【第二十九話】最終決戦! セーレ・アピトVSミーシュ・ジュベル……?!


 突如異世界へと飛ばされた不良少年・近藤武蔵。

 その異世界はなんと、女しかいない世界だった……!

 この世界の女は魔女と呼ばれ、魔法と呼ばれる不思議な力を操る。しかし、その力は城によって人為的に管理されていた。

 魔法を独占しようとする城は、魔女の魔力を消失させるジェシアの血を使い、魔女が魔力をもたない世界を作ろうとしている。

 そんな馬鹿馬鹿しいクソゲーをぶっ壊すことを決めた近藤たち。

 ジェシアとカラリマの戦闘は終わった。

 ラッド・ネアとシエラルカの戦闘も終わった。

 後は、女王・ミーシュ・ジュベルを倒すのみ。

 勝利を手にするのは、セーレ・アピト。

 この世界の“最強の魔女”だ。



 ようやく、最上階に着いたアピトと近藤。

 その二人を待ち受けていたのは、想像だにしていないものだった。


 城の最上階は、女王・ジュベルの寝室らしい。

 部屋の真ん中には、見るからに寝心地の良さそうな天蓋付きのベッド。その横にはシンプルな形の椅子と、サイドテーブルがぽつんと置かれている。


 そのサイドテーブルの上に揃えられた簡易的なティーセットからは、優雅な生活の断片が伺える。

 部屋の中にあるものはそれくらいで、後は、大きな窓の外から屋上庭園が見えるくらいだ。

 そう。


「ジュベルが、いない?」


 声を出したのはアピトだった。

 他の階と違い、ここには扉もなければ、遮る壁もない。

 だというのに、ジュベルの姿は見えなかった。


 可笑し過ぎるだろ。


 城を留守にするなんて。

 あのジュベルが、ここを攻め落とされることの意味を理解していないとは思えない。


「なんの意図があるんだ?」


 漏れた声に対する返答はない。

 ただ気まずい空気が流れるだけだった。

 どこかに隠れているにしても、この部屋で隠れられる場所なんて、ベッドの下くらいしかない。


 いや、もしかしたら他の階にいたのかも知れない。

 探索をメインにするつもりはなかったので、探し漏れていた可能性は大いにあり得る。


 だが、あんな大きな声で会話していたのだ。

 ジュベルの方から現れても可笑しくはない。


 ジュベルは、俺たちと戦う気がないのか?


