ぱちくりさまの宝物

香久山 ゆみ

ぱちくりさまの宝物

「……わー……」

 目の前に広がる青い空、緑の山々、長閑な田園風景に声を上げる。隣では角倉氏が山の彼方に向かって「やーほーい」と雄叫びを上げている。

 本当なら今頃は、幼馴染の友人ハルと映画館にいたはずなのに。なぜこんなことに、僕は溜め息を吐く。


   *

 

「おい、土日は山へ行くぞっ」

 昨日、角倉氏から突然の宣告を受けた。

「え、いや、ちょっと待って。なななんでそんな突然……」

 動揺する僕に角倉氏は平然と言った。

「先週、民俗学専攻の奴に頼まれたのだ。山間部の集落で行なわれる祭りの様子を取材してきてほしいと。奴は当日、ゼミの教授の研究発表会に出席するため行かれんらしいから、代わりに行ってほしいそうだ。まあ、取材といっても、写真を撮って、村のパンフレットかなにか資料をもらってくればいいらしい」

「いいらしい、って……。てか、角倉クン、先週聞いたのになんで僕に伝えんのは前日なのさ。僕だって用事が」

「お前にどんな用事があるというのだ」

「明日はハルと映画に……」

「日曜日の午後からにして、それまでに帰ればいいだろう」

「そんなこと言ったって」

「お前なら来てくれると思ったんだが……」

 角倉氏は太い眉根を寄せて項垂れてみせる。

「第一、俺にコイツが使えると思うのか」

 角倉氏はジーンズのポケットからデジタルカメラを取り出して見せた。民俗学専攻の奴に借りたらしい。てか、民俗学専攻の友人って誰さ。僕は知らないぞ。角倉氏は意外と顔が広い。なぜ良識的な僕よりも、奇人・角倉氏の方が友人が多いのか、まったく世の中は不公平だと思う。さておき、僕は角倉氏の大きく無骨な手に収まった小さなデジタルカメラを見つめる。そして溜め息。角倉氏にこんな精密機械を渡したら瞬殺されるのは目に見えている。

「わかったよ……」

 僕の力ない返事に、角倉氏は満面の笑みを浮かべる。ほらほら、そんなに強く握ったらカメラ壊れちゃうよ。

 ……ああ、ハルにも謝んないとな。


   *


 そうして、角倉氏と僕は、土曜日の早朝から電車とバスを乗り継いで、この山の麓の長閑な田園地帯までやってきた。ハルには多少の嫌味を言われつつも、日曜日の午後には帰って映画に行くということで了承をいただいた。地図を見ると、民家は点在しているものの、二時間もあれば村を一周することができそうな小さな集落だ。とはいえ、バス停から民宿までは少し歩かねばならないようだ。角倉氏は地図を見る気はないらしい。「では行くぞ」と、ずんずん先を行くものの、おいおい、そっちは反対方向だよ。

 しばらく山の方へ進むと、先に木々の蔭に埋もれて神社が見える。今夜の祭りはあそこであるのだろうか。と――。


     ぱちくりさまが起きずんば

     村んまつりはできませぬ


 幼い子どもの唄い声が聞こえてくる。声に導かれて進むと、神社の本社へ続く千本鳥居(といっても実際は五十本程だが)の中程に藍色の着物を着たおかっぱ頭の五歳ほどの幼い子が唄いながら鞠をついている。


