かすみがうら殺人事件 源義経の事件簿①

鷹山トシキ

第1話

 エレガントに殺しを行う源義雄。しかし、彼には殺し屋の名門に恥じないように口煩い母親に厳しく押さえつけられていて、内心は殺し家業にうんざりしている面があった。そんな時、殺しの現場を若者平清範に見られてしまったが、後継者が必要な義雄は清範を弟子にする。義雄は殺しのノウハウや哲学などみっちりと仕込むが、清範はものにはならない。そんなある日、2人はある女の殺害を依頼される。その女は詐欺師の根来恵子だったが、手違いから彼女を逆に悪の組織から守る羽目になる。


 2003年5月5日

 霞ヶ浦高校の同窓会が開かれた。木曽芳雄先生も来ていた。義雄の他には阿部勇、佐川勝、赤坂伊織などのメンツが揃っていた。

 霞ヶ浦は、茨城県南東部に広がる湖。面積は琵琶湖についで日本で二番目に大きい。西浦、北浦、外浪逆浦そとなさかうら、北利根川、鰐川、常陸川の各水域の総体であり、一部水域は千葉県北東部にも跨がる。河川法ではこの範囲を「常陸利根川」という利根川の支川としている。

 約12万年前の下末吉海進と呼ばれた時代、霞ヶ浦の周辺は関東平野の多くと同じく古東京湾の海底であり、7万2千年前ごろの最終氷期の始まりとともに徐々に陸地化したと考えられている。3万年前まで鬼怒川が現在の桜川の河道を流れ、その幅広い谷が西浦の主要部を形作った。2万年前には陸地化とともに出来た川筋によって現在の霞ヶ浦の地形の基礎が形作られた。1万数千年前の縄文海進では、低地が古鬼怒湾とよばれる海の入り江となったとされる。現在霞ヶ浦周辺で多く見られる貝塚はこの時期に形成されたと考えられている。


 4世紀から7世紀にかけて霞ヶ浦周辺でも古墳が築造されるようになり、当時のヤマト王権と手を結ぶような勢力を持つ豪族があらわれるようになる。720年代に書かれたという『常陸国風土記』によれば、霞ヶ浦は製塩が行われ、多くの海水魚が生息するような内海であった。現在霞ヶ浦湖畔の浮島村は、当時は島であり周囲は海水であった。


 その後、鬼怒川や小貝川による堆積の影響から、海からの海水の流入が妨げられるようになり、汽水湖となっていったと考えられている。


 平安時代末期から室町時代にかけての香取神宮文書や鹿島神宮文書には「海夫」とよばれた人々が記されている。海夫は神祭物を納める代替として漁業や水運などの特権が認められていた。一方、中世には常陸大掾だいじょう氏が常陸国府の大掾職を世襲。職名を名字として勢力を拡大していき、戦国時代まで各分家が霞ヶ浦周辺を勢力下においている。その後、北方の佐竹氏が勢力を南下させ、1591年に佐竹義宣が霞ケ浦周辺の地元領主(南方三十三館)を一斉に誘殺し、佐竹氏が周辺域を掌握している。


 江戸時代に入り、利根川東遷事業と呼ばれる一連の事業によって、利根川の水は霞ヶ浦方面にも流れ出すことになった。このことで、利根川を遡り、江戸川を経由して江戸に至るという関東の水運の大動脈が開通する。霞ヶ浦周辺の産物を江戸へと送る流通幹線となり、霞ヶ浦や利根川は東北地方からの物産を運ぶルートにもなっていたため河岸と呼ばれる港は大いに繁栄した。


 一方、霞ヶ浦や利根川沿いの低湿地の開発は近世に入ってからといわれる。利根川東遷事業とともに鬼怒川や小貝川下流域、新利根川の開削とその周辺の新田開発などが大規模に行われるようになっている。


 しかし、1783年の浅間山の大噴火が一つの転機をもたらす。この噴火は利根川の河床を堆積によって急激に上昇させ、利根川の水害を激化することにもつながった。これに対し、江戸幕府は川の拡幅などによって銚子方面へ流れる水の量を増やす工事を行う。これが結果として利根川の霞ヶ浦を含む利根川下流域に洪水を追いやり、水害を深刻化させる原因となる。また、堆積のほか、当時は小氷期とも呼ばれる冷涼な時代で、海水面が低下していたことも一層の淡水化を促すものだった。これらの結果、生息する魚介類も海水から汽水・淡水に生息するものへと変化し、漁業も現在のものに近いワカサギやコイ、フナなどを対象とするものが定着していったと考えられている。


