素直に御利益を受けなさい!

黒っぽい猫

第1話 御利益、欲しいでしょう?

ある日、義母が私たち一家の住む家にやってきた。


義父母の家と私たち一家が住む家とは1キロほどしか離れていないので義母はときどき孫の顔を見に来ていた。なので今週の土曜日の午後2時に行くからと言われても不自然には思わなかった。しかしその時は妙に真剣な声で大事な話があるから必ず夫婦二人そろって待っているようにと念を押された。大事な話?かすかな違和感があった。夫に明日の予定をきくと特に何もないとのことだったので、義母の大事な話とやらを夫婦そろって聞く約束をした。






翌日、義母は誰かと一緒に我が家にやってきた。義母と同年齢か少し若いくらいの女性だった。玄関のドアを開けて招き入れるとその女性はいきなり玄関に飾ってあった造花に目をとめ満面の笑顔で褒めた。


「まあ、綺麗なお花!奥さまが飾られたのですか?」


私はちょっとびっくりして、同時に恐縮した。


「いえいえ、そんなたいしたものではありません」


それは百円ショップで買ってきた造花の盛り合わせだったからである。夫が玄関に何もないのは殺風景だと言うので百円ショップで見かけた造花を5本ほど適当に買ってきて私が花瓶に刺しておいたのである。ちなみに花瓶も百円ショップで買ったモノだった。


大事な話だというので義母と女性を座敷に通した。部屋は午前中に掃除してきれいに掃除しておいたが来客は義母だけだと思っていたので座布団がひとつ足りなかった。上座に座布団を追加して私と夫は義母と女性と向かい合う形で四角い座卓に向かい合った。私はその女性とどこかで会ったことがあるような気がしてたずねた。


「あの、どこかでお会いしませんでしたか?」


「そうですか? わたくし、石井と申します」


私は以前に義母に誘われて一度だけ教会のチャリティーバザーにお手伝いとして参加したことがある。そのときにバザーを取り仕切っていた女性だと気が付いたが、石井さんは気づかなかったようだった。その時に義母が石井さんに丁寧に頭を下げて挨拶していたのも思い出した。間違いない。バザーの責任者をしていた女性だった。


石井さんはどこの石井とも名乗らずただ名前だけを言い、それから座敷をぐるりと見渡し床の間の掛け軸に目をとめるとまた満面の笑顔で言った。


「まあ、立派な掛け軸!綺麗な鯉ですこと! ご主人様がお好きなんですか?」


私と夫は顔を見合わせてちょっと気まずい雰囲気になった。その掛け軸は義父が我が家に来たときに床の間に何もないのを見て「掛け軸くらいはかけておけ」と言われたので楽天で買った8千円の安物だったからである。もちろんホンモノの絵ではなくただの印刷。8千円のうちのほとんどが表装代だろう。


「いえいえ、そんな褒めていただくようなモノではありません」


夫が頭をかきながら恥ずかしそうに答えた。鯉の絵柄にしたのはそれが一番安かったからである。私も夫も別に鯉が好きでもなく、鯉の絵柄にした理由は値段が安かった以外には何もなかった。


石井さんはなお座敷を見まわして今度は壁にかかっている仏像の絵に目をとめ、また満面の笑顔で大きな声で褒めた。


「まあ、あれは仏像の絵。ご主人様は仏教を信仰していらっしゃるのですね!」


夫はまたまた恥ずかしそうに眼を伏せてボソボソと言った。


「ああ、あれはネットで見つけた絵をプリントアウトしただけです。信仰とかは特にないです」


そのとおりだった。掛け軸は一応通販で買ったが、座敷の壁に掛ける絵まで買うと出費がかさむのでケチって夫が和室に合いそうな画像をダウンロードしてコピー用紙にプリントアウトしただけのモノだった。ちなみに額は百円ショップで買ったモノである。


