【第三十話】有終完美! 語られるのは最後の話……?!
▽
あの事件から一ヶ月後。
ようやく、アピトのカフェが完成した。
塗りたての赤い屋根に、花に囲まれたレンガ造りの二階建て。
木の扉を開ければ、少々趣味の偏った絵画が出迎えてくれる。
席は元々あったカウンター席に、テーブル席も四つほど設置した。
カウンターの奥にはキッチンがあって、柔らかい素材のカーテンをくぐれば、すぐ目の前に釜戸が見える。
その隣にはさらに拡張したウォールシェルフ。食器や調理器具も一式新調した。
キッチンの間取りは勝手が分かっている方が良いだろうと、ほとんど変えていない。
強いていえば、アピトの娯楽室がなくなったくらいだ。
アピトの娯楽室があったところは、コーヒーを淹れるための簡易的な調理場となっている。
さらに床下には食糧庫を増設した。
いちいち買いに行く手間が省ける上に、アピトの買い忘れが発動しても多少はカバー出来る。
必要ないと言い張るアピトを絞め上げて、なんとか手に入れた夢の倉庫なのだ。
キッチンの奥にある風呂やトイレはあまり変わってないから良いとして、他に変わったところといえば、二階へ上がる階段だろう。
元々カウンターのすぐ裏にあった階段は、人目につかないよう、風呂場の近くへと移動させた。
カフェの景観を損なわない上に、トイレからも近くなり、一石二鳥だ。
二階は前と変わらず居住スペースになっている。
近藤の部屋とアピトの部屋はそのままに、アピトの娯楽室が追加された。
つまり、アピトは二部屋持ちなのだ。家主の特権を乱用しやがって。
まぁその分、近藤の部屋の間取りを広くして貰ったので、それで許してやるとしよう。
さて、店が出来たからといって安心は出来ない。カフェにおいて一番重要なのはメニューだ。
これには相当な議論を重ねた。
カフェといえば、まずはドリンク。
コーヒーはもちろん、紅茶やココア、ジュースと幅広く揃えてある。
他にも季節限定のフレーバーも追加しようと画策しているが、そこら辺は店の売り上げ次第となっている。
軽食はサンドイッチにホットドッグ、スープ、パスタ、サラダにリゾット。
他にも……え? もういい?
まだデザートも話せてないし、BGMについても話があったが……まぁ、そりゃそうか。
そんなことよりも、もっと気になることがあるのだろう。
この一ヵ月、何が起きていたのか。
結論から言ってしまえば、思ったよりも大きな混乱は起こらなかった。
市民のほとんどは、なにも知らないうちに終わっていたという印象が強いのではないだろうか。
ブローレの市民ですら、今回の事件を新聞で知ったという者は少なくない。
本格的に事が動いたのはあの日の夜。
詳しく話すとなると長くなるが、これにはユギルとその悪魔たちの活躍があった。
と、聞いている。
残念だが、近藤たちはこの件の詳しいことは全くもって知らない。
というのも、近藤とアピトはジュベルを倒し終えたあと、すぐに自宅に帰って寝てしまったのだ。
もう少し詳しく話そうか。
自宅に帰った近藤たちは出てきた時よりさらにボロくなった我が家を見て、言葉を失った。
さて、どうしよう。
互いの顔を見合ったのは、なにをするべきか分からなかったからだ。
仲間の安否確認が先か、もしかしたら、シエラルカやカラリマ、他の城の騎士との戦闘もあり得る。
緊迫した空気が二人の間に流れた。
が、家の番をしていたはずのラッド・ネアが、二階から顔を出し、『あら、お帰りなさい。約束は守ったわよ』と言われた途端、全てがどうでも良くなった。
ジェシアの事件から始まり、果てはこの世界の女王を倒すまで、ほとんど休みなしで動いていた。
戦いが終わって安堵した体が休憩を欲するのは自然の摂理というもの。
まぁそういう訳で、近藤もアピトも、その後の話は全くもって関わっていない。
なんなら、ファシスタが持ってきた新聞で事の顛末を知ったくらいだ。
当事者なのにとか言うんじゃねぇよ。
新聞に載っていた話を簡単にまとめるとこうだ。
アピトと近藤が帰宅したあと、入れ違うようにユギルとその悪魔たちが城へと踏み込んだ。
それとほぼ同時刻に、キャロンたち率いるクイエラの騎士もブローレに到着。
ユギルたちはクイエラの騎士と結託し、地下の独房に閉じ込められていた研究者たちを解放した。
