gin base

三奈木真沙緒

酒ではなくアイツの話

 いつもより遅い便だったせいか、そのバス停で降りたのはオレひとりだった。いい加減どっぷり暗く、住宅街はもうそろそろ、明かりを消して真っ暗になってしまったところも少なくない。この時間でまだ蒸し暑い。街灯の下でスマホを取り出し、メッセージアプリでリカコさんに、今バスを降りてこれからまっすぐ帰ると連絡する。スマホをポケットに突っこんで歩き出して、何がきっかけか、ふと空を見上げた。……星空って、けっこうキレイなモンなんだな。久しぶりに見た気がする。ま、オレがわかるのは北斗七星くらいなんだが。

 自宅はこのへんだが、もう少しばかり山の方へ近づいたところに、ばあちゃんの家がある。ばあちゃん本人はもういなくて、今は空き家だけど、一応オレが管理していて、2週間に一度程度、我が家のクソガキ陽太ようたを連れて行く。ぽつんとした立地なので、騒音の心配がなく、ガキを思う存分遊ばせてやれる。リカコさんの腹もけっこう大きくなってきたし、たまには休憩してもらわねえとな。

 この星空は、遠く離れた、あのへんにも続いているのかな。オレの生まれ故郷。


 ――オレと同じタイミングで、あの頃の悪友どもが、北斗七星見てたりしてな……ねえか。ガラにもなくロマンなことを考えて、オレはつい首をすくめた。



 ものごころついた頃から、オレの両親は仲が悪かった。しょっちゅう怒鳴り合う喧嘩をして、ぶん投げられた物が飛び交った。親父はとりあえず勤めには行っていたが、酒癖と女癖が悪くて、好き勝手に家を空けた。母親は時々ふいっと家出した。だいたい数日間で帰って来る。帰ってくるとオレのことを、家に居座る野良犬でも見るような目で見る。なんでこのふたりが結婚してオレが生まれたんだか、さっぱりわからねえ。そんなに嫌い合ってんならさっさと別れりゃいいのに、なんでまだ夫婦やってんのか、ガキの頃のオレは不思議でしょうがなかった。

 小学校に入ると、地元のサッカークラブに入ることになった。これでサッカーが嫌いだったら目も当てられねえが、オレはサッカーは楽しいと思っていた。クラブに顔見知りはひとりもいなかった。同じ年のノブって奴が仲よくしてくれた。学年がオレと一緒なのに、オレが知っているどの同級生とも、何か違うものを感じた。今振り返って考えると、器、ってやつだったんじゃねえかと思う。包容力ってのか、統率力ってのか、ハンパなかった。

 ノブはよくオレの家に遊びに来た。ゲームやったり、菓子食ったり。そのうち家からギター持ってくるようになり、うちの両親が不在のときには1曲弾いてくれたりした。カッコイイと思った。オレはノブからギターを教えてもらった。


 けど母親は、サッカークラブを託児所だと思っていたらしい。ガキを放り込んで知らん顔。練習も試合もろくに来ねえし、保護者の当番とかちっともやらねえから、周りの保護者から真っ白い目で見られてた。それはオレにも注がれることになった。オレはしだいに、親にはクラブに行くように見せかけて、サボることが増えた。ちなみに親父の方は、オレがサッカークラブに在籍していたことすら知っていたかどうか怪しい。家も学校もクラブも居場所じゃなかった。それでもノブはよく遊びに来てくれた。うちの家庭状況知ってたから、ガキなりに心配してたんだと思う。

「中学校に入ったら、バンドやりてえな」

 6年生のある日、ギターを弾きながらノブが語った。それを聞いたとき、オレはギターをやめることにした。



 かわりにオレが手にしたのは、ベースだった。ギター弾いていても、ノブのバンドに入れねえと思ったからだ。

 母親が家出するときは、オレに現金を置いていく。これでメシやらなんやらどうにかしろというワケだ。オレはその金を毎回少しずつちょろまかして貯め、中古屋でベースを買った。買う時だけ母親に付き添わせた。その金はどうしたのかと聞いてきたが、おこづかいやらお年玉やら貯めた、と答えたら、それ以上追及して来なかった。正直に言ってやったらどんな顔をしたものやら。


