後編

 川の上流へ向かって森の中を進んでいくと再び開けた場所に出た。そこは家が五軒ほどまばらに建つ集落だった。その内の一軒に入って行く。

 家は平屋で昔ながらの囲炉裏を囲む畳敷きだ。土間には台所があり、おばあさんはそこへ川で洗った野菜を置く。

 そこには現代では失われてしまった古き日本の生活様式が色濃く残っていた。


「ここにおばあさん一人で住んでるんですか?」


「あぁ、そうだよ。隣の家に住んでた爺さんも少し前に亡くなって、それからはずっと独りさ」


「大変じゃないですか? 食べ物とか日用品とか」


 ここから街までは山を下って三時間だ。車などがある様子も見られないし、そもそも車道が引かれていない。一体どのようにして暮らしているのだろう。


「食べ物は全て山からの恵みでまかなってるのさ」


 そう言うと家の裏にある畑を見せてくれた。この集落の中で一番広く面積を使っているのは、この畑だろう。キュウリやナス、キャベツなど様々な野菜が育てられていた。


「これだけ広い畑を一人で見てるなんて凄いですね」


「あっはっは、慣れだよ、慣れ。それに私もまだまだ元気だからねぇ」


 そう言うと、おばあさんは畑の中へ走っていき、赤々と実ったトマトを二つもぎ取り、戻ってきた。呆気に取られていると、大きく実ったトマトを押し付けるように手渡された。断る隙もありはしない。


「ほぉら、食べてごらん。美味しいよぉ」


 手渡されたトマトを見てから、振り返って先輩の方を見る。すると、即座に手振りで拒否された。おや、先輩はトマトが苦手なのかな。

 せっかくなのでかぶり付く。採れたて新鮮なトマトはみずみずしくて、噛むほどに果汁がこぼれだすジューシーな味わいだった。


「美味しいですよ、先輩」


「いや、私は大丈夫だから全部キミが食べていいよ」


 そう言う先輩の顔は少し青ざめていて顔色が悪そうだった。


「体調が悪いんですか? だったら家で休ませてもらいましょうよ」


「おんやぁ、熱にやられたかね。さぁさ、家の中へお入り」




 先輩が囲炉裏の脇で休む中、おばあさんと一緒に夕飯の準備をした。ご厚意で泊まらせてもらえることになったとはいえ、何もしないというのは気が引ける。そう申し出たところ、夕飯の準備を手伝わせてもらうことになったのだ。


 夕飯は白米に採れたての野菜を使った味噌汁、それから山菜のお浸しだった。現代の食事に慣れ切った身としては質素に感じるけれど、食べてみたら驚いた。どれも非常に美味しいのだ。


「すっごく美味しいですよ!」


「おや、そうかい。嬉しいねぇ」


「何が違うんですかね。やっぱり採れたての野菜だから美味しいのかな」


 疑問に思いつつもパクパクと食が進み、あっという間に平らげてしまった。

 食後の余韻に浸っていると、何か真剣な眼差しをしている先輩が目に入った。彼女はコップに入れた水を見ている。それから小さく呟いた。


「……たしかに美味しかった。野菜も水も普段食べているものとは別物みたい」


 先輩がそう零すと、おばあさんは静かに語り始めた。


「ここいらでは山で採れた恵みと山から湧き出た水を『脈々のたまわり物』と呼んでいるんだ。どうしてそう呼ぶかって言うとね、神様は自身の身体の一部を人々に与えて下さっている、と信じられているのさ。つまり、私たちは神様を食べているんだよ」


「か、神様を食べている、ですか。なんだか罰当たりな風に聞こえますけど、神様は自分の体の一部を食べられても大丈夫なんですかね?」


「あっはっは、それは大丈夫さ。神様は人が好きなんだ。美味しい美味しいって言って食べてあげることが一番の慰めになるんだよ。……だからね、忘れ去られっちまうことの方が辛いんじゃないかねぇ」