地下の独房といえばジェシアが囚われていたところだが、あそこ以外にも独房があったらしい。
正しい魔法の原理を知る研究者たちや、ジュベルの政治に口を出した側近なんかは皆、国家反逆罪の罪を着せられ、そこに入れられていた。
考えれば妥当な話だ。
元々あそこは悪魔収容所として建てられた訳ではない。牢屋として使われているのが本来の使い方であって、そこに人が捕まっていたというなら、それが正しい形なのだ。
まぁ、捕らわれていた理由が正しいかと問われれば、そうではなかった訳だが。
長い者たちは十年近くも牢に閉じ込められていたらしい。普通の人間であれば発狂していただろう。
その後ユギルたちは、解放した研究者たちと共に、事件の全貌を市民たちに伝えた。
そう簡単に信じられそうにない内容だと思ったが、流石研究者。意外と疑う者は少なかったらしい。
まぁ、その訳は他にもあったのだが。
というのも、近藤たちが降らした雨のお陰で、悪魔がなくとも魔法が使えることが判明したのだ。
どう考えても不自然なそれに加えて、十年前に行方不明になっていた有名な学者たちが次々に現れたとなれば、信じる他なかったのだろう。
近藤たちが目を覚ましたときには、もうすでにアピトは英雄となっていた。
それから一ヶ月間、話は馬鹿みたいにトントン拍子に進んでいった。
事情を知った市民たちは、貴族を中心に議会を開き、ジュベルやカラリマたちの身柄を拘束した。
その後再度開かれた議会で今後の国の方針が協議され、その次に開かれた議会では、ジュベルやカラリマたちの裁判が決定した。
王政の廃止を唱える輩もちらほらいたが、今のところは、議会と残った騎士たちで連携を取って城を再建していく方針らしい。
ジュベルたちの処罰についてはまだ決まっていないが、王位剥奪が妥当なところだろう。
ただ、これで大団円とは言いにくい。
城の元宰相・シエラルカだけはその行方が知られていない。
今、城の騎士が血眼になって探しているが、手がかりは依然として掴めていないらしい。
なぜか一斉休暇を取らされていた城の騎士たちは、事情を知らなかったこともあり、牢に入れられることはなかった。
だが、事件に関わったのは事実。
騎士の称号は事実上撤廃され、半数は議会、もう半数はクイエラの騎士の監視下で、それぞれの業務に勤しんでいる。
クイエラの騎士は、内戦や城への進行が肯定的にとられ、はじめから城の異変に気付いていたということになっているようだ。
現在は復興の中心を担っている。
ここまでがこの一ヶ月の大まかな流れだ。
小さいところを詰めていくともっと色々と出てくるかも知れないが、なにせ数が多くて、近藤たちですら知らないことが多い。
あぁ、そうだ。後もう一つ、新しいニュースが飛び込んできたんだった。
悪魔の処遇についてだ。
研究者たちの尽力の末、魔法原理の正しい知識が広まり、結果として多くの悪魔が解放された。
それからここ一ヶ月、解放された悪魔をどうするかと議会が揉めていたが、ついに話がまとまったらしい。
今朝の朝刊によると、“魔女による支配、契約、及びそれに準じる行為は一切禁止し、悪魔にも人権を与える”とのこと。
まぁつまり、悪魔たちは魔女の支配から解放され、この世界で自由に暮らす権利を手に入れたということだ。
とはいっても、そう簡単に社会復帰出来るかと言われれば、そうではない。
悪魔は元々この世界の住人ではない上に、多くはずっと牢屋の中に閉じ込められていた者たちだ。
加えて、未だに解放されていない悪魔もいるらしく、悪魔が普通の人として認められるようになるのは、まだまだ先の話だろう。
ユギルの元悪魔の何人かは、議会と協力して悪魔の救出活動や社会復帰の支援をしていくと言っていた。
長い道のりになるだろうが、希望はあるということだ。
いつの日か、男共が悪魔なんて呼ばれていたことを知らない子供が産まれてくると思うと、感慨深い。
こうやって考えてみると、ゆっくりではあるが、この世界も変化の時期を向かえている。
新聞なんかに書いてある話を見ると、まるで他人事のように思えてくるが、この変化を産み出した張本人は、紛れもなく近藤とアピトである。
優越感を感じなくもない。
なんていっても、世間一般じゃそうでもない。
記事はどのページをひらいても、アピト、アピト、アピト。
セーレ・アピト!