 そう思ったのも束の間、風を切る音と共に、右腕に激痛が走った。


「ぐぁ?! ぅ、う」


 アピトは近藤の腕を強く引き、庇うようにその背に隠した。


「なにが起こった……?!」


 状況を理解できていないのはお互い様らしい。

 鈍い痛みと飛び散った血。

 近藤は自分の腕に目を落とした。


 傷跡を見るに、どうやら何か鋭いものに切りつけられたみたいだった。

 攻撃が飛んできた方を睨むが、そこにあるのはアピトが造ったばかりの階段があるだけ。もちろん、誰もいない。


 近藤は怪我を覆うように手をあて、強く握る。


「……ジュベルか」


 そう低く唸るように言うと、部屋の中が冷えきったように静かになる。


 ただ一つの音を除いて。


 コツ……コツ……と甲高いヒールの音。

 その音は、先ほどまで近藤たちが使っていた階段から聞こえてくるものであった。


「いらっしゃい」


 最後の段差を登り終え、その音の主は姿を現した。


 透き通るような青い髪に、髪よりも少し暗い色の瞳。

 はじめて出会った時を思い出す青のアフタヌーンドレスを身にまとい、優雅に立っている。

 目に焼き付きそうなほどの青色に、目眩を感じる。


 この女こそ、この部屋の主人。


 いや、この世界の主人。


 ミーシュ・ジュベルだ。


「あら、セーレ。そんなこわい顔しないで」


 ころころと笑う姿からは、敵意も戦意も読み取れない。

 だが、ジュベルは確実にアピトの首を取りに来た。

 出口を塞ぐようにして現れたのが、何よりの証拠であった。


「ねぇ、セーレ。わたしはなにも争い事を望んでいる訳じゃないのよ」


 ジュベルは捨て猫の警戒心を解くように、甘い声で囁いた。


「先手仕掛けたてめぇが吐ける台詞か?」


 アピトに譲るべき所だったかも知れないが、どうしても言わずには居られなかった。


 いきなり腕を切り付ける奴は争い事を望んでんだよ。なに今さら平和主義の皮を被ろうとしてんだ。

 ジュベルは、その毒っ気の強い物言いに、困ったと言わんばかりに眉を下げた。


「それはごめんなさい。でも、忠告の意味があったのよ。わたしと戦うなら、まずはあなたから」


 お上品な態度に調子が狂いそうになる。

 そんな穏やかな口調で人を殺す順番の話をすんじゃねぇ。


「……私と話す気があるなら大歓迎だ。私も、君とは話をしたかった」


 アピトは、帽子を被り直すと、努めて冷静な声を出した。


「まぁ、本当? それはよかった!」


 ジュベルは手を合わせて、大袈裟に喜んで見せた。

 その様子になんとも言えない違和感を感じる。


 緊張感がなさすぎるのだ。


 取り繕っているだけなのか、本当に余裕なのか。

 ジュベルの周りは気が抜けそうなほど和やかな雰囲気が漂っている。


「紅茶を淹れるわ。そこの席でいいかしら? ここはあまり人が来ないからテーブルも椅子もなくて……ごめんなさいね」


「あぁ」


 あのアピトが大人しく言うことを聞いている。

 なんとも珍しい光景であった。


 まぁ、当然といえば当然だが。

 それでも、椅子に座るのが好きではないアピトが椅子に座っている姿は、そう多く見れるものではない。


 アピトにとって一人掛けの椅子は少々窮屈に感じるらしい。

 身動ぎが多い。

 だったら当然のように席がない俺に代わってくれても良いんだぜ。

 と、内心思ったり。


 まぁ、ふざけてる場合じゃねぇか。

 近藤は紅茶の準備を進めるその背中を横目で追う。

 とにかく今出来ることは、警戒心を解かないこと。


 見たところ、椅子に仕掛けはないようだし、ジュベル自身も不審な動きはしていない。

 安心する一方で、それが余計に不気味であった。


 この女、一体なにがしたいのか。


 せこせこと紅茶を淹れる様は、さながらホームパーティの準備中だ。

 ホームパーティーなんて見たこともねぇんだけど。


「どうぞ。お口に合うといいのだけれど」


 出来上がった紅茶はティーカップへ注がれ、近藤たちに渡される。

 艶のある赤茶色から、独特な茶葉の香りが薫っていた。


「飲むなよ」


「分かってる」


 流石のアピトでも、ここが敵地であることは弁えているらしい。

 それらしく香りを楽しむふりをして、ソーサーに戻した。


「私に話があるんだろう?」


「えぇ」


 ジュベルはベッドに浅く腰を掛けると、紅茶をひとくち流し込む。


「この紅茶、後味がさっぱりなの」


 ジュベルは紅茶を覗き込むように視線を落とすと、いかにも残念そうに笑った。


「最近、お気に入りの茶葉が手に入らなくてね。もちろん、この茶葉もおいしいのよ。でも、なんだか物足りなくって……」


 カツンと小さな音と共に、ティーカップがソーサーに戻される。


 なんなんだよ。ほんと。


 さっきからまるで意図が見えない。

 これじゃあまるで、ただ談笑しているだけじゃないか。


「俺たちは茶葉の話に興味はねぇ」


 なんとか苛立ちを押さえつつ、声を絞り出す。

 このままジュベルのペースに流され続けるわけもいかない。

 怒れば余計に思う壺だ。


「あら、ごめんなさい。つい無駄話を」


 それでも、ジュベルは自分のペースを崩さなかった。