石井さんは他に褒めるモノはないかと座敷を見まわしたが、床の間には置物のひとつもなくそれ以上褒めようがないのであきらめたらしくようやく夫に向かって話し始めた。






「ご主人様、今、なにか悩んでらっしゃることはありませんか?」


は?いきなりナニ?私は思った。まるで占い師のような言い方だった。夫もそう思ったらしくキョトンとしている。


「お仕事のこととか、子供さんのこととか、いろいろ大変でしょう?」


夫は質問の意図がわからないらしく返答に困っている様子。


「はあ。そうでもありませんけど…」


石井さんはちょっと前のめりになって夫を見つめ、深刻そうな表情でかさねて言った。


「悩み。おありでしょう? 仕事や子供のことで」


夫は元来のんびりしていてあまり深刻に悩むほうではなかった。


「悩みですか?うーん、なくはないですけど今は仕事にも家族にも恵まれていて幸せだと思ってます」


石井さんは夫の言葉を聞いて驚愕したように大げさにのけぞり、座布団の後ろに左手をつき右手で口をおおった。大きく見開いた目が夫をガン見している。


「幸せ? なんと、悩みがない? 今すべてが幸せだとおっしゃる?」


「ああ、いえ、すべて幸せというわけではないですが、今の生活に満足はしてます」


夫は石井さんの態度の豹変に驚きながらもかろうじてコクコクとうなずいた。


「満足!? すべてうまくいっていて悩みがないと!」


夫はあわてて顔の前で手を振りながらちょっと狼狽した様子。


「いや、だからすべて満足ではないけれど、まあまあ満足で特に不満はないということです」


石井さんはのけぞった姿勢のままさらにおどろいて両目を見開いて言った。


「今の生活に完全に満足っていうことはないはずでしょう!?」


そこまで言われて夫は少しムッとした顔になった。


「今の生活に満足しちゃいけないんですか?そりゃ仕事も家庭も完全無欠に満足ってわけじゃないですけどそこそこうまくいってます。人生そこそこうまくいけばそれでいいと僕は思ってるんです。だから今の生活に満足だと言ってるんですけど。それじゃダメなんですか?」


温厚な夫の思わぬ反撃にちょっと気おされたのか、石井さんは姿勢をもとに戻し、方針を変えたのか驚いた顔を元の笑顔に戻した。そして今度は身を乗り出して言った。


「でも今よりもっと満足したいと思いませんか?今の生活よりもっともっと幸せになりたいとは思いませんか?」


夫は首をひねってちょっと考えてから答えた。


「うーん。もっと幸せに、ですか? 僕は今のままでいいですけどね」


石井さんはさらに身を乗り出しぐんと顔を近づけてこんなことを言った。


「ご主人様はもっともっと幸せになれるんです。神様はご主人様にもっともっと幸せになってほしいと願ってらっしゃるんです。そんな神様が御利益を授けたいたいとおっしゃってるんです。御利益を受けたいとは思いませんか?」


「御利益ですか?いやあ、やめときます。これ以上幸せになりたいだなんて贅沢だと思いますから。仕事がまあまあうまくいって家族が健康ならそれ以上望むモノはありません。今の生活に不満を持ったらバチが当たります。僕は今のままで十分です」


夫らしい答えだった。私も同感だった。はあ?それにナニ?急に神様がどうとかこうとか。御利益?ナニソレ?大事な話ってそんな話だったの?私はなにか強烈な胡散臭さを感じた。義母は口をはさまず、夫と石井さんの顔を心配そうに交互にうかがっている。


「はあ~。ご主人様は何もわかってらっしゃらない。神様はご主人様とご家族が今よりもっともっと幸せになることを願ってらっしゃるんです!神様が御利益を下さるとおっしゃってるんですよ。素直にお受けになればいいじゃないですか!」


石井さんは眉間にシワを寄せてあきれたようにわざとらしく大きなため息をつき、子供をさとすような口調で言った。


「イヤイヤ、欲をかくとロクなことはないですから。この年で運を使い切るのも怖いですし、遠慮しておきます」


結局、夫は神様の御利益とやらを固辞して押し問答となり、石井さんはがっかりして帰っていった。義母は石井さんに申し訳なさそうに気を遣い、振り返って私たちをひと睨みして玄関を出て行った。







それから数週間後、床の間に大理石の壺が置いてあるのに私は気づいた。


「あのツボ、なんなの?」


「ああ、あれか。おふくろが来て無理やり置いてった。御利益の壺だと」


「はあ? もしかしてこの前に石井さんが言ってた神様の壺?」


「らしいな。俺たちが断ったからおふくろが代わりに買ったらしい」


「で、いくらだったの?」


「さあ、知らん」


竜のレリーフのある白大理石の壺は、今も床の間にでんと居座っている。撤去したいが義母がときどき来るので勝手なことはできない。夫の話だと義母の家には大理石の壺が何個もあるそうだ。あれから10年以上になるが、果たして御利益とやらはいつ来るのか?今のところ特に御利益というほどのことは何もない。






おわり。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

素直に御利益を受けなさい! 黒っぽい猫 @udontao123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