大いなる誤算
[GreatMiscalculation]
量子乱数ジェネレータの出力に規則的な振る舞いが観測されたのは今から十三年前のことである。爾来世界は緩慢な衰退の坂を着実に下って行った。
既に衰えたる宗教は尚のこと衰退し、倫理は荒み、生命の値打ちは底値を割った。「人生は生きるに値するか?」斯様な問いさえも意義を持たぬ不条理無き不条理の時代が、始めは朧な姿で眼前に立ち現れた像が距離を隔てる毎に次第に輪郭を明確にしていくあの仕様で、我々の歴史に以前と以後との閾となる歴然とした焦点を結ぼうとしていた。
この量子デバイスの不可解な振る舞いは、当初は極めて局所的な分野業種(もっと言えば、ある企業のある部署といった具合の閉じた環境)に於ける問題提起に過ぎなかった。そもそもにおいて、この現象が不具合であるかどうか、もし不具合であったとして、それがハードに起因するのか、それともソフトか......? この判断さえ現場に従事する一介のエンジニアには覚束なかった。
現在までに関連事案の不具合として報告されている現象の規則性にはいくつかのパターンがある。
ひとつは同じ数字が連続して並ぶパターンである。これは最も分かりやすいパターンで、最初に不具合として確認されたのもこれであった。数字の7だけが延々出力される、しかもおよそ一時間にも亘って......当該量子デバイスの乱数の出力速度は一秒あたり8バイトであるから、この結果が確率論的にどれだけ異常であるかは、数学の落第生にも一目瞭然である。(つまり、この場合については、現象が不具合であると即断してしまうことは誰にでも容易であった)
他方、次のようなパターンも報告された。円周率や自然対数の底、2の平方根などをはじめとする無理数の羅列が次々と出力され続けたのである。この現象が人々を最も悩ませた。始めのうちは装置メーカーによるペテンを疑ったものも少なくなかったが、その桁数がおよそ二千兆桁近くにまでおよび、且つその数値の精度が(量子プロセッサを用いた再帰的帰納アルゴリズムによって)保証された段になって疑惑は別様の疑念に代った。少なくとも、現段階において、無理数の計算をそこまでの速度と精度で行える技術は存在しない。無理数以外にも、万有引力定数や電気素量などの物理定数が出力され続ける場合もあったが、こちらもやはり、多くの困惑を招来したことは言うまでもない。
当該問題が明らかな不具合として公知となるには、最初に現象が確認されてから一年余、同様の現象が世界各所で報告され、度重なる調査の末に、中央演算処理装置の論理回路のバグを疑われた半導体メーカーが本格的な調査に乗り出すまで待たねばならない。(しかし、このころはまだ、上述の無理数の膨大な桁数の正確性については、検討が進んでいなかった)
第三者を交えた念入りな調査の結果、メーカーへの嫌疑は雪がれた。彼らのした設計は完全だったし、実装にも瑕疵はなかった。その後も、各ドメインに対して犯人探しが行われた。実際、バグの類は多く発見されたが、そのどれもが些末なもので、量子乱数ジェネレータとしての要件を損なう程ではなかった。あくまでも設計の観点では、デバイスは求められる機能を確かに満足していた。そして、最後に疑われたのは、その設計根拠を支える屋台骨、「量子論」それ自体であった。
学会の反応は様々だったが、大方の学者はこの問題に真面目に取り合おうとしなかった。歴史的に既に多くのどんでん返しを食ってきた彼らの理論は今までになく盤石だった。そんな彼らの自惚れは、彼らが肩に立つ巨人の背丈よりも居丈高に増長し、真理を語る口は聖職者の口ではなく(ましては為政者の口でもなく)自分たちの口であると妄信してやまぬ程であったから、彼らの理論に着せられた汚名については、それを閑却し無いものとすることが光輝ある自分たちの仕事にとって最も相応しい気高い反駁の手段であるといった調子で、このことについて議論することさえタブー視される嫌いもあった。さらに言えば、この態度には無智な工学屋連中の無礼に対するある種の意趣返しの含みさえあった。また、そうでなくても、学者方も学者方で現象を十分に精査する素養の有る者はごく限られていたから、件の一連の調査報告には十分疑いを挟む余地があるように思われたし、現象自体大きく騒ぎ立てる程のことでもないと考える者が大多数だった。約まるところ、この時点で本件を重大視できる者は専門家の中にも殆どいなかったのである。
一方で、この事態に大きく動揺した人物もいた。その一人こそ、近年における自由意志論の最大の弁護人、量子倫理学者のデイヴィス博士であった。生物の脳が仮想的な熱力学平衡状態にあることと意志の発現との関連を理論的に証明してみせた彼は、ヒトを「自家創出的制御系複合」(Autopoietic Control Systems Complex)であると再定義した。例えば、人体の食物を介したエネルギー交換の有り様が、秩序を破壊し、無秩序を創出するシステム(形態の破壊によって生み出されるエネルギーの散逸を頼るシステム)を成している一方、(食物連鎖的エネルギー交換とは無関係なところで)補填された脳内の高エントロピ状態が種々の自己完結型の秩序の複合を次々形成し、「小さな塔の解体によってより大きな塔を建築する」逆行の背理こそが"意志"と呼ばれるものの正体であり、正時間的客体である科学と反時間的主体である意志との明確な差異がここに示されているのだという大意の理論がこれである。即ち、科学的な手続きによる意志の説明というものはそれ自体が破綻しており、科学にとっては未来は不確定であるが、意志にとっては未来は確定的であり、不確定の未来を確定させる自由な意志の作用を彼は示した。彼は自らの高遠な理論に次のような説明を付している、曰く「科学の本領は過去の確定された事実によって未来を導くその方法論的手続きにあるのではなく、未来の不完全性を確定させるプロセスにこそ存しており、寧ろそれは歴史家的な営みと言える。一方、意志はこれと背馳しており、時間の経過とともに不完全さを増していく漏斗型の多時空間の結実点(現在)として存しているという意味で、その有り様は科学とは完全な対象関係にあって、即ち意志は科学的に不完全な未来を確定して行くプロセスである。如上の言を自由意志論的思弁にまで敷衍すれば、決定論は科学の側に与しているのではなく、寧ろ意志こそが決定論の主体であり、科学的なものと意志的なものとの違いはこの点に於いて明確に峻別される」。
彼の理論は科学を用いた反科学的な(殆どオカルトじみた)ものであるという点で、極めて倒錯したものであったし、その論の立脚地の完全なる矛盾は、逆説によって虚偽を真理に見せようとする詐欺師的なやり方だと揶揄されたが、彼はこれにいちいち反駁しなかった。彼にとってすれば、科学の目で矛盾と見えるものこそ意志にとっての真実であり、意志と呼ばれるものは矛盾を生む虚構の関数であるべきだった(科学が無誤謬に見えるのは、科学によって齎されるものはすべて確定した過去の歴史に過ぎないからだ!)。
このような具合で、彼の仕事は当初はイロモノ学者の酔狂な世迷言程度にしか扱われなかった。公平な査読者に恵まれなかった彼の論文が最初に公開されたのは、インターネット上の学術機関外のリポジトリであった。
少し脱線し、デイヴィス氏の理論が徐々に支持を獲得し、最後に巨大な政治的イデオロギの竜骨を成すに至るまでの変遷について、かいつまんで述べておく必要があろう。
彼の理論が真面目に取り沙汰されるようになったのは、数学の権威であるファインマン博士(彼の高名な物理学者の方ではない、もう一人の)が、彼の独特な前衛的ゲームシステム論(ゲーム理論的システム論)の中でデイヴィス博士の理論を援用したことに起因する。ファインマン博士の提唱した論は、世間一般には「システム性悪説」と呼ばれたが(後に彼がこの研究成果でノーベル経済学賞を受賞したことは有名である)、彼はこの呼び方に前向きではなかった。
システム性悪説に対するファインマン博士の一般向けの説明はこうである。「私の論の旨とするところは、決して強権的社会制度への批判にあるのではない。秩序と意志の不和、規正と自由の不和へのエコノミックな解釈(或いは適用)にあるのでもない。それはもっと根源的なもの、科学的に解釈された世界における意志のあり方、それこそ、デイヴィス氏の提示した極めて重要な理論に裏打ちされる、この世界のシステムそのものに内在する不都合の告発にこそある。(中略)デイヴィス氏の立てた論の二面性とその偉大さは、単に科学的手続きによる反科学の証明というエッシャー流のトリックアートにだけあるのではなく、矛盾を世界の中に包摂し、更にはそれ自体を一つの論拠とし、科学の領分とそれ以外の領分(即ち意志の領分)とを明確にし、科学の言葉で矛盾と呼ばれるものの中に科学では決して及ばない新しいフロンティアを見出したと云う、この真に冒険的な行為にこそあるのである。科学万能という"大いなる誤算"の生んだ歪んだ現代社会のシステムの有り様は、科学者達が夥しい計算の末に導き出した虚しい解でもあった」