 薄い唇がもう一度ティーカップにキスをする。

 こくりと小さな音と共に、紅茶はその口の奥に吸い込まれていった。


 洗練されたその動きは、 一枚の絵画のようにも見えた。

 ティーカップを口元から離すと、ジュベルはふふふと笑みを溢した。


 そして、その微笑みを浮かべたまま、ジュベルはゆっくりと口を動かす。


「ねぇ、セーレ。あなたの口から聞きたいの。わたしのために死ぬと、そう言ってくださる?」


 あまりにも唐突で、あまりにもあり得ない提案であった。

 それなのに、ジュベルはイエス以外の言葉を疑ってはいなかった。


 目が、そう訴えかけて来ているのだ。

 半ば確信めいた感情を乗せて、首を縦に振ってくださるわよね? と。


「却下する」


 アピトはしっかりと前を見据え、言い放った。

 よく、声が出たな。

 衝撃を受けすぎた頭が、見当違いな感想を抱いた。


 ジュベルは瞬きをゆっくりと三回繰り返し、驚いているサインを送る。


「それなら、彼をいただくことになるのだけれど」


 彼。

 まぁ、間違いなく近藤のことだろう。


「そう簡単に殺されてたまるかよ」


 近藤はアピトの肩に手を置き、そう言い捨てる。

 その頃には、大分頭の中の整理もついていた。


 詳しいことは分からないが、どうやらジュベルは、アピトの口から『私を殺して』と言ってほしいらしい。

 言うだけで良いならそれに越したことはないのだが、多分言ったら言ったで殺されるのだろう。


「あら、残念」


 ジュベルはベッドにソーサーを置くと、緩慢な動きで立ち上がった。


「なにも奪うのは命だけではないのよ」


 先ほどまでの動きとは対照的に、次の動作は素早かった。

 目で追う暇もなく、アピトの体は宙へと舞い、壁へ叩きつけられる。


 近藤はアピトの名を呼ぼうと口を開いたが、音が出なかった。

 それよりもはやく、ジュベルの顔が眼前を覆っていたのだ。


「…………アピト……」


 今更ながら溢れ落ちた言葉は、頼りなく床に転がる。

 体の力が抜けた。

 持っていたはずのティーカップが手から離れ、濡れた鈍い音をたてた。

 それが合図となった。


「コンドウ!」


 アピトも叫んでいたのだろう。

 しかし、その呼び掛けは、近藤の耳には届かなかった。


「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!」


 それを搔き消すほどの悲鳴が自分の喉を裂いて出たからだ。

 その声は、悲鳴というよりは、絶叫に近い。


 全身に巡る強烈な痛みが、傷を抉られたことを告げる。

 しかし、原因が分かったとして、痛みに耐える術はなかった。

 ジュベルの細い指は、近藤の腕の傷を広げ、さらに奥へと侵入してくる。


「クソ! クソ! クソ!」


 近藤は、踠いてその痛みを発散しようとしたが、そんな程度でどうこうなるものではなかった。


 口の端しからよだれが垂れ、首筋を濡らす。

 本来であれば、その細腕なんかには負けない筋力を誇る両腕も、今はだらりと力が抜けている。


 やべぇ。


 飛びかけた意識が警告をならす。


 なんか、やべぇ。


 痛みで研ぎ澄まされた感覚は、痛みに近い別の感覚も拾っていた。


 電気に触れたような、痺れる感覚。

 度が過ぎた痛みでそう感じているのか、別の原因があるのか、今の思考では推測することも出来なかった。

 それでも、自分の体の異変には気付く。


 この体、なにか可笑しい。


 近藤の異変に気付いたのはアピトも同じであった。


「……なにを、した?」


 アピトの手は、ジュベルの腕を掴んでいた。

 ジュベルはただ不思議そうにアピトの顔を見やると、近藤の傷を弄っていた手を離した。


 自由になった体は、重力に従い、床に投げ出される。

 地面に叩きつけられた拍子に、傷口から溢れた血がジュベルのドレスを汚した。


「なにもしてないわ」


 その台詞に、アピトの眉が少しつり上がった。


「なにも?」


「えぇ」


 アピトはなにも言わずにジュベルを焼いた。

 轟々とうねる炎は、近くにいる近藤すら焼いてしまいそうなほど、熱かった。


「……酷いことするのね」


 ジュベルは炎を払うと、困ったように笑った。

 その笑みは、さっき近藤が嫌味を言った時にも見たものだった。

 大したことはないと、そう言われているみたいだ。


 やはり、アピトはなにも言わなかった。

 頭上で、ばちりばちりと魔力が舞う。

 魔力は時に氷、時に風と姿を変え、互いを攻撃し合う。

 近藤はその戦闘に巻き込まれないよう、這いつくばって部屋の隅へ向かう。


 ジュベルもアピトも、本気を出していない。

 しかし、巻き込まれれば間違いなく死んでしまう。


 少しばかり離れたところで、近藤は息を吐いた。

 のっそりと体を起こす。

 部屋の隅まではまだ距離があるのだが、体が痺れていて、思うように動かない。


 ちょっと休憩しようと、横目でアピトの状況を確認する。

 絡み合うように戦う二つの影は、踊っているようも見えるが、時々舞う火花が、戦闘であることを証明する。


「……は?」


 あまりに現実離れした戦闘に、意識を飛ばしかけていた脳みそが叩き起こされる。

