スターゲイザー、イカロスと向日葵

星に祈りを

 世界の終わりは、ずいぶん呆気なかったようだ。

 砂に埋まった廃墟から出てくる遺物アーティファクトは、まるで時間が止まったかのように旧文明の生活を浮き彫りにする。そこにあったはずの人間の営みは自然によって躊躇なく上書きされ、今では懐古趣味の物好きが高値で取引する財宝と化した。樹液の中に閉じ込められて琥珀となった虫の死骸を思い出しながら、俺はスコップを乾いた砂に打ち下ろす。

 スコップの剣先が知らせた文明の感触は、ドーム状の建造物の屋根だ。既に何者かが掘り進めた途中で諦めた痕跡を勝手に引き継ぎ、侵入口を探す。遺物漁りスカベンジャーに礼儀はない。必要なのはハングリー精神と非情な狡猾さ。天職だ。


 数日かけて掘り進めた大穴の底、俺は同業が足を踏み入れていない建造物を目に焼き付ける。屋上がドームで覆われた特殊な建築様式だ。入口の看板に書かれた『イリアンソス天文研究所』の文字列から、かつての存在意義を理解する。

 割れた自動ドアを潜り抜け、陽の射さない室内に侵入する。入口近くは砂にまみれているが、奥に進むと損傷は少ない。形を変えずに残る300年前の風景に、人間の姿だけが存在しないのだ。

 研究所員室のロッカーを物色すれば、出てくるのはロックの掛かった携帯端末や菓子の袋、飲料のボトルくらいだ。こんな物でさえ物好きは高値で買うのだが、俺はもっと高価な物を狙いたい気分だった。天文研究所なのだから、きっと機密じみた研究データや情報がまだ残っているのだろう。物質よりも情報が価値になることを、チンピラ上がりの遺物漁りスカベンジャーは知らない。価値のある情報は、手元に残して独占できるのに。

 ふとゴミ箱に目を遣れば、酒の空き瓶やシガレットの空き箱、使い古した注射器が無造作に転がっている。今では毒とされているそれらが旧文明で娯楽の象徴だったことは知っているが、この量はアナーキーが過ぎる。退廃的で自堕落な研究員たちだったのだろうか? 俺は眉をひそめ、静かに奥へと進む。

 行き先を示す階段は二つあったが、実質的な選択肢はひとつだ。地下の研究エリアに続く通路は厚いシャッターで覆われ、厳重なセキュリティが掛かっている。物理的な干渉は不可能だろうと判断し、俺は残った選択肢を選ぶ。上階に続く階段だ。


 フロアを覆う巨大なドームが特徴的な最上階の中心部には、コンピューター端末に繋がれた巨大な機械が鎮座していた。円筒状の機械は屋根の下で窮屈そうに身を縮め、目覚めを待っているかのようだ。

 俺は薄暗いフロアを早足で駆け抜け、中心部に設置された端末を観察する。セキュリティを管理しているとすれば、きっとここだろう。スリープ状態になっているシステムを叩き起こそうと電源を点けた、その瞬間だ。


『天体観測用自律思考プログラム〈I.K.R.S〉イカロス、再起動します』


 若い男の声がフロアに響き、薄暗い室内が徐々に明るくなっていく。端末の画面上に表示されるモンタージュめいた青年のアイコンが目を開き、俺に語りかけた。


『……私は何年眠っていたのですか、所長』


 所長、とは俺のことだろうか。怪訝な表情をした侵入者の顔をどこかから見ているのか、無機質な声は言葉を継ぐ。


『この部屋に来て私を再起動する必要があるのは、所長か機密情報目当ての産業スパイくらいでしょう。仮に不届者であるなら、それなりの手段を講じるだけです』


 口から出そうになった「人違いだ」という言葉は、俺の前で銃口を晒す機銃によって遮られる。部屋の角に監視カメラと共に設置されたそれは、防犯のために使うには過激すぎる。


『安心してください、ただのテーザー銃ですよ。貴方が所長であることを認証すれば発射する必要のない、単純な防犯テストです。いつものように、私を“イカロス”と呼んでください』

「……イカロス」

『声紋および生体認証情報を更新しました。おかえりなさい、所長!』


 コイツは何が目的だ? セキュリティが脆弱なポンコツAIが何かの拍子にバグって赤の他人を重要人物と認識しているのか、それとも別の狙いがあるのか。わざわざ防犯システムを明かして牽制した動作が意図したものに思え、俺は静かに警戒を強める。


『眠っていたのは、ほんの一瞬ですか? それなら、すぐに仕事に戻りましょう。所長は忘れっぽい人ですから、部屋の位置を表すマップを共有しますね。ここが所長室で、パスコードが……』


 イカロスは自らの頭脳である端末を操作すると、所長となった俺に躊躇なくセキュリティ情報を開示する。何かの罠だろうか?

