ギタの街 【一話完結】

大枝 岳志

ギタの街

 三度目の世界大戦は終結宣言もないまま、自然消滅的に終わりを迎えた。

 世界中のどの国も経験がないほど甚大な被害を被り、歴史の上にかろうじて立っていた人類文明は綻んだ。そして、国という単位の集合体は世界の何処を探しても最早見つからない時代を迎えていた。


 核による冬の時代が明け、海の潮流が変化すると、その昔は「楽園」と称されていた南の島に多くのゴミが流れ着くようになった。

 かつて青々としていた海は深い緑に染まり、木造バラックの並ぶ通りは機械油と脱脂粉乳の人工的な甘い香りに満ちている。

 その街を住民達は「ギタ」と呼び、まだ十八に満たない褐色の少年達が支配していた。街の大人達は戦争による後遺症に苦しみ、ただ死ぬのを待つばかりの者が大半を占めていたのだ。


 ゴミの中からまだ使えそうな物品や宝飾品を漁り、月に一度遠くの島からやって来る商人に引き渡す。その代わりに、彼らは武器と食料を手にしていた。ギタの外がどのような状況になっているのか彼らは知る処になかったが、特に知ろうともしなかった。


 少年達が集めたゴミ屑の前に立った街のリーダーのロシャは金で出来た前歯をちらりと覗かせると、ゴミ屑に向かって唾を吐き捨てた。浜辺でゴミを漁り続ける齢十歳に満たない小さな少年達を集めると、ロシャは苛立った声を辺りに響かせた。


「おまえ達の仕事は海の掃除じゃない! 何でも集めればいいってもんじゃないんだ! わかるか? おい、サンク。前へ出ろ」


 小さな少年達の中で一番のお調子者のサンクはロシャに従い、震える膝を手で隠しながら皆の中から一歩前へ出る。もうじき十八歳になるロシャは大人ほど背が高く、サンクはロシャを見上げる格好になる。


「サンク。俺が集めろと言った物はなんだ?」

「キラキラした物だろう? 俺は従ってたよ。だけど、ノアドやマハラは俺の言うことも聞かずに遊んでばっかりで、ただのゴミばかり集めてたんだ。本当だぜ?」

「そうか。言いたいことはそれだけか?」

「本当だ! 俺が集めたのはコイツさ、ほら! 見てみなよ!」


 そう叫んだサンクがロシャに背を向けた次の瞬間、大きな発砲音と共にサンクの小さな頭の上半分が吹っ飛んだ。鼻から下だけを残し、口を開いたまま先ほどまでサンクだった身体が一気に膝から崩れ落ちる。静かに銃を下ろしたロシャが小さな少年達に淡々と告げる。


「おまえら、次はないぞ。すぐに蝿が湧くからコイツは片付けておけ」


 少年達は次は自分が撃たれるのではないかと後ろを何度も振り返り、震えながら岬の先端から血塗れのサンクを投げ落とした。水飛沫が上がって数秒すると、鮫のような大きな生き物が沈んで行くサンクに群がり始める。

 呆然としながら再びゴミ漁りへ向かうと、飛び散ったサンクの目元が地面にへばり付いたまま、こちらをジッと見つめていた。


 大きな少年達、つまりロシャ達は「ガラン」という合成麻薬を染み込ませたガーゼを噛みながら、銃を片手に小さな少年達が浜辺で働くのを日がな一日眺めている。

 足を怪我して破傷風になる者、劇薬に触れて顔や皮膚が爛れる者、噴き出したガスが少年達の煙草の先に引火し、爆発の巻き添えを食らって肢体がバラバラになる者。日を重ねるごとにロシャ達の目の前で小さな命が消えて行ったが、ロシャ達は動じることなくその光景を静かに眺め続けていた。


 それはかつて自分達が通って来た道であり、ギタの街で暮らす為の試練のようなものであった。その頃ロシャ達を笑って眺めていた連中は一人残らずロシャとその仲間達の手により、海の底へと沈んでいた。