「忘れ去られる……」


「この村も人は全然いないだろう。人は皆、栄えた平野へと下っていく。それは便利な世の中だから仕方がないのかもしれない。だけれどね、せめて忘れないであげて欲しいんだよ」


「そっか、たしかに忘れ去られるのは悲しいですもんね。分かりました、任せて下さい! 僕らは郷土文化史研究会の一員ですから、文章として、この土地、この集落の伝統を書き残しておきますよ」


「本当かい? それは嬉しいね。ここへ招いた甲斐があったよ」


「え……?」


 突然、世界がグルグルと周り、上下の感覚が失われた。もはや、自分はきちんと地面に座れているのかも分からない。目に映る景色がグルグルと回る。そうして、やがて目の前が真っ暗になった。





「おい、起きろー!」


 聞き覚えのある女性の声とともに身体を揺さぶられる感覚に襲われる。

 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。目を覚まして周囲を見回す。陽の光が差し込んでいる以外は昨日見たのと同じ、昔ながらの平屋である。腕時計を見ると、すでに朝の七時を回っていた。


「あれ、おばあさんは?」


「どこにも居なかった」


 先輩はポツリと答える。

 どういうことだろう。目が覚めたらおばあさんがすでに居なかったということだろうか。それなら畑にでも行ったのかもしれない。

 寝惚けまなこを擦りつつ、フラフラとした足取りで家の裏にあった畑へと足を運ぶ。



 畑は無かった。

 昨日まであったはずの美味しそうに実を付けていたトマトやナス、キュウリといった野菜が跡形もなくなっていたのだ。


「あれ、全部回収しちゃったのかな?」


「違うでしょ。どう見ても数年は手を入れてない荒れ方じゃないか」


 先輩は冷静に畑の様子を見て告げる。

 そんなことってあるだろうか、昨日確かに見たはずなのに。でも、目の前に広がるかつて畑だったものは雑草が好き放題に伸び、荒れ果てていた。


「こっちに来て」


 先輩に呼ばれるまま、後を付いて行く。集落の中にある家々はどれも荒れ果てていた。まさにオカルト誌に書いてあった廃集落そのものだ。

 その内の一軒に入る。畳の痛み具合や埃の積もりようを見るに、もう人が住まなくなって何十年も経っているように見える。

 そんな中に小さな神棚があった。神棚の前には和紙が置かれ、手書きで何事か書かれている。先輩は煤けて読めない部分を飛ばして紙に書かれた文章を読み上げた。


「……様と一族の繁栄を永久トワに願ふ。脈々のたまわり物への感謝とともに」


「それって昨日おばあさんが言ってたのと同じ……?」


「どうやら、この集落では食べ物が神様の一部を授かっているという信仰は本当にあったみたいね」


「それじゃあ、昨日の出来事は夢じゃないってことですか」


 でも、だとしたら今目の前に広がる荒れ果てた廃集落はいったい何なのか。


「分からない。もしかしたら、二人して集団幻覚を見たのかもしれない」



 そんなわけないと先輩も分かっているのだろう。足早に僕たちは廃集落を後にした。


 それから大学に戻り、改めて研究成果として、あの集落のことを纏めた。オカルト誌に書かれていた通りの道順で進むとそこにあった廃集落。そこに残されていた信仰の痕跡。

 このことを纏める時に僕たちが体験した不思議な出来事は含めないことにした。どうせ信じては貰えないだろうし、余計に陳腐な印象を与えてしまうと思ったからだ。


 だけど、おばあさんと約束した通り、人々の記憶から忘れ去られないように、残されていた信仰だけは書き記しておいた。

 このレポートを読んだ誰かが再びあの山を登るかもしれない。そうしたら、おばあさんは来訪を喜んでくれるだろうか。それに関しては後世の研究者に任せることとする。



 終わり

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郷土文化史研究会がゆく~信仰の痕跡、脈々の賜り物~ かなぐるい @kanagurui

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