脛の鈍痛に呻く男の股下をくぐり抜け、平原の先、家族が待つ巣穴わがやを目指して。


「待てッ!」

「いや、追うな! それよりもう1体はまだ逃げる気配がないぞ」

「おっと、そいつぁ好都合……!」


 背後で鈍い音が響いた。おそらく腰布の男が得物の棍棒を振るった音だろう。それが何に命中したかなど、考える余裕はない。

 逃げる。ただ逃げるのだ。

 父さんの言葉に従って。

 父さんの言葉を信じて。

 そうすることしか、この時の僕にはできなかった……。




 『水晶尾の平原仔狗クリスタルテール・プレーリードッグ』。

 人間たちは僕らをそう呼んでいる。

 名前の通り、突然変異で尻尾に水晶がついているのが特徴だ。

 水晶尾を持つ個体は稀で、割合は1000匹に1匹くらい。ゆえに僕らを狩ると「経験値」が多く手に入る。その実、普通の平原子狗プレーリードッグの1000倍。しかも尾の水晶は街で高く売れるんだとか。

 そして、そのわりに戦闘能力は普通の平原子狗プレーリードッグと変わらない弱小モンスターなので、旅に出たばかりの初心者冒険者たちにとっては格好の「レベル上げモンスター」だという。


 そんな僕らが人間たちに取りうる対抗手段は、今のところ「ただ逃げる」だけ。

 確かに逃げ足の速さだけなら人間含め近辺のどのモンスターにも勝るから、まっとうな戦略なんだろう。


 だけど、それでいいんだろうか。


 人間たちには知恵がある。あの時みたいに4人がかりで回り込まれたら簡単には逃げられないし、よその群れコテリーでは落とし穴を仕掛けられたなんて話も聞いたことがある。


 何か策を打たなければ。

 ただ狩られるだけの運命から「逃げる」ための策を——


「エルヴィス、入るわよ」


 無遠慮に僕の部屋に入ってきたのは同じ群れコテリーに所属する幼馴染のキャシーだ。少々デリカシーに欠けるところはあるが、小麦色のつややかな毛並みがチャーミングなメスである。


「って、何よこれ……」


 彼女が唖然として見つめるのは、部屋中に散らばった人工物の数々。


「何って、人間について研究するために平原で拾い集めたんだ」


 食べ物の包装紙、洋服の端切れ、瓶のコルク。その中でも比較的状態が良い、白い鳥の羽の先端に金属のキャップがついているもの。


「ほら、これなんか君の頭飾りとしてもよく似合——ちょっと、ゴミを見るような目はやめて」

「実際ゴミでしょう。人間の研究なんかしてどうするの」

「決まってるだろ。復讐するんだよ。僕と父さんを襲ったあいつらに……!」

「じゃあ聞くけど、あなたその人間たちの顔をちゃんと覚えているの?」


 僕は口を結んだままぱちくりとまばたきを繰り返した。それを見たキャシーは「覚えてないのね」と肩をすくめて溜息を吐く。


 大変情けない話だが、正直に言うとあの時はひたすら怖くて敵の顔を見る余裕なんて全くなかったのだ。


「ねえエルヴィス。言っちゃ悪いけど、あなたみたいなちょっと抜けてる平原仔狗プレーリードッグに復讐なんて向いてないわよ」

「う……」

「それよりあなたにはやることがある。そうでしょう?」


 それくらい僕だって分かってはいる。

 父さんとはぐれてもう一年が経った。

 いつまでも群れコテリーのリーダーが不在というわけにはいかない。

 父さんの身に何かあれば、次のリーダーは群れコテリー唯一のオスである僕が引き継ぐ。生まれた時からさんざん言い聞かされてきたことだ。


 でも、いざとなるとなかなか覚悟が決まらなかった。

 僕がリーダーになれば父さんの死を肯定するようなものだし、父さんのような頼れるリーダーになる自信なんて……ない。


「僕は不安でたまらないんだ。僕の代で群れコテリーが全滅なんてことになったらどうしよう、って」

「それは……」


 正直者のキャシーは安易に否定しない。

 彼女だって同じ不安を抱えているのだろう。


「だから策が必要なんだ。僕らが人間から逃げるための、新しい策が……!」


 その時、しゃがれた声が部屋の入口の方から響いた。


「策ならあるぞい」


 僕らは声がした方をばっと見やる。

 杖を支えに立つ腰の曲がった長老、オババがそこに立っていた。

 彼女は長く伸びた白い毛の下から未だ濁らぬ瞳でじぃっと僕をねめつけるように見ると、杖の先をびしぃっと向けておもむろに口を開いた。


「エルヴィスや。そなたがこの群れコテリーで『らぶらぶ大天国ハーレム』を作るのじゃ!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る