カオガミタイ 

将源

第一話



カオガミタイ 

 (壷坂霊験記より)

         



不思議な夢の中、必死になって逃げる。

「タ、ス、ケ、テ、クレー」

口が半開きで呂律が回らない。言葉にならない声を発して目が覚めた。

「はっはっはー」

胸がドキドキと激しく揺れていた。オイは布団に潜り込んだ。このところ、怖い夢ばかりみて眠れない。

”イーーー”煩わしい音がずっと頭の中で鳴りっぱなしや。

”キシキシッ、キシキシッ”家のどこからか音がする。壁の隙間から、冷たい風が吹き込んで障子を揺らす。どんな小さな音もオイの耳は拾ってしまう。

隣の布団から、お里の寝息が聞こえている。 オイは布団の中に、手を忍ばせた。お里の体温で布団の中が暖かくなっていた。寝巻きの上に手をおいて、柔らかい太ももに手を滑らせていく。ゆっくりと指を動かすと、ビクッとお里の身体に力が入り

「んっ」手を跳ねのけるように背中をむけた。

(やっぱり、なんかおかしい…)オイは情けない気持ちで、手を引っ込めた。そしてもう一度、布団を頭からかぶって深く潜り込んだ。息を止めて、子どもの頃の記憶へと泳いでいった。



「んぎゃー、んぎゃー」

貧しい農家の夫婦のもとに、赤ん坊が産声をあげた。オイは沢市と名付けられた。父ちゃんも母ちゃんも後継ぎができたと喜んだ。けるど、いつまで経ってもオイの眼を開かない。一年、二年と時が過ぎても眼を開けることは無かった。貧乏農家に盲目の子が生まれても働き手にならない。世話ばかりかかるオイを、父ちゃんはいつのまにか邪魔者扱いするようになった。それでも、母ちゃんは優しく面倒をみてくれた。

「このまま、おいとくわけにはいかんな」

父ちゃんはポツリとつぶやいた。

「えっ、この子をどうしゃある気ですか?」

「按摩(あんま)の先生とこに預けよ」

「そんな」

「その方がええ。沢市のためや」

「……」

しばらく母ちゃんはうつむいていたが、うなずいて顔を上げた。それが最善だと母ちゃんも悟ったようだ。

翌朝、オイは母ちゃんに手をひかれて、隣村にある按摩の先生のところに連れて行かれた。

「よろしゅうたのんます」

そう言い残して、母ちゃんはオイだけおいて足早に立ち去った。その日を最後に、父ちゃんにも母ちゃんにも会うことはなかった。

「オイは捨てられたんか」

暗闇の中でそう感じた。

盲目の人間が生きていくには、琴三味線の先生か按摩を生業(なりわい)にするしかなかった。按摩の先生のところで、住み込みの生活がはじまった。先生は厳しい人で、いつも怒られてばかりやった。修行が辛くて何度も逃げ出そうと思ったけど、行くところもなければ、目も見えない。ここで辛抱するしかなかった。そんなオイに唯一、優しく接してくれたのが、先生の娘のお里やった。先生に怒られて落ち込んでいると

「だいじょうぶよ市さん」

と優しく声をかけてくれた。先生に用事を頼まれた時も、お里が手を引いて付き添ってくれた。

(なんでこんなオイに優しくしてくれるんや?)いつも不思議に思っていた。お里の柔らかい手のぬくもりと優しい声が、トゲトゲとしたオイの心を穏やかにしてくれた。(オの気持ちをわかってくれるのはお里だけや)そう思うようになっていた。


気づけば、高取城の城下町の土佐街道の奥に入ったところにある、小さな家に二人で暮らしていた。昔から、天皇が薬狩りに来たと言われるほど、高取は豊かな自然に恵まれている。薬になる動植物が豊富で薬つくりが盛んだった。大和の薬は修験者によって全国に広まった。お里は薬つくりの内職して支えた。オイもあんまさんとして一生懸命に働いた。決して暮らしは楽ではなかっけど、オイは生まれてはじめて、幸せというものを感じていた。お里がいてくれれば、それでよかった。

「それにしても、沢市さんの嫁さんはべっぴんでうらやましいのう」

近所の人は皆そう言ってくれるが、オイにはわからない。お里の顔も見たことがない。

(お里はそんなにべっぴんなんか)

(どんな顔してるんやろ)

(一度でいいから見てみたい)

うれしさと歯痒さで、モヤモヤと過ごしていた。

しばらくして、お里は明けの七つ(午前四時)になると、床を抜け出してどこかへ出掛けていくようになった。

「こんな時間にどこいってるんや?」

はじめは、それほど気にしてなかったが、毎朝続くようになると、さすがに不信に思いだした。日に日に、お里への疑いは大きくなっていった。そんな心もつゆ知らず、お里は手となり足となりオイを献身的に支えてくれた。

(一体どっちなんや?本当のお里は)