勿論、ファインマン博士が評価されたのは、彼が自身の考えを机上の空論で終わらせずに、「世界のシステムそのものに内在する不都合」に対して、具体的な施策を打ち立てそれを実践したからである。彼が考案し実践した施策とは何か、それこそ正にあの「非機構際撞着供給機構」(以下、撞着機構)の開発とその運用であった。
撞着機構が現代社会に与えたインパクトの大きさは今や万人の知るところである。この機構に基づく社会システムの運用が成される以前の世界は、凡そ人間的とは呼べぬ、極めて非人間的な、喩えるなら金属の支配する世界であった。
当時の雰囲気を如実に表わした書籍がある。それは、ファインマン氏の嘗ての弟子であり、最大の論敵でもあり、また著述家としても知られたローレンツ博士による初期の代表作、『唯一つのソラ』である。下記に示すのは当書からの引用である。
「止め処なく捧げられる、熱烈峻厳たる金属への崇拝。計算式への没頭により齎されるこの世で最も確実なサクラメント。技師と呼ばれる、彼ら、倨傲の崇拝者、奇跡の剽窃者。航空機の翼断面に表れる、確かな能力を備えた曲線。これら、確かな魔力を持った描画の数々。芸術の永遠の敗北、或いは、その極北。厳粛に整然と居並ぶ演算子に飾られた数式の目も眩む威容は人類の尊厳を湛えて、無限遠の果てで近似される一般解は決して辿り着けぬ筈の宇宙の理を見事に掌握して見せた」
ローレンツ氏の著作は、その大半が上に引用したような散文詩調の科学技術崇拝に費やされていた。社会システムによる不都合は、同様にシステムの脆弱性を埋めていく飽くなき改善の繰り返しによって乗り越えられるべきだというのが彼の思想であり、そして当時の多くの人々が共鳴し信じた理念でもあった。しかし、時勢は彼らの思いとは裏腹に、負の加速度で、この世界を尚のこと暗澹と後退させていった。
曖昧なものは社会から次々と放逐されていった。何故なら、システムにとって全ては選択可能でなければならぬからである。例えば人工知能による人知を逸した出力結果でさえも、人間的営為のファジーさを如何にしてゼロイチに還元するかというところに肝がある。確かにテクノロジは社会を効率化した。ただし、これは人間社会の運営における様々な白黒つけがたい曖昧さを選択可能な構造にまで最適化しなければならないという難産を、我々に強いたのである。いはゆる第三次人工知能ブームの際にまことしやかに囁かれたテクノロジカルシンギュラリティの到来はいつになっても訪れず、量子プロセッサも有用な活用手段が見出されぬままムーア曲線はサチュレーションポイントに達し、情報化社会は計算処理能力の頭打ちになった電子デバイスの遍く普及によって一つの目途、もとい袋小路に打ち当たった。
このような状況下で、よりよい社会、よりよい生活、即ちより効率化された文明を築いていくには、曖昧なものをとことん排斥し、選択可能にし、効率化すること以外には、もう手段が残されていないかに見えた。
そして神は衰弱死した。蒸気機関発明以来の三度目の死である。宗教が滅ぼされたことは言うまでもない。倫理や自由もまた滅ぼされつつあった。宗教が欺瞞であるという言説は解しやすい。同じように、自由の意義も欺瞞と呼ぶに足る根拠を、人類は既に持っていた。もう人々は自由を耐えることができなかった。何故なら自由は、無限の選択の可能を意味しながら、絶対的な選択の不可能さえも仄めかしていたからである。人々は自由をゼロかイチに還元しなければならぬという強迫の下で、未だに繁栄の夢を捨てきれず、よりよい明日が来ることを、殆ど宗教的に、妄信した。いや、妄信する他なかったのだ。
しかし、こうした人々の悲惨な努力の甲斐もなく、犯罪は絶えず、汚職や紛争の類も無くならず、寧ろ増加し、各国の自殺者数は毎年レコードを更新した。それは恰も、ひとりひとりの意志とは関係のないところで、システムが人々にそれを強いているような、そのような決定論的な無力感さえ覚えさせるほどであった。希死念慮を抱く自殺者も、汚職を行う政治家も、つまらぬ微罪の犯罪者のひとりひとりでさえも、システムの中に組み込まれていることの受難として、本人らの随意不随意に関わらず、各々の運命を背負わされている......そういった無力感が。
ここに語ったことは、決して個人の感想ではない。恐らくは当時を生きた多くの人々が共有したある種の絶望感であった。この絶望は、極めて倒錯した意識を我々の内に芽生えさせた。それは、決定論の肯定である。全てが決められていることなら、受難も幾分か贖われる気がした。そしてなにより、決定論の考えは、いつの時代にも増して現代の自分たちにこそ最も適しているように思われたから。
そのような時代にあって、撞着機構の登場は、言うなれば自由の復活であり、倫理の復活であり、即ち、もっと大仰に、神の復活であった。
撞着機構の普及に最も貢献したのはファインマン氏本人ではなく、彼の若い信奉者たちである。彼は俗に権威と呼ばれる立場であるにもかかわらず、とあるフランスの実存主義哲学の大家がそうであったように、街角の喫茶店やパブなどにふらりと現れてはそこで(専攻学問の違いに囚われず)学生らと議論する姿が地元の人々の馴染みになっていた。権威を嫌う平凡な若者たちは、寧ろその逆説的な権威主義によって、お高くとまることのないこの学者を先生と呼んで慕った。
何を隠そう、私もそんな若輩の一人であった。
私たちは先生の打ち出した理論のセンセーショナルな響きに興奮を隠しきれなかった。私たちは大理論の完成を祝って、毎晩のように夜会を開き、寄合の口実もそこそこに、どんちゃん騒ぎを始めたものだった。先生はもう若くはなかったが、こんな私たちの軽薄な青さに無理をして合わせてくれた。先生の名を冠した会合によく顔を出してくれては、誰にも気取られぬよう全員分の勘定を済ませて、そして我々が朝目覚めた時分にはもうその場にいない、そんな先生だった(当の先生は、酒も煙草もやらないで、趣味といっても静かに独り紅茶を飲むことばかりを楽しみにしているような人だった)。
勿論、当時の私たちの若さは、斯様な毎晩の放蕩の為だけに捧げられたのではなかった。旺盛な功名欲、知性を拠り所にした自己陶酔、革命という言葉への限りない憧憬。社会に対して有効な言葉を持たない我々が持つものは知性と行動の力だけであったが、しかしそれを駆使すれば叶えられぬ理想はないというのが、当時の(そして恐らくは古今普遍の)若者たちの偽らざる信念だった。この信念があったからこそ、私たちは、当時世間に瀰漫していたあの絶望感に一見頓着せぬように振舞うことができた。(それでもやはり私たちにとっても、若さの終わりと諦念の訪れとを同一視する恐れからは免れず、絶望に飲まれぬように足掻いていたこともまた事実であった)
私たちはよく飲みよく食べたが、同じくらい互いに議論を闘わせた。昨日の友は今日の敵といった具合で、私たちは毎晩のように論題と論敵をとっかえひっかえしながら、熱に浮かされたような無為な観念上の御伽噺を互いに披露した。ときには言葉をナイフに変えて相手を傷つけることにさえ悦びを覚えた私たちの関心の矛先は、己の知性がどこまで届きうるのかというその一点に尽きていた。
勇敢にも先生に闘いを挑む若者もいた。先生は殊にそのような若者を愛し自らの傍に置いた。心底では先生を敬愛しつつも、認めることは敗北の徴であると頑なに信じていた当時の私は、そんな若者らのなかでも特に反抗したがりな子供の一人だった。
「多時空間でのお話なんて、ユークリッド幾何学的な認知器官しか持ち合わせのない私にはインストール不能な情報です。我々の意志の根源は、確かに反科学的なものかもしれないが、私たちの意志の取る思考の様式は、極めて科学的です(少なくとも私の場合はそうです)。それに、科学それ自体が、外ならぬ意志の所産ではありませんか」
ある日、私は先生に、やや皮肉めいた調子でこう話を振った。先生は分厚い眼鏡の向こう側で私の目をじっと見ると、優しい表情を口許から絶やさずに、しかし言葉は活字を読み上げるときのように朗々と、これに応えた。
「ユークリッド幾何学に限らず、公理というものは我々の常識の元素を成している。これは確かに意志的な、そして科学的な営みだ。我思うことなしに哲学は生まれ得ない、科学も同断に......然るに、公理の性質は突き詰めれば"疑い難い"というところに尽きてしまう。つまり、或る空間に包摂せらる我々の肉体による思考活動が、空間を排した状態というものを認識し得ないのと同じように、我々は我々の認識の及び得る範囲に於いてのみ、我々の哲学を、科学を、語る他ない。それにも関わらず、何人も、嘗て己の目の梁を正しく視認できたものはいない。そして、"凡ゆるものは視界の外から現れる"。このことをよくよく覚えておきなさい」