 中学校に入ったオレは、サッカーにはもう興味がなくなった。あんまりいい思い出がなかったからかもしれない。ノブとは同じ中学に入れたけど、クラスは別だったし、退屈だった。

 このときオレがもうひとつはまっていたのが、ヤンキーだった。とはいっても、格好と挙措と言動だけの、なんちゃってヤンキーってやつだ。これやってると、たいがいの奴は近づいて来ない。どうせこのクラスだってオレの居場所じゃないだろうから、変な奴にからまれずにやり過ごしてやろう、と思っていた。


「何読んでんだ?」

 ……オレに、普通に話しかけてくる奴がいた。まあ、落とした消しゴムを拾ってくれたついで、場つなぎ程度だったんだろうが。奴が目にしたのはオレの机に置いてある、当時気に入っていた、かなり昔のヤンキーの改造制服の写真集だった。さすがにカバーはかけてあったが。

 オレみてえなのに普通に話しかけてくるなんて、変わった奴だと思った。

 けど、悪くもないと思った。

 そいつがきっかけで、クラスの男子と、まあまあつき合えるようになった。こっちが興味持ったときくらいしか混ざらねえけど。ま、そんなモンでいいだろう。悪くもない。



 ノブが言ってたバンドは、結成できた。こんなこと考えてんのはオレとノブくらいかなと思ってたら、なんかのきっかけで、別のクラスの男子2人と意気投合した。ひとりは以前ピアノをやっていたという橋本って奴で、もうひとりは頭の中がジャズでパンパンの相葉って奴だった。キーボードとボーカルが確保できた。ドラムが足りねえ。結局どうだったか、ノブが世話になってるらしい、1学年上の先輩を通して、ブラスバンドの部員をひとり紹介された。宮野という奴だった。みんなそろったのは秋くらいじゃなかったろうか。休日に、ドラムセットのある宮野の家にみんなで邪魔した。宮野の家は確か親父さんがいなくて、おっかさんもあねさんも不在のときを選んで集まって、ガンガンに練習した。チームワークが出てきて、それでこれはどこで披露するんだと誰かがたずねたときに、全員で「あ。」と間抜けた声を上げたのを覚えている。練習したはいいが、目標がなかったことに、今やっと気づいたというわけだ。ノブの呆然としたアホ面を、あのとき初めて見たと思う。女子のみなさん、ノブはこんな顔もするんですよ。

 とりあえず地元のライブハウスのサイトを見てみたら、中学生だけでは出演はキビシイことがわかった。演奏を撮影して動画サイトかSNSに上げてみようと誰かが言い出して、スマホで撮影することになった。が、再生して、全員が失望した。オレらこんなにヘタだったのか。自分らで演奏しているとわからないモンだな。客観視というヤツがときにとんでもねえ破壊力を持つことは前から知ってはいたが、自分で食らうとまたひときわ、血反吐ヘドを吐くほど威力がデケエ。その動画はそのまま誰ぞのスマホに封印され、二度と見たいと言い出す奴はいなかった。今は知らねえ。さすがにもう消滅してるだろうな。惜しくもねえわ。



