ハンカチ

ハヤシダノリカズ

ハンカチ

「例えば、0.1グラムでも軽くする事に大きな意義のある宇宙探査ロボットであれば、どれだけ余白をなくし、最も合理的な詰め込みデザインをするか、というトコロに腐心する必要があります。地球の重力を振り切って宇宙に出るロケットのコストにそのまま跳ね返りますからね。宇宙に打ち上げるモノは軽さこそが正義って側面があります」

 オレは黒板の前でやる気なさそうに話す年老いた教授の話をぼんやり聞いている。この【プロダクトデザイン序論】のコマは、「単位が取りやすい」という面で人気で、「講義がつまらん」という理由で不人気な講義だ。

「日本の白物家電と呼ばれる数々のものが、外国での競争力を失い、外国の新興メーカーにどんどん市場を奪われてきたその背景には、余白部分を残したまま製品にする事の恐れに取り付かれたが故だと私は考えています。デザイン的な余白も、便利な機能を敢えてつけないという余白も、日本のメーカーはそれを悪だと捉えてしまう感性に支配されてしまった。まぁ、シンプルな製品だと、差別化が図れませんし、また、シンプルで安価という市場で勝負するには日本は不利な材料しかないですからね。新興国でシンプルで安価な新興メーカーの商品との勝負は負けが必然だったのかも知れません。必敗の理由しかなかった」

 バブルと呼ばれる時代の大学の講義でも、こんな不景気で辛気臭い事をやっていたのだろうか。いや、バブルに浮かれていた当時の大学生たちはこんな役に立たなそうな講義を真面目に聞いていたはずがない、か。

「しかしですね。日本の文化とは、余白を見せる事を良しとする、そして、余白で空間の広がりを表現するという特徴をそもそも持っていたんですよね。日本画もそうですし、江戸時代の大衆向けの版画もそうでした。また、瀬戸物……陶器の絵付けなんかも何も書いていない部分の美というモノを大事にしていました。ですから、今の日本のプロダクトデザインの余白のなさ、余裕のなさというものがどうにも解せないといいますか、そんな思いがあるのです」

 余白がない、余裕がない……か。それは仕方がないよ、先生。先生が小学生だった頃って、【やる事が何にもない、でも、友達との時間は山盛りあった】時代でしょ?オレ達の小学生時代って、塾や習い事で空白の時間を子供に持たせない事が親たちの正義だったんだぜ。そして、おそらくは先生、あなたのちょっと下の世代あたりからきっとそんな感じだったんだ。余白のない余裕もない子供時代を過ごした人間ばかりになりゃあ、余白や余裕のないデザインが生まれるし好まれる。たぶん、そういう事じゃないかな。古い校舎の中講義室の後ろの方の席で、オレはそんな事を考える。口に出したりはしない。口にする理由がない。講義二コマ目の終わりを告げるチャイムが鳴り、オレは講義室を出る。

 友達もいなけりゃ、もちろん恋人もいないオレの大学生活は言わば余白だらけだ。幼少期にもっと欲しかったこの時間的余白は、今になって突然与えられても持て余してしまう。いつだったかテレビでチラッと見た昔の日本を描いたノスタルジックな色調の映画の中では、子供たちがみんな時間を持て余していたし、その持て余した時間を共有する事で友情が育まれていた。そんな描写があった。それに対して、オレ達の幼少期って、余程意識して空き時間のタイミングを合わせなきゃ、友達と遊ぶことなんて出来やしなかった。みんな、何かに忙しかった。

 今更、時間的余白だけを与えられても、オレはただ一人でその時間を持て余す事しか出来ない。なんだよ、これ。

 いつも大声で喋っては笑っているヤツラがこの大学構内にはそこそこいる。音量と群れの体積で彼らは目立つが、彼らのやっている事が楽しそうには見えないし、いつも一人で歩いているオレのような学生も多い。彼らに擦り寄って良い事がある訳じゃなさそうだけど、突然話しかけてもちゃんと受け答えしてくれそうなコミュニケーション能力をたぶん彼らは持っている。突然話しかけられてちゃんと受け答えできる能力が、オレやいつも一人で歩いている学生にはあるのだろうか。

 そんな事を考えながら歩いていると、数メートル前を歩く女子がハンカチを落とした。その子はそれに気づいていない。すると、その子とオレの間を歩いていた男子学生がさっと拾って、彼女に声をかけ、手渡した。それまではただ前後に並んで黙々と歩いていただけのその二人は、そこから訥々と話をし始め、少しずつだけど親密度を増すかのように声のトーンが上っていく。なんだよ、それ。さっきまでは前後に並んで重い足を前後に動かしているという共通点を持っただけの他人同士だったはずじゃないか、オマエラ。なのに、なんだ。ハンカチ一つでそんなにも仲良くなれるのかよ。


 あぁ、ハンカチを落とす、ハンカチを拾うって行動は、なんて言うか、余白なんだな。


 オレにはそんな余白すら、ないんだ。

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