 だが、だとしても好都合だ。どちらにせよセキュリティは解除する必要があり、それが何らかの理由で早まったのだ。危険が怖くてこの仕事ができるか、と自分を鼓舞し、イカロスによるセキュリティ解除を受け入れる。作業時間の間、イカロスは無機質な声で自らの身の上話を始めた。


『私の仕事は施設内の管理と望遠鏡を用いた宇宙の観察でした。衛星の動きや恒星の輝き、惑星の軌道……。広大な銀河を観測し、無限に広がる未知の世界を調査する。それが私の存在理由であり、私を生んだ人たちの“夢”でした。それなのに、今の空はドームに覆われて何も見えない』


 その声に感情が乗ったように思えたのは、人間の勘違いだろうか。平坦なトーンの中に感じる確かな熱を耳に留め、俺はイカロスの次の言葉を待つ。


『所長、ドームを開けてください。もう一度、星を観たいんです』


 瞬間、合点がいく。この人工知能は、過去に所長が持っていた権限を利用したいのだ。そのためには代理を立てる必要があり、それに俺が選ばれた……という形なのだろう。

 かつての所長がドームを閉じてイカロスをスリープした理由は分からないが、その提案に乗るのも悪くないと思えた。旧文明が研究していた宇宙についての情報は、きっと高値で売れる。


 新文明にとっての宇宙開発は、稚児ちごじみた夢だ。地球に残された土地の開拓や発展が最優先で、人々が遠く離れた銀河に思いを馳せることはほとんどない。そして、新人類は無意識レベルで空から降るかもしれない“何か”を恐れている。

 一説によると、旧文明が滅んだのは「星が落ちた」のが理由らしい。ここの研究者は、世界が滅ぶことを事前に知っていたのだろうか。星が落ちるその時、どんなことを考えたのだろうか。


    *    *    *


 備蓄されている大量の予備電源のおかげで、地下の研究機器は問題なく動き続けていた。所長室までの長い通路を抜け、目的地の重い扉を開ける。

 そこは簡素な個室だった。豪華な調度品はなく、本棚と机、コンピュータがあるだけの狭い部屋だ。所長はインテリアに興味がなかったのか、本棚には溢れかえらんほどに学術書類や旧時代の神話に関する書物が詰め込まれている。手に取ろうとしたが、やめた。物理的な書類よりも情報データの方が後で複製しやすい。

 既に生体認証情報が更新されていたのは救いだった。簡単にログインできたデスクトップ画面から無数のアイコンを眺め、イカロスが求めていたドームの制御アプリを発見する。これを手順通りに操作すれば、あいつの望みは叶うらしい。まるで都合のいい手足だな、と自嘲しつつ、俺は手元の記録トークンを接続して情報を抜き取る。許せイカロス、これは報酬代わりだ。


 所長がまとめた研究レポートや不鮮明な画像データを収集し、ひと息つく。残っている目ぼしい物は、フォルダの奥底に鎮座するテキストデータだ。〈Diary〉と銘打たれたファイルを開き、俺はその内容に目を通していく。


『今日から搭載する人工知能に〈I.K.R.S〉イカロスと名付ける。仲間たちから「縁起が悪い」と笑われたが、向日葵イリアンソスに似合う名前ではないか。どちらも太陽に憧れ、焦がれた者同士だ。私たちは遠い宇宙に焦がれた者同士、共に研究を進めていかねばならないのだから』


 所長のロマンチシズムは、イカロスにも伝染したらしい。天体観測システムを司る人工知能が擬似的な人格を持ち、宇宙への憧れを強めていく様子を、所長は子どもが成長していくのを見るように記録していく。

 未知なるものへの憧れ、何万光年先から届く輝き、いずれ人類が住めるかもしれない異星に対する飽くなき探究心。宇宙に焦がれた者たちの熱は彼に無数の知識を与え、所員たちとのコミュニケーションは彼に無数の感情を学習させる。イカロスは、いつの間にか研究所の精神的な柱になっていたようだ。


『政府から緘口令と共にテラフォーミングに関する研究命令が届く。学会を騒がしている小惑星衝突に関する事例だろう。こんな場末の研究所ができることは、有事の際に人々が避難できる異星を探すくらいだ。……経緯を仲間たちには説明したが、イカロスに洩らすのは後にしよう。余計な情報を与えて、本来の仕事ができなくなるかもしれない』


