【第二十八話】絶体絶命! ジェシア・ドニアットVSロート・カラリマ……?!


 ジェシアの血を使い、全ての魔女の魔力消失を目論む城。

 その野望を阻止することを決意した近藤たちと、それに協力することを誓ったラッド・ネアとユージ。

 なんとかジェシアを奪還したは良いものの、女王・ジュベルの脅威はまだ去っていない。

 ジュベルを倒す鍵となるのは、“魔法を際限なく使う方法”。

 そのカラクリは、この世界の秘密と関係があった。

 この世界には魔力が溢れており、魔力はその流れをもって魔法を産み出す。

 近藤たちはこの世界の魔力濃度を下げるため、城にあるタンクを壊しに向かった。

 一方、アピトの作戦成功の時を待つラッド・ネアら三人の前に突如現れたシエラルカ。

 彼女によって、アピトの家は戦場と化してしまった。

 隙を見て逃げ出したファシスタだったが、カラリマに捕らえられてしまう。

 抵抗も虚しく、連れて行かれそうになったファシスタ。

 それを助けたのは、ジェシアだった。



 目の前の光景が現実に起こっていることなのか、ファシスタには分からなかった。


「どうも。お元気そうで」


 なんて、久しぶりに出会った友人に投げ掛けるような台詞を言ったこの男は、ジェシア・ドニアット。

 城からその血を狙われている男である。


「貴様こそ、良いところに来た」


 そしてその挨拶を受け取り微笑んだ女こそ、ロート・カラリマ。

 城の指揮官である。


 この両者が向かい合う状況を異様と表さずに、なんと呼べばいいのか。

 この戦いで、因縁の決着がつくことは明白であった。


「“クイエラでの用事”は済んだのか?」


「それはお互い様だろう?」


 カラリマはファシスタを地面へ投げ出すと、ジェシアの方へ顔を向けた。

 顔に貼り付けられた表情は、間違いなく歓喜の色が滲んでいた。


「フォーラン、小俣を」


「うん」


 ジェシアの後ろから姿を現したフォーランは、その指示に従い、小俣に駆け寄った。

 カラリマはその様子を目で追いながら、鼻を鳴らした。


「なるほど。ミルに用か」


「ご明察。彼は私たちの仲間だからね」


 フォーランは小俣を抱え込むと、カラリマを睨んだ。


 ファシスタは、とても不思議なものを見ているような気分になった。

 彼の口から仲間という単語が溢れたことも、彼女が大事そうに小俣を抱えている姿も、あのときの彼らからは想像できない姿であった。


「良いエサが手に入ったということか」


 嬉々とした声が辺りに響く。

 嫌な、予感がした。

 カラリマの目が捉えたのは、ジェシアではなく、フォーランと小俣。


「フォーラン! 動かさないで!」


 思わず叫んでいた。

 フォーランは一瞬、ファシスタを見たかと思うと、伸びてきたカラリマの腕を捻り、背後に回った。


「ジェシア!」


「了解」


 いつの間にかカラリマの前に来ていたジェシアはその胴体に蹴りをいれ、小俣から離す。


「君は私に用事があるんだろう?」


 ジェシアは小俣を背に、カラリマと睨み合うかたちで動きを止めた。


「……真っ向から戦うのは骨が折れそうだな」


 カラリマは深く息を吐くと、ジェシアに意識を集中させた。

 ジェシアもそれに応えるように目を細める。

 辺りには緊迫した空気が流れ始めた。


 ファシスタは、カラリマとジェシアが睨みあっているうちに、小俣に近寄った。

 胸が上下に動いているのが見え、ほんの少し安心する。


 だが、まだ気は抜けない。


「オマタ、聞こえてますか?」


「ぅう……ぁ、聞こえて、ます」


 声をかけると、小俣はゆっくり目を開けた。

 苦しげではあるが、返答はしっかりしている。

 どうやら意識はあるらしい。


「動けますか?」


「……いっ……ちょ、っと……無理かも……知れません……」


「うん。大丈夫。無理しなくて良いですよ」


 ファシスタは優しく囁くと、背中側の服を破き、患部を確認した。


 腫れや内出血は見当たらない。恐らく、骨は折れてないだろう。

 しかし、脊椎、脊髄が損傷している可能性は大いにあり得る。


 ファシスタは、不安そうに覗きこんでいるフォーランに声をかけた。


「仰向けにします。手を貸してください」


「あ、あぁ、うん」


 さも当たり前のように協力を求められ、フォーランは少したじろいだ。