どこにも近藤の名前は載っていない。
名前どころか、近藤の考えた作戦ですら、アピトの手柄になっている。
縁の下の力持ちってか? 気に食わねぇ。
近藤は分かりやすくため息を吐くと、でかでかと書かれた見出しを睨みながらカウンターに投げ捨てた。
「新聞読んでいたのか?」
「おー、読めるようになったしな」
「ふぅん」
「で、お前はなにしてんだ?」
「プレゼント開いてる」
「あのな! そういうのは俺にも見せろよ!」
床に散乱する包装紙。
それを気にする素振りすら見せずにカウンターテーブルの上に座っているのは、この店の主だ。
開店前だとは思えない惨状に、軽く頭を抱える。
皆さん。これが貴方たちの崇め奉る英雄の姿ですよ。
まぁ、そう訴えたところで気取ってなくて良いと言われるのが落ちだろう。なにせ、あちらは世界を救った英雄様なのだから。
英雄様が勝手に開いているプレゼントは、カフェが完成したお祝いにと、ファシスタたちがくれたものだ。
内装を整えた後、一緒に開ける約束をしていたのだが、物の見事に忘れやがった。
ビリビリに破けた包装紙をまとめながら、アピトのそばに腰を下ろす。
「これは?」
「レーベルのだ」
ファシスタのプレゼントは、クリーム色のシンプルな花瓶だ。口が小さく、首が長いので一輪挿し用なのだろう。
律儀に花まで一緒に贈られてきた。
メッセージカードには、『カフェ開店おめでとう! 今度紅茶飲みに行くね』と可愛らしい字で書かれている。
真面目なファシスタらしいプレゼントだ。
あの事件の後、ファシスタは医者を辞め、魔法や魔力についての勉強をはじめた。
空いた時間には子供たちに魔法や魔力の原理を教えたりしているらしく、結構忙しそうだった。
『患者さんを直接治療することは出来なくても、この研究で誰かを救えるなら、充分素敵だと思いませんか? 私は私に出来ることを、精一杯やりたいんです!』
そうやって笑った彼女は、すっかり大人の女性で、アピトとしては複雑だったらしい。
まぁ、たまに甘えに来てくれれば良いじゃねぇか。
ファシスタは、体外の魔力についてかなり興味をもっているようで、ユギルやラッド・ネアにも研究の手伝いを頼んでいるとか。
詳しい話は聞けなかったが、体外の魔力を操れたと言っていた。
操れたと言ってもたった一度。それも、魔力濃度が完全に低くなる直前だったから使えた奇跡みたいなものだったらしいが、それでももし、城のタンクのような辺りの魔力濃度を自由に操る装置が出来れば、もう一度魔法を操れる……かも知れない。
そこはファシスタの研究次第だ。
「おぉ、ランチョンマット?」
「ユギルからだな」
次のプレゼントは、ユギルからか。
赤や黄色の暖かい色のランチョンマットには、花や草を象った華やかな刺繍があしらわれている。
贈り物も派手なのか。
メッセージカードには、ユギルやタカハシからだけでなく、他の悪魔たちからのメッセージも書かれていて、寄せ書きみたいになっている。仲良しだな。
ユギルは相変わらずあの山奥の屋敷で暮らしているらしい。
あんなにいたユギルの悪魔たちは全て解放され、残ったのはタカハシのみ。
流石に二人で暮らすにはデカすぎるらしく、近々引っ越そうかなとぼやいていた。
ユギルの元悪魔はそれぞれ新生活をスタートさせた。
悪魔の社会復帰に奔走する奴ら、普通の生活をはじめる奴ら、後、たまに手伝いと称してユギルの屋敷に顔をだしに行く奴らもちらほらと。