 それくらい、強い衝撃だった。

 ジュベルが姿を消したのだ。


 瞬間移動。


 そう気付いた瞬間、近藤は叫んだ。


「後ろだ!」


 さっき無理な叫び方をしたせいか、喉が軽く麻痺していた。

 鉄の味を噛み殺しながら声を上げる。


「っ! なんなんだ!」


 その叫び声を聞き届けたアピトは、すぐさま背後に結界を張る。


「間に合ったのね」


 優しい声。

 まるで褒められているようで、気味が悪い。

 眉を潜めると、ジュベルはまた前に回っていた。


 そうだ。


 向こうはもう長いこと魔力を制限なしに使っていた。

 戦術においては、圧倒的すぎるほどの差があるのだ。


「また消えた!」


「てめぇも瞬間移動しろ!」


 あっという間に戦況は変わり、アピトは防戦一方になる。

 不味いな。

 なにが一番不味いって、近藤がここにいることだ。


 そして、その悪い予感は的中する。


 ジュベルが産み出したナイフが、近藤を狙った。


「コンドウ!」


「来んな!」


 近藤の制止も聞かず、アピトはその身を盾にし、近藤を抱え込む。


 近藤が恐れていたことだ。

 ナイフは、アピトの背に深く刺さる。

 噛み殺した悲鳴と、目の前に飛び散る赤色。

 血の臭いが、鼻につく。


「てめぇは、ほんと……!」


「……すまん」


 アピトは震える腕で、近藤を抱き締めた。

 近藤の存在自体を確かめるように、しっかりと力をいれる。

 生きていることを実感するように、しっかりと。


 ため息すら吐く気になれないほど、必死だった。

 近藤もその背に手を回したが、ナイフに阻まれ、抱き返すことは出来なかった。


「痛ぇか?」


「いや、それよりも……」


 先は続かなかったが、何を言いたいかは分かったつもりだ。

 アピトはまだ、失うことが怖いのだ。


「いたそうね」


 コツリと甲高い音がすぐそばで止まった。

 アピトの肩越しに、その姿を確認する。

 なにも出来ない代わりに、目だけは反らさなかった。


「試してごめんなさい。本当にご存じなかったのね」


 契約について。


 穏やかな口調がかえって不穏な雰囲気を引き立てる。

 聞き馴染んだ契約と言う二文字も、理解するのに時間がかかった。


「なんの話を……」


 ふと、近藤の口が止まる。

 その不自然な区切りに、アピトが不安げに息を漏らした。


「コンドウ……?」


 口が、動かねぇ。

 というより、顔も体も動かない。

 どこに力を込めようが、全く動く気配がない。


 あんな事もあった。アピトも心配なのだろう。

 近藤を抱く手が弱々しく、頼りない。


 今すぐその不安を拭ってやりたいのに、どうにも動かない。

 動く気配すらない。


 不安そうな声出すな馬鹿。

 そう一笑してやりたかったが、動かない体じゃ無理な話であった。


「本当に、分からないの? セーレ」


 ジュベルは教師にでもなったつもりなのだろうか。

 柔らかく微笑みながらアピトに問いかける。

 もちろん、アピトがその問に答えることはない。


「この世界の……魔法の原理を暴いたのなら、分かると思ったのだけれど」


 返事のないアピトを気遣うようにジュベルは笑みを深くした。

 その時だった。


「っ、あ?」


 やっと、近藤の体が動いた。

 しかしそれは、近藤の望んだ動きではない。


 近藤の体は、アピトの頭を投げ出し、ふらふらと立ち上がる。

 関節が、錆びたブリキみたいにギィギィと動いた。


 なにが、起こってる?


 そう聞こうにも、口も顔も動かない。

 近藤の体は、自分の脳みそではない、新たな司令塔を見付けたようだった。


 アピトを床に置き去りにしたまま、近藤の足は歩を進める。


 一歩、また一歩と、どこへ向かっているのかすら分からない。

 ようやく足を止めたかと思うと、そこはジュベルの隣であった。


「彼はわたしと契約したのよ」


 誰よりも驚いたのは近藤自身だ。

 俺は精を吸われた覚えはねぇだとか、契約ってこんなになるのかよとか。

 思うことは色々あったが、とにかく、絶望が強かった。


「契約……」


 アピトはうわ言のように呟いた。

 目の前に起こった状況と、自分の知っている知識を照らし合わせているのだろう。

 忙しく動く黒目が、動揺を伝えてくる。


「ねぇ、セーレ。わたしとあなたって似ていると思うの」


 ジュベルが口を開いた。

 告白だったら素敵な台詞だろうが、今はそんな雰囲気すらない。


「あなたも、失うことが怖いんでしょう?」


 つばを飲み込む音が聞こえてきそうなほど、はっきりと喉が動いた。


「なら、大切なものは、失わないように、逃げられないようにしなくちゃ」


 ジュベルの指が近藤の顎を撫でた。


『俺は人形じゃねぇんだ』


 なんて文句の一つも言えやしない。

 背中の怪我に加えて、ていの良い人質が一人。

 戦況は最悪と言わざるを得ない。


「もう一度聞くわね。セーレ、わたしのために、死んでくれる?」


 アピトは分かりやすく狼狽えた。

 近藤の命とアピトの命。

 天秤というのは残酷なもので、計りようがない重さまで計ろうとしてくる。


 大丈夫だよな?