 けれども、ファシスタは待ってはくれない。

 足を支えるように指示され、その通りに行動する。


「せーのでいきますよ」


「ぐっ、ぅあっ」


 その苦しそうな声にフォーランは少し眉を潜めた。


 ごめん。ごめんね。


 小俣を仰向けにすると、ファシスタは靴を脱がせ、ズボンを緩めた。

 その手慣れた様子に、思わず見とれてしまった。


「……あの、ありがとう、ございます」


 その声に、はっと意識を取り戻す。

 一瞬、誰に向けられたものなのか理解出来なかった。


 が、その感謝は、間違いなくフォーランたちに向けられたものであった。

 フォーランは素直に耳を疑った。

 元は敵であった、いや、ファシスタから魔法を奪った自分たちに、礼を言うのかと。


 その礼は、一体なんの礼なのか。

 それを言うのは、自分の方ではないのか。

 しかし、その目を見ればなにも言えなかった。

 その目は、医者の目だった。


「首を固定しなきゃ。タオルとか、ありますか?」


「え、いや、固定できそうなのは持ってないけど……えぇと……」


「ファシスタ。レーベル・ファシスタです」


 ファシスタはそう言うと少女のようにはにかんだ。

 名前を覚えていなかった訳ではない。

 でも彼女は、あの間をそう捉えたのだ。きっと、そうとしか思えなかったのだろう。


 それほどまでに自然な行動なのだ。

 敵の仲間を助けるという行為は。

 呆然とするフォーランをよそに、ファシスタは立ち上がると、


「誰か、タオルを下さい!」


 突然、ファシスタが声をあげた。

 これまた驚くフォーラン。しかし、首を固定するものを探していたのを思い出し納得した。


 先のファシスタの行動によって、この通りの人々は目を覚ましていた。

 だが、手助けするかと言われれば別だ。


 ここでファシスタたちに力を貸すというのは、城に盾を着くのと同義。

 誰も素知らぬ振りを続けるしかなかった。

 それでも、諦めるような性格はしていないようで、ファシスタは更に声を張る。


「お願いします。タオルを貸してください!」


 それでも返答がないと分かると、ファシスタは民家の玄関口まで行き、戸を叩きながら頭を下げた。


「使わないもので良いんです。お願いです。タオルを貸してください」


 その扉が開かなければ次の扉、それもダメならその次と、休むまもなくドアをノックする。


 酷いものだ。

 皆、目の奥には同情の色を浮かべているというのに、指揮官と反乱者の睨み合いに怯え、それに応える者は一人も現れない。


 痺れを切らしたのはフォーランだった。


「言う通りにして! じゃなきゃ、この街ごと消す!」


 当然、ファシスタは驚いた。

 驚いて止めようとしたが、フォーランはそんなことを意に介せず言葉を続ける。


「君たちは“脅迫”されているの! 立場分かってる?」


 脅迫。

 その言葉に、観衆たちがちらほらと反応を示す。

 そして、言葉の意味を理解したものからドアを開けた。


 これは、脅迫なのだ。


 自分の意思でやったわけではない。


 だから、城への反逆にはならない。


 そんなちゃっちい盾で許されるわけはないのに。

 人というのは不思議なもので、自分に火の粉がかかるのを嫌う癖に、不幸な人を放っておくことも出来ない。


 一人、また一人とタオルが投げこまれる。

 気が付けば、道を覆い尽くさんほどのタオルが投げ込まれていた。中には薬草や包帯なんかも見える。


「……ありがとうございます!」


 ここまで来れば、流石にファシスタでも意味が分かったらしい。

 ファシスタは頭を下げると、それらを回収し、小俣の元へと踵を返した。


 その時だった。


「ちょこまかと動き回るな」


 カラリマが動いた。

 ジェシアの隙をつき、ファシスタを狙う。

 カラリマが背中の大剣を抜いたその瞬間、ジェシアも魔力を展開した。

 辺りには何十もの烏の群れが姿を現し、カラリマへと飛んでいく。


「私と、君との戦いだ」


 カラリマがファシスタの腕を掴むよりはやく、烏たちがカラリマの鎧をつつく。


「ちっ、面倒だな」


 この烏、ただの烏ではない。

 魔法生物と呼ばれる、魔法によって産み出された生命体だ。


 魔法生物は、普通の生物をベースに色々な性質を付加出来る。

 この烏も、普通の烏より攻撃性が高い。


