第16話 笛愛づる娘と音霊の神霊
黄昏時の幽玄な藍に染まった空の下。
周りより一つ高い大樹の枝に並んで腰かけた笹と詩野は、仲良くじゃれあうように森の道を返ってゆく兄妹の後姿を眼下に眺めていた。
「本当に、あれだけでよかったのかい?」
詩野はなつかしげに目を細め彼らを見送る笹に、そう問いかけた。
彼らについていけば何年もあっていない両親にだって会えるのだ。
積もる話もあるだろう。
それをわずかな邂逅で終わらせてしまって良いのか、そういう意味だった。
「いいんだ。今おらが行ったら、きっと婚儀どころじゃなくなるもの。里にはちゃんと笛を渡して話せたし、思わず藤太にも会えた。今はもう十分だ」
少し心を動かされたようだが、笹は気負わずに言い切った。
「それに長居もできないしなあ。里の結婚に間に合わせるために他の仕事がおろそかになったから、仕上げるためにすぐ帰んなきゃ」
「妖や、神霊たちからの制作依頼だね。あの時は吹いても壊れないのがうれしくて声の代わりをしてくれる笛がありがたくて、求められるままにふいていたけれど。まさか同じように笛を吹きたがる妖たちが、笛を欲しがるなんて思わなかったんだ」
当時のことを思い出したのか、苦笑を浮かべる詩野に、確かにその通りだと笹は微笑んだ。
まず、詩野に連れられて人外の世界に来て知ったのは、笹の笛を聴き知っていたモノがどれだけ多かったかということだ。
幼いころから森で吹いていたのを森にすむ狐狸妖怪はもちろん、時折名のある神まで聴きに来ていたのだという。
その中に詩野がいたと言われた時は驚いたものだった。
「そのおかげで、おらの作った笛が無駄にならずにいろんなヒトに吹いてもらえて嬉しい。
だけども、確かに売られていった笛が全部妖たちが買っていったなんて思わなかったなあ。父ちゃんのところに来た鬼も、おらが住んでる家は知ってたから笛が欲しくて行ったって。おらが嫁に行ったことまでは知らなかったから、てっきりバカにされたと思って呪ったんだってな。誤解だったとわかった途端呪いを解いてくれてよかったよ」
恨みもわだかまりもなく笑う笹の、人には稀な気質には詩野も救われている。
妖というだけで恐れる人が多い中、危害を加えられかけても相手の事情を聴くだけの度量を持ち、悪気がなければ許してしまえる。
事実、笹が詩野と夫婦になったと聞くなり、山盛りの山菜や川魚とともに頭を下げに来た一つ目の鬼とは今でも漆や藤を融通してもらうなど交流が続いていた。
「私も、吹くたびに無意識に神力が漏れていたのか、笛の音を聞いた妖の傷が治ってしまって、笛に傷を癒す力があるという流言まで流れてしまってとても困った。中には深刻な事情を抱えたモノもいたからね。だけど、このままでは笛欲しさに笹に危害を加えるものが出るかもしれない。だから笹に笛を作ってもらって、私がそれを吹いて神通力を少し移してどうしても必要な妖にだけ渡していたんだ。そうしたら神格まで上がってしまった。何度も申し訳ないと思ったんだけどやめるわけにもいかず、すまなかった」
しょんぼりと肩を落とす詩野を笹は肩を叩いて慰めた。
「それは何度も謝ってもらったしもういいよ。それに毎朝笛の代わりの置いてあったいろんなものは妖たちからの贈り物だったんだろう?十分お礼はしてもらってるし、そんだけ喜んでもらえることをした詩野が偉くなるのも当たり前だよ」
もう何度も繰り返されたやり取りで、あれは詩野のために作った笛なのだから詩野が好きにしていいのだと笹は答えた。詩野はそうは思わないらしく、相変わらず笹に事情を話す間もなく笛を無断で譲渡したことを悔やんでいる。
だが、そのころの詩野は神格が上がったばかりで霊威をうまく扱えなかった。人の身の笹では抑えきれない霊威にあてられて良くて気を失うか、悪くて寝込むことになっていただろう。
ならば、寛二郎と飲み比べをして約束を取り付けたように詩野の位を越えた友である竜神、水葉に頼めばよかったのではと思ったのだが、それは詩野が難色を示したらしい。
昔、笹がその理由を尋ねたところ、
”一目会って、笹が水葉に惚れてしまう可能性を避けたかった”
と大真面目に言われて真っ赤になってしまったのはご愛嬌だ。
そんな小さな可能性まで潰してしまいたくなるほど笹に惚れていたといわれれば、もう何も言えない。
笹の慰めに少し立ち直った詩野は美しい満月を見上げて、あの時のことを思い出していた。
「あの夜、声を奪われて辛くて悲しくてどうしようもない気持ちだった。そんな時、木霊の仲間に連れられて聴きに行った笛を思い出したんだ。まるで川のせせらぎや梢のこすれる音に寄り添うような音色で、不思議と幸せで穏やかな気持ちになれた。それでまた森の笛を聞こう。そうすればこの痛みも癒えるかもしれないと、笛が吹かれるまで待つつもりであの森まで行ったんだ。そうしたら吹き手本人が泣いているものだから、声をかける前はかなり慌てていたのだよ?」
