第2話

 木曽邸からの帰り、ドローンに襲われた。義経たちは間一髪コンビニに逃げ込んだ。

「何でこんな目に遭わないといけないんだ!?」

 恵子は恐れ慄いた。

 

 1960年代から1970年代にかけて無線機の小型化や電子誘導装置が発達したことにより、写真偵察などを目的とするD-21やライアンモデル147 ライトニングバグなどの無人偵察機がアメリカやイスラエルで本格的に開発され、ライトニングバグの基礎となった標的機のBQM-34 ファイヤービーを使って試験的ながら攻撃用途での開発の先鞭も付けられ、マーベリックミサイルの発射実験などに成功していた。


 20世紀末からは画像電子機器や通信機器、コンピュータの発達により、衛星通信により遠隔地でもリアルタイムで操縦と映像の取得、気象条件が良ければ完全自動操縦などが可能となり、対テロ戦争が始まった21世紀からは偵察機型から攻撃機型への展開が行われた。


 2002年12月にスティンガーで武装したMQ-1がイラク戦争でイラク軍のMiG-25と交戦し、互いに対空兵器を装備した有人機対無人機の史上初の空中戦となったが、スティンガーは命中せず、逆に対空ミサイルによって撃墜されてしまった。


「火星人っていると思うか?」と、義経。

「知らないよそんなこと」

「UFOを昔、見たことがあるんだよ」

「源平の合戦の頃からUFOってあったの?」

「正確には虚ろ舟って呼ばれてるんだ」

 

 恵子は虚ろ舟の調査に乗り出した。

 最も著名な事例が後述の享和3年(1803年)常陸国のものであるが、それ以外にも寛政8年(1796年)加賀国見屋のこし、元禄12年(1681年)尾張国熱田沖、越後国今町、正徳年間伊予国日振島、明治16年(1883年)神戸沖などの記録がある。


『風姿花伝』によれば、官人としての活動を終えた秦河勝は難波からうつぼ舟に乗り込み坂越に至ったという。


『折口信夫全集』第三巻に収録されている「霊魂の話」(初出は『民俗学』第一巻第三号・郷土研究会講演、 1929年9月)には、折口信夫や柳田國男のうつぼ舟、かがみの舟に対する考察が記載されている。それによると、うつぼ舟、かがみの舟は、「たまのいれもの」、つまり「神の乗り物」である。かがみの舟は、荒ぶる常世浪を掻き分けて本土に到着したと伝わっていることから潜水艇のようなものであったのではないか、と柳田國男は述べている。


 また、折口信夫は、うつぼ舟は、他界から来た神がこの世の姿になるまでの間入っている必要があるため「いれもの」のような形になっていると説いている。


 虚舟の形状については常陸国の事例の図版が有名であるが、それ以外には虚舟の形状について記述された史料は殆ど存在しない。箱舟と書かれた史料が若干存在するのみである。

 

 7月1日

 長崎男児誘拐殺人事件発生。

 食糧庁が廃止される。

 放送倫理・番組向上機構(BPO)設立。


 藤原は霞ヶ浦を徹底的に調べることにした。

 現場百遍って言葉があるくらいだ。

 北には涸沼があり、南には利根川が流れ、北西には八溝山地の南端にあたる筑波山(標高877メートル)を擁している。周辺は、台地と低地が入り組んだ場所が多く、筑波山は周辺の最高点であるため、潮来市など比較的遠く離れた場所でもよく望むことができる。西浦と北浦の間の大部分は海抜30メートル程度の行方台地となっており、広大な農業地帯である。


 元々は「浦」という名前が示すように海の入り江に由来し、砂州や河川堆積物によって出口を閉ざされたラグーンである。そのため、時期や場所によって塩分濃度に違いはあるものの、かつての湖水は塩分が混じる汽水であった。特に1950年代から1960年代には、下流の河川改修(浚渫)の影響で海水が遡上し、近年では最も汽水化が進んだ時期だった。当時を知る人々にとって「汽水湖」という印象が強いのはそのためである。