 爪が鎧を引っ掻き、くちばしが顔の肉をつまむ。

 荒々しい鳴き声は、烏なんかよりもずっと獰猛な動物を連想させるだろう。


 だが、魔法生物は産み出した者に忠実だ。


 こんな近くにいても、ファシスタに攻撃することはない。

 ファシスタは、カラリマの動きが制限されている隙に、小俣のもとへ走った。


「ほんと、厄介だ」


 カラリマは逃したファシスタを目で追いながら苦々しく呟いた。


「二度目はない」


 ジェシアは忠告するようにそう告げると、烏を退けた。


「私と戦う気になったかい?」


「怪我させるわけにはいかんのだよ」


 カラリマは困ったと言わんばかりに眉を下げた。

 城はジェシアの血を狙ってる。一滴だって無駄にしたくはない。


 そんな思惑を知ってか、ジェシアはどこか余裕そうだった。


「大丈夫?」


「はい、なんとか」


 ふらつく足を引きずりながら、ようやく小俣のところへ辿り着く。


「よし……!」


 ファシスタは、小俣の側に腰を下ろすと、喧騒を背に治療を開始した。

 まず、顔の両脇に丸めたタオルを挟み、首を固定する。


 脊髄を損傷している可能性がある。

 下手に動かして、悪化しないよう、固定する必要があった。

 首を固定した後、怪我の状態を確かめるため、服を緩めた。


「腕、触りますね。感覚ありますか?」


「……ぇえ、あり……ます」


「では、足、失礼します。どうですか?」


「……あります……」


「うん。多分、脊椎は大丈夫です」


 触診を終えると、ファシスタはほっと息を吐いた。


 脊椎や脊髄を損傷すると、運動機能が停止し、最悪の場合、死に至る。

 最悪の場合が免れても、脊椎や脊髄の治癒は難しく、完治した例は少ない。


 だが、この様子なら、打ち付けた箇所の筋肉の腫れと炎症さえ治療できれば、問題ない。


 痛み止が効けば、動けるようになるだろう。

 ファシスタは薬草を染み込ましたタオルを背中に当て、包帯で固定した。


「これで背中の方は大丈夫です」


「良かったぁ……」


 とはいえ、治療が終わったわけではない。

 背中を強打した時、血を吐いていた。

 内蔵がやられている可能性がある。


「フォーラン」


「あ! はい!」


 終わったと思い油断していたフォーランは、慌てて背筋を伸ばした。


「治癒魔法は使えますよね?」


 その声には、有無を言わさぬような強い意思を感じた。

 ただの罪悪感から感じたわけではない。これは、明確な指示だった。


 フォーランがこくこくと頷いてみせると、ファシスタはじっと目を見つめてこう言った。


「今から、胃を治癒します」


「無理!」


 フォーランは考える間もなく即答した。


「いや、だって、私……医者じゃないし……!」


 後からたじたじと言葉を繋ぐフォーラン。

 フォーランがこう焦るのも無理はないことだった。

 治癒魔法を使える魔女は多いが、そのほとんどは外傷を治す程度で内傷を治癒することは出来ない。


 内傷の治癒は高度な技術が必要なのだ。


 別に、治癒の仕方は変わらない。

 そこに魔力を込めるだけで良いのだが、それが逆に問題なのだ。

 というのも、体の中の怪我は目に見えない。


 どこを怪我したのか、どこに魔力を込めれば良いのか、素人にはてんで分からないのだ。

 体の中は外よりもうんと柔らかい。

 もし、違う場所に魔力を込めてしまえば、内蔵を潰してしまうこともあり得る。


 しかも、フォーランは皮一枚挟んだその中身をほとんど知らない。

 それも恐怖を助長させていた。


 それは別に無知ではない。こちらと比べ情報の伝達がしにくいこの世界では当然のことであった。


「大丈夫です。私が指示をしますから」


 ファシスタはそう言うが、自分に出来るとは思えなかった。


 万が一、失敗したら。


 そう思うと、後ろから聞こえてくる戦闘の音が、やけに大きく聞こえた。

 どうしよう。どうしよう。と、考えれば考えるほど答えが遠ざかっていく。


「信じてください」


 ふと、ファシスタの手が、フォーランの頬に触れる。

 自然と顔が上を向き、目が合う。


「信じてください」


 ファシスタは、もう一度繰り返す。

 じっと向けられた視線が、ひたすら不器用にぶつかってくる。

 そんなことされたら、頷くしかないだろう。