 目線を送ることも、声をかけることも出来ないが、信じて待つことも出来ない。

 ジュベルの支配から外れた心臓の音だけが、好き勝手にはやくなる。


「私が、死ねば……コンドウは助かるのか?」


 ほら! やっぱりな!

 予想通りの答えすぎてもはや笑えない。


 文句を言うことも、睨むことも出来ず、近藤はただただ苦い思いを胸に押し込めた。


 誰かのために命を捨てるなと、この先何百回伝えれば、アピトは理解するのか。先の見えない話に腹が立ってくる。


「えぇ、約束するわ」


 ジュベルの言葉に安心したのか、アピトは肩を落とす。

 いや、落としてんじゃねぇよ。馬鹿。


「なら、一つ頼みがある」


 そんな近藤の気も知らないで、アピトは終活を始めだす。


「なにかしら?」


「最期に、コンドウと少しだけ、話したい」


「あら、そんなこと」


 あまりにも素直すぎて、ジュベルも調子が狂ったのだろう。

 それとも、こんな悪魔の口一つ、なんの災いにもならないと踏んだのか。


 その願いは簡単に叶えられた。


 ジュベルが近藤に視線を寄越すと、顔の筋肉が緩んだような気がした。

 近藤は口が動くのを理解する前に叫んだ。


「てめぇいい加減にしろ! 何度言わすんだよ!」


 相変わらず体は動かないが、動いていれば殴っていただろう。


「……コンドウ?」


 アピトは呆然と近藤の顔を見つめる。


「なに惚けた顔してんだよ。あのな。こうならねぇために行きにあんな喧嘩したんだろーが。


てめぇ、さっきまでの清々しい顔はなんだったんだよ。理解したんじゃねぇのか?」


 言いたいことが沸々と湧いてきて、文句が止まらない。


「大体、てめぇが死のうが俺が殺されねぇ保証がどこにあんだよ。


敵がそんな口約束守ると思うのかよ? それともなんだ? 最強は死んだ後の世界も監視できんのか? だったらその力を今見せてみろよ!」


 まさかこんな悪態をつかれると思っていなかったアピトも、流石に我慢の限界が来た。


「だって、仕方ないだろ?!」


「なーにーが? 何度も何度も同じ話ばっかさせやがって! もう言い換えのレパートリーがねぇんだよ!」


「このままじゃ君が死ぬんだぞ?!」


「死なねぇつってんだろ?!」


「もう! 私にどうしてほしいんだ!」


「死ぬなっつってんの!」


 お互い息が切れるまで叫んだ。

 ただの喧嘩なら、ここでお互いの気持ちを言い合ってすっきりしたねーと終われるのだが、ここは敵地。

 そうはいかない。


「じゃあ、戦えと言うのか?」


 アピトは不満げに怒鳴ると、指を鳴らした。

 それとほぼ同時にジュベルの腹にナイフが刺さる。


「んなこと言ってねぇよ! 刺激してどーすんだよ!」


「じゃあ、どうすれば良かったんだ!」


「時間稼ぎをしろよ!」


「私は君の考えてることが分からん!」


「俺はてめぇの頭の中の方がわっかんねぇよ!」


 確実に頭の血管が何本か焼き切れただろう。

 頭蓋骨の中が蒸籠のように熱くなっていた。


 ジュベルは喧嘩を宥めることもなく、ただ冷静にナイフを抜くと、床に投げ捨てた。

 その顔に浮かんでいる笑みは、先ほどまでと比べて人工的だ。


 完全な不意打ち、というより、流れ弾だったのだ。

 ジュベルも怒って……いや、疲れているのだろう。


「セーレ。あなたは彼を殺すことを選んだのね?」


 ジュベルの確認に、アピトは首を縦に振る。

 いやさ、死なないとは言ったけど殺せとは言ってねぇんだよ。

 やっぱり、アピトに時間稼ぎを望むのは無謀だった。


 ほんと仕方ねぇ奴だ。


 だが、近藤はそんなことは分かった上でここに立っているのだ。

 まぁ、舌打ちくらいはさせてくれ。


「わかったわ」


 ジュベルが振りかぶるその瞬間、近藤は叫んだ。

 ありったけの声で叫んだ。


「一か八かだ! アピト、俺に結界を張れ!」


 ジュベルの攻撃は、近藤にあたる寸前で停止した。


「おぉ、ビンゴ」


 だが、目的は攻撃の阻止ではない。

 魔力の供給を絶つためだ。


「やっぱりな。結界があると操れねぇ」


 そう言った通り、近藤の体は自由を取り戻していた。

 近藤は、その体を見せつけるように目一杯伸ばす。