     ぱちくりさまが起きずんば

     村んまつりはできませぬ

     ぱちくりさまのうちのとの

     なかほど道を 右にいり

     青龍さまの紫ん手て

     赤き宝をごらんぜば

     ぱちくりさまも起きなさる


 手毬唄だろうか。というか、僕たちはタイムスリップしてしまったのだろうか。

 呆然とする僕をよそに、角倉氏はずんずんと童子に近づいていく。

「おい、坊主。民宿はどっちだ」

「え、角倉クン。女の子だろ」

「なに、坊主だろう」

 なあ! と角倉氏の鋭い眼光に射られて、童子は鞠を取りこぼしたまま縮み上がってしまっている。

「ごめんね、驚かせて。お名前は、何ていうの」

 僕が笑顔で尋ねると、その子は大きな瞳でじいっと角倉氏と僕を見比べたあと、角倉氏の方に顔を向けて答えた。なんだか、理不尽だ。

「……おらぁ、庄太じゃ」

「おい、ほら、やっぱり坊主じゃないか」

 角倉氏は得意満面だ。

「坊主、ひとりで遊んでいるのか。今のは手毬唄だろう」

「んだ。婆ちゃに教えたもらっただ。ぱちくりさまの手毬唄じゃ」

「この辺じゃあ、今でも着物で生活しているのか」

 角倉氏が尋ねると、庄太くんはくすくす笑う。

「んにゃあ、今日は祭りやからじゃ。街ん人は浴衣も知らんめえか」

「今夜の祭りはこの神社でするのか」

「んだ。祭りはここでやるでよ。ぱちくりさまんお祭りじゃ」

「庄太くんもお祭りに来るんだよね」

「……」

「坊主も祭りに来るのか」

「んだ。茜ちゃと来るでよ。おいちゃんも来るかね」

「ああ、民宿に寄ってからな。ところで坊主、民宿はどっちだ」

「あっちじゃ」

 庄太くんは方向を指差し示してくれた。

「坊主、ありがとよ。またあとでな」

「んだ。またあとでよ」

「庄太くん、ありがとね」

「……」

 ほんと、理不尽。

 僕ひとり頗るもやもやとした気持ちを抱えながら、教えてもらった道を行くと、じき今晩泊まる民宿に着いた。木造で、築何年ですかと訊ねたくなるくらい古そうだが、庭も建物もきれいにしているためか、趣がある、と表現したい感じだ。

「すみませーん」

 玄関戸を開くと、奥からエプロン姿の大男が現れた。

「やあ、いらっしゃい。遠路はるばる、交通も不便なところだからお疲れしたでしょう」

「なっ!」

 民宿の主人は髭もじゃの口元を綻ばせたが、角倉氏と僕は同時に声を上げた。そして良識ある僕はその先を口の中に留めたが、角倉氏は率直に吐き出した。

「なぜ訛っとらんのじゃ!」

 おいおい、角倉氏が訛っているよ。主人は不思議そうに顎鬚に手を当てて首を傾げた。

「先刻そこで会った坊主は、日本昔話くらい訛っていたぞ」

 それを聞き、主人は得心したように微笑んだ。

「ああ、庄太ですね。あの子はおばあちゃん子やからねえ。ここいらでも今あれだけ訛ってるのは、そこの婆さと孫の庄太ぐらいですよ」

 そうこう言いながら、主人は二階の部屋へ案内してくれた。十二畳ほどの二人で泊まるには十分な部屋だ。窓からは静かな森と青い山々が見える。山頂の方は季節の移ろいが早いのか、はや赤く染まりはじめている。

 荷物を下ろし一息着いたあと、食堂に下りると、一組だけ先客がいた。老夫婦のようで、旦那さんの方は大きなサングラスを掛けている。そこに夕食が運ばれてきて、山菜の天麩羅や里芋の田楽など、山の幸に舌鼓。角倉氏も「うむうむ」と満足気だ。

 とはいえ、僕らの目的は今夜の祭りである。夕食を終えると早々に食堂を後にした。民宿の主人が僕らに浴衣を貸そうかと言ってくれたが、辞退した。とても一人で着られる自信が無い。それに、角倉氏には、いつものよれよれのTシャツとジーンズ、ビーチサンダルで十分だ。