 フォーランは『めちゃくちゃ分かりやすくお願い』と釘を刺すと髪を結わえた。


「はい。任せてください」


 ファシスタは、力強く言い切った。

 その声に気が緩まなかったと言えば嘘になるが、それよりも、これから行うことへの責任が重かった。


 胃の位置や、怪我の状況を調べているのだろうか。

 ファシスタの手は小俣の腹を優しく撫でる。


 その慎重な横顔を見ていると、心臓が飛び出てしまいそうなほど緊張する。

 永遠にも続きそうなその時間は、思ったよりもはやく終わりを告げた。


「ここの手前あたりに魔力を込めてください」


 その声に、心臓の音が一段とうるさくなる。

 ファシスタは、肋骨の少し下から、へそより指二本ほど上の範囲を手で囲んでいた。


「そこの、手前ね」


 自分に言い聞かすように復唱した。

 ファシスタの反応を聞く余裕はなかった。


 ……あぁ、魔力が安定しない。


 魔力だけじゃない。

 体も呼吸も、何一つ自分の思い通りにならない。

 こんなに緊張したことなんて、多分ない。


「ゆっくり深呼吸してください。大丈夫ですよ」


 そんなフォーランをなだめるように、ファシスタは優しく背中をさする。

 フォーランは、言われるがままに深呼吸を繰り返した。


 吸って、吐いて。吸って、吐いて。何回繰り返したのだろうか。

 冷たい空気が肺を満たすと、体の芯から冷静になったようだった。


「い、いくよ?」


 ファシスタが頷いたのを確認すると、フォーランは治癒魔法を展開した。

 魔力が、皮膚をすり抜け、体内に侵入し始める。

 ぴくりと、小俣の眉が動いた。


「大丈夫です。そのまま、そのまま」


 治っているのか、締め付けているのか。フォーランには分からない。

 フォーランは、ひたすら治ることを祈り、魔力を流すだけだ。


「よし。もう大丈夫です」


 時間にすれば一分にも満たない時間だろう。

 しかしフォーランには、ずいぶん長い時間に感じた。

 ファシスタから許しが出ると、今更な冷や汗が溢れ出た。


「だ、大丈夫なの?」


「はい」


 横目で確認した小俣の様子は、先ほどと変わっていないようにも見えるし、少しだけ、表情が緩んでいるようにも見える。

 素人に分かる話じゃないなと思いつつ、応急措置が終わったことに一息ついた。


 しかし、これで終わりではない。

 まだカラリマが残っている。

 考えることはファシスタも同じか、自然と二人の戦闘へ目を向けていた。


 戦況は圧倒的にジェシアが有利である。

 怪我がまだ治っていないとはいえ、カラリマはジェシアに傷を作ることが出来ない。


 片やジェシアはそんなこと関係ない。

 魔法を駆使し、カラリマへの攻撃を続ける。

 勝利は目の前に見えていたが、それで易々と負けてくれるほど気前良くはなかった。


「ぅ、あっ……ぐぁ……!」


「オマタ?!」


 ジェシアの戦闘に気をやったほんの一瞬。

 目を離してからは数秒も経っていないというのに、小俣が苦しみだした。

 首を押さえ、バタバタと暴れまわる小俣を押さえつけ、固定する。


「フォーラン、足を!」


「う、うん!」


 診察ミス? 怪我を見過ごした?

 ファシスタの頭は即座に治療の行程を思い出す。

 あり得ない。

 どんなに思い返しても、苦しみ出す原因が見当たらない。


 さっきまではあんなに落ち着いていたのに……!


 動揺する気持ちをなんとか宥め、状態を確かめる。

 呼吸が浅い。

 気管に問題があったのだろうか。

 酸素を取り込もうと、口が開閉し、肩や胸が大きく動く。

 口の端からは、小さな泡が垂れていた。


「とにかく、人工呼吸を……!」


 そう思って顔を近付けた。

 その瞬間。


「離れろ!」


 ジェシアの叫び声が聞こえた。

 え? と、ジェシアの方に目を向けたその間に、小俣の体から生えてきた土の手が、ファシスタを掴んだ。


「ファシスタちゃんっ?!」


 フォーランが攻撃するも、後一歩及ばず、気がつけば、ファシスタはカラリマの腕の中に居た。


「形勢逆転だな」


 首に圧迫感を感じる。

 深く息を吸い込めば、金属の臭いと、わずかに土の臭いがした。


 自分の身に起きたことだというのに、この状況が理解できない。

 目に映ったそれを信じるのなら、


 悪魔に触れないで、魔力を流した……?


