トイレを汚すな!! 〜便所バエに転生した俺、ヤローの小便を引きつけて決して便器からはみ出させない〜
雨蕗空何(あまぶき・くうか)
トイレを汚すな!!
自宅のトイレで滑って転んで便器に頭を突っ込み窒息死、それが俺の最期の記憶だった。
そうして生まれ変わった先が便所バエなのは、ある意味当然のことなのかもしれない。
ただ、生まれ落ちたこの場所は。
(ああ、カーチャン……今日も一生懸命仕事してるなあ……)
大型商業施設の男子トイレ。
天井近くの隙間からこっそりうかがう。丁寧に掃除をしているあのオバチャンは、まぎれもない、前世の俺のカーチャンだ。
(ごめんよぉカーチャン……手塩にかけて育てたこのバカ息子、先立っちまった不幸を許しておくれ)
よよよ、前足を動かして涙をぬぐう。ハエの複眼に涙腺はないけど。
泣きマネはそこそこに、掃除を終えて立ち去るカーチャンの背中を見送る。決意を改める。
(こんな親不孝者が、この場所で便所バエに生まれ変わった意味。今こそ俺は親孝行する。すなわち――!)
人が来る気配。俺は移動する。
天井から小便器へ。ちょうどいい位置に止まる。
はたしてやってきたオッサンは、小便器の前に立つやいなや、俺の姿に目を留める。
そしておもむろに、オッサンはイチモツを取り出し――!
(うおおおおッそうだ俺を狙えェェェ!! だが絶対にかかってやらねェェかかりたくねェェェ!!)
迫り来る黄金の奔流。俺は飛んでかわす。
一滴の水滴もかかるまいと、だがこの小便器から一滴もこぼさせまいと。
黄金のわずかひとかけらさえもこの小便器からこぼさせぬよう、この狭い陶器のテリトリーでギリギリの逃避を行う。
そう、これが今の俺にできる親孝行。
カーチャンのトイレ掃除が少しでも楽になるよう、すなわち。
(トイレをきれいにご利用いただき、ありがとうございます、だッ!!)
黄金の流れが止まる。
俺に当てることができなかったオッサンは舌打ちひとつ。
そしてイチモツをしまい、手を洗って、出ていった。
そう。男たるもの、小便器にて用を足すとき、ちょうどよく止まったハエを見つければどうするか。
狙う。当然狙う。科学的に証明された心理の真理だ。
だから俺は小便器に止まり、ターゲットとして振る舞う。
便器の外に小便をこぼさせることのないように。
(だが絶対に小便をかけられたくはないな。人として終わりそうだ……もう終わってんだけど)
そう考えているうちに、次の来客。
その男の姿をひと目見たとき、俺のハエとしてのシックスセンスがピンと来た。
(こいつ……糖尿病か! つまり小便に糖分が入っている可能性があり、乾くとベトベトしてめんどくさい汚れになりうる!)
男、俺を見つける。狙う。放出。
先ほどのように黄金の一閃が、しかし感じる、さっきよりも一層危険な凶暴さをはらんで。
(この小便! 決して便器の外にこぼしてはならない! そしてまた……決して俺にかかってもいけないッ! 羽がベトベトして、飛べなくなる恐れがあるからだッ!)
飛ぶ。飛び去る。
着地していた地点から離れ、だが外へと漏らさせない方向を小便器の曲率をも計算し導き出し、その上で絶対に自分は被弾しない飛び方を! 模索し算出し実現させる!
(うおおおォォォッ来やがれ黄金水ーッ!! 俺の軌跡が、てめーが通るべき
飛翔! 黄金水、着弾! 小便器に!
はじけて飛び散る水滴のひとかけらすら外に漏らさず、だが自身にも被弾せず、完璧に調和された小水の着弾音はさながら黄金の
危険な黄金爆弾の中を飛びながら、俺は高揚すら覚える! いや小便に興奮してるんじゃなくてうまいことやったった感にね!?