まぁ、それなりに充実しているらしい。
ユギルはブローレとは元々因縁があるらしく、ユギルの元悪魔たちは、ユギルの屋敷での暮らしを隠して過ごしている。
と、街でナオヤに声をかけたとき、厳しく注意された。
『おしりぺんぺんしちゃうぞ』って。
今思い出しても背筋が凍る。
ナオヤが言うに、ナオヤやシキを始めとした半数以上が、悪魔解放運動に参加しているらしい。
近藤も誘われたが、気が向いたらなと答えておいた。
「これは分かる。ラッド・ネアだろ」
「よく分かったな!」
よく分かったもなにも、こんな雑なプレゼントを贈ってくるやつなんか限られている。
麻袋のなかを覗けば、そこにはアピトがよく飲んでいるコーヒーの豆。大体100gくらい。
メッセージカードには走り書きでおめでとうとだけ書かれている。
まぁ、ありがたいけど。
ラッド・ネアはほとんど前の生活と変わりない。
まぁ強いていえば、ユージの腕が治ったくらいか。
シエラルカと戦ったのは間違いないが、多くは語られなかった。
シエラルカの行方についても色々聞かれていたが、興味ないと切り捨てていた。
まぁ、ラッド・ネアは腕さえ手に入ればそれで良かったのだろう。
利己主義というかなんというか、ラッド・ネアらしいと結論付けておくか。
だが恐らく、ラッド・ネアはシエラルカの行方を知っている。
『夢の見方を知らない少女は、大人になることも出来ないのよ』
ラッド・ネアがそう言ったのは、近藤たちがユージのお見舞いに行った時だった。
両腕の戻ったユージを見て『勝ったのか?』なんて馬鹿みたいな質問が口をついて出た。
その答えが、それだった。
『もしかしたら、彼女は……』
ラッド・ネアはそう続けたが、言う気が失せたのだろう。しばらく考える素振りを見せた後、口を閉じた。
その後はどんなに聞いてもはぐらかされるばかりで、結局、勝敗すらあやふやのまま、話は半ば強制的に終了した。
まぁ、簡単には立ち入れない話もあるということだ。
麻袋の口をしっかり閉じ、カウンターに置き直す。
プレゼントはこれくらいか。
後は街の奴らから手紙が届いているが、カフェの開店祝いというより、感謝状というのが正しいだろう。
見れば、ブローレ以外の住所もある。
なんというか、律儀な奴らだな。
あぁそうだ。
ついでにジェシアたちの話もしておくか。
結局、あいつらの起こした事件はこの騒動にかき消された。つまり、ジェシアたちが罪に問われることはなかった。
とはいえ、あいつらはあいつらで何人もの魔女の魔力を消失させた。
その罪は、償わなければならない。
それは本人たちも自覚しているようで、罪と向き合うと言っていた。
どう償うかは近藤の知るところではないが、一段落したらカフェに顔をだすとも言っていたので気長に待つつもりだ。
フォーランもジェシアを手伝いたいと言っていたが、まずはメンタルを安定させた方が良いということで、しばらくは治療に専念するらしい。
ついでにのちなみに、小俣はブローレには居たくないということで、安全な場所までジェシアたちが連れていくと聞いた。
話を聞く限りじゃ、ジェシアたちの故郷に行くらしい。ブローレからも遠く、昔から悪魔が多く住んでいる場所だとか。
なんだかんだで面倒見の良い奴らだ。
時代が変われば暮らしも変わるとはよく言ったものだ。
皆、新しい時代に合わせ、それぞれ新しい生活への一歩を踏み出していた。