オイは混乱して、夜も眠れなくなっていた。浅い眠りをくりかえし、夢ばかりみるようになった。夢といってもオイは生まれつき目が見えないから、暗闇の中で誰かを追いかけたり、逃げるような感覚だけの夢。それでも良い夢か悪い夢かはわかる。この日も不思議な夢を見た。

「タ、ス、ケ、テ、クレー」

声にならない言葉を発して起き上がった。首が汗でべたべたしていた。オイは息を吐いて整えた。気がついたら、となりの布団の中に手を忍ばせたけれど、お里に拒絶された。オイは頭から布団をかぶって、深く潜り込んだ。どこまでが夢でどこからが現実なのかもわかない。真っ暗な海を溺れそうになっとった。

気がつけば、また明けの七つを迎えていた。お里は布団からそっと起き上がり、着物に着替えた。音を立てないようにして、静かに玄関の戸を開けて出ていった。オイは布団の中で丸まった。お里の足音がどんどん遠くへと消えていく。何も聞こえなくなると、一気に不安と嫉妬の感情が押し寄せてきた。

オイが悪いんか?

オイが何したんや?

犯人は誰や?

浮気相手か?

裏切るお里か?

目が見えないオイか?

捨てた親か?

またひとりぼっちになるか?

なんでや?なんでや?なんでや?

身体中の血液が頭に逆流していた。

とてつもなく時間が長く感じた。また微かにお里の足音が聞こえてきた。玄関をそっと開ける音がした。オイは玄関に背を向けて座っていた。

「起きとったんですか」

「どこ行っとった?」

「何を怒ってはるの」

「男と会とったんか」

「えっ」

「薬売りの太助か?それとも誰や?」

「市さん、ええ加減にして!」

「いつも、明けの七つになったら出ていってるの知っとるんや」

お里は目を真っ赤にして

「市さんは何もわかってない…」

「何もわからんわ。どうせ、オイは何も見えんからな」

お里は天井を見上げて、息を吐いた。

「壷坂の観音さまに願かけしてるんです」

「……」

「市さんの眼が治るように、朝詣でしてたんです。こんなに思てんのに、どうしてわかってくれませんの」

オイは口を開けたまま、がくりとうつむいた。

(あほや。ほんまにあほや。こんな男のために願掛けしてくれているお里に、何んちゅうこと言うたんや)

「すまんかった、お里。オイは何もわかってなかった。またひとりぼっちになるのが怖かったんや。すまん…」

ポロポロと涙が、黒光りしている床に落ちていた。お里は黙って、背中をさすってくれた。

「お里…」

この日を境に明けの七つになると、お里に手をひいてもらいいっしょに朝詣をするようになった。

迎えた満願の日、いつものように二人で壷坂寺まで登って観音さまに手を合わせた。

「市さん、これで治りますよ」

「そうやな…ちょっと休もか」

二人で傍の岩に腰掛けた。

「お里、頼みがあるんや」

「なんですか」

「朝一番、薬を持ってきてくれよるの忘れてた。先に戻って受け取ってくれへんか」

「でも、市さんだけここにおいとかれん」

「大丈夫や。じっとしとるから」

「ほんまに」

オイは小さくうなづき

「すまんな、頼むわ」

「急いで戻ってきますから」

そう言って、お里は足早に山を下りていった。

お里の足音がどんどん離れて聞こえなくなると、オイは立ち上がって、滝の音のするほうへ歩き出した。

「いくら観音さまでも、この眼を治す事はできひん」

やっぱりオイは神も仏も信じきれてはいなかった。これ以上、お里に迷惑をかける訳にはいかないと思っていた。

(オイさえおらんようになったら…お里は楽になれる)

水の音がだんだん大きくなり、杖でついて崖の先を確かめた。オイは唾をゴクリと飲み込んだ。

「あかん。死ねん…」

足がガクガクと震えていた。突然、強い風が吹いた。

「うあー!」

バランスを崩し、頭から谷底へと落ちていった。


”ザーーーー…”

滝の音だけが聞こえていたが

”ガンッ”

と何かに当たった。それからオイの耳には、あの煩わし音も何ひとつ聞こえなくなった。

「あゝ静かや」

まるで洞窟の中にいるようだった。洞窟にはもう一人、誰かいるような気配もした。しばらくすると、

「やっぱり来たか」

年老いた男の声がした。

「あんた誰や」

「ワシは死神や。滝の下でお前を見てた。ぜんぶ聞いとったで。お里を楽にしてやりたいんやろ」

「オイが生きとったら、お里に迷惑ばかりかける」

「そうやなあ、そのほうがお里のためにもええわ」

「せやけど…」

これで良かったんか?戸惑っていると

「さあいこか」

「どこへ」

「あの世に決まっとるがな。何も心配いらん」

オイにはわからんけれど、もう抵抗する気がなくなった。これがオイの運命なんやと諦めた。


その頃、壷坂山を下っていたお里だったが

”ぶちっ”と草履の鼻緒が切れた。

「こんなとこで、困ったなあ」

急に、なんともいえぬ嫌な予感がした。

草履を脱ぎ捨て、慌てて来た道を引き返した。

「市さん…」

崖には杖だけが残されていた。自分の血の気が引いていくのがわかった。お里はゆっくりと崖に近づいて谷底を見下ろした。

「市さーん」

滝に向かって叫んだが、水の落ちていく音しか聞こえてこない。がくりと跪(ひざまず)いて涙を流しながら

「なんで?なんで?市さん、観音さまが目見えるようにしてくれはるのに」

お里はその場でボーッと座り込んでいた。

「市さん、杖忘れてるわ。今から持っていくから」

そうつぶやくと、杖を拾って自らも谷に身を投げた。杖を抱えながら落ちていくお里。走馬灯のように沢市との思い出が蘇った。微笑んでいるに見えたお里だったが

”ドンッ”