 しかし、1963年に治水と塩害防止を目的にして竣工した常陸川水門(逆水門)を利用することで淡水化が進行した。そのため、現在はほぼ淡水湖とかわらない状況にある。

 何の収穫もなかった。


 7月2日 - 小泉首相が北朝鮮の工作船を視察。

 藤原は北浦を徹底的に調べた。

 北浦は面積約36平方キロメートル、海抜高度0メートル、最大水深7メートル。

 潮来市の水原洲吠崎、鹿嶋市の爪木ノ鼻は北浦に伸びて出来た砂嘴である。

 何の収穫もなかった。


 7月3日 - 名古屋鉄道バス(現:名鉄バス)の岡崎営業所の無免許運転隠蔽事件発生。

 霞ヶ浦周辺は筑波山隗を除くとほとんどが台地と低地で構成される平地であるため、古くから農耕地などの開発が進み、それによって追いやられてしまったとされる生物も多い。しかし、その反面クヌギやコナラ、アカマツなどを主体とする二次林を中心に農地や小川・湧水・ため池、そして住居など生活空間を含めた里山のような環境で生きる生き物たち(例えばオオタカやフクロウなどの猛禽類を食物連鎖における最高次消費者とし表徴とするようなもの)を豊かにはぐくんできた。また、入り江から汽水湖、そして淡水湖と姿を変えてきた遠浅で広い海跡湖である霞ヶ浦の存在もその周辺に住む生き物を特徴付ける要因となっている。


 7月5日 - 沖縄県北谷町で中学3年生の少年ら2人が中学2年生を殺害。

 義経は藤原のある秘密を知ってしまった。

 彼は3年前にある事件の加害者を秘密裏に葬っていた。

「バラされたくなかったら俺に協力しろ」

 外観は日本の城の学校に夜、藤原を義経は呼び出した。ヒグラシが寂しげに鳴いている。


 7月7日 - 能登空港開港。

 Nは根来、Aは阿部、Sは佐川、Aは赤坂を意味していたんだ!義経は謎を突き止めた。

「木曽こそが僕に恵子の殺害を依頼した人間だった」

 依頼人は澤井って女性だったが、代理人だったのだ。木曽と澤井の関係までは分からない。

 熱いなか歩いて木曽邸に向かった。

 木曽は逃げてるのでは?と、ビクビクしたが呑気にテレビゲームで遊んでいた。

「あいつらは最低な奴らだ。澤井ゆかりを自殺に追い込んでおきながら、のうのうと生きてるんだから」

 あの女はゆかりの母親だったのか?

「あの日、ドローンで俺たちを襲ったのもあんただよな?」

「依頼したってのに根来をガードするなんて思いもしないよ」

「澤井ってのは恵子から詐欺の被害にでもあってたのか?」

「ああ、あの女はゆかりだけじゃなく母親までも獲物にしてたんだ。奴らのせいで俺は校長や周りの先生から指導不足を指摘されてクビに追い込まれた。佐川はゆかりに自転車を壊されたといいがかりをつけ1000円を奪い、カンニングをしていたことを赤坂に見つかりさらに1000円搾取され、阿部はカンニングしたことを先生に言わない代わりにセックスさせろとゆかりに迫った」

「恵子はゆかりに何をしたんだ?」

「彼女は最初はゆかりの親友だった。高1から高3までずっと同じクラスだった。いじめに遭っても恵子はゆかりの味方をしていた。俺が1番憎かったのは恵子だ。アイツはあろうことかいじめを防げなかった俺に2万要求してきた。アイツの父親は週刊記者だったんだ。さらにいじめを防いだって理由で澤井の母親に3万要求した。恵子はゆかりを庇ったことで、自分までも伊織から上履きを隠されるなどのいじめを受けるようになった。恵子はゆかりを殴ったり、真冬の公園で自慰を強要した。親友に裏切られ、憔悴しきったゆかりは公園の柿の木で首を吊って死んだんだ」

 義経は怒りを覚えた。恵子を一生、奴隷として使うことに決めた。

「逃げも隠れもしない」

 木曽は藤原に逮捕された。

 

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かすみがうら殺人事件 源義経の事件簿① 鷹山トシキ @1982

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