 首も、肩も、手も、足も。

 もうジュベルの思い通りには動かない。

 ようやく司令官の存在を思い出してくれたみたいだった。


「……あなたが、気付くとは思わなかったわ」


「てめぇはなんか勘違いしてたが、この作戦は俺んだぜ?」


 アピトのどこを見て期待していたのかは知らないが、少なくともこの中で頭脳派と言えるのは近藤だけだ。


 いくら女王でも全知全能ではないらしい。

 ジュベルは目を大きく見開くと、近藤の顔とアピトの顔を見比べた。

 美人のが頭が良く見えるってのはどこの世界も同じか。


「契約ってのは、魔法の一種か? どーせ、人を操る魔法ってとこだろ?」


 どうやら当たりみたいだ。

 こういう場合の沈黙というのは、正解を表す。


 契約ってのは、悪魔の魔力を摂取するために必要な儀式だと伝わっていた。

 だが実際は、契約したところで、魔力を摂取なんて出来ないし、他のオプションと言えば、ただ、悪魔の体を操れるようになるだけ。


「でもまぁ、確かに気になってはいたけどな」


 契約と魔力の関係。


 契約すれば、魔力に対して耐性がつく。

 この因果関係が分からなかった。

 ただ、今回の作戦には直接的な関係がなかったため、その解明は半ば諦めていたのだ。


 でも、これも巡り合わせってやつなのか、こうやって機会が回ってきた。


「契約は男の精を吸うことで完了する訳じゃねぇ。対象者の体の中に魔力の塊を埋め込むんだろ?」


 尋ねるような口調だが、それはパフォーマンス。

 大体の想像は出来ていた。

 なにせ、この身をもって体験したのだ。


「その魔力の塊は体に入った魔力を吸収する。だから、契約すれば魔力に体が侵されることがなくなる」


 恐らく、近藤が契約されたのは傷口を握られたときだろう。

 あのとき、痛みと共に感じた痺れる感覚。


 あれと似たようなものを感じたことは前にもあった。

 ジェシアに魔力を流されたときだ。


 つまり、あれは魔力が流されていたということ。


 ジェシアの時に契約出来なかったのは、まぁ多分、魔力を流された場所が頭だったからだろう。


 頭は頭蓋骨やらなんやらがあって魔力の塊を作るには不向きな場所だ。

 その点、アソコや傷口なんかは皮膚も薄いし、硬い骨もなく、色々丁度良い。


「まぁ、問題は体の中に魔力の塊を作って何をするかだ」


 そんなもん、どう考えたって操るしかない。

 それを証明するのは、契約された後の近藤の体だ。


 ジュベルの手から解放されたというのに、体は痺れ、思い通りに動かない。

 あの時すでに、近藤の体はジュベルの魔力に支配されていた、ということだろう。


 悪魔の体を操れるのは、契約の副産物ではなく、大目玉。

 それこそが契約の本分なのだ。


 契約は不思議な現象ではなく、ただの魔法。

 となれば、魔法を防ぐために有効な結界が効くと考えるのが妥当だ。


 魔力の塊が体の中にあろうと、魔力が動かないんだったら何ら問題ないのだ。


「驚いたわ。でも、後もう一歩だったわね」


「は?」


 負け惜しみかという前に、体の中から何か出た。


「青い、バラ……?」


 そのバラは結界の外へ這い出たかと思うと、あっという間に結界ごと近藤を飲み込んだ。


「あなたの理論は間違いじゃないわ。だけど、結界も万能じゃないのよ。完全に魔力を通さない結界なんて存在しないの」


 何万分の一、何億分の一、いや、それ以下の低い確率で、魔力は結界を通過する。

 そして、それを可能にするほど莫大な魔力を、ジュベルは持っていた。


「コンドウ!」


 バラの中から鈍い音が聞こえた。

 きっと、結界が壊れたのだ。

 だとしたら、あの中にいる近藤は?


「……死んだと、思うか?」


 誰に尋ねるまでもなく、言葉がこぼれ落ちていた。

 ジュベルの表情は変わらない。

 平然としていて、なにが可笑しいのか、うっすらと笑みを浮かべている。


 目だけが、ずっと青かった。


 昔、童話に出てくるこんな青い海を、怖がっていた。


「ねぇ、セーレ。わたしが、あなたを生かした理由を知っているかしら?」


 ジュベルの唐突な質問に、アピトは声も出せなかった。

 それどころか、質問の意図すら理解できない。


 生かした?