目の前が真っ暗になった。


何も見えない。

何も聞こえない。

何も感じない。

とても静かな世界。

お里が目を開けると、オイは白髪の老人に連れられて、吊り橋を渡ろうとしていた。

「市さん!市さん!」

お里の叫ぷ声が聞こえて、橋の真ん中で止まった。

「お里か?」

「行ったらあかん」

長い白髪がむき出しになった頭蓋骨の上に生えてる、死神は振り向いて

「こいつさえ死んだら、お前は自由なれるんや」

死神に言われて、やっぱりオイは邪魔なんやと思った。お里は吊り橋まで駆けてきて、オイの右手をつかんだ。

「行ったらあかん」

「おらんほうがええねんオイは。お前のためや」

「逃げるんですか」

「逃げる?」

「ウチを一人にするんですか?捨てるんですか?」

「オイは…」

「これ以上、自分のことをいじめんとって」

「お里…」

「ウチといっしょに、帰りましょ」

お里は全てを見透かしていた。オイは自分のことしか考えていなかった。

「ちっ、邪魔すんな」

死神がオイの左腕をグッと引っ張ると、お里は尻もちをついて後ろに倒れた。

「お里」

「何するんじゃ、お里に」

”バンッ”

オイは右手で思い切り死神を突き飛ばした。

「まだ未練があるんか」

「死んだらお里の顔が見えると思ってた」

「残念やなあ。見えんもんは見えん」

「オイは、お里と生きたい。目が見えるようになりたい」

「もう遅いわ」

死神につかまれた左手から、何かを吸い取られていった。

「あかん力が入らん…」

もう抵抗も何もできなくなってしまった。

「市さん、うちを一人にせんとって」

お里が叫んだその時、光の塊が現れた。

「ま、まぶしい」

思わず死神は手を放した。その隙に、お里は起き上がってオイの手をひいて吊り橋を引き返した。

どんどんどんどん光の塊は大きくなった。

「ワシは光が嫌いや」

白くて長い髪が燃え上がり、むき出しの頭蓋骨も溶けて死神は消えた。


眩しかった大きな光の塊は、とても柔らかく穏やかな光に変わって、二人にが近づいてきた。

「観音さま」

光の中に観音さまが現れた。慈愛に満ちた眼差しで、二人を見つめて

「お里の願い、受けとった」

「沢市、お前の本心の願いも受けとった」

観音さまはうなずくと、光の塊はまた眩しく輝き、世界は真っ白に染まった。


”ザーーーー、ザーーーー”


滝の音が耳から入って、脳を震わせた。

「あっ」

お里が目を覚ますと、横にはオイが倒れていた。

「市さん、市さん、起きて」

お里が肩を揺らすと、オイは目を開けた。

「まぶしい」

満月の明かりがオイの目に差し込んだ。

「生きていてくれてよかった」

「その声は…お里か?」

お里がうなずくと

「見える。お里が」

初めて見たお里は透き通るように白い肌で、美しい顔をしていた。

「ほんまに見えるんですか」

オイは何度も何度も大きくうなづいた。

「よう見える。やっとお里の顔が見れた」

お里は唇をかみしめて頷いた。

「あれ?なんかぼやけてきた。これは何や」

「市さん、泣いてるからですよ」

オイははずかしがりながら、手のひらで涙を拭いた。

「お里のおかげで目が覚めた」

お里は小さく頷く。

「オイは、もう自分をいじめへん」

十三夜の月明かりの下、オイとお里を強く抱きしめた。


この日を境に、オイは観音さまの存在、霊験という不思議な力を信じるようになった。

人が変わったように明るくなったオイは、自らの体験を面白可笑く按摩しながら語った。悩み苦しむ人々を笑顔にしたいと、しゃべっていたら、どんどんオイの話を聴きに人が集まり出した。

「目が見えへん男が、目が見えるようになって、目に見えへん世界が見えるようになったって、可笑しな話ですなぁ」

”ハッハッハッハッハッ”

按摩屋は繁盛して、目が見えん人も働ける場所を広げていった。すべての人が平等で、笑って過ごせるようになった。たくさんの人が集まった部屋の隅で、光に包まれた観音さまも笑っていた。

「観音さま?」

オイが驚いて目を見開くと、それはお里の姿やった。

「やっぱり、お里が観音さまやったんか」

                     (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カオガミタイ  将源 @eevoice

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