 それは相当可笑しな話であった。

 魔法を産み出す“だけ”であれば、目視できる範囲全てがその対象となる。

 しかし、産み出した魔法を"操る"となるとそうはいかない。

 最大でも、両腕を伸ばしたくらい。その範囲を越して産み出された魔法は操ることなんて出来やしない。


「な、んで……」


 疑問を口にしたのは無意識であった。

 分からない。という恐怖に耐えられなかったのかもしれない。


「おや、セーレ・アピトからなにも聞いてないのか?」


 カラリマは、見せつけるように雨を拭う。

 さっきまでは気にならなかった雨の臭いが、鼻の奥にツンと居座る。


「まさか、なにも知らないでこんなことをしたわけでもあるまいに」


 こんなこと……恐らく、この雨のことを言っているのだろう。

 城の者なら、この雨がなんなのかも、なんの目的でばら蒔かれているのかも、きっと分かる。


 この作戦は、この世界の魔力を下げるために決行された。

 白く濁ったこの雨は、魔力を下げるために必要な男の精だ。


 それで、この世界の魔力を下げることと、小俣の体から魔法が展開されたことの因果関係はなにか。

 ファシスタには、皆目見当がつかなかった。


「あぁ、貴様はセーレ・アピトの“姫”だったな。それなら仕方ない」


 カラリマは、答えの見つからないファシスタを嘲笑うように口を歪めた。

 途端に、顔がカアッと熱くなるのが分かった。


「わ、私は……!」


 言い返そうと開いた口がわなわなと震える。

 こんな安い挑発に乗ってはいけないという思いと、悔しさがぐちゃぐちゃに混ざり合って、自分の感情すら分からない。


「可哀想な姫に教えてやろうか。今、とても気分が良くなった」


 カラリマはいやらしい笑みを口元に浮かべたまま、小俣を指差した。


「例えば、ほら」


 カラリマが指を曲げると、小俣の体から暴れ出た土の塊が、すぐ側にいたフォーランの体を貫いた。


「フォーラン!」


 駆け寄ろうとしたジェシアに、カラリマが蹴りを入れる。

 振り上げられた足は腹を抉り、軋んだ音をたてる。

 ジェシアはしばらくその痛みに耐えていたが、カラリマの足が離れると、崩れるようにゆっくりと地面に膝をつけた。


「……何度、忠告すれば良、いかな……?」


「まだ喋れるか」


 カラリマはその反応を楽しむように、もう一度、腹に蹴りを入れられる。


「ぅ、ぐ」


 ジェシアは、蹴りを予期し、眉を潜めたが、腹を庇うことはなかった。


 呻き声と共に、力の入った手足が、踠くように地面に縋る。

 立ち上がれないのだと、そう気付くのに時間はかからなかった。


 ジェシアの、傷が開いたのだ。


 カラリマは気付いていないのか、次の蹴りの準備をしていた。


「もうやめて!」


 ファシスタは懇願した。

 なんとかその足を止めようと身を捩ったが、抵抗も虚しく、カラリマはジェシアの腹を蹴りあげる。


 こんなに近くに居るというのに、声が聞こえていないはずないのに、蹴りは止まない。


 このままじゃ、死んでしまう。


 反応が薄くなっていくジェシアに、恐怖心が煽られた。


「契約って知ってるか?」


 しばらく蹴り続けた後、カラリマはふとそんなことを口にした。

 カラリマの唐突な質問に、ファシスタの頭はさらに真っ白になった。


「まぁ、知ってるだろう。だがな、貴様らが知っている契約と、本来の契約は全くの別物だ」


「そんなことどうでも良いんです! ジェシアが、ジェシアが死んじゃう!」


 カラリマにはこの真っ青な顔が見えないのだろうか。

 ジェシアの呼吸は浅く、目の焦点もあっていない。

 今すぐ手当てしなければ、数十分と持たないだろう。


「キャンキャン鳴くな。よく回る口を閉じただけだ」


 首を強く締め付けられ、息が詰まる。


「契約というのは、魔女が相手の体に自身の魔力を流し、定着させることを指す」


 カラリマが話を再開した。


「つまり、悪魔は第二の自分の体。魔力を放出する場所にもなるんだ」


 あぁ、オマタの……。

 頭の奥で、ぼんやりと納得した。

 しかし、カラリマの話の意図は分からなかった。


「と言っても、今までそんなこと誰も出来なかった。なぜだか分かるか?」


 身勝手な問いに、ファシスタは軽く咳き込んだ。

 カラリマは気遣う素振りすら見せず、話を続けた。


「この世界の魔力が高かったからだ。悪魔の体の中に置ける魔力は極端に少ない。


だから、魔力の高い場所では、悪魔の体から魔法を撃ち出すことは不可能だった」


 しかし、アピトたちの作戦により、この世界の魔力は大幅に下がった。


「この機が好機となるのは貴様らだけではないぞ」


 カラリマはジェシアの髪を掴み、立ち上がらせる。

 ふらふらとした足取りは、自分の体を支えるだけで限界だろう。


「さてと、契約というのは魔女同士でも出来るんだ」