もちろん、それは近藤とアピトも同じわけで。
近藤たちも明日からカフェをオープンさせる。
今日は内装を整え、最終チェックをしていた。
「このランチョンマットはどうするんだ?」
「テーブル席に敷くか。ん、俺やるよ」
「花は私に任せてくれ!」
「綺麗に飾れよ」
アピトの生返事を背に、ランチョンマットを並べていく。
この分なら、数枚は予備に取っておけそうだな。
「こんなもんか」
テーブルを彩る暖かな色のランチョンマットは、テキトーに並べただけだというのに、それなりに様になっていた。
デザインなんててんで知らない素人でも、おしゃれなカフェに出来てしまう。
他人の力ってのは凄いもんだ。
「いよいよ明日か。実感が湧かんな」
アピトは活けたばかりの花を撫でると、その隣に腰を下ろした。
真っ赤な花弁はわずかな揺れを感じ、小さく震えた。
珍しい形の朝顔かなんかかと思ったが、ペチュニアという品種らしい。
花言葉は、『心の安らぎ』『あきらめない』。
メッセージカードの裏に書いてあった。
「実感湧こうが湧くまいが、明日になりゃ嫌でもオープンだ」
「嫌なわけないだろう。ずっと夢だったんだ」
「そりゃそうだ」
そう笑うと、木の匂いが鼻腔に広がった。
建てたばかりの家の匂いだ。まだ木の香りが染み付いている。
それがいずれ薄れ、ドアを開けるだけでコーヒーの香りが薫ってくるようになるのだ。
「最初の客は誰だろうな」
アピトはふと目を細めた。
どうやら、思うことは同じらしい。
ほんの少し先の未来に期待しているのだ。
「賭けるか?」
「言っておくが、私はレーベル一択だ」
「賭けになんねぇな」
アピトの笑い声が部屋に広がる。
ケラケラと無邪気なその声につられて、近藤も笑った。
「街の奴らも来るってさ」
「遠いのに悪いな」
「まぁ、英雄様のカフェだからな」
そう言えば、アピトは機嫌よく笑った。
英雄。その称号は案外気に入っているらしい。
新聞に踊ったその字を見たとき、格好いいと満足そうにしていた。
「忙しくなりそうだな」
「上等だ」
肺がぐっと重くなる。
緊張や不安なんかじゃない。もっとどうしようもない重さだ。
きっと今、近藤の体の中を覗けば、期待でいっぱいになった肺が見えるだろう。
その期待は酸素と共に血液に乗って身体中を駆け巡る。
……あぁ、なんだかんだ言って、明日を楽しみにしてるのはアピトだけじゃないらしい。
「毎朝、君の怒鳴り声で目を覚ますんだ」
不意にアピトが呟いた。
懐かしむような声音に錯覚したが、これは過去の話じゃない。
明日から始まる、日常の話だ。
「もう少しだけって言うと、馬鹿みたいに怒って」
「馬鹿はてめぇだろ」
もう少し。は、アピトの常套句だ。
そうやってうだうだ言ってベッドから出てこようとしないその姿は容易に想像がつく。
「毎朝、飯作るこっちの身にもなれよ」
「いつも悪いな!」
「次からてめぇで作れ」
朝のキッチンは妙に静かで、いつも見慣れたそれではない。
あの一歩踏み出した時に感じるキンとした空気は、嫌いじゃなかった。
明かりをつけて、釜戸の火を焚く。
パンを暖めている間に、食糧庫から適当な野菜を取りだし、サラダを作る。
ついでにジャムも用意して、あぁ、コーヒーも淹れないとな。
もちろん、俺のコーヒーが飲めるのは早起きした奴だけだ。
丁度出来上がった頃に、半分寝たまんまのアピトが顔を出す。