 ある日、小さな少年達の一人でもひと際背の低いリタがロシャ達の前へやって来た。駆け足で寄って来るのを見て、ロシャは冷たい眼差しで銃口を向ける。


「ロシャ、あれを見て」


 リタが指さした方に目を向けてみると、浜辺に流れ着いた人らしき姿があった。肌が白く、金色の髪をした大きな大人だった。その大人は歩き出す様子もなく、膝立ちの姿勢のまま緑に濁った海を眺めていた。

 すぐにロシャ達が彼を取り囲んだが、その大人は同じ姿勢のまま動こうとしなかった。


「おい、おまえは何処から来たんだ?」


 そう訊ねてみても、大人はうんともすんとも言わなかった。白いシャツにカーキ色のハーフパンツ。靴は履いておらず裸足だった。ロシャは何処か近くの海で船が座礁したのかもしれないと考えた。そうなれば、商人に渡すお宝が船の中にある可能性が高い。


「おい、何処から来たかって聞いてるんだ。死にたいのか」


 そう言って銃口を向けると、大人は不思議そうに銃口を眺め、ニヤリと笑うと銃に顔を近づけて銃口を覗き込み始める。


「うー? ああー、うー!」


 銃口に目を押し当てて楽しげに笑う大人の姿に、ロシャは呆れ果てたような顔になって銃を下ろした。


「ダメだ、こいつはガスでやられてる。リタ、おまえらが好きにしろ」


 この日以降、彼らはその大人のことを「白い人」と呼ぶようになったが、白い人の脳は大戦時に多く使われていたガス特有の症状に冒されていた。

 小さな少年達は白い人を厄介払いの為に殺そうと試みたが、力ではまるで敵わなかった。敵意を見せた途端に三人の少年があっけなく骨を折ったのだ。

 仲間達で話し合った結果、小さな少年達は白い人を自分達の言うことを素直に聞く、従順な奴隷にすることにした。

 白い人は細かな仕事こそ出来なかったが、大きな鉄屑をどかしたりスコップで穴を掘り続けたりすることには長けていた。奴隷として働かせていても、白い人は自分も仲間の一人だと思っているようで、何を命令されても無垢な子供のように彼らの前で喜んでみせた。


 ロシャはある程度の武器が集まったある日、商人との交渉中に何ら躊躇なく相手を撃ち殺した。商人の乗って来た船に乗り込むと残りの船員達を全員撃ち殺し、大きな少年達と共に船を占拠した。

 船に乗ったロシャはリタを呼びつけると、真剣な眼差しでこう告げた。


「俺達はこれから別の島へ行く」

「別の島? どうして?」

「俺達が知らなかっただけで、外にはここよりずっと安全に暮らせる場所があるんだ。あの商人は隠していたが、俺は気付いてた。近頃は流れ着くゴミが真新しいものばかりだったからな」

「じゃあ、今から急いで準備するよ」

「ダメだ。おまえ達はおまえ達の生き方を見つけろ」

「やだよ。別の島へ行くなら僕達も乗せて行っておくれよ」

「おい、ふざけるなよ? この船は俺がぶん取ったんだ。船が欲しけりゃおまえらも自分の手で何とかしろ」

「……どうしてもダメかい?」

「俺とおまえは他人同士だ。じゃあな」


 そう言って船の乗船扉を閉めると、ロシャ達は船員の死体を次々に海へ放り投げ、錆びた波止場に停まっていた船がゆっくりと島を離れて行った。船が波止場を出ると、ロシャはデッキからリタの名を呼び、何かを放り投げて寄越した。


