第5話 怪我の功名

 沢渡さんとの日常は瞬く間に過ぎて行った。

 アインシュタインが相対性理論をわかりやすく解説するときに言っていたというエピソードを思い出す。


 熱いストーブの上に1分間手を当ててみて下さい、まるで1時間位に感じられる。では可愛い女の子と一緒に1時間座っているとどうだろう、まるで1分間ぐらいにしか

感じられない。それが相対性です。


 瞬く間に過ぎて行った。俺は確かにそう感じていた。つまりはそうなんだろう。

 俺は目の前の野菜を刻む。

 週末のキャンプ場は家族連れでにぎわっている。もうすぐお盆にもなるならなおの事。異動先のメンバーと親睦会という名目でこうして外で肉を焼いて食うことになった。といってもそんなものは建前で、異動先でもちやほやされている沢渡さんに近づきたい男たちの策略なんだろうけど。

「小金井くんも早くこっちに来なよ! みんなもう食べてるよ」

「もう少ししたら行きますんで先にどうぞ」

「とっててあげるから早くおいで」

沢渡さんはここでも忙しい。チームリーダーやほかの女性社員、その他の男性社員に呼ばれて人混みに駆けていく。

 沢渡さんがいたとしても、やはり少しだけあの雰囲気が苦手だった。

「かわいいよなぁ。沢渡さん。スタイルがいいのはもちろんだけど、明るくて活発で、短めの髪もいい……」

 一瞬、自分の心の声とその声がダブって聞こえて焦ってしまい、左人差し指を切ってしまう。

「痛ぇっ……」

「おいおい。なに動揺してんだよ。もしかしてあれ? 小金井も狙ってんの? なんだよライバル多いなー」

 いつの間にか俺の隣で、最近妙に話しかけてくる中井が串に刺さった肉を頬張っていた。肉の焼けるにおいで腹が空く。

「別にそういう目的なんて俺には……」

「聞いてるぞー。本当はお前を誘おうってやつはいなかったらしいじゃん。沢渡さんがお前ぬきじゃ嫌だって言いだしたらしい。ボーディーガードなのかもな。お前、番犬みたいな顔してるし」

「どんな顔だよ」

「そういう顔だ。もっと笑えよ? せっかくこうして御呼ばれされたんだし、大好きな沢渡さんがいるんだからさ」

「だからそういう感情はないって言って……」

「お前、彼女と話してるときだけ表情緩いの気づいてた?」

 どういう表情で何を話すべきか頭が真っ白になってなにも出てこない。

「ホレ見ろ。図星じゃねーか。野菜何て誰かしら切るんだ、お前も行くぞ」

 中井はそう言うと、俺から包丁を取り上げてテント内のまな板において俺の背中を容赦なく押していく。

 向かうは黒船が密集する苦手な空間。でも、あそこには沢渡さんがいる。


「居たか!?」

「いや……そっちは?」

「こっちもいない……やっぱり警察に連絡したほうがいいって」

「私警察に言ってくる」


 沢渡さんが、いなくなった。


 買ってきたものを全部平らげて、かたずけを始めないとならない時間になってから誰も彼女を見た者はいない。

 当初は片付けるのが嫌でどこかに逃亡したのではないかと冗談めいた噂が流れたけど、どうもそういうわけじゃなさそうだった。

 辺りはもう日が沈みかけていて、もし本当に遭難だとしたら早くしないと捜索が伸びてしまう。夏場と言えど、危険は伴う。

 ここから交番までは車で10分。往復している間に日が沈むだろう。

 沢渡さんを狙っている男たちと、中井と俺が森の中に入っていって懐中電灯であたりを探すも痕跡一つ見つけられない。

 電話を掛けようにも沢渡さんの荷物はそのままテントの彼女の鞄にしまってあった。

 みんなあきらめかけていた。いくら呼んでも返事がないからだ。もしかしたらどこかコンビニでも歩いていった……とも考えられなくもない。

「財布も鞄にあった。森にいるのは間違いない」

「でもなんで森なんかに? トイレなら公共のがあるし」

「とにかく探せ。日が沈む前に見つけ出すんだ」

 彼女が森になんの事情があって入って行ったののかは俺も知らない。

「小金井も、そんなとこ探してないでもっと沢渡さんがいそうなところを探せ!」

「……それがわからないから探してるんだろ?」

 俺は集団行動が苦手だ。だから別行動で探してた……わけじゃない。

 匂いだ。彼女の匂いがかすかに風上の方から流れてきたのだ。

「おい! そっちは滝があるだけで沢渡さんはそっちにはいかない」

「ちょっと見てくるだけだから。すぐ戻る」

 どうしてこっちに彼女がいないと断言できるのかわからないけど、俺にはわかる彼女の匂い。彼女の存在が。

 茂みに分け入り、唖然とした……。


 俺が追っていたのは……これか!?


 目の前には滝があり、俺の足元は切り立った崖になっていた。そして、俺と滝との間には鮮やかな花が……。


「うぉっ……!!」

足を滑らせてしまい、尻もちを搗く形で滑走していく。靴やシャツに泥、土、枯葉が入る。痛みも確かにあったけど、滑り落ちると沢渡さんがいた。

「……小金井君」

 驚いた表情の沢渡さんの手にはあの花が。

「私の匂いに近いものってこれかなって……。探しているうちに足滑らせちゃって」

 彼女は足をくじいたらしく、右足を引きずるように歩いていた。

「大丈夫ですか?」

「怖かったよぉぉぉ……」

彼女は俺の腕にしがみついて放さない。

「みんな心配してます。もう少しで警察も来ますから……」

 その日俺たち二人は、近くの枯れ木で暖を取り、初めて二人で夜を明かした。

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ミエナイチカラ 明日葉叶 @o-cean

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