私は先生のした意味曖昧な返答に納得しきれなかったが、このどこか暗示的な響きの神聖さには、理性ではなく感情に訴えるものがあった。「よくよく覚えておきなさい」という先生の忠告を守って、私は終生この言葉を忘れることはなかった。先生はいつも私たちに、理知のみで物事を見極めようとする態度の愚かしさを説いた。そのような態度は人生を誤謬にしてしまうとして、先生はそれを自身の論文からの引用で「大いなる誤算」と呼び戒めた。
それからも私は先生に認められたい一心で、件の理論の瑕疵を懸命に探した。仲間はそんな私を白眼視したが、それでも私は止めなかった。気が付けば私は、学生らの中で最も先生の理論に精通した一人になっており、そればかりか、先生の理論の補強に貢献することにもなったが、無論私はこのことにまんざらでもなかった。
撞着機構について、その具体的な実現方法が議論されたのも、主に如上の夜会に於いてである。はじめ、この機構のアイディアは先生の論文の中でひとつの着想として萌芽的にその可能性を示唆された程度であったが、特に私たち学生らの関心を惹いたのは正にこれについての言及箇所であり、具体的に言うと論文中の結文にあたる下記のセンテンスである。
「以上に示したる論の中に於いて、"乱雑"と"撞着"の混用を認め、これを論全体の瑕疵とし、これを手蔓に、有効な辯駁を謀る者の少なからぬことを私は予期する。然るに、その謀の悉く挫折するであろうこともまた、私は予期する。私はそれらの語彙を意志的に使い分けた。ひとつは科学的な意志によって、もうひとつは反科学的な意志によって、である。斯様な私の言説を、凡そ学問的とは呼べぬ苦渋の弁疏と見る者もあろう。今はまだそれでよい。私の定義に於いては、乱雑は科学の言葉である、撞着は反科学の言葉である。そして我が仮想の論敵は、反科学の意志で以て、外ならぬ意志の投影たる科学と云う観念の虚像を挫きにかかるというのだ。私は本論において、科学をシステムと読み替えた。この言葉の遷移は全くシームレスに、何らの詐術も用いずに行われたことを諸氏は認めなければならぬ。科学の歴史とは効率化の歴史である。文明の進歩とはシステムの進歩である。何れも、乱雑の排除の過程である。乱雑の排除の過程とは、即ち自然の中からの運命の食刻の過程である。その過程に於いて、我々の犯してきた過失とは一体何であるか。人間社会のシステムによろぼう宿命的悪性因子の所存はいったい何に所以するのか。何故に、科学によって成そうとしてきた人々の理想は散々に打ち砕かれてきたのか。科学の名を借り真理へ至ろうとした宗教的専心。理性により世界を御そうとした進歩思想。飢餓や戦争、病原菌の撲滅。現実主義者の妥協的理想である功利主義までもが、我々のしてきた歴史の中で、なぜこうも易々と打ち砕かれてきたのか。全ての原因は我々がそこに撞着を認めなかったからだ。撞着とは何か。撞着とは我々人間のことである。それはシステムにあって有り得べからざる人間の意志のことである。我々は、誤りに満ちた人間の意志を、この撞着を、我々の築いた無誤謬なシステムに再び与えなくてはならない。そのように、我々は我々の築いた社会システムのアーキテクチャを再設計しなければならない」
『我々は我々の築いた社会システムのアーキテクチャを再設計しなければならない』
いったいどのようにして? 先生はアイディアを具体化するための方法に、いくつかの見当をつけていた。私たち学生のしたことは、先生の手となり足となり、それの検証と発展を行うことだった。そのためには、極めて学際的な知見が必要とされていることは明らかだった。幸いにも、我々は先生を中心とした分け隔てない交流の賜物として、文理問わず実に多くの目を持っていたから、我々は恰もひとつの大きな知性として働くことができた。
気が付くと我々は大きな学派を成すにまで至っていた。派閥は撞着派と名付けられ、我々は撞着主義者と俗称された。その名は屡々嘲りで以て喧伝された。
斯様な逆風の中、撞着機構の実地検証が最初に行われたのは、先生が件の論文を発表してから既に十年余経った夏のことである。或る地方の有力な議員を、先生の学会での影響力を後ろ盾にした政治的活動によって巧くこちら側に取り込んだことで(或いはこちらが利用された側なのかもしれぬが)、これは実現した。
撞着機構の仕組みの全てを説明してみせることは私には難しい。私でなくとも、そのようなことができる人間はもうこの世界には残っていないのではないかと思われる(それだけに、各ドメインで用いられる技術は極度に専門化し、先鋭化していた)。しかし、私にできる範囲で、それを試みてみたい。撞着機構は、その名は誰しもがしるところではあると思うが、その実それが何ものかを理解している者は余りにも少ない。
撞着機構の構成は大きく三つのレイヤに分けられる。第一レイヤには撞着供給の仕組みが実装されている。第二レイヤには或る程度のまとまりを持った複数の社会システム(大まかに言えば、地方行政や企業単位の経済主体)が、最下層の第三レイヤには個人一人々々が(概念的ではあるが)属している。
各レイヤ間にはそれらが相互に作用しあうためのインターフェースが設けられている。このインターフェースの定義こそ我々が最も骨を折った点であり、撞着機構の仕組みを極めて難解にしている理由もここにある。
第一のレイヤは純粋にメカナイズされており、その中枢を担うのが量子乱数ジェネレータである。量子乱数ジェネレータによって得られた真乱数をある特殊なアルゴリズムで撞着因子にコンバージョンし、それを社会システムに供給するのである。このため、撞着機構は真乱数を入力値として持つシステムであると理解される場合があるが、これは誤解である。撞着機構には、入力もなければ出力もない。真乱数の生成原理と社会システムとの因果関係は、デイヴィス氏の「自家創出的制御系複合(ACSC)」の理論によって完全に接着している。或いは、ACSCを中心に位相的に区画されたシステムが撞着機構であると言った方がより確かかもしれない。とにかく、撞着機構それ自体が社会システムの中に溶け込んでおり、完全に同化しているのである。
撞着機構により運営される社会システムは、外部からの影響を(理論上は)無視できるとされる。例えば対外的な経済活動は否が応でも外部とのやり取りを必要とするが、それは恰もヒトが食物からエネルギー供給をしながらも、食物を入力値として己の振る舞いを決定しているのではないという人体の仕組みと似ている。つまり、撞着機構に基づく社会システムは、外患による直接的な危害を受けない限りは、外に開かれながらも完全に独立したコミューンのような系の確立を実現したのである。
一方でまたこのような誤解もある。撞着機構はオートポイエーシスのコード化に成功した唯一の例であるという誤解である。オートポイエーシスという点に於いて私たちが成し得たのは、それのコード化ではなく、ブラックボックスのままにそれを活用し得るという事実の提示に過ぎないのだ。もしオートポイエーシスのコード化に成功していたとすれば、私たちはもっと別様なやり方で、社会システムの改革を企図していたであろう。
そして、私たちの最初の実験は成功した。その地方の都市からは、旧システムに所以する非人間的な汚穢は拭われた。汚職は減少し、約四十年ぶりに犯罪者数と自殺者数が前年の数を下回った。
これを契機に、今までにも増して嵐のような日々が私たちを見舞った。嘗て世界中で同時多発的に興った学生運動のように、若者を中心としたいくつものグループが、我先にと撞着主義革命の実現を主導した。その最先鋒に先生と私たちはいた。
殊に、(宗教家を含む)神秘主義者の界隈は大きな盛り上がりを見せた。ファインマン博士をメシヤと同一視する異端まで登場するほどであった(勿論この潮流を後押ししたものには、無神論者たちのアイロニックな趣味もあった)。
あれよあれよと撞着機構は世界を席巻していった。先生はノーベル賞を受賞したが、こんなものは、先生の理論が成し得たその業績の偉大さを鑑みれば、寧ろ「貰っておいてやる」という位が妥当に思われる程であった。私たちは幸福の只中にいた。気が付けば、撞着機構は世界のスタンダードになっていた。
嵐のような日々は去った。多くの幸福な時を残して。
嵐の後の静けさのような、太平無事な世界が訪れた。
それから更に十数年の月日が流れた。量子乱数ジェネレータの不具合の報告を受けたとき、私はコペンハーゲンの研究所で量子もつれに関する研究に従事していた。先生との関係は勿論続いていたが、この頃は疎遠気味になっていた。先生もそのころは高齢だったから、以前のような若者らとの交流も減っていたと聞く。それに、もうあの日のように気軽に町中を歩けるような存在でもなかった。