 なんだよただのストレス発散かよ、と半ば腐りかけていたときに、トンデモネエことをやらかす奴が現れた。ソイツは1年生のときに、最初にオレにフツーに話しかけてきた奴だったから、よく覚えていた。2年のクラス替えで、オレとは別の、ノブと同じクラスになってやがった。見かけおとなしそうで地味なんだけど、意外と根性あるなとは思っていた。そいつが、その中学にはなかった文化祭をやろうとぶち上げて、何をどうしたか知らんが、生徒総会の議題にまで持ち込みやがった。スゲエ奴だ。ヘタクソなくせにえらく熱のこもった演説で、つい拍手しちまった。で、その文化祭というかステージには、クラブだけじゃなくて個人の有志で出場できる枠も作ってくれた。つまり、オレらのバンドにも出場できるチャンスができたってワケだ。とりあえずの目標ができて大喜びしたはいいが、オーディションで大コケだったなあ。もっとうまいバンドがいやがった。ま、これは実力不足だからしょうがなかった。そのかわり来年こそは、って気合いが入ったしな。



 中学3年になるあたりから、オレはこれまでにないくらい、ベースの練習に打ち込んだ。現実逃避したかったからだ。いや受験じゃねえ。両親の不仲が決定的になったのが見えたからだ。どっかの愛人が親父の子どもを妊娠したらしい。あーこりゃ終わったな、いやとっくに終わってはいたんだけど、とうとう体裁さえ保てなくなったなって、えらく冷静に分析している自分がいた。母親はオレに向かって今まで二言目には、お前さえいなきゃすぐにでも離婚できたのにって、呪文みてえに繰り返してたんだけど、そんなオレのせいにすんなよって、黙っていたけどウンザリしていた。離婚となれば母親は地元に帰るんだろう。オレはどうするか、少し悩んだ。親父について行くのは冗談でも願い下げだったし、母親にもいい加減愛想が品切れ寸前だった。高校行かなくてもつける仕事を探さなきゃなんねえかなとも、頭の片すみで思いながらも、メンドクサくてベースに逃げた。

 そのせいか知らんけど、3年生では文化祭に出場することができた。やっぱりみんな去年のことが悔しかったのか、それぞれにレベルアップしてた。特にノブのギターなんかは鬼だったな。幸い皆様にご好評いただいたらしくて、とりあえずのフラストレーションは発散できた。



 その後のことは、あんまし思い出したくねえ。オレは地元の、偏差値低めの高校を一応受けて、合格した。けどとうとう母親が、ここから遠く離れた他県の地元に帰ると言い出して、オレの襟首つかんでずるずる引っ張るんだ。時期が悪いぜ。もうちょっと早くしてくれりゃよかったのに。親父の姿はいつの頃からか、見かけなくなっていた。オレはさすがに腹が立ったので、いい加減にしろクソババアと吐き捨てた。おっ、お食事中の方はカンベンな。そしたら母親が鬼の形相になって、ああそうですか息子のオレのことをそんな風に思ってたんですか、と言いたくなるような悪口雑言をマシンガンみてえにたたきつけてきやがった。詳細聞きたくねえだろ? オレも思い出したくねえから省く。で、どう話がついたモンやら、オレはひとまず母親の地元には行くが、母親とは離れて、ばあちゃんの家に居候することになった。親の責任として高校の学費は出してやるということだったので、高校には行っとこうと思ったものの、もう入学試験は終わっていて時期が悪い。オレは1年間浪人生活することにして、バイトに精を出した。正直学校行くより性に合ってる気がしたけど、そこは高校出てないと正式に雇ってくれないんだとさ。


 ばあちゃんは好きだ。可愛がってくれるし、お手製の梅干しは絶品だ。だからオレはばあちゃんの手伝いとか、たいがいなんでもやった。年寄りだしな。オレも料理はそれなりにできるつもりだったが、ばあちゃんに教わった味はやっぱり違う。その後、近くの高校を受け直して3年通った。タルかったけど、留年したら別居する親に何言われるかわかったもんじゃねえから、頑張った。大学は行く気にならなかったし、これ以上金のことで親とつながりたくなかったし、町内の食品会社に就職した。さすがにばあちゃんの家から出勤するのは無理があったから、ひとり暮らしを始めたが、ばあちゃんの顔見たり家の雑用するために、毎週通った。一番の目的は梅干しもらうことだったけどな。就職して2年目か3年目かくらいかな、そのばあちゃんも亡くなった。母親は、自分の親が亡くなったってのに、多めの香典送ってきただけで知らん顔だった。