「それはくれてやる!」


 投げられたのはボロボロの麻袋で、中を開けると一丁の拳銃とマガジン、そしてガランが入っていた。

 沖へ出た船が見えなくなる頃、リタはその小さな舌で吸い上げるガランの人工的で濃密な味わいと、上下左右が心地よく揺れ、脳内で攪拌される幻覚に酔い始めていた。


 それから一ヵ月後。浜辺に褐色の少年の遺体が流れ着いた。

 少年の遺体は身体の柔らかな部分だけが魚や鳥に啄まれた形となり、錆びた金属屑の間に引っ掛かっていた。

 目玉と唇を失くし、身体は体内ガスの為に膨らんでいたが、リタは躊躇う様子も見せずに金で出来た少年の前歯をナイフで刳り貫き、笑顔になった。


「おかえり! おまえも少しは俺の役に立つんじゃないか」


 まだ幼く小さなリタであったが、銃とナイフを手にするとギタの街を治める新たなグループを作っていた。ロシャ達が島を出ると、リタ達は床に伏せていたロシャやその仲間の親達を次々と殺して回った。彼らの痕跡すら残さないことで、リタは新しい街のリーダーとなったのだ。


 彼らは浜辺に寄り固まり、ガランを口にしながら白い人や仲間に入れない奴隷同然の少年達がゴミを漁り続けるのを日がな一日眺め続けていた。すると、スコップでゴミを除けていた白い人が手を止め、突然狂ったような雄叫びを上げ始めた。

 発狂して言うことを聞かなくなったのならば殺してやろうと思ったリタが白い人が近付くと、浜辺には白い人よりもひと回り小さな、やはり同じように白い肌をした金髪の男が流れ着いていた。


 それから数日後。


 大きな白い人はわずかに残ったガランを吸いながら、立ったまま一歩も動かずに海を眺めていた。

 その青い瞳はまるで生きる光が失せたように暗く、緑に濁った静かな海だけが反射していた。ボロボロになったハーフパンツには長い糸を引く涎が垂れ続け、そこらに転がる小さな少年達の遺体からは蛆が湧き踊り、水気を失った固い肉の裂け目でぶよぶよと蠢いている。頭蓋から飛び出した脳髄、腹から飛び出した腸は湿気のない南の陽に当てられ、乾き切って腹を空かした鳥さえも見向きやしない。脱脂粉乳の香りが漂っていたバラックの通りは今やアンモニアや酸味を含んだ耐え難い死臭に変わり果てていた。


 そんな惨状の通りを手で鼻を覆いながら、大きな白い人を目掛けて走って来る一人の男の姿があった。それは正常な意識のまま浜辺に流れ着いた、小さな白い人だった。

 駆け足を終えて肩で息をする小さな白い人が、通りに立ち尽くす大きな白い人に声を掛ける。


「おい、もうそろそろ迎えに来るぞ! 事故で流れ着いたとは言え、こんなクソみたいな島……二度とごめんだ。殺られる前に殺って正解だった」

「あー……うー」

「やっぱりダメか。おまえも本当、可哀想にな。国へ帰ったら治療を受けたらいい。ここは異常なんだ」

「…………」

「お、ほら! 船だ! 船が見えて来た! おーい! ここだー!」

「…………あー」

「もうすぐ島から出れるぞ! なんだよ。おい、おい、待て。何するんだ……おい、やめ……やめろ」

「…………」

「おま……え……島から……苦しい……やめ……放せ」

「…………」

「こんな……こん……」

「うー!」」

「かっ…………が……」

「うー! うー!」


 血走った目を向けた大きな白い人はおよそ十五分もの間、容赦なく小さな白い人の首に力を込め続けた。

 その間に沖からやって来た船が汽笛を鳴らしつつ島を周回していたが、二十回目の汽笛を鳴らし終えると、やがて沖へと引き返して行った。


 蝿の飛び回る通りに白い遺体が一つ増えると、褐色の中に点を置いたような微細なコントラストが生まれる。その傍で、かつては「楽園」と呼ばれていた赤い名残花が小さく顔を揺らしている。

 大きな白い人はその光景を眺めながら、実に楽しげで無垢な笑い声を辺りに響かせた。しかし、その声に反応する者はもうギタの街の何処にもいなかった。

 街に響くのは太陽のような無垢な笑い声のみで、他にはもう何の音も残らなかった。




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