不具合の報告が確かな信憑性をもって伝えられる頃になってから、私は不具合が撞着機構に与える影響を調べ始めた。それと時を同じくして、方々で不具合の原因を追及するべく詳細な調査が始まったことは、既に述べたとおりである。
調査は難航したが、不具合の原因がジェネレータにないことが判明してからの私たちの焦りは尋常ではなかった。メーカーによる調査の最終結果が先行して私たちに伝えられたタイミングで、直ちにデイヴィス氏によって先生を除く嘗ての撞着主義者の主要メンバーが招集された(先生はそのころ持病を拗らせ、地元で療養していた)。こちらから訪ねてもめったに顔を合わせようとしないこの厭世的な量子倫理学者に直接呼び出されるというのは、私たちに事態の深刻さを再確認させるのに十分だった。
「不具合として報告されている事象に偽りはないらしい。ジェネレータに不具合がないことも、また」
デイヴィス氏は重々しくそう呟いた。黙りこくっている私たちに対して、彼は言葉をつづけた。
「そればかりではない。不具合の報告された各都市で、自殺者数が増加している。これは一つの兆候に過ぎない、が、確かに撞着機構は綻びを見せ始めたらしい。なぜ今更になってそのようなことが起き始めたのかは、まだ分からない。学会の反応は皆が知る通りだ。事態を重要視している人間は限られている。しかし、これも時間の問題だろう」
私は口を開いた。
「出力される数字の規則性は、必ずしも無理数や物理定数のパターンだけに限らないようです。我々が気が付いていないだけで、何かもっと別の規則に従って、量子の振る舞いが決定されているのかもしれない。私が仄聞したところによると、中国ではジェネレータがシェイクスピアを書き始めた、と......もっともこれは馬鹿げた話ですがね」
「あながち馬鹿げた話ではないかもしれない。まるで誰かが意図しているかのようだ。例えば......」
「神?」
乾いた笑いが起こった。歴史に見られる人類の流儀に倣って、正体不明の事象を神話に仮託して語るのなら、確かにこれは神による業だと言ってしまうのが楽かもしれない。
「結局、疑似乱数では代替不可能であるという当初からの見解は覆らないのですか?」
一人の数学者が私に訊いた。
「無理数でも、物理定数でも、それらの掛け合わせであろうとも、撞着機構は規則性を犬のように嗅ぎ分けます。それに遠因した何らかの不具合が必ず生じてくる。誤魔化すことはできません。それに、もしそうで無くても、疑似乱数による代替を行えば、入力と出力を持たないという前提に立脚する撞着機構の原理そのものが、意味の無いものになってしまう。今はとにかく、ジェネレータの振る舞いを解析し解明することが急務です」
「量子もつれが関係する可能性は? ACSCに基づいた我々の理論は、量子もつれの干渉については意図的に議論の埒外に置いていました。この点については、やはり議論が十分ではなかったと言わざるを得ないのでは? とにかく当時の私たちは明日の名誉と革命のために急いていましたから」
量子もつれの問題は確かに積極的に議論しなかった。しかしそれは、そのような問題など取るに足らないと、或る程度の根拠をもって判断したからだ。人間の意志と量子もつれの関連は、確かに研究されていないことはない。しかし、ACSCは量子もつれに基づいた曖昧な意志発現の理論とは一線を画している。もっと確かな、地に足のついた理論だ。しかし......
「そんなものはオカルトだ......」
私は苦々しく応えてから、デイヴィス氏の方をちらと見た。彼は机に両腕を突きながら、目を閉じて私たちの会話に耳を澄ましている風だった。その表情からは、彼の胸中は伺えない。
結局、議論はめぼしい進展を見せなかった。デイヴィス氏は自身の責任の下に私たちを中心にした調査委員会を置いた。
しばらくの間、事態は水面下で推移した。その間も、撞着機構に基づいた社会システムの綻びは、徐々に無視できぬものになって行った。そして、ローレンツ氏が、次のような告発状じみた記事を発表したのを嚆矢に、ぎりぎりで持ち堪えていた堰は臨界を超えた。
告発状の題は"Report on The Serious Miscalculation"(件の深刻な誤算に関する報告書)。「深刻な誤算」というのは、先生の「大いなる誤算」の言葉尻をとらえた、彼なりの意趣返しであったに相違ない。
告発状を契機にした負の連鎖はドミノ倒し的に伝播していった。ローレンツ氏に便乗した言説が一般にも多く流布した。その多くが荒唐無稽な取るに足らぬものであったが、世論の混乱を招くには十分だった。紛争が紛争を呼び、人類は忘れて久しい流血を再び見ることになった。
そして、一連の混乱の中でも、最もセンセーショナルに取り沙汰されたのは、先生の死だった。死後暫らくしてから病室を訪れた看護師によって見つかった下記のような書置きで、先生の死は自殺であったと断定された。
「一箇所の計算の誤りが、それに続く数式の全てを狂わせてしまうのと同じように、一回の選択の誤りが、それに続く私の人生の全てを狂わせてしまったのだ。解の得られぬ誤謬の方程式を延々解き進める不毛の努力にこそ、私の人生を表現するに足る比喩の皮肉さがあった。今死に行くにあたって、私に残されているのは、大いなる誤算の生んだ夥しい血の報いと、途方もない後悔だけである」
家族のいなかった先生は独り病室の中で、世界の混乱を静かに見守っていた。そして最期に、自ら命を絶ったのである。どのような手段でそれを行ったのか、私には聞くことが出来なかった。
先生の葬儀は混乱を避け内密に執り行われたが、それでも嘗ての仲間が大勢訪れた。中にはローレンツ氏もいた。皆彼を先生の仇と思い、鋭く睨みつけるばかりで、決して声をかけようとはしなかった。
埋葬にとりかかろうとしたそのときだった。それまで沈黙を守っていたローレンツ氏が先生の棺に突然縋りつき、涙を流しながら、何か謝罪の言葉のようなものを繰り返し大声で喚きだした。異様な光景だった。私たちは何もできずに呆然とそれを見ているばかりだった。葬儀屋の一人が彼を棺から引き剥がすまでそれは続いた。
先生は埋葬された。聖職者はつかなかった。
後日私は、先生の愛用していたファウンテンペンを、形見に受け取った。先生の遺志でそうしたのだ。
稀代の大博士の死によって、世情はより混迷を極めた。
先生の代わりと目されたのはデイヴィス氏だった。私たちを集め開かれた調査委員会は国際連合の直下に移管され、彼が陣頭指揮を執った。先生をして悪魔的知性の持ち主(生前先生はこのように彼を評していた)と言わしめた彼の判断力に、世界中の人々が関心を寄せた。他方で、量子論的アプローチからジェネレータの設計原理の見直しを行うという試みも同時に進められた。
始めデイヴィス氏は量子論の再検討の中で何らかの糸口を見出せないかということに一縷の望みをかけていたが、その進捗の遅々として進まぬのを見るや早々に見切りをつけた。そして、もっと実際的なアプローチから(暫定的にせよ)或る施策を打ち立て、それを実施する方針へと舵を切った。
当時、私は依然コペンハーゲンの研究所に籠りながら、国連直々の下命を排して、ジェネレータの設計原理そのものの見直しを行っていた。例の、量子もつれに関係するある種の疑念が、先の会合から時を経るごとに無視し難いほどに私の中に募ってきていたから、私は或る悲惨な決意と確信とで以て、学生のときしていたように先生の理論の粗探しを進めていた。
そんな中、私の許にデイヴィス氏からあるドキュメントファイルが届いた。それに目を通し、私は驚愕した。そこには、調査委員会が策定し、彼が承認を下した今後の方針に関する重要な情報が、それを実施するにあたっての具体的な方法とともに記載されていた。中でも、"# lifeFunc usage"(ライフファンクの使用法)と簡単に題された章の記載には己が目を疑った。
私は直ちにデイヴィス氏に返電した。
「読みました。とても正気とは思えないが、貴方が狂ってしまったともまた思えない」
「勿論だ。まだ耄碌したつもりもない」
表示板に浮かぶデイヴィス氏の精細すぎる像から発せられた微光が、妙に怪しく揺らめいているように私には見えた。最新の投影機にそのような不具合が起こるはずはない。私は私の心理状態が私の視覚に及ぼす幻影に尚のこと動揺した。
「それに、私は国連の持つ能力にも疑問を持っています。ここ数十年の彼らの零落れようは貴方もご存じでしょう?」
「国連のような組織は、国際情勢が不安定になって行く過程にあってこそ、その影響力を強めるものだ。皮肉なことだが、曲がりなりにも平和をお題目として作られた組織が、平和な時代に目立たなくなるというのは当然だろう。しかし、事情は変わった。撞着機構は世界に平和を齎したが、表面的なものを除いて、国家間を這っていた政治的毛細血管を緩やかに壊死させた。今そこに再び大量の血液が送り込まれようとしている。未知の深刻な疾病の顕れて来る直前に今我々はいる。このまま行けば、国連だけではなく、凡ゆる国家間の連帯関係は深刻な破滅へと突き進んで行くに違いない。大きな力のうねりの中で自己消滅するのだ。我々は、最後のそのときに瞬時発揮されるであろう組織的欺瞞の力を利用する」