 何を言っているんだ?

 その疑問は喉に突っかかって出てこない。

 返しのついた釣り針みたいだ。

 その質問を咀嚼すればするほど、胸の奥深くに突き刺さる。


「なんの、話だ?」


 喉の奥がひゅうとなった。

 勢いよく入り込んできた空気は、鼻の奥を刺激する。

 甘い。

 甘い香りだ。

 ハチミツのように濃厚で、ジャムのようにみずみずしい甘い香り。


 バラの香りだ。


「昔の話よ」


 きっと、甘い香りにあてられたのだ。

 その声に、懐かしさを感じた。


「あなたはわたしとセアから生まれるはずの子だったのよ」


 それはゆっくりと告げられた。

 まるで誕生日プレゼントの包装紙を開くように、慎重に、大切に。


「だけど、生まれたあなたを抱いたのは、セアとあの悪魔。おかしな話でしょう?」


 自分じゃ抱えきれない狂気を感じたとき、人は、一体どんな反応をするのか。

 アピトは、ただ意味もなく息を止めた。


「人を恨んだのは初めてだった。でも、あの日以上に人を愛したこともないわ」


 その愛という台詞を、やけに生々しく感じた。

 体が脈を打つ。

 それが息を止めていたせいだと気付いたのは、少し遅れてから。

 それほどまでに、この話は、衝撃的であった。

 正常な頭では耐えられないほどに。


 か、彼女は、こんなに気持ち悪い奴だったのか?


 それとも、想像を絶するほどの馬鹿なのかも知れない。

 子供が産まれる原理を知らないのだろうか。


 ジュベルを理解することは出来ない。

 いや、しなくて良い。

 その感情は、口にこそ出さなかったが、顔にははっきりと書かれていた。

 ちょっと無理、と。


「……それには、色々な解釈があるだろうな」


「ねぇよ」


 考えに考えて口にした言葉は、近藤によって呆気なく否定された。


「生きてたか!」


 顔を上げれば、バラの中から這い出るようにして近藤が姿を現した。


「案外平気そうじゃねぇか」


「君は、死なないんだろう?」


 そりゃあもう無邪気に。

 あぁそうだとしか言いようがねぇくらいの笑顔だった。

 ほんと、仕方がねぇ。


「ずいぶん気骨があるのね。でも、人の話を邪魔するのはダメよ」


「だから今の今まで待ってたんだろーが」


 近藤は面倒臭げに答えると、体に巻き付いた蔦を一本一本取っていく。


 まずは、右の太もも、その次は右の足首。

 左のふくらはぎには、殊の外深く巻き付いていたらしく、抜き取ると血が溢れた。


 その調子で腰のも、首のも、肩に食い込むそれも時間をかけて取り払う。

 ジュベルは空気に飲まれたのか、なにもしてこなかった。


 最後、右腕。


 近藤は、アピトと目を合わせた。

 真っ黒な瞳は、こんなに距離があっても近藤の姿ををしっかりと写している。


 あぁきっと、近藤の瞳も、アピトの姿をきっちりと写しているはずだ。

 そう確信するほど、確かに近藤の姿がそこにあった。


 近藤は、とりわけ慎重に蔦に触れる。

 焦らすようにゆっくりと指が動く。

 深く食い込んだ蔦が、じんわりとほどけて、血が滲んだ。

 ボトリと音がして、蔦が捨てられる。

 くっくっくっと、喉が震えた。


「勝つぞ」


 その声は真っ直ぐアピトに注がれていた。

 アピトも、近藤のそれに応えるようにしっかりと目を合わす。


「当たり前だろう」


 良い返事だ。

 トレードマークの黒い三角帽子にお気に入りの黒いマント。

 胸元とヘソがくりぬかれた真っ黒なボディスーツは、いつの間にか穴の範囲が広がっていた。


 目に痛いほど輝く黄金の髪に、コーヒーミルクのような褐色の肌。

 目元には、真っ赤な模様。


 その堂々とした表情は最強という名にふさわしい。


「なんだか、拒絶されちゃったみたい」


 悩ましげな吐息が、部屋に沈む。

 情けなく下がった眉。

 小さな唇を隠すように当てられた真っ白な手。


 同情でも誘っているのかと思えたが、それらはすぐに明るいものに変わった。


「まぁでもいいわ。殺してしまえばわたしのものになるのだから」


 暴君もびっくりの自己中理論に、近藤はふっと鼻を鳴らした。


「話、聞いてたか? てめぇにアピトの命はやれねぇつったんだ」


 ジュベルは眉間にしわが寄るくらい、目を細めた。

 そこではじめて、その顔から笑顔が消えた。


「……ずっと、考えていたの。セアに愛される方法を」


 ぐんっと体が動かなくなる。

 操られる感覚も、二回目だと慣れたもんだ。


「そして気付いたの。あなたがわたしのために死んでくれれば、それが一番の答えだと」


 足は迷わずジュベルの元を目指す。

 ジュベルの目の色が、酷く濃いものに見えた。

 焼くか? 刺すか?

