郷土文化史研究会がゆく~信仰の痕跡、脈々の賜り物~

かなぐるい

信仰の痕跡、脈々の賜り物

前編


 うだるような夏の日差しから隠れるように、木陰をのそのそと歩いて行く。

 山奥へと続く道路は舗装されているとはいえ傾斜の急な坂だ。この坂道によって一歩踏み出すたびに脚への疲労が着実に蓄積していくのを感じていた。


「早く登って来ーい!」


 辺りを包み込む蝉時雨せみしぐれにも負けないくらい元気一杯な女性の声が道の先から聞こえる。

 顎に伝った汗を手の甲で拭うと、目を細めて道の先を見る。そこには腰に手を当てて待つ先輩の姿があった。

 インドア派なので体力に自信は無かったけれど、この暑さの中いつまでも待たせるわけにもいかない。気持ち足早に坂道を駆けていった。


 坂の頂上まで登り切ると乳酸の溜まった脚が悲鳴を上げる。思わず、その場で膝に手をつき、肩で息をした。

 荒い呼吸のまま登り切った先を見回す。見える範囲の道路上には木陰が無かった。直射日光が首筋をじりじりと焦がすのを感じる。木陰を求めて歩を進めたいけれど、今は水分補給が先だ。

 リュックから水筒を取り出すと、麦茶を口に含んだ。とうに氷は溶けてしまったようで若干生温い。それでも喉の渇きを癒すことができ、呼吸も落ち着いてきた。

 先に坂の上まで辿り着いていた先輩へ向き直る。


「はぁ、はぁ……。先輩、早いですよ」


「いやいや、キミが遅すぎるんだよ。郷土史を知るにはフィールドワークが必要不可欠なんだ。このくらいでへばってちゃやってられないよ」


 先輩はまだまだ元気あふれる様子でご高説を垂れている。しかし、指摘の通り体力の低さは今後の懸念点だ。今後も、この体力お化けな先輩に付き合わされることを考えると何か運動でも始めた方が良いかもしれない。

 そんなことを思いつつ、スタスタと先へ歩き始めた先輩の後を追う。坂を上り切った後に続く道は緩やかな下り坂になっており、周囲を背の高い木々が生い茂っていた。


「こんなところに本当に廃集落なんてあるんですか?」


「さあ、どうかな。でも、一緒に調べた資料には載っていただろう」


「資料と言っても、アレは正規の郷土資料じゃなくてオカルト誌ですよ」


「オカルト誌だからと言って嘘かは分からない。一緒に真偽を確かめようじゃないか」


 そのまま、こちらを振り返らずにズンズンと突き進んでいく先輩を慌てて追い掛ける。

 まさか貴重な夏季休暇を、こんな有るのか無いのかも定かでないオカルト誌の噂を確かめるために費やす羽目になるとは思いもしなかった。


 こんな山奥へ訪れたのにも理由がある。『郷土文化史研究会』。それが所属しているサークルの名前だ。

 そのサークル活動の一環で、夏季休暇中にテーマを一つ決めて、郷土文化史に関する研究成果を上げるという課題を出されていた。


 基本的に研究はグループ単位で行う。そんな中、今一緒にいる女性の先輩は誰ともグループを組めていなかった。その時は新入生ながらに何故だろうと思ったのを覚えている。

 他のサークルメンバーとも普通にコミュニケーションを取っているし、孤立しているという訳でもない。もっと言えば顔も美人だ。男子なら誰しも一緒にグループを組みたいと思う程度には整った顔立ちをしていた。


 そんな不思議な先輩に目を奪われている内に、ピンとくる研究テーマも見つけられず、グループに入る機すら逸した結果、先輩と抱き合わせにされ、一緒のグループにされてしまった。そして、一緒のグループになった結果、何故他のメンバーから避けられていたのかを思い知ったのだった。



 先輩に手を引かれ、ホイホイと付いて行き、気付けば山を登っていた。O県Y市に連なるデヌア山脈である。この真夏日に山登りをする羽目になるなんて、サークルに入った時には思いもしなかった。