「私たちをよく思っていない人間も大勢いるはずです。こんな突飛な決断に、国連が実行力を行使するでしょうか?」
「確かに、我々に恥をかかせたい人間はたくさんいるが、我々の決断を支持したのも、またそういった連中だ。誰も成功するとは思っていない」
「それでは、貴方も?」
「いつだって、間違っているのは私以外の人間だった」
「どういう意味ですか?」
私はデイヴィス氏の思うところありげな声音を看過しきれず訊いた。
「私はファインマンの理論にも、またその思想にも、完全には賛同していなかった」
「今更そんなことを言い出すのは卑怯です」
「なら、君は信じていたのか? ファインマンの理論に、誤りがなかったと。あの男自身も、最期に書いていたはずだ。"大いなる誤算"、と」
私は先生が最期に遺した言葉と、今自分のしている批判的研究を思い比べながら、自責の念に沈みつつ、先生と過ごした日々の中での、自己に対して無批判だった若い自分の姿を思い返していた。しかし、今の私にできることは先生からの恩に報いることでしかない。先生が一体どんな若者を愛したか、私は知っているはずだ。
「しかしあなたは今回の事態に動揺している。それは貴方も、自身の考えに誤算があったことを認めているからではないですか?」
「左様、私にも誤算はあった。しかし、私が生涯に亘って犯した誤算はそのひとつだけだ。それは、己の理性を裏切ってまで、感情の命ずるところに従って、君たちを、ファインマンを、信じたことだ。ファインマン、お前は何故に私を裏切ったのか! 或いは初めから......」
「裏切り?」
「裏切りでなかったとしたら何だというんだ」
「皆が信じたことです。先生も、私たちも、貴方だって、皆が信じたんだ」
「......だとしたら、我々は揃いも揃って愚か者だったというわけだな? 私はずっと、君たちのような若者が気に食わなかった。あの男のことも」
「それでも、貴方だって、先生には恩を感じているはずだ」
「なに、恩?」
彼は憤怒の籠った目で私を睨んだ。私はそれに気圧されて、何も返すことができなかった。
「とにかくもう、私がこの事態にけりを付ける他ない。この仕事は今や私にしかできない。君は私に協力する義務がある。君たちのしたことが、私への、この世界への裏切りでなかったというのなら、尚のこと」
「考えさせてください」
言うと私は一方的に通話を切った。
その日私は、結婚してから忘れて久しい酒気を頼んだ。
「先生、あなたは、私たちは......いったい何を誤ったというのですか」
翌朝、ひどい二日酔いのために私は吐いた。仕事は休みを取った。その日だけではなく、一週間の休暇である。私は冴えない頭で今一度デイヴィス氏から受け取った例の資料に目を通した。
正直なところ、私はデイヴィス氏の示した方針を前にし、少しく逡巡した。確かに、彼の案は世情の当面の維持を期するにあたっては、或る程度効果があるように思われた。しかし、"世情の当面の維持"、何と腐敗的な響きであろうか。私たちの理想が、まさかこのような破滅を前にした労暴君のような体たらくにまで堕するなどと、誰に予想できたか。凡ゆる破局がそれの基となる理想に遡り得ることは自明であるが、我々の理論でさえも決定論を打ち倒すに足らなかったというのなら、凡ゆる理想が破局の定めにあるというのは最早覆し得ない運命なのやもしれぬ。
考え倦ねた結果、私は藁にもすがる思いでジュネーブにまである人物に会いに行った。
ローレンツ氏と直接話をしたのは、このときが初めてであった。
彼の研究室はやけにこざっぱりしていたが、反面特徴的でもあった。年代物のフラットパネルディスプレイがいくつか壁に掛けてあって、平面表示された各国のニュース映像がリアルタイムでストリーミング再生されていた。ディスプレイと対したもう一方の壁の一面には紙の書籍が整然と並べられており、どれもがディジタルアーカイブされていないような希少な古典ばかりだった。中でも目を引いたのは、彼のデスクに広げられた合成紙と(恐らくは先生が使っていたものと同じ)ペンである。
「お忙しいところ、お会い頂きありがとうございます。まことに光栄です」
「君のことはいつも話に聞いていたから、初めて話す気がしない。とにかく遠いところまでよく来てくれた。私の方こそ礼を言おう」
彼は私を客人用のソファに促した。と、そのとき彼は私がデスクの上の筆記具に興味を示していることに気が付いたらしい。
「気になるかね」
「余り見かけないものですので。それに、先生も同じペンを使っておられました」
「あれは僕がプレゼントしたものだよ」
意外な事実だった。
「そうだったのですね......これでお書きになるのですか?」
「そうとも。ファインマン教授はよく、自分が筆で書く最後の世代になると仰っていた。だから僕は先生の予言を覆したのさ」
彼は冗談を言うような調子でにこやかにそう言った。
「......お二人は、いつから?」
「いつから敵対しあうようになったのか、という質問かい?」
「差し支えないようでしたら」
「僕が昔彼の助手をしていたことは知っているね? そのときからだよ」
彼はディスプレイの電源をワンスイッチで一斉に落とすと私の対面に腰かけた。部屋に沈黙が雪崩れ込む。
「きっかけはあったのですか?」
「いいや、覚えていない。気が付いたときには、すでに。ただ、大抵の場合は僕の独り相撲だった」
「それは、私もですよ」
「ほう......」
なぜ私が彼に会おうと決意したのか、合理的な説明をすることは難しい。しかし、先生の葬儀の際に彼の見せた涙の正体が何であったかという疑問が、此度の訪問のモチベーションの一助になったことは事実である。今の私と同じく、先生の理論の誤りを常に探していた彼の人生が、いったいどのような道筋を経てあのような場面に行きついたのか、そこに何らかの答えがあるように私には思われた。少なくとも、今の私が必要としていたのは己の執るべき決断の合理的な説明ではなく、もっと感情的な、思い切りのようなものであったから。
「それで、要件はなんだい? この時代にオンラインではなく直接会いに来るだなんて、余程のことなのだろう?」
「はい、そうです。私は、"大いなる誤算"について、貴方と話したい」
「なんだ、そんなことのために......しかし、僕から何か有益な情報が得られると、そう踏んでいるんだね?」
「今私は、先生の、ファインマン氏の理論の誤りについて調査しています。私たちはいったい何を見落としていたのか、ということを。ローレンツさん、貴方には何か心当たりがあるのではないですか?」
「確かに、僕も、撞着機構については随分と調べた。撞着機構は見事なシステムだった。僕は嫉妬した。でもね、何と言おうか、このシステムは余りにも完璧すぎるように見えた(完璧など原理的に不可能なのにね)。まるでエコシステムのようだ。いや、もっともっと洗練されたものだ。それこそ、オートポイエーシスそのもののような......いったい撞着とは何だろうか、僕には分からなくなった」
「しかし、十年越しに、問題が起こった」
その通りだ、と頷くと、彼は立ち上がって紅茶の準備を始めた。気にしないように私が制しても、彼は微笑み返すだけだった。紅茶を淹れ終わると、彼はカップを二つ携えて席に戻ってきた。覚えのある香りが鼻腔をくすぐった。
「これはファインマン先生の、そして僕の地元の紅茶なんだ。先生のシャツはいつもこの香りをたきしめていた。僕はそれが好きだった」
私には先生の話をする彼が段々と不気味に思えてきて、その様子を疑い深く伺った。
「そんな顔をしないでくれ。僕は劣等生だったが、あの人は僕によくしてくれた。そして、あの人は僕に、師を超えろと言った。僕にとってあの人はまるで父親の代わりだった。僕はあの人に認めて欲しかった。君も僕と同じだろう?」
「なら、どうして......」
「先生がどんな若者を愛したか、君も知っているはずだ。しかし、結局僕には反抗することしかできなかったがね......」
私たちはティーカップを手にしたまま、暫らくの間黙っていた。
その沈黙を破ったのはローレンツ氏だった。
「君は確か、量子物理学をやっていたね。それも、量子もつれを」
「はい」
「僕も、撞着機構の誤りを探るために、そちらの方面から調査をしていたんだ。随分と前からね。専門分野は遠いが、理論物理学は存外僕の肌に合っていた。量子もつれはまだ不完全な体系しか持っていないけれど、僕はある種の直感で、撞着機構の瑕疵をそこに見出そうとしたのさ。君も量子もつれを専門にしているくらいだ、初めから何か思う所があったのではないのかい?」