 契約は、自分の魔力を相手に定着させる行為を指す。

 魔力を持たない悪魔が契約されやすいだけで、魔力を持つ魔女も、契約できない訳ではない。


「まぁ、そもそもあぶれ者の貴様が契約を知っていたかどうかすら怪しいが」


 元々契約なんてものは、ジュベルが作り上げた儀式。

 ある意味、人を支配するための魔法に過ぎない。


 それを当たり前だと盲信する哀れな市民たち。

 この滑稽な構図を、カラリマはかなり気に入っていた。


「逃げて! ジェシア!」


 ファシスタの声に、ジェシアの体が反応した。


「……ぁあ」


 中途半端に開かれた口から漏れた言葉は、ただの吐息か、それとも……


「もう遅い」


 カラリマの手に力が籠る。

 僅かに感じた希望は、実現しなかった。

 それでも、ファシスタはその希望に縋るしかなかった。


 蹴っても殴っても、カラリマはびくともしない。

 相手は片手だというのに、抜け出すことすら敵わないのだ。


 踠けば踠くほど首を締め付ける金属は、ほんの少しの情けも見せない。


「お願い! 逃げて!」


 喉が焼けるほど叫んだ。

 無理だと分かっていても、それに賭けることしか出来なかった。


「動くな」


 その一瞬。

 ファシスタの頭上をなにかが掠める。

 状況を理解するまでもなかった。


 カラリマの首にジェシアの足が伸びていた。

 ジェシアは、そのまま身を捻ると、カラリマの手から逃れた。


「私の忠告通りだ」


 着地すると、ジェシアは不気味に笑う。

 その姿は、先ほどまでの様子からは想像も出来ないほど、ハツラツとしていた。

 もしかしたら、怪我のせいで興奮しているのかもしれない。


「……おいおい、たった一撃で良い気になるなよ」


 カラリマは空いた手で首をさすりながらジェシアを睨んだ。


「一度逃げたところで、満身創痍であることも、人質がいることも、なにも変わらんだろう?」


 その証拠に、ジェシアはその足で自分の体を支えることが出来ない。

 ただ立つことすら覚束ない体は、右へ左へと揺れていた。


「その子は、囮にならない」


「だったら不意打ちの時に仕留めるべきだったな」


 こいつごと私を貫いて。

カラリマの台詞に、ジェシアは取り繕うこともせずに、そうだったねと笑った。


「体ももう限界だろう? 契約すれば、治癒も出来る。殺したい訳じゃないんだ」


 カラリマは、ジェシアの限界を悟ると、説得に切り替えた。

 これ以上の戦闘は、命を落とすと踏んだのだろう。


「たしかに、死ぬのはいやだ」


 ジェシアは乱れた前髪をかきあげ、荒い息を整えた。

 その仕草とは裏腹に、やけに子供らしい口調だった。


「続きをしよう」


 血の気の失せた指先がカラリマを呼ぶ。

 好戦的な瞳が、カラリマの首を狙っていた。


「……その抵抗はなんの意味がある?」


 カラリマは心底不思議そうに尋ねた。

 いや、半ば呆れていた。その中には、蹴りすぎたという後悔も少なからずあったかも知れない。


 死にたくないと宣った口で、戦闘を続けようなど、気が触れているか、物事の因果が分からない阿呆か、そのどちらかであった。


「抵抗……? いや、そんなもんじゃないよ。これは、主張だ。私たちは、ただ私たちの生き方を、主張しているだけ」


 その言葉を聞き終わる前に、カラリマが吹き出した。


「生き方を、主張する? 大それた人生だな」


 カラリマの嘲笑に言葉を返そうと、口を開けたが、音が出なかった。

 そうだ。

 そもそも、返す言葉を考えてなかった。


 ふと、ジェシアの体がよろめく。

 なんとか、転ばずに持ちこたえたが、その衝撃はかなり体に響いた。


「……そんな体で何を言おうと、笑えて仕方ないな」


 ジェシアはなにも言わなかった。

 今度は、言えなかったのではない。

 ジェシア自身が、口を閉じることを選んだのだ。


「もう喋れもしないか」


 呆れと疲労、そして少しの怒り。それらをたった一つのため息に詰め込み、吐き出した。

 カラリマは、一歩、また一歩と、ジェシアに近付く。


 逃げもせず、立ち尽くすこの男。

 膝をつかないのはなけなしのプライドか。

 目は虚ろだというのに、勇ましい姿であった。


「ジェシア」


 カラリマの指がジェシアの前髪に触れた、その時。

 ファシスタが口を開いた。


「貴方の言う通り、私はなにも守れない」


 懺悔というには、落ち着きすぎている。

 だが、それ以上に似合う言葉はないと思えるほど、悲痛な声をしていた。


「私は、なにも変わってない……!」


 守るべき人が、こんなに近くにいるというのに、手を伸ばせば届くのに。


「私は失う瞬間をただ見つめることしか出来ない」


 あの時も、そして今も。

 ファシスタは非力だった。

 守る力も、救う力もない。

 守られ、救われる側の人間。


 でも。

 守る力がなくても。

 誰も救えなくても。