小水を出し切り、男は俺を
勝った。完勝だ。怖いものなしだ。
あの危険な水流もしのぎ切った俺に、もはや苦戦など――
「やっべー漏れる漏れるー!」
「おにーちゃんおれもー! 漏れるー!」
声。子供。二人分。
俺のシックスセンスが、警鐘を鳴らした。
「あーっハエがいるー! 狙い撃とうぜー!」
「一緒に? 一緒にだねおにーちゃん!」
まさか……まさかッ!
(二人同時に……だとォォォーッ!?)
照準を合わせてくるぞうさん。なかよし兄弟ぞうさん。
俺は複眼を稼働させる。周囲全方向、ちっぽけな脳ミソをフル回転させて計算する!
(二方向から襲い来る水流! その両方をかわしながら便器の外に逃がさないことはできるか!?
いや……できるできないじゃない! やるんだ!!
そのための俺の二度目の人生だろッ!! ハエだけど!!)
放出! 黄金の水流……一本だけ! 時間差!
(クソッ! この一本をかわして、次は!?
二人目は、どのタイミングで発射されて、俺の配置はそれを誘導しきれる位置か!?
いったいいつ……来たッ!!)
二本目! かわした直後で高い位置に来た俺を狙う、やや無理のある上向きの軌道!
(この方向はまずい! 下向きに誘導を!
いや……ヤバイヤバイヤバイ、『一本目』が! もう一人の水流が終わってない!
ここで二本目を下げれば……水流が、『交差』するッ!!)
予感。空中で激突する黄金水、炸裂する惨事。
だが、それでも!
(それすらも、コントロールしきってやるぜ!! うおおおォォォッ!!)
急下降!
小便器の表面すれすれをキープし、狙いを奥へ! 小便の交差地点を誘導する!
激突! 水滴の火花! 清浄を踏みにじらんとする黄金の
散らばる不浄なる輝きは、しかし便器から飛び出さない! 俺にかかることもない!
(これで……フィニッシュだァァ!!)
ダメ押しの螺旋飛行!
完全にかわしきり、少年たちの小便は終わった。
「ちぇー当たんなかったー」
「すばしっこいなーこいつー」
残念がって去ってゆく少年たちを、俺は見送る。
悪いな少年。食らうわけにはいかぬのだ。
そしてこう告げておく。トイレをきれいにご利用いただき、ありがとうございま――
「掃除のおばちゃーん! トイレにハエがいたよー!」
子供らに告げられて、掃除のおばちゃんことカーチャンがやってくる。
カーチャンはきょろきょろしているが、俺はすでに天井の隙間に避難していた。
(危ねぇ……見つかるわけにはいかねえよな、今の俺は)
俺はあのカーチャンの不肖のバカ息子、それは揺るぎないが、今の姿は名もなき便所バエだ。
見つかったら文字通り、虫ケラのごとく叩き潰されてしまう。実の息子だなんて思いもせず。
だから俺は、誰にも言わず、見つからず、ただ小便を誘導しきるだけだ。
ほめる人間はいなくていい。ただカーチャンが、少しでも楽できれば。
カーチャンは掃除をして、出ていった。
「バカ息子が……」
そう、つぶやいた気がした。気がしただけだ。
あるいはトイレ掃除をしていて、死因が便器の俺を思い出しただけかもしれない。
きっと、そういうことだろう。
俺の話は、これでおしまい。
ここまで読んでくれたあんたに、ひとつだけ言わせてくれ。
あんたが使うトイレに俺はいないかもしれないが、それでもこう告げておく。
トイレをきれいにご利用いただき、ありがとうございます。だぜ。
トイレを汚すな!! 〜便所バエに転生した俺、ヤローの小便を引きつけて決して便器からはみ出させない〜 雨蕗空何(あまぶき・くうか) @k_icker
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