「......どうでしょうか。私たちにとってそれは盲点でしたから」
彼はどこまで行きついているのか、彼の底知れぬ先生への敬愛に満ちたの反抗心は、どれほどの情熱と確度で以て、私たちの理論の弱点に達そうとしているのか。私は空恐ろしくなった。
「仕方あるまいさ。こんなことは、"科学的"ではない」
「いいえ、元々反科学なるものの理論を打ち立てたつもりの我々ですから、仕方がなかったというわけにはいきません」
「そうか、だとしたら、例えば君は形而上学的な世界の存在を信ずるかね?」
いったい何の話だろうか。私は疑問に思いつつも答えた。
「信じますとも。しかし、それを形而下に引き下ろすのが私たちの仕事です」
「なるほど、それでは、そのようにして到達されるものとはいったいなんだい?」
「限りない繁栄です」
ローレンツ氏の視線が鋭くなるのが分かった。私は背筋が怖気だつのを覚えた。
「それは違う。君たちの間違いの最も大きい点は、そこにある。最早、量子もつれがどうであるかなど問題ではないほどに」
「いったい......」
「私にとって、大いなる誤算とは、撞着機構の理論それ自体の瑕疵に対して向けられた言葉ではない」
私は何も言わずに次の言葉を待ち構えた。
「撞着機構が人々に齎したのは本当に、真の平和、真の自由だっただろうか? 本当に、運命からの人々の開放だっただろうか? 君は、君たちは、自らの世界に齎したものの正体を、本当に直視できているのだろうか? 確かに世界は平和になった。君たちは自由意志の弁護を標榜し、撞着機構の完成で以て人間的なるものの復活を宣言した。その結果どうなった? 人々は皆平等に幸福を、少なすぎない幸福を、また過剰にもならない幸福を享受した。そして、明日の不安は消え去った......明日の希望と共に。その代償は大きかったが、しかし彼らはそれを自覚しない。或いは自覚しないようにしている。人々はまるで従順な羊の群れのようになった。自由を、差し出すことによって、見返りを得るために......結局何も変わっていやしない。人々は、自分たちの運命を詐称し、それを避けがたいものとして別様な形で是認したに過ぎない。そればかりではない。人々は自らに背負わされた運命の正体をはっきりと自覚し、それを認めたがために、進歩することを止めたんだ。越えなければならない運命を失った。この喪失の先に、限りない繁栄など、あるはずがない」
「そのような問題提起は私には欺瞞に思えます。元々は、科学万能の思想が、人々を決定論的諦念に縛り付けたのではありませんか。それに、どうして人々が進歩を止めたとそう言えるのですか」
私は我慢できずに反論した。ローレンツ氏は諭すようにこれに応えた。
「奇跡にも似た力で、人々に選び取るべき運命を半ば強制してしまったからだよ。自由を保証するといいながら、人々から自由を奪ってしまったからだよ。恐らく先生はこのことを自認していた。そして、自分だけがそのことを知っていれば良いと、自分だけがその事実を背負えば良いと、きっとそんなことを考えたんだ。撞着機構は、紛うことなき偶像だ。近年の学者たちの怠慢は君も散々目にしてきただろう。このような事態になっても動こうとしない腰の重たい奴ら。こんなことは昔ならあり得なかった」
「私には分からない。それが事実だとして、一体なぜ先生はそんなことを」
「他にやり方がなかったんだろう。あの人は優しすぎた。人類が発展の名のもとに散々忍んできた夥しい犠牲を、唯一人忍ぶことのできなかったのが先生だ。我々が発展と呼ぶもの、その先の幸福は、先生にとっては余りにも難産だった。それに加えて、君たちのような若い世代が、目の前で新たな犠牲となっていくことを看過できなかったんだ」
彼のこんな話など、納得できるはずがなかった。彼は狂ってしまっているのかとさえ、私は疑った。しかし、何故だか否定しがたい大きなものが、私の心を覆っていった。撞着機構が世に齎したもの、自己創出的な社会システムは、システムに包摂され得ない異物を排除する性質も備えていた。それによって、己の独立性を担保するという強力な免疫の機能である。それはまた、何ら新しいものを要請しないという性質でもあった。誰が要請しないのか? 外ならぬそのシステムに包摂された意志、つまり、人々がそれを要請しない、要請し得ないのである。これはある種の、全体主義思想の本質にも通底するもの、言うなれば、個人の消滅......? しかしこれは、撞着機構以前にも、既に始まっていたことではないか? 個人が、個人主義を詐称した全体の中に埋没していったことと、その加速を科学万能主義が後押ししたことは、否定し難い事実ではあるまいか? それとも、私の考えは単なる自己正当化のための言い訳に過ぎないのか?
「それならば、貴方は一体どうするのが正しいとお考えなのですか?」
私は思わず聞いた。
彼は応えた。いつかの先生のように、朗々と、はっきりと。
「飽くなき発展への努力を失わぬこと。犠牲を厭わぬ勇敢さを持つこと。そして、世の不条理に対して、限りなく憤怒すること。それが今我々が行うべきことだ」
「不条理?」
「そうだ、不条理だ。我々は人間である以上、人間であるが故に、いや、人間であればこそ、人類を取り巻くあらゆる不条理に対して抗い続けなければならない。我々の子供たちが病気で死んだのなら、激怒せねばならない。我々の両親が老いで死んだときでさえも、憤怒せねばならない。こうやって我々は克服し続けてきたのだ。だからこそ......我々はより正しいものに、より崇高なものになるために、怒り、苦悩し、束の間の平和と繁栄が我々を祝福したとしても、決してそれに満足することなく、より高みへと、どこまでも、どこまでも、人類の幸福のために闘うべきなんだ」
「しかし、それでも、認めることのできない犠牲というものもあるのではないですか。貴方の言う怒りというのも、そのような犠牲のために生じるのではないですか。だとしたら、人類の発展など、やはり虚しいということにはなってしまいませんか」
「ならないさ、そんなことには」
「どうして?」
「僕の心が、そう信じるからだ」
言うと彼は自嘲気味にはにかんだ。
「でもやはり、私には認めることができないです」
「そうか、そうか......それでいい。君の心は立派だ」
そろそろ終わりの時間が近づいてきていた。
私にはまだやり残したことがあった。
「最後に、これを読んでいただきたい。私が直接ローレンツさんの許を訪ねたのも、これを貴方に見せるためというのが大きい」
私はスタンドアロンのノート型端末を鞄から取り出して、その中に予め保存しておいた例のデイヴィス氏からの資料を彼に示した。彼は受け取ると黙々とそれを読み通した。
「ライフファンク......これをデイヴィス氏が?」
「どう思われますか?」
「珍妙だな。しかし、本当に量子もつれの問題が原因していたとして......彼は自身の理論の補強を試みているのか」
「ACSCは本来は量子論と相性が悪い。しかし、もし彼が自身の理論への量子論の統合を目指しているとすれば、彼はその実証のための恐ろしく大規模な実験を企てているのかもしれない」
「僕の方でも調査してみよう。それで、君はどうするんだい?」
「もう決めています。いや、決めました。私がライフファンクになろうと考えています」
ローレンツ氏は眉をひそめた。
「それは軽率じゃないか。それに、君の穴は誰が埋める」
「貴方が協力してくれるなら、私の穴などどうとでもなる。それに、私には考えがあるんです。まだ着想の段階ではありますが......自分のしてきたことです。自分の手で決着を付けます」
私とローレンツ氏はその後も遣り取りを交わした。それは彼の死によって途絶えるまで続いた。私と彼の関係は、私の仲間に感知されぬよう、物理郵便によって成り立っていた。私は先生の形見のペンを使って、慣れぬ手書きの便りを彼に送った。彼のアドバイスは私に多くの閃きを与えてくれた。殊に、lifeFuncとしての私の振る舞いについて、私は多くのヒントをそこから得た。
デイヴィス氏は私からの申し出に面を食らったような反応を示したが、見下げ果てたといった態度でそれを承諾した。そして私は全世界968名のlifeFuncの内の一人になった。幸い私のlifeFuncとしての適正は悪い方ではなかった。
lifeFuncに与えられたタスクは極めて単調である。途中一時間の休憩を挟んだ八時から十七時までの定時内に、次々与えられるハガキ大のカードの片面へできるだけ多くの数値を、只管に、無作為に書き続けていく。これだけだ。
書いていく数値の出力形式は人により様々で、各々の特性に合ったものを採用する。私の場合は、点と線で表されたバイナリを用いる。私にとってはその方法が最も乱雑さの発散効率がよいのだ(これは極めて稀な例らしい)。lifeFuncの出力した数値は直ちにディジタルデータに転記され、所定のアルゴリズムによって有用な乱雑さの限界点にまで桁数を増幅させた後、真乱数の代替として用いられる。