 この山脈は令和の時代に入ってなお、人の手がそこまで入っておらず、ほうぼうに人口二桁の集落が点在する地域だ。すでに住人の居なくなった集落も探せばいくらでもあるだろう。オカルト誌が好き勝手言える土壌が揃っている土地というわけだ。


「本当にあるんですかね」


「その話はさっきもした」


「違いますよ。集落の話じゃなくて、御神体の方ですって」


「……それは行ってみるまで分からないな」


 しばらく坂道を下っていき、途中で舗装されていた道路を外れる。

 目印は小さな道祖神どうそじんだ。何でもない一本道に突然ポツンと置かれているため、なんとも不思議な感覚だ。


 そこから先、一定の間隔で道祖神が置かれている。ほとんど獣道と言ってよい荒れ方をしているけれど、なんとかそれを頼りに森を進んでいく。このまま道祖神の案内通りに進めば件の廃集落へ辿り着くという。

 ここまでオカルト誌に載っていた通りだ。よもやここまで書いてあることが本当のことだとは思いもしなかった。こうなればもはやどうとでもなれだ。どこまででも先輩に付いて行こう。



 オカルト誌に載っていた話によると、廃集落にはその土地に根付く土着信仰の神様がいるらしい。なんでも姿形を自在に変えるおぞましい怪物などと書かれていたけれど、ずいぶんと疑わしい記事だ。

 そもそも、おぞましい怪物であれば、果たして信仰の対象となり得るだろうか。いや、せめてご利益や恩恵が無ければ成り立たないだろう。


 それに姿形を自在に変えると言うのも都合の良い話だ。大方、興味本位で見に来た者たちが野生の動物などを見間違えた時に、人によって違うものが見えたと証言したとしても整合性が取れるようにしているのだろう。


 そんな風に、オカルト誌の粗探しを脳内で繰り広げていると、急に生い茂る木々が無くなり、開けた場所に出た。

 そこには川が流れている。横幅一メートルくらいの小さなせせらぎだ。川上へ視線を向ければ、一人の老婆が野菜を川の水で洗っていた。


「こんにちはー」


 こんな場所で人と出会うなんて思ってもみなかった。声を掛けながら近付いていく。向こうもこちらに気付いたようで、驚いたような顔をして会釈を返してくれた。七十代、いや八十代を超えているだろうか。かなり高齢のおばあさんだ。


「おやまぁ、こんな山奥さ、何しに来たね?」


「今、大学の研究で郷土史を調べてるんですよ」


「はぁ、学生さんかい。調べるったって、ここには何にも無いよぉ?」


「あはは……、そうですよね」


 この辺に住んでいるのだろうか。野菜を洗う姿が軽装なところを見るに、おそらく近辺で暮らしているのだろう。そんな現地に住む人に何も無いと言われてしまった。この辺、オカルト誌の詰めが甘いと言わざるを得ない。


「それよりも泊まる当てはあるのかい? この時間から山を下ると途中で真っ暗になっちまうよ」


「え、もうそんな時間ですか」


 言われて気が付き、慌てて携帯端末を起動すると時刻は十五時を過ぎたくらい。山に入ったのが昼頃だから、今から下山した場合、途中で暗くなってしまうというのも納得だ。

 多分、先輩の想定だともっと早くに山を登り切る予定だったのだろう。聞いていた話だと日帰りの日程だったはずだ。しかし、インドア派の足手まといが同じグループだったせいで予定が狂ってしまった。あとで謝っておこう。


「しょうがない子たちだね。もし良かったらウチに泊っていくかい?」


「本当ですか!」


 おばあさんのありがたい申し出を受けて、先輩の方へと振り返る。


「先輩、今から下山すると暗くなって危険なんだそうです。ご厚意に甘えて泊まらせてもらいませんか?」


「……そうだね。途中の道にも街灯はほとんど無かったし、暗くなったら迷子になりそうだ」


 先輩から了承も得たので、改めておばあさんへと向き直り、丁寧に頭を下げた。


「それじゃあ、申し訳ないんですが、お邪魔させていただきます」


「そんな畏まらなくてもいいよぉ。最近は子供たちも顔を見せないからね、人恋しかったんだ」


 おばあさんの後に付いて、森の中を川に沿って上流へ進む。

 それはしくもオカルト誌に書かれていた廃村へ続く道のりだった。

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