バタフライ・エフェクト

苫澤正樹

バタフライ・エフェクト

 つい先日のことであるが、広島の「被爆三世」を名乗る人物が核抑止力の有効性を訴え、暗に「日本も核武装せよ」と言わんばかりの論を張っているのに出食わした。

 この人物は知人によれば「愛国界隈で有名な人物」、簡単に言えば「愛国者」を自称して過激な言動を繰り返す右派論客として著名なのだという。

 今の日本で核を肯定的に語る人物はごまんといるが、さすがに現実に使用された核兵器たる原爆の存在を背負い前面に打ち出しながら、このような発言をする者はまずいないのではあるまいか。

 内容の善悪を抜きにしても、さすがに外れてはいけないたがが外れている――そう感じて多くの人はあるいはひどく驚き、あるいはひどくあきれ、あるいはひどく眉をひそめたことだろう。

 だが筆者は、ひたすらに背筋がぞうっと凍りつく思いがした。

 この人物が唱える論に対してもだが、一番反応したのは「被爆三世」という肩書である。

 実は筆者は、少し歴史が違っていれば長崎の「被爆三世」になっている可能性があった。いや、下手をすればこの世に存在すらしていなかったとすら言い切ってもいい。

 筆者の母方の祖母は、すんでのところで長崎での被爆と死をまぬかれた人物なのである。



 島原半島北東部の小さな村に祖母は生まれた。家はM家という名家で、恐らくは同じ村に住んでいた祖父の家・H家と並ぶ知名度があったのではないかと思われる。

 そんな祖母は、戦中に長崎市へ住み込みでの嫁入り修業に行っていた。もはや廃れて久しいことであるが、その昔地方では年頃の女性が都市にある名家に奉公人として入り、住み込みで働きながら家事などを覚えて行くということが広く行われていたのである。

 祖母が住み込んでいたのは代議士の家だった。箔がつくからと嫁入り修業の奉公先として選ばれるだけでなく、下宿先ともなり多くの男子学生がいわゆる「書生」として身を寄せていたという。主人自身は衆議院議員だったため地元にはいなかったが、かえってそれがこういった人々を受け入れるだけの余裕を生んでいたようだ。

 昭和二十年の夏、祖母は盆休みをもらって実家に帰る予定でいた。今暦を繰って確認すれば、大体八月十二日から十八日の週でお盆を含む何日かというところだったのだろう。

 そんな中、前の週に祖母は書生たちから声をかけられた。

「Mさん、よければ僕らと盆休みの時期を交換しないかい。実家になかなか帰れないんだし、親御さんに少しでも早く顔を見せてやりなよ。こっちはもう少し後でも問題ないから」

 一生懸命働く祖母への学生なりのねぎらいだったのだろうか、実に粋な計らいであった。

 これにより盆休みを繰り上げた祖母は八月八日に帰郷することを決め、当日汽車を乗り継いで実家へと戻ったのである。

 だが、その翌日の八月九日十一時二分。長崎に原爆が投下された。

 実家のある村どころか島原半島自体が長崎市から相当遠い。交通が杜絶したこともあり、祖母の許に「長崎に新型爆弾投下」の報が届いたのはかなり遅くのことであった。

 運の悪いことに、件の代議士の家は爆心地からさして遠くないところにあったという。数年後に長崎入りした祖母は家を探したが、辺り一面焼け野原でもはや探すどころではなかった。

 後年の衆議院の議事録によると、そもそも大急ぎで帰郷した主人の代議士ですら同じく探すのに苦労し途方に暮れたというのだから、どだい無理な相談である。

 当然、祖母と盆休みを入れ替えた書生たちは全員原爆にたおれた。働き者の女性に気前よく休みを譲ったおとこが、原爆によって災いに転じてしまったのである。

 かくて六日後の八月十五日、偶然により命永らえた祖母の戦争は終わった。



 この話は、客観的に見ても「幸運」とだけは決して言い切れないものであった。

 単に難を逃れたという点では確かに「幸運」だったが、書生たちが事実上の身代わりとなってその命を落とした事実が厳然としてある。何で無邪気に喜べようか。

 それが分かっていた祖母はあの日盆休みの交換に応じたことをひどく悔やみ、周囲から「君のせいじゃない」としきりに言い聞かせられていたという。

 奉公先の長崎で直接的にその身へ傷は受けずとも、郷里の村で間接的にその心へ傷を受け、痛みに苦しんでいたのだ。

 戦後の混乱が収まった後、祖母はH家に嫁ぎ祖父と結婚。祖父がこの話を知っていたかは不明だが、本人も従軍時にトラウマを負っていた身、知っていたとて言い出されない限り触れようなぞとは思わなかっただろう。