lifFunc各人は、それぞれの撞着機構に割り振られる地域の担当員としてその任に服することになる。私はフランスのトゥールーズの担当になった。定時外の時間は、七時間以上の睡眠が義務付けられている他は、基本何をすることも許されている。また我々lifeFuncは、映画や音楽、文学作品や絵画などの諸娯楽に触れることが奨励されており、lifeFuncはその手の供給には事欠かない。ただし、ビデオゲーム等のIT技術に関連した遊戯に関してはその限りではなく、一度担当官の検閲をパスした場合のみ、所望のタイトルを手に入れることができる。また、チェスや碁をはじめとする、確定完全情報型のゲームは、その一切が禁止されている。
このように、私たちlifeFuncの生活は、調査委員会によって策定された"# lifeFunc usage"によって定められた。その暮らしぶりは一見気ままに見えたが、実際には厳密な規律と徹底した管理によって制御されていた。なぜなら、撞着機構それ自体の要請であるところの第三レイヤへの同化と、第一レイヤの主要モジュールとしての役割を同時に果たすことは、殆ど相矛盾した試みであり、少しの綻びが撞着機構全体の綻びに繋がり得るリスクを孕んでいたからである。
lifeFuncになるにあたって、私は元のポストからは完全に離れたが、それでもローレンツ氏との交流と、"大いなる誤算"に関する研究は秘密裏に続けていた。家族には大きな苦労を掛けたが、ローレンツ氏によるこれまた秘密裏の支援で、私は家族との関係を壊さずに済んだ。
気が付くと、ジェネレータの不具合が報告されてから12年、私がlifeFuncになってから10年余の歳月が流れていた。私たちの研究も、デイヴィス氏の試みも、大きな進展はなくここまで来てしまった。代わりに撞着機構は、件の不具合の発生以降はその形骸だけを残して、社会秩序の維持の為のプロパガンダに成り果てていた。撞着機構に基づいた社会システムは、専制的な色を年々強めていった。
ローレンツ氏の身体は末期のすい臓がんに侵されていた。癌は古典小説の中で扱われるような恐ろしい病ではなくなっていたが、彼は敢えて治療を拒み、天寿を全うしようとしていた。私はそのような彼に何度も励ましの言葉を送り、治療を受けるよう説得したが、彼は聞かなかった。ときに私は彼自身の高潔な「憤怒」の思想を用いて、彼を奮い立たせようとしたが、それでもだめだった。彼は明らかに疲弊していた。肉体的にもそうだが、精神面の困憊の具合が著しかった。
そんなある日、珍しく興奮した様子の手紙が、彼の許から届いた。そこには、lifeFuncが適用される直前にイギリスのある地方に於ける撞着機構の量子乱数ジェネレータが出力した乱数列の出力結果と、それを基にした考察と彼の所感が記されていた。
手紙の内容からの抜粋を下記に示す。
『撞着機構の不具合と、量子もつれの関係について、我々は根本的にアプローチの仕方を間違えていたらしい。デイヴィス氏の試みを私なりに再解釈してみたら、ASCSの量子論的綻びは、氏の示した人間の意志の発現のメカニズムと丁度表裏をなしているのではないかという推論が立った。我々は、コインの表側をしか見ないままにその裏側の模様を探ろうとしていたわけだ』
『なぜ無理数の羅列だったのか。なぜ物理定数の羅列だったのか。撞着機構に、量子の振る舞いに作用したものは一体何であったのか。意志の発現する人々の心の、その最奥に流れる、量子の潮のようなもの。円周率も、万有引力定数も、ハムレットでさえ、一つのrootに通じていた。ASCSは、あくまでその原理から生じた事象のモデル化に過ぎなかった。極めて表層的な体系に過ぎなかったのだ』
『人間の意志の在り方さえも包摂した大統一の理論が、ここに、一つの予感のように示唆されている。それを実証する時間が、私にはもう残されていないということが口惜しい』
『私の導いた結論が、一体我々にとってどのような意味を持つのか、それはまだわからない。もしかすると、人類種それ自体の歩むべき道筋に、その然るべき一つの通過点として、撞着機構はあったのかもしれない。我々は、一つも運命を超克していなかったのかもしれない。また或いは、我々は、初めから運命などに頓着せずとも、我々の未踏の道を、十分に踏破していたのかもしれない』
『11年前の1月13日、オックスフォードの撞着機構より得られた、13時42分17.294423秒から丁度0.01秒間に亘ってのジェネレータの出力結果を添付した。この場所は、嘗て先生と私の意志が一つに結びついた場所でもある。私はある種の不条理な確信で以て、この数列に辿り着いた。後は君の目で直接確かめてほしい。これまでの遣り取りの中で、実に多くの確信に迫る議論の行えていたことに、今更ながらに気が付いて驚嘆している。例えば無理数の出力はある種の暗号のように解することもできる。これは私からの宿題だ、確率論的にのみ表現しうると考えられていた量子の振る舞いの真の姿をクラックしてみせなさい』
『君にひとつヒントを与えるとすれば、どうやら先生はシェイクスピアとよろしくやっているらしい。彼らも、我々の立てた予想の実証を祝福してくれることだろう』
『私を超えて、先へ行きなさい』
手紙はこのように締めくくられていた。
私はすぐに添付されていた数列の解析作業に取り掛かった。私には、何故ローレンツ氏がこんな子供じみた謎かけのようなことをするのか分からなかった。私は数列をコンピュータに入力した後、彼との遣り取りを遡って手がかりを探りながら、匿名での利用が可能な共有の量子プロセッサのリソースを最大限活用して解析作業を行った。作業には丸ひと月を要した。
そして私は、ついに意味のある数字の羅列の抽出に成功した。その羅列を二進数に変換し1バイト毎に分割すると、アスキーコードで表わされた文字列が浮かび上がった。
01100101 01110110 01100101 01110010 01111001 01110100 01101000 01101001 01101110 01100111 01100101 01101101 01100101 01110010 01100111 01100101 01110011 01100110 01110010 01101111 01101101 01101111 01110101 01110100 01101111 01100110 01110011 01101001 01100111 01101000 01110100 00001010
"everythingemergesfromoutofsight"(凡ゆるものは視界の外から現れる)
私はすぐにローレンツ氏に返事を書いて出した。しかし、ローレンツ氏からの反応はなかった。その代わりに、私は彼の訃報を受け取った。
連絡を寄越してきたのは、彼の入院していた病院の従業員だった。私と彼との関係を知らぬ病院の誰かが、恐らく私からの便りを受け取って、これに応えたのであろう。
私は、彼との関係の暴露する恐れを抱きながらも、彼の葬儀に出席するために方々に連絡を取った。
世間の目を気にした親族だけの葬儀であったとはいえ、生前撞着機構の関係で多くの敵を作ったローレンツ氏の葬儀は、先生のときとは対照的で、酷く閑散としたものだった。私を除いては、彼の少ない親戚が数名いるばかり。皆彼の遺産にしか興味はないらしかったが、彼は生前の貯えと自著の権利の全てを教育支援のために費やしてしまっていたから、彼らの期待が挫かれるのは目に見えていた。
葬儀は厳粛に執り行われた。私は奇異の目で見られたが、気にしなかった。
「汝等その勞の主にありて空しからぬを知ればなり」
私は聖書朗読の最後の節を心中で誦しながら、百合の花と、先生の遺したペンを、彼の胸元に置いてやった。
彼の死はメディアでも報道されたが、どれもファインマン氏との確執について取り上げたものばかりであったし、それにもう世間はそのような話題には関心を示さなかった。
ローレンツ氏の死後間もなくして、彼の遺作となる一冊の書が小規模ながら刊行された。『六つ目のソラ』と題されたその書のエピグラフには、"父"への献辞と共に、詩人肌の彼らしく次のようなミラーの言葉が引用されていた。
『あらゆるできごとは、もしそれが意味をもつとすれば、それは矛盾をふくんでいるからである。』
ローレンツ氏は、自らの死期を悟ってこの書を著したときに、この人生の矛盾と、人間という名の計算の誤りと、いったいどのように折り合いを付けたのであろうか。私には分からぬが、一つ言えることがあるとすれば、ローレンツ氏も、先生も、私たちも、その生き様の真に理想としたものに於いては、ひとつも違うことなどなかったのだ、ということである。諍いは必定であったのかもしれぬ。しかし、そのような決定論に於いてでさえも、真に自らの意志と呼べるものが命ずる感情的な正しさに従って、この人生を懸命に、誤りに満ちながら、生きたのだ。