 今度は確実に仕留めるだろう。


「ねぇ! 言って! わたしのために死ぬと!」


 その声は、アピトを通してちがう誰かに向けられていた。


 いや、“誰か”ではないか。


 この言葉は、セアに向けられたものであった。

 言葉だけではない。

 目線も、口調も、身振りすら、アピトが受け取れるものは、なに一つとしてなかった。


「セア・アピトはもう死んだ。君の願いは、永遠に叶わない」


 アピトの声が、部屋一体を支配する。

 その声は、子を窘める母親のものより優しかった。


「ちがう!」


 ジュベルは、部屋中を支配したアピトの言葉を掻き消すように叫んだ。

 その腕が、近藤の首を掴む。

 細い指が、喉をしっかりと押さえる。

 もう一方の手には、あの時と同じ様にナイフが握られている。


「ア、ピト!」


 喉仏が震える。

 声量としては決して大きいとは言えないが、それだけで、近藤の考えは充分すぎるほど伝わった。

 アピトは雷を産み出す。


「ミーシュ・ジュベル!」


 アピトの手を離れた稲妻は、白い光をまとい、地面を抉りながら真っ直ぐジュベルの元へ向かう。


 アピトは目を見開いた。


 その雷の行く先を、見届けるために。

 己の勝利を、目に焼き付けるために。


 その光が穿ったのは、近藤の傷。


 いや、正確には、その傷の奥にある魔力の塊。

 雷はみるみるうちに傷口へ吸い込まれ、輝きを失う。


「え……」


 その攻撃が自分に向けられたものだと思っていたジュベルは、契約が解除されたことに気付かなかった。

 近藤は、その隙を待っていたと言わんばかりに笑みを浮かべた。


 城の中に響くのは、低く鈍い音。


 近藤の拳は、ジュベルの腹の傷口をなぞるようにめり込む。

 悲鳴は、短かった。


「ジュベル。セアは、セア・アピトは、八年前のあの日に、君が殺したんだ」


 しばらく痙攣を続けた体は、ばったりと力をなくし、地面に伏した。

 誰のものかも分からない血液が、ぽたりぽたりと床を濡らす。


 辺りには静寂が訪れた。


 二人はひたすらに呆然とした後、恐る恐る互いの顔を確認し合うと、


「勝ったぁぁぁぁ!」


「よっしゃぁぁぁ!」


 叫んだ。


 アピトは近藤のそばへ駆け寄り、力強く抱き締める。

 今度こそ、近藤もアピトの体に腕を回し、背を叩いた。


「お見事! 最強の魔女!」


「あぁ!」


 何度も何度も、近藤の胸へ頭を押し付ける。

 共に生きてたこと、ジュベルに勝ったこと、全てが終わったこと、喜ぼうと思わずとも、全てが幸せだった。


「ありがとう」


 何十回も伝えた。

 そりゃあ、もう呆れられるほどに何回も何回も伝えた。

 この喜びを言葉に表すのは、それくらいしないとダメだった。


「ありがとう……コンドウ」


 やっと、気が済んだのか、アピトは近藤の胸からゆっくり顔を上げる。

 と、その拍子に、何かが落ちた。


「おい、アピト」


「ん? あ」


 近藤が顎でしゃくったそこには、見覚えのあるパッケージ。

 それは、あの日ユギルに貰った紅茶だった。

 あの後からずっと余裕がなく、出すのを忘れていた。


「そうだ、これ……」


 と屈むと、ジュベルがほんの少し、反応を見せた。


「……その紅茶」


 緊張した二人の思いとは裏腹に、ジュベルは起き上がることすらしなかった。


「セアが好きだったのよ」


 ジュベルは、懐かしむように目を細める。

 戦う気は、もうないのだろう。

 傷の深さは問題ではない。

 もう、戦う必要がなくなったのだ。

 アピトは、茶葉を拾うと胸元にしまい直す。


「私の母は、コーヒーが好きだった」


 その一言を最後に、この戦いは本当に幕を閉じた。

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