 ……なんてことを思い出しているうちに、ちょうどアパートの前に着いた。陽太はもう寝てるだろうから、そーっと入らねえとな。リカコさんは仕事で知り合ったヒトで、まあゴニョゴニョがゴニョったわけで、責任取ろうという流れになったワケだ。

 たでーま、と小声で言ってドアをこそっと開けると、もそもそとリカコさんが出てきた。無理しなくていいのにな。リカコさんに、星座に詳しいかと聞いてみたら、どうしたの急に、と驚いていた。ま、当然だわな。


     ◯


 土曜日、オレは陽太をチャイルドシートに括りつけて、車のハンドルを握った。リカコさんには夕方まで、自分のペースで過ごしてもらおう。40分ほども走って、そろそろ山道に差しかかるぞというあたりの、1軒の空き家に着く。2週間でもうこんなに雑草が茂ってやがる。午前中の仕事は決まったな。とりあえず家の窓とドアを全部開けっ放しにして、「ほーれ存分に暴れろ!」と3歳児のリミッターを外す。オレはひと息いれた後、草取りの支度をして、庭にビニールプールを用意してやる。陽太がプールでキャッキャはしゃいでいる間に、オレはそれを見ながら庭の草取りをして、ざっと掃除する。幼児をプールから回収して一緒にシャワーを浴びて、今度はガキが転げ落ちないよう窓を厳選して、残りは閉め、床を掃除する。家財道具はほとんど処分しているので、がらんとした空間だ。代わりに、子ども用のジャングルジムとかボールプールとか、アパートでは使えない遊具を押入れに入れてあるので、そいつを開放して遊ばせ、こっちは掃除の続きだ。ときどきでっけー声で独り言言いながら、陽太に話しかけることを忘れない。ひと段落ついたら昼なので、車から降ろしたクーラーボックスから、リカコさんが持たせてくれた弁当を開ける。うめえ。リカコさんはあんまり料理が得意じゃなかったけど、陽太が生まれてから必死で練習して上達したらしい。オレの母親も最初はそうだったのかなと、少し思う。聞きたくもねえけど。暑いことは暑いが、ここの縁側はいい風が通っていて、エアコンまでは不要だ。食べ終わったら弁当箱を洗う。オレはもうひとつ、車から降ろしておいたものを引っ張り出した。ベースだ。



 ……もう誰とも一緒に弾かなくなって、ずいぶんな年月が経つ。職場の人なんか、オレがベースを弾くことも知らないだろう。あれからノブとだけはずっと連絡を取り合っている。バンドはみんな進学先がバラバラだったので解散となり、ノブは高校で新しくバンドを作って暴れていた。で、卒業した後、東京に行って、プロのギタリストを目指しているそうだ。あいつらしい。けど、もう一緒には演奏できないだろう。オレらの道は違ってしまった。悲しいとかうらやましいわけじゃない。思えば最初から別々の道が、たまたま交差しただけだったんだ。けどこうして、時々弾くだけで、なんかいろいろ、あったかいものを思い出せる気がする。腕落ちたけどな。陽太はオレのベースを気に入ってくれたらしく、弾いていると興味津々で近づいてくる。もう少し大きくなったら、こいつにギターを仕込んでみようと思っている。……ああ、陽太がデカくなったら、親子でセッションしてもいいかもな。こいつがギターにはまってくれれば、の話だが。


 あと30分くらい弾いたら、陽太の子ども用トランポリンにつき合ってやろう。で、片づけて、買い物に寄って、帰ろう。リカコさんと、まだ見ないもうひとりが、うまい夕食と一緒に待ってくれているだろうから。

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