 私は、私の出来ることをやるしかないんだ。

 誰だって英雄になれる訳じゃないから。


「ジェシア。私ごと貫いて」


 ジェシアの瞳孔が開く。

 それは驚きなんかではない。

 もっと、親密な意思表示だった。


 ジェシアはカラリマの腕を掴むと、ナイフを産み出し、切り裂いた。


 自分の腕を。


 そしてそのままカラリマの口に押し込む。


「ぐっ、お、ぇ」


 えずくカラリマを押さえ込み、ジェシアは血を与え続ける。

 地面へと投げ飛ばされたファシスタは、しばらく、呆然とその様子を眺めた。


 どれくらいしたのか、カラリマの動きが鈍くなってきた頃、ジェシアはその口から手を抜いた。


「……犠牲になることは誰でも出来る」


 ジェシアはうわ言のようにそう言った。

 それだけ言うと、その場にばったりと倒れこんだ。


「ジェシア!」


 ファシスタは慌ててそばに駆け寄った。


 酷い怪我だ。

 どこから出血しているのかすら分からないほど、全身から血が吹き出し、溢れていた。


 辺りに広がった血は、酸素に触れて黒くなる。

 呼吸と共に流れ出てくる鮮血は、その血と混ざり、不気味な斑模様を作っていた。


「……ジェシア」


 顔を覗き込むと、目が合った。

 こんな状態でもしっかりと開かれた目は、なにかを訴えているように感じた。


 きっと、声を出す体力も残っていないのだろう。

 震える唇は、空気を吸い、吐き出すだけで手一杯のようだった。


 ただでさえ怪我が完治していないというのに、こんなに暴れたのだ。

 死んでいないのが不思議なくらい。

 せめて止血だけでもと手を伸ばすと、その後ろから、声が聞こえた。


「……ファシ、スタ……ちゃん……」


「フォーラン!」


 フォーランは千鳥足を引きずり、ファシスタの元に近づくと、その場に倒れるように座り込んだ。


「お腹は? お腹の怪我は、大丈夫ですか?」


「自分で、やった」


 そう言われて見てみれば、どうやら外傷は塞がっているようだった。

 しかし、完璧に治癒できた訳ではないのだろう。

 顔色を見れば、その体の状態は察するに余った。


「そんなことより、ジェシア、は? ジェシアの、具合は?」


 フォーランの声は、どこか期待が籠っていた。


『大丈夫』


 きっと、その答えを待っている。

 そう分かるからこそ、なにも言えなかった。

 今すぐ治癒をしなければ、命が危ない。


 けれど、出来ないのだ。

 治癒することが、出来ない。

 だって、ここに、治癒魔法の使える“医者”はいないのだから。


 さっき小俣にしたようにすれば、治癒自体は出来るかもしれない。

 だが、そんなこと命を取り留める手助けにもなりはしない。


 それほど、ジェシアの傷は深かった。

 フォーランは、黙りこくるファシスタの顔をただ心配そうに見つめている。


 ダメだ。


 ここにいる医者はファシスタだけなのだ。

 とにかく、出来ることをしなくては。


「助けます。何がどうあっても」


 ファシスタはそう告げた。

 これは安心させるためではない。自分に言い聞かせているのだ。


 まず、見える範囲の出血を止め、気道を確保する。

 薬草を塗り、折れている箇所には布を当てる。


 それから、それから……。


 人の手で、器具も使わずに出来る治療はそう多くない。

 血を吸って重くなったタオルは、鉛のようだった。


 出血が、止まらない。

 顔は青くなっていく一方で、呼吸は頼りなく、体は痙攣するばかり。

 唯一生気を感じさせていた瞳も、目蓋に半分ほど覆われ、色も濁り始めている。


 治癒魔法が使えれば。


 こういうのを無い物ねだりというのだろう。

 たらればで人は救えない。そんなこと、頭では分かっているのだ。


 でも、願わずには居られなかった。

 もし、神様がいるなら。

 もし、私の願いを叶えてくださると言うのなら。

 お願いです。

 今だけで良いのです。

 この一瞬。

 この一瞬だけ、私に魔法を授けてください。


 人を、救わせてください。


「私は、ジェシアを救いたい……!」


 涙で滲んだ世界が、わずかに揺れた。

 まるで、神様が返答してくださったみたい。


 その揺れは穏やかで、地面が呼吸しているみたいだった。

 髪がその振動に従って、そよぐ。

 そこでようやく、揺れているのは空気だということに気が付いた。


 奇妙な感覚だけれど、どこか懐かしいような、不思議な感覚。

 あぁ、そうだ。

 この感覚は、反転魔法を使ったときの、あの感覚だ。


 あの時よりも、感触はうんと遠いが、でも、これは。


「え、嘘?! こ、これ……!」


 フォーランも気づいたらしい。

 これは魔法だ。

 間違いない。魔法が使える。


 喜んでいる暇はなかった。

 ファシスタはジェシアの方へと向き直る。


 目蓋はまだ、閉じきっていない。