 だが祖母はこの心の傷となった話を、その後生まれた母によく話していた。

「きっと心のどこかでのちのちに伝えてほしかったのだろう」

 母はそう推測しているが、本当のところは分からぬ。

 その母が結婚した父は、何の偶然か核や原子力をよく知りながらそれに唾棄する人物であった。

 「核の平和利用」が盛んに喧伝されていた頃、父は原子力に憧れてわざわざ原子力学科のある大学に慣れない一人暮らしをしてまで通っていたという。

 だが核や原子力に触れれば触れるほどその恐ろしさに震えるようになり、「これは人間の持つべきものではない」と断じてもう一つの研究分野である有機化学へ鞍替えするに至ったのだ。

 そして生まれた筆者に、祖母の負った心の傷と痛みは三代続いて受け継がれた。



 筆者がこの話を聞かされたのはいつだったろうか。さして重い雰囲気でもなく、日常会話の中で何かの昔語りと一緒に語られたことだったので、詳しくは覚えていない。

 ただ結局祖母本人が被爆していなかったこともあってか、終始「人生何があるか分からないものだ」という調子で話が進んだのは確かだ。

 だがある時、それが非常に皮相的な見方であることに気づいたのである。

 確かに祖母は間一髪で奇跡的に被爆をまぬかれた。

 だが、もしそうでなかったなら?

 状況的に祖母は被爆死していたことだろう。そして母も生まれず、筆者も生まれなかった。

 しかもそうならずに済んだ最大の要因は書生たちの気づかいという小さなことなのだから、本来ならそちらの可能性の方が高かったのではあるまいか。

 ――そう考えた瞬間、誇張抜きにして全身からさっと血の気が引いた。

 バタフライ・エフェクト――蝶のはためきがごとく小さな物事の違いが、最終的に最初予見された結果とは完全にかけ離れた結果をもたらすという理論であるが、まさにこれである。

 その実例を目の当たりにした時、原爆という存在がはるかな長い時を越え、おのが身に実感ある恐怖として迫って来たのだ。



 筆者は核に対し肯定的に語り、核抑止を唱え、核武装を叫ぶ人々に訊きたい。

 正当な手段で反核や反原子力を掲げて発言し運動する人を、冷笑する人々に訊きたい。

 何の思想信条を抱こうと、何の主張をしようと自由であるし知ったことではないが訊きたい。

 先祖が生きて血脈をつないだからこそ、自分が今ここにいるということが分かっているのか?考えたことがあるのか?

 あの日落とされた原爆が、それを一瞬にして理不尽に断ち切り得るものだったということが分かっているのか?考えたことがあるのか?

 そして冒頭の人物には、さらにもう一つ訊きたい。

 三代前の祖父母がもし原爆によって死亡していたなら、そもそも自分自身が今ここにいてこうしてご高説を垂れることなぞ出来なかったということが分かっているのか?考えたことがあるのか?

 だが一方でこれらの問いに対する答えを求めないし、答えが返ることも期待しない自分がいる。

 筆者の思想信条からしてもこういった人々とこれからも決して交わることはないし、よし何かあって交わるようなことがあってもすみやかに距離を置くのは確実だからだ。

 それ以前の問題として、このような問いにまともに向き合い答えるとも思えない。

 そんな相手に必死で答えを求めたとて、何の甲斐があろうか。



 あれから七十年以上が過ぎる間に、祖母のこのような話を知る人々はどんどん消えて行った。

 祖母の実家・M家は四十年ほど前に当時の跡継ぎが交通事故で横死、大伯母も病に斃れて絶えた。

 数多くいた祖母の兄弟姉妹も、その全員が死んでしまっている。

 そして祖母自身も脳溢血を起こして寝たきりとなり、平成の声を聞かずして鬼籍に入った。

 伴侶たる祖父も十五年以上前に、中国の厦門アモイの別宅において異域の鬼となった。

 祖父母の世代で唯一生き残っている祖父側の大叔母は寝たきり、大叔父は消息不明である。

 さらに言えば、母の周囲でも伯父が肺癌により帰らぬ人となってしまっている。

 一番下の叔父をはじめとする子孫や親戚は数多くいるが、この話を聞かされてはいない。

 このため令和の今、この話を知っているのは母と筆者、そして恐らくは父のみである。その父すらも、はっきり知っているかどうかは怪しい。

 祖母の心の痛みは細い糸を伝って筆者まで三代受け継がれたものの、周囲ではそれを語ることの出来る人は全くいなくなってしまったのだ。

 筆者は既に不惑を過ぎたが、非婚主義者ゆえ子が出来ることはない。非婚主義云々を抜きにしても、元より伴侶に恵まれることはなかっただろう。

 筆者の死とともに四代目に受け継がれることなく、祖母の心の痛みは消え去る。

 今ここに七十七年目の暑い夏を迎えるに当たり、この文章によりささやかながら後世に伝えんとするものである。


<了>

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