「おらも、いきなり綺麗な男の子が泣いていて吃驚して怪しむ間もなかったなあ」
「……笹は笛を吹けばいい、と言って笛を差し出してくれたけれど、声が封印されて霊威が弱まっていたとはいえ、神の私が吹けば、人の作った楽器では負けて壊れてしまうと思ったんだ。なのに、全くそうはならなくて、しかも神通力までつかえた。あれほどうれしくてありがたいことはなかったんだ。私が私でありさえすれば、声でなくても音はこたえてくれる。だから笹の笛は特別なのはもちろん、それを教えてくれてた笹はその時から大切な人になったんだよ」
唐突な愛の告白は、毎回されても慣れるものではなかった。
笹は頬を染めながら、気恥ずかしさを紛らわすために唐突に思い出したことを尋ねた。
「そ、そういえば、初めに渡した笛は壊れてしまったって言ってたな」
「ああ、紫陽花の姫が声を封じていた呪を解くために、声と同じくらい霊威のあるものが必要だと言われてしまって、泣く泣くあの笛を差し出したんだが」
笹と言葉を交わすために声が必要だったとはいえ、究極の選択だった。とまた泣きそうな顔になった詩野に笹はしまったと思ったが、好奇心のほうが先にたった。
「あの笛の名前って、結局なんてつけたんだ?」
途端、詩野の様子が一変した。
「そ、それは……」
白い頬を薔薇色に染めた詩野は、ためらうように視線を泳がせていたが、笹の好奇心いっぱいの視線に負けて、そっと口にした。
「その、”小竹(ささ)”と」
「へっ……?」
すい、と通力で宙に書き出された文字に、笹は呆然と見入った。
詩野に文字を教えてもらい、簡単な読み書きはできるようになっていたから、その単語が、どんな意味を持つのかよく分かってしまった。
「笹からもらった大事なものだったし、名をつければ笹を傍に感じていられそうだったから、音と意味を借りたんだ」
今度は笹が顔を真っ赤にしてうつむいた。
笹が恋心を自覚しないうちから、詩野は笹のことを想っていてくれたのだ。
これが嬉しくないわけがない。
わけがないが気恥ずかしくて顔を合わせられなかった。
それをどう勘違いしたのか、詩野が不安げに覗き込む。
「笹、気を悪くしたかい?」
「いや、そうじゃなくて、恥ずかしいだけなんだけど……」
言葉に嘘がないのは見るからにわかり詩野は安堵したのだが。
恥じらいながらも顔をあげた笹の言葉に目を見張った。
「お、おらも負けないくらい好きだからな」
言った瞬間笹は、ぼっと音を立てる勢いで顔を赤らめた。
そういえば、いつもはにかんでばかりで、詩野にきちんと想いを伝えたことは少なかった。
こんな時でもない限り言えない気がして思わず口にしたが、詩野が、こちらを凝視したまま固まってしまったのに戸惑った。
「詩野……?」
「笹がそんな風に言ってくれるなんてうれしいな」
不安になって呼びかけた途端、詩野は花が綻ぶような笑みを浮かべて笹を抱き寄せた。
「ありがとう。私も幾久しく愛しているよ」
「……詩野の言葉は熱烈すぎる。おらの心の臓が持たねえよ」
「そうかい?」
きょとんとする詩野に、まだ顔の赤みが収まらない笹はそそっと詩野の腕から抜け出た。
「笛、吹いてくれないか。そっちのほうがずっといい」
「じゃあ、愛をこめて吹こうか」
抜け出されて残念そうに瑠璃の瞳を曇らせた詩野だったが、笹の提案に嬉々として懐から笛を取り出し、唇を当てた。
恋々とした甘い音色に、やはり笹の心臓は落ち着かなかったが、ずっと心地よく受け止められた。
詩野の手を取って十年。すべてが順調だったわけではない。
人と神の婚姻なんて、困難があって当然だった。
それでも戻りたいとおもわなかったし、楽しくうれしいことしか思い出せないのは、詩野がいつも共に居てくれたことと、笹の為に吹かれる笛には必ず恋慕の情が織り込まれていたからだろう。
詩野の冠する”音霊”の名の通り、この想いは変わることがないと、言葉なき想いを吹くたびに聞かせてくれたからだ。
詩野とほほ笑みあい、笹は大きくなった二人の弟妹を思い出し、そっと胸中で呼びかけた。
里、想像してたよりずっときれいになったな。藤太も立派になった。
嫁さんもらうときはきっと会いに行くからな。
……藤太、里。父ちゃん母ちゃん。弟たち。
姉ちゃんは勝手をしてしまったけど、後悔はしてないよ。
笛を作って喜ばれるのは嬉しいし、何より
詩野と居られて幸せだ。
笹は甘い音色に包まれながらうっとりと目を閉じた。
笛愛づる娘と音霊の神霊 道草家守 @mitikusa
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