 治癒が終わってしまえば、全部夢だったのではないかと思えてくる。

 だが、夢ではない。

 確かに、ジェシアの体の傷は消えていた。

 治せたのだ。

 他でもないファシスタが。治癒魔法を使って。


「ありがとう!」


 ファシスタが口を開く前に、フォーランが抱きついた。それはキツく。息も出来ないほどに。


「医者ですから」


 ファシスタもフォーランの背に手を回す。

 フォーランは何度もお礼を言った。

 抱擁から解放された後、ファシスタはジェシアの方へ顔を向けた。


 意識が覚醒しきっていないのか、ジェシアはぼんやりとファシスタのことを見つめている。


「具合はどうですか?」


「……謝罪が、まだだったね」


 そう切り出すと、ジェシアは体を起こし、ファシスタの目を見つめた。


「ごめん」


「いいですよ」


 あまりにもあっさりとした返答だった。

 呆然とするジェシアに、ファシスタは微笑んだ。


「命があって良かったです」


 なんて言葉が自分に向けられて、ジェシアも笑うしかなかった。



 近藤たちは三階に着いた。


 三階は二階より狭くなっており、かなり質素な感じがした。

 書類やらなんやらがあるので、もしかしたら仕事場なのかもしれない。


 女王の仕事って、政治だよな。

 ってことは、ここは国会議事堂みてぇなもんなのか。

 そう思うと犯罪臭が凄いのだが、元々、不法侵入に器物損壊の罪がある。どうってことないか。


「またここにも人がいないな」


「あぁ、そうみてぇだな」


 アピトもこの奇妙さを感じたらしい。

 そう。さっきから一階、二階と人に会っていない。

 もちろん、城の周りや街の中にも警備はいなかった。


「向こうもガチでやる気ってことだな」


 ここまで派手に暴れて、ジュベルや騎士が動かなかったことを考えると、大方アピトが暴れた証拠作りといった感じか。

 頃合いを見て捕まえるつもりだろう。


「ジュベルも勝つ算段があるみてぇだな」


 とはいえ、こっちもノープランじゃねぇ。


「安心しろ。私は最強だ。武勇伝でも聞いてくか?」


 あ、ごめん。やっぱノープランだわ。


「遠慮する」


 首も手も全力で振る。

 近藤の熱意が伝わったのか、アピトは頬を膨らました。


「ケチ」


「お好きにどーぞ」


「オニ」


「ありがと」


「コンドウ」


「それは悪口じゃねぇ」


「バカ」


「てめぇが言うなぶっ倒すぞ」


「殴ることはないだろ?!」


 殴ることでしかねぇだろ。

 頭を押さえ抗議するアピトに、もう一度殴る素振りを見せるとカタツムリよろしく引っ込んだ。


「こりゃいいな」


「遊ぶな!」


 アピトがあまりにも必死なもので、近藤は思わず吹き出した。


「叩きやすい頭してんのが悪ぃ」


「あのな!」


 口では勝てないからと言って、アピトもすごすごと負けるわけにはいかない。

 近藤の爪先に狙いを定めると、ヒールをグリグリと押し付ける。


「いってぇ!」


「仕返しだ」


「ヒールはねぇだろ?!」


「殴る方があり得ん!」


 二人の小競り合いはしばらく続いた。

 そして、決着がつかないまま、なぁなぁに終わった。


「無駄な体力使っちまった」


「全くだ」


 ため息と共に、会話は打ち止めとなった。

 話が終わるのを名残惜しいと思ったのか、それとも、ずっと考えていたのか。近藤はふと、呟いた。


「この戦いが終わったら、家建て直さねぇとなんねぇな」


 まだジュベルと会ってすらいないのに、勝ったときの話だなんて、とんでもない野郎だ。

 そう思ったはずなのに、口から溢れたのは、笑い声だった。


「確かにそうだ」


「まぁ、魔法もあるしな」


「そうか。もう皆、魔法が使えるのか。何でも屋も廃業かね」


 そう言ったアピトは、少しだけ寂しそうでもあった。


「元々そんなに依頼来てねぇだろ」


 近藤なりの慰めのつもりだったが、逆効果だったらしい。

 アピトは心底呆れた声を出した。


「君はデリカシーを学べ」


「は?」


「まぁ、職がなくなるのは君だって困るだろ」


 確認するようにそう問われ、近藤は驚いた。


「職ならあるだろ?」


「へ?」


 それにはアピトも驚いた。

 二人して顔を見合わせると、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「何でも屋が廃業って話をしてたんだぞ?」


「おう。だからこれを機にカフェ開けば良いだろ」


 そう言えば、アピトは目を白黒させて驚いた。

 だが、聞き返すことはしなかった。


「コーヒーくらいなら淹れてやるよ」


 そう笑ってやると、背中を強く叩かれた。


「余計なお世話だ」

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