「もう少し優雅なブレックファーストが良いな」
「お前、ここの家主を誰だと思ってんだ」
朝御飯を食べ終えたら、片付けはアピトの仕事だ。
その隙にレコードでも選んで、看板をオープンにして……ドアの前をさっと掃くくらいはやってやるか。
「朝は人足が少ねぇだろうからコーヒーでもおかわりして、ゆっくりすりゃあ良い」
「忙しくなるのは昼頃か」
「昼飯を食いっぱぐれるといけねぇ。はやめに昼食とんねぇとな」
「たまにレーベルも来るだろうな」
「そりゃいい。サービスしてやれ」
「なんだかんだ言いつつ、ラッド・ネアも来るぞ」
「今度は俺らがもてなす番か」
「ユギルは……」
「あいつん家にいきゃ良いんだよ」
「あぁ、そうだな。押し掛けてやろう」
「休みの日は研究してぇな」
「まだ調べものがあるのか?」
「いや、趣味だよ。契約についてな」
「契約?」
「おう。契約がなきゃ、悪魔と魔女は会話できねぇからな」
「私も手伝ってやろう!」
「余計なお世話だ」
二人は顔を見合わすと、小さく笑った。
「こんな話、久しぶりにしたよ」
「俺も、久しぶりだ」
作戦でも計画でもない未来の話。くだらない、他愛もない会話だ。
だが、それが酷く心地好かった。
「これからは、君と一緒に暮らすんだ」
アピトの声は宣言するかのように高らかに、はっきりと響いた。
「明日も君は私の隣にいる」
「そうだな」
「次の日も、そのまた次の日も、ずっと、私のそばには君がいる」
「あぁ」
嬉しそうに緩むその顔からは、不安の色は伺えない。
だとしたら、この確認になんの意味があるのか。
近藤は素直に首をかしげた。
「今になって嫌気がさしたか?」
「妙なことを言う」
妙なことを言ってんのはてめぇの方だと言いたかったが、つい黙ってしまった。
さっきまであれより安いからかいにギャイギャイ怒っていたくせに、今はすっかり大人の顔だ。
言い返す気力も失せ、ただ眉間にしわを寄せた。
それだけで、なにを言わんとしたのか分かったらしい。
アピトは自身の髪を撫でると目を細めた。
「これが、幸せって言うんだな」
噛み締めるように呟かれた言葉を、頭のなかで反芻する。
幸せ。
『これが?』という驚きもなければ、『これが!』という納得もなかった。
ただそう言われても、実感が湧かない。
大体、幸せなんてもんは、高い肉を食っただの、ずっと解けなかった謎が解けただの、もっと特別感があるもんだろ。
明日も明後日も明明後日も、ずっとそばにいる。
そんな当たり前のことを幸せなんて言っちまったら、ちょっとばっかし安すぎるんじゃねぇか。
もっと欲張りゃ良いのにと思って、あぁやっぱダメだと思い直す。
こんな小さなことに幸せを見出だしてこそ、アピトらしいじゃないか。
あの笑顔を前にしたら、なにが幸せなのかなんて些細なことに思えた。
俺はこの笑顔を、何年後も、何十年後もずっと隣で見ていく。
それで充分だ。
「これが幸せか」
「あぁ」
「良いもんだな」
「全くだ」
この世界のどこかに、魔法とやらが存在する馬鹿げた世界がある。
その世界は結界に包まれていて、普通の人間は立ち入れない。
でももし迷いこんだら、最強の英雄のカフェを探すと良い。
きっと、三角帽子の褐色の魔女と、黒の混じった金髪の不良が出迎えてくれるだろう。
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