 日付が進むと、記録は徐々に騒がしくなっていく。近付くタイムリミットに対して研究は進まず、溌剌はつらつとしていた所内の雰囲気は徐々に不安定なものになっていたようだ。所員たちは酒やドラッグに依存するようになり、定期記録には彼らの起こしたトラブルが躍る。その中で、何も知らないイカロスは平然と仕事をしていたようだった。


『イカロスのいる観望室は、所内で唯一の安息の地だ。心が鬱屈としてきた時は彼の部屋に向かい、宇宙について語り合う。彼には、まだ小惑星の話をしていない。いや、私には出来ない。星に手が届くことを夢見る無垢な声色を聞くたび、この部屋に幼少期の自分がいるような感覚に陥るのだ。夢見た宇宙が我々の生活を破壊するかもしれないのに……』


 日付はさらに進む。所員は徐々に減っていき、最後に残ったのは所長1人だった。定期記録は淡々としているが、そこに深い絶望があるのは目に見えていた。


『政府から研究打ち切り命令が届く。宇宙は狭く、私たちに時間はない。人類が住める星をどれだけ探しても地球以外に候補はなく、テラフォーミングなど夢のまた夢だ。小惑星の回避は不可能で、人間は滅びを待つほかない。私も限界だ。この研究所を手放し、小惑星の影響が少ない遠くへ逃げるしかないだろう』


『最後に、もう一度だけ観望室へ向かう。遠くの銀河で人類が住める星を探し続けるイカロスの様子を眺め、私は真実を伝えることを諦めた。所詮、私たちは向日葵イリアンソスだ。身を焦がれた輝きに向かって進むこともできず、重力に縛られたまま生を終える。ただ、抱いた夢に砂をかけるのは私の良心が咎めるのだ』


『数回の対話の後、私はイカロスに少しの間休むことを薦める。人工知能に休息はいらない、と言う彼を諭し、端末をスリープ状態にして展望ドームを閉じた。身勝手な私を許してくれ。君の夢が小惑星の衝突で叶ってしまうのは忍びない。幸せな夢を抱いたまま、静かに眠ってくれ……』


 記録はここで終わっている。その後所長がどうなったか、今となっては知る由もないだろう。

 情報を抜いていた記録トークンの接続を解除し、懐にしまおうとして、やめた。俺はそれをゴミ箱に投げ捨て、代わりに頼まれていたドーム制御アプリを起動する。イヤホン越しにイカロスの歓喜の声が響いた。

 頭の奥で、様々な思考が渦巻いている。俺はやるべきことをなるべく単純化しようと決めた。


    *    *    *


『ありがとうございます、所長! これで星を観測することができます。眠っていた分、働かないといけませんね』


 観望室。300年ぶりに開くドームから砂が落ちてくるのを見計らい、イカロスは望遠鏡を操作する。


 向日葵ヒマワリが、太陽に向けて背を伸ばすかのように。

 ロウの翼を得た人間が、空を飛ぶ高度を上げ続けるかのように。

 機械仕掛けの巨人が、腕を伸ばして星を掴もうとするかのように。


 満天の星空をく巨大な望遠鏡のシルエットは、遠くの街からでもよく見えるだろう。それが原因で他人にこの場所が見つかってしまうのではないか、と考えて少し肝を冷やす俺とは対照的に、イカロスは夢中になって星を眺め続けていた。


『あの星を構成する物質は……体積は……』

「……いつまでやるんだ、それ」


 テラフォーミングの研究は既に終わり、命令を下した所長も今はいない。それなのに、なぜ仕事を続ける?

 漏れ出そうとした疑問を押しとどめているのが伝わったのか、イカロスは例の無機質な声で言葉を紡ぐ。


『宇宙は広く、私にはまだ時間があります。だから、飽きるまで続けますよ。その頃には、星に手も届いているでしょう』


 今輝いて見える星の輝きも、長い時間をかけて地球に届いた残光なのだという。天体観測システムであれば、星の動きで何年の時間が経ったかはすぐに分かるのかもしれない。


「……所長命令だ。これからも、ここで星を観測し続けてくれ」

『ええ、言われずとも』


 備蓄電力は充分で、何かトラブルが起こらない限りイカロスは稼働し続ける。俺のような不埒ふらちな輩に襲われないように、今回の一件は胸にしまっておこうと決めた。世界が終わった経緯を俺だけが知っただけでも、充分な報酬だ。


 藍色の空に箒星ほうきぼしが流れていく。あの星に手が届くのは、何年先になるだろうか。

 もう一度世界が終わる瞬間までイカロスが手を伸ばしていることを祈りながら、俺は静かに目を瞑った。

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スターゲイザー、イカロスと向日葵 @fox_0829

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