ローレンツ氏の葬儀から帰ると、その日のうちにデイヴィス氏が私の仕事場に訪れた。恐らく、私の行動は、全て彼に筒抜けになっていたのだろう。
デイヴィス氏の突然の来訪に皆慌てだしていたので、私たち二人は近所の公園を歩きながら話すことにした。いつもは人の多い場所なのに、彼の護衛を除いて、この日は誰も見かけない。
「ここでの生活はどうだ?」
「気に入っていますよ。これはやってみてわかったことですが、私は単純作業は嫌いじゃないようです」
「戻る気はないか」
デイヴィス氏は言い難そうに口ごもりながらそう訊いてきた。
「戻るにしても、もうあそこに私の居場所などないでしょう?」
「君が優秀な研究者なら、居場所などいくらでも作ることができる」
「それは、貴方の許でなくとも、同じことが言えるのではないですか?」
心なしかデイヴィス氏からは昔のような覇気はなくなっていたが、これは彼が相当な高齢になったからということだけが理由ではなかった。撞着機構は最早、嘗て有り得た束の間の神話、それの見せる蜃気楼のような、曖昧な、既に終わってしまった一つの物語に成り果てていたから。
「私には分からない。ファインマンも、ローレンツも、君も、何もかも分からぬ」
「貴方にも分からないことがあるのですね」
「分からないことばかりだよ。だからこそ過たぬように足掻いてきたのだ」
「それがあなたの行動理念ですか?」
「いいや、理念や信念など私は持たぬ。尤も、これも一種の信念には違いないが。とにかく、私ももう後先短い。これ以上の厄介事は御免蒙るというだけのことだ」
「つまり?」
「撞着機構の権限を誰に移管しようか、考えている。つまり責任者をだね。私ももう潮時だ」
「誰よりも長生きしそうな貴方が、ですか?」
「君も言うようになったな」
デイヴィス氏は立ち止まると杖を鳴らしてどこか楽しげに空を見上げた。
「候補などいくらでもいるでしょう」
「困ったことに、それがいないのだよ。少なくとも私のそばには」
「私には無理ですよ」
「君とローレンツの動きは監視していた。君たちの立てた予想は恐らく正しい。ローレンツ亡き今となっては、もう君にしか頼めない」
「撞着機構は後どれだけ持ちますか?」
「精確なところはわからないが、もう虫の息だ。今のままでは多くのものを巻き込んで崩壊する定めにある。君の手で、あの砂上の楼閣を解体してほしい。それが一番被害が少なく済むと、私は考えている」
「そのような重大な政治的判断を簡単に下してよいのですか?」
「熟慮の末だ。私には決定権があるし、君も無名というわけではない。何せ、嘗てのファインマンの右腕だ」
「あと一年だけ待っていただきたい」
「承知した......これで我々も終わりだな」
「......私たちが終わったとしても、人類は前へと進まなくてはならない。それにいつか、誰かが私たちを超えていきます。いつの時代も、そのようにして人類は進歩をしてきた。現代を生きる私たちは、前を向きながら、今できる最善を尽くす他ありません」
「最善など、尽くしても尽くしても限りのない無間地獄を我々に味わわせるばかりだ。原理的な不可能という暗闇の中に我々はいる。自由意志など、仮令そのようなものが有り得ても、我々の人生を生きるに値させる何らの利益も齎さない。自由意志論など、不可知論の詩的解釈に過ぎぬのかもしれない。私の人生もまた、誤算だったのか......」
「凡ゆるものは視界の外から現れる。不可知論も悪いことばかりではない。分からないからこそ、私たちは知ろうとする。知ろうとするからこそ、私たちは生きるのです。確かに、そのようにして生きた人生は誤算になるかもしれない。しかし、この誤算こそが、人間の意志の力によってのみ導かれる一方の真実ではないでしょうか? 私に言わせれば、誤算のない人生など、生きるに値しない。いや、一人の人間が人生で成し得たこと、その闘いの結果が、一つの誤算なんです。大いなる誤算なんです」
それから更に半年が経って、現在に至る。
撞着機構はまだその仮初の影響力で世を支配し続けている。
私も依然、lifeFuncとしての使命を全うしながら、ローレンツ氏の最後の言葉を忠実に守って、彼を超えるために、私たちの予想の実証に取り組んでいる。デイヴィス氏の協力を得られるようになってからは随分とやりやすくなった。
あれから多くの新しい発見があった。量子もつれからのアプローチはローレンツ氏の言うとおり、一面的な見方に過ぎなかったらしい。なぜ13年前のあのタイミングで、ジェネレータの不具合が多発したのか。それについても、大方の見当はつき始めている。一つには、人間の意識の統合というところに原因があった。量子もつれの問題を気にかけたことも、元々はここに起因していた。人々の意志の在り方が、撞着機構の中で画一化されていくことにより(つまり、運命を共有化していくことにより)、磁化した鉄の原子のように同調し力場を成して、量子の振る舞いに影響したのではないかという考えである。無論こんなものは、はじめは荒唐無稽な予想の一つに過ぎなかった。しかし、lifeFuncというアイディアはこの荒唐無稽ではあるがどこか否定しがたい疑念に対して、何か不都合な確信を私に与えてしまうのではないかという恐れを掻き立てた。それに、lifeFuncという立場は、撞着機構それ自体の検証を行う上で、非常に好都合な権限を持った立場であった。私が志願したのも、これが理由である。
事実、lifeFuncの適用以前と以後とに関係なく、撞着機構は人類の意志の総体と結びついていた。ローレンツ氏がジェネレータの出力結果から見つけ出した例の数列が、私に確信を与えた。ローレンツ氏からの「形而上学的な世界の存在を信じるか」という問いに、私は「信じる」と応えたが、まさかこのような実際的な場合として、真剣にその存在の有無を考える局面が訪れようとは、あのときは露ほども予期していなかった。
とにかく、量子の世界には人知を超えたものが余りにも多い。その事象の一つ一つは、正に私の目の梁の外からやって来る。私は目を凝らしてそれを捕えようとする。そのようにして捕えた一つ一つのものを積み木のように積み上げて、それらしい理論を仕立て上げるのだが、この試行錯誤の繰り返しには終わりがない。それどころか、自ら積み上げたものを子供のように己が手で壊すことの屡々である。そんな日々の中で、やはり最後にものをいうのは、理知ではなく感情の力であろう。人生において自分が何を成したのかということに対する、感情による確信と、前進だ。
私はlifeFuncとしての最後の仕事に、この文書を作成している。どうして、半分報告書のような形をとったのか、それは、これを見つけ出し読んだものの裡に、私の矛盾と誤算に満ちた人生の顛末が如何なるものであったかを知ってほしかったからだ。諸君らは或いは未来の人類であろう。或いは別次元、別宇宙の知的存在であろう。この宇宙の量子の揺らぎの中に、斯様な人生の誤算の夾雑することを、諸君らはどう解釈するのだろうか。
というのも、私はいまこの文章を数値情報に変換し、撞着機構の中に打ち込んでいるからである。撞着機構には入力もなければ出力もないというのは、既に何度か述べてきたことである。言い方を変えれば、撞着機構それ自体が、社会システムと同化し、個々人と同化し、宇宙という大きな輪廻の循環と同化しているのである。撞着機構の振る舞いは宇宙の在り様と少なからず同調している。つまり私は、私自身でさえ知覚できぬ心の底、量子の揺らぎの支配する場所から訪れた私の意志の結実をこのように打ち込むことによって、天衣無縫の無欠なる宇宙の生み出した人間という存在の矛盾を、この"大いなる誤算"を、宇宙にとっての"一方の真実"足らしめようと"意志"するのである。
大統一理論の完成までの道のりは途方もないし、またこれは原理的に不可能なことでもあろうが、不可能なことを成そうとするこの不条理、この矛盾こそ、人間の意志の成しうる誤算の中でも最も高潔なものではないだろうか。少なくとも私は、そのような人生の誤算たちの限りなく美しい例を、いくつも知っている。美しさは計算では捉えられない。そして我々は、知り得ぬものを知るために、そのような誤算のために、生まれ、生きるのである。
私はそう、信じている。
そして希わくは、私のこの想いが、私の知る限りで最も偉大な科学者、ローレンツ博士の許にまで届かんことを。
[EOT]
大いなる誤算 坂本忠恆 @TadatsuneSakamoto
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