最終話 歌
春の訪れとともに、四人の住人が新たに北方辺境に加わった。
王宮のドラゴン舎で、私の元で働いてくれていた飼育人の、ミカエル、ダンテ、アーニャ、クリスティンだ。
彼らは初めてここに来た私のように、全てのものに目を輝かせていた。
「まあまあ、ドラゴンのための居住スペースがあんなに!」
「見たことのないドラゴン用の道具も山ほどあるぞ。この年になっても知らないことだらけだ。わくわくするな」
ミカエルも興奮を隠せていない。私は彼に近づき、お礼を言った。
「ありがとう、ミカエル。私がいない間、あなたたちが王宮のドラゴンたちの面倒を見ていてくれたのでしょう」
「あんなもの、面倒を見た内に入りません。対処療法をしていたくらいで、給餌もできなければ健康チェックもできなかった」
王宮からくびになった身なので、大手を振って出入りはできなかったらしい。
だから、物乞いの振りまでして、ドラゴン舎に近づいてこっそり面倒を見ていたのだとか。
彼らには頭が上がらない。王宮から来た十六頭のドラゴンたちも、顔見知りのミカエルたちを、嬉しそうに出迎えていた。
「そんなことより、お嬢がこの場所で生き生きしていらっしゃる姿を見られたことが、何よりの喜びです。美しい二頭のドラゴンもいますし、飛行もなさるのでしょう」
「運とめぐりあわせが良かったのよ。あのドラゴンたちに恥じないような人間でいなくちゃね」
するとアーニャが、にんまり笑いながら近づいてきた。
「ドラゴンたちもですけど……。北方辺境領主サマについても、色々とお聞かせ頂きたく。なんでも夜会ではパートナーを務められたというじゃないですか!」
「ミルカ様でしたら、北方辺境領主の男ぶりに負けない――むしろそれを引き立てるようないで立ちでしたでしょうね」
「ミルカ様、ドラゴンだけじゃなくて、あの凄いお兄さんからも好かれてるの? かぁっこいいー!」
無邪気なクリスティンの言葉が気恥ずかしい。
「好かれるって、嬉しいことだけど……。気持ちを返さなきゃと思うから、気が焦っちゃうわ」
「別に返す必要もないと思いますけどね」
ダンテは、足元を駆けるマゼーパ種から目を離さずに言う。
「もらったら返さなきゃいけないってのが、そもそも人間の考え方っていうか。ドラゴンたちはそういうのないですよね。どれだけ世話をしても報いてくれることはないけど、俺たちが想像していないところで、喜びを与えてくれる」
「そうかも、しれないわね」
「ミルカ様は真面目だから、貰った分返さなきゃって思うんでしょうね。でもここは北方辺境ですし、リラックスして頑張っていきましょー」
気合が入っているんだか分からないのんびりした声をあげながら、ダンテは右の拳を高く突き上げた。
冬の気配は遠ざかり、湖に張っていた氷はすっかり溶けた。
ハンスの姿は見つからなかった。
いずれ遺体が上がるだろうとタリさんは言った。
けれど私は、間一髪のところで助かり、どこかで生き延びてくれていることを願っている。たとえそれが、ありそうもない夢物語だとしても。
(ハンスはひどい人だった。――でも、だからといって、死んでほしい、死ぬに値する人間だと思ったことはない)
偽善だろうか。だとしても、ハンスの無事を願う心は確かにここにある。
どうか、彼がずっと寒いところで、独りきりでいませんように。
*
ドラゴンの卵の様子を見ていたら、すっかり夜遅くなってしまった。
いつもなら厨房にタリさんかケネスさんがいるものだけれど、今日は誰もいない。
私は厨房に残っていた冷めた肉を、適当なパンに挟んで食べながら、自室へと向かう。
「『おかえりミルカ』」
「『おかえり』『はやく』『ねよう』」
部屋に入るなり迎えてくれたのは、イスクラとブランカ。
私の愛するドラゴンたちだ。
彼らに体重を預けられると転びそうになるので、もっと鍛えなければならない。
(この時間だし、お湯を使うのは明日にしましょう)
寝間着に着替えて、二頭のドラゴンにおやすみを言おうとした時。
微かな歌声が聞こえてきた。
それは息をひそめ、耳をそばだてていないと聞こえない程の、微かな音だ。
私は少し考えて、二頭のドラゴンと共にそっと部屋を出た。
彼らの目が暗闇でも煌々と輝いているおかげで、明かりはいらない。月光がさしこむ廊下を、じゃれ合いながら進んでゆく。
そうして、私たちが辿りついたのは。
「ヴォルテール様」
「来たな、ミルカ嬢」
ヴォルテール様のお部屋だ。
部屋着でカイルにもたれかかり、低い声でハミングしている。
「歌が聞こえました。ちょっと陽気で、ヴォルテール様にしては珍しいですね?」
「たまにはいいだろう? 北方辺境も人が増えて賑やかになったのだし」
「リズムが独特だから、ハープで合わせられるかどうか」
用意されているミニハープを手に取り、和音をつまびく。
イスクラとブランカは、カイルの尾を枕にして寝そべり、目を細めながら私の調弦を聞いている。
私は少し迷って、ヴォルテール様のすぐ隣に座った。
膝と膝が触れ合うほどの距離。
顔が近くて、ヴォルテール様の息遣いまでもが聞こえる。
不思議と緊張感はなかった。ヴォルテール様が私の腰に触れ、ぐいと強く抱き寄せてきても、心は凪いでいた。
私の頭の後ろにヴォルテール様の手が伸びた。
そうして私の逃げ道をふさいでから、触れる程度の口づけをする。
(何かしら。深く、満たされているような、そんな気がする)
唇の感触を確かめるように、何度も、何度も口づけられた。
そうしてヴォルテール様は、私の耳に髪をかけながら、ふっと笑う。
「私はあなたの全てを愛している」
「はい。私もです。私もあなたのことが――好き」
その瞬間のヴォルテール様の顔は、生涯忘れられないだろう。
子どもみたいに無邪気に笑って、嬉しそうに目を輝かせて。
そうして私は初めて、自分がこの人を幸せにしたことに気づくのだ。
(この笑顔ぜんぶが、私の存在を肯定してくれてるみたい。不思議ね)
ヴォルテール様は何度も口づけをしながら、その合間にハミングし始めた。私は笑って彼の唇から逃れ、ハープを構える。
「――間違っても誰も咎めん。下手でも笑う者はいない。だからミルカ嬢、どうか心の赴くままに弾いてくれ」
「ええ、喜んで」
間違っても誰も咎めない。
下手でも笑う者はいない。
――それはつまり、ここにいて良いということ。
私は目を伏せ、ヴォルテール様の呼吸の音を聞く。
婚約破棄されたドラゴン好き令嬢は、北方辺境領主とドラゴンたちから溺愛されています 雨宮いろり・浅木伊都 @uroku_M
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