 5月9日 - 小惑星探査機「はやぶさ」、宇宙科学研究所 (ISAS)によって内之浦宇宙空間観測所よりM-Vロケット5号機により打ち上げ。(2010年6月13日、地球に帰還)


 5月19日 - 国立歴史民俗博物館、弥生時代の始まりがこれまでより500年早い紀元前1000年頃からとする説を発表。


 5月20日 - 村上正邦KSD事件の受託収賄の罪で、東京地裁で懲役2年2ヶ月、追徴金約7288万円の実刑判決を受ける。


 5月22日 - プロスキーヤーの三浦雄一郎、世界最高齢(70歳)でのエベレスト登頂に成功。


 5月23日 - 個人情報保護法が参議院本会議で可決され、成立する。


 5月26日- 三陸南地震が発生。最大震度6弱。

 

 26日、旅行先のハワイで、恋人の阿部との別れを決意した恵子。旅行から阿見町の自宅に戻ると、家財道具一切が部屋から持ち出されており、阿部の姿も見えない。そこへ、茨城県警の藤原英雄警部が現れ、阿部の死を告げる。警部によれば、阿部は宝くじで100万が当選し、その代金を持って茨城を脱出しようとしていたが、霞ヶ浦で水死体となって見つかった。

 警察署で阿部の遺品(小さなバッグに手帳、櫛、ケータイ、恵子に宛てた未投函の手紙、偽名のパスポート4通)を受け取り、恵子は警察署を後にする。恵子は阿見町にある自宅に戻り途方に暮れていたが、そこに源義雄が現れ、「阿部の事件はニュースで知った。何か協力できることはないか」と申し出る。


 阿部の葬儀は寂しいもので、出席者は恵子と、恵子の親友でハワイ旅行に同行した赤坂伊織、そして藤原警部だけであった。途中、ハゲた小柄な木曽芳雄、やせた背の高い平清範、大柄で右手が義手の佐川勝が現れ、阿部の柩を確認する。恵子はスパイ機関の武蔵坊慶太からの手紙で呼び出され、阿部の正体は伝説の怪盗『タイタン』という男だと知らされる。阿部は5年前の水戸紛争(栃木と茨城の戦い)中、『ファルコン』って組織に所属して対栃木戦に従事していた。2500万相当の金塊の輸送任務にあったが、葬儀に現れた3人を含めたメンバーたちは金塊を盗まれたことにして密かに地中に埋め、終戦後に山分けすることにし、その後、栃木軍の攻撃を受け佐川が右手に大怪我を負い、散り散りになってしまう中、阿部が独り金塊を掘り返し、持ち去ったのだという。


 阿部が持ち去った2500万の在り処は恵子が知っているに違いないと信じた3人が恵子の前に現れ、「金をよこせ」と脅迫する。義雄は3人の脅迫から恵子を守ろうとする。恵子の信頼を得た義雄が金を独り占めすることを危惧した佐川は、彼女に電話を掛けて彼の正体を知らせる。恵子は義雄をホテルの電話で呼び出し激しく交わった。同じころ、恵子の甥、晶を人質にした3人は、彼女と義雄を呼び出して金の在り処を聞き出そうとする。義雄は「3人の誰かがタイタンを殺して金を独り占めしようとしている」と語り、3人は疑心暗鬼に陥る。5人はそれぞれの部屋を探索するが、途中で佐川が殺され、霞ヶ浦に遺棄される。


 6月25日

 金の在り処を探す中で恵子と義雄は親しくなるが、武蔵坊から「義雄だけはやめたほうがいい」と警告される。義雄は彼女に、自分の正体が源義経だと告げる。

 その夜、何者かに電話で呼び出された赤坂が稲敷の河原で背中を押されて溺れ死にそうになり、清範が行方不明となる。

 

 6月27日

 義経と恵子は木曽の自宅に呼ばれる。ステーキや刺し身をご馳走になる。木曽がトイレに入ってる最中に義経は木曽の部屋に入った。

『NASA』とペンで書かれたメモ用紙を見つけた。

「宇宙飛行士にでもなろうってのかな?」

 義経はつぶやいた。

 

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