 薄闇に包まれた村の道をしばらく行き、昼頃に庄太くんと出会った月讀神社へ着いた。階段状の千本鳥居の参道を進むと、神社の境内が開け、祭囃子に赤提灯や出店が並んでいる。神社の拝殿には大きな球状の岩が鎮座しており、どうやらこちらが御神体のようだ。御神体を写真に収めていいものかどうか憚られたが、取材を頼まれた身であるし、パシャリパシャリとシャッターを切った。ふと気づくと角倉氏がいない。どうりで静かだと思った。恐らくあの野郎、出店を食べ歩いているに違いない。

「角倉クンー、角倉クソー!」

 声を上げながら境内を探し回っていると、つん、ズボンの裾を引っ張られた。振り返ると、庄太くんだ。

「やあ、庄太くん、こんばんは。どこかに角倉クンを――僕と一緒にいたゴリラみたいなお兄さんを見掛けなかったかな?」

「……」

「……」

 えーと。

「こらっ、庄ちゃん! ちゃんと挨拶しいね!」

 突然の大きな声に驚いた。庄太くんの脇に、薄桃色の浴衣を着た少女が立っている。小学校高学年くらいかな。

「……こんばんは」

 庄太くんは女の子の手をギュッと握りしめ、少女の体に身を隠しながら、小さな声で挨拶した。

「こんばんは。ゴリラのお兄さん見なかった?」

 ふるふる、と庄太くんは首を横に振る。

「ああ、さっき見た大きい人かなあ」

 女の子が声を上げる。

「え、どこで見たの?」

「焼そばの屋台んとこで。りんご飴とフランクフルトとじゃがバタと、ヨーヨー持って、焼そばんおっさんと量が少ないとか大きい声で喧嘩しとったわ」

「ああ――」

 角倉氏に間違いない。

「ありがとう。焼そばの屋台ってどっちかな」

「教えたげるわ。ついておいでな」

 女の子は庄太くんの手を繋いだまま、くるりと振り返り、ツインテールの髪を靡かせてすたすた進んでいく。僕は慌てて追いかける。

「ねえ、きみは庄太くんのお姉さん?」

 横に並ぶと、僕は尋ねた。

「ちゃうよ。うちは庄ちゃんのお隣さん。茜、ゆうんよ。まあ、こん辺はみんな家族みたいなもんやけどな」

「庄太くんのお婆さんは来ていないの?」

「婆さは家に居とるわ。な、庄ちゃん」

「……婆ちゃは最近目えがよう見えんいうて、しいたら夜ばことに見えにくいさいうてな。せやけん、ぱちくりさまんお祭りも、茜ちゃと見にいかんせえ言うたんじゃ」

「え、なに。ぱちくりさまのお祭り、って?」

「んだ」

「ふふ、月讀神社の豊穣祭やよ。庄ちゃんとこはなんでもぱちくりさまやから。今年の祭りはちょうど週末に当たったから、里帰りしてきよった人も多うて賑やかやわ」

「ぱちくりさまって?」

「さあ。ようわからんけど。この辺では昔から、早う寝な、ぱちくりさまに連れていかれるでえ、言うて。お化けかなんかかなあ」

「茜ちゃ、ぱちくりさまはお化けとちがうわいな」

「はいはい」

「あ」

 先の出店にゴリラがいる。角倉氏だ。チョコバナナを咥えて喜んでいる。

「角倉クン!」

「おう、迷子。坊主に連れてきてもらったのか。坊主、ありがとよ」

「迷子は角倉クンのほうだろ。庄太くん、茜ちゃん、ありがとう」

 角倉氏が庄太くんの頭をぐりぐりと撫でると、庄太くんはくすぐったそうに、ふふふ、と笑う。

「ん、なんだ、坊主」

 庄太くんが角倉氏のTシャツの裾をつんつん、と引いている。と、角倉氏の方へ小さな手を差し出す。角倉氏がそれを受け取る。レモン色に光るビー玉だ。

「坊主、くれるのか。なら、礼だ」

 そう言って角倉氏はいちご飴とヨーヨーとお面を庄太くんに渡した。庄太くんはにこっと笑った。それを見て茜ちゃんが呟いた。

「あれ、珍し」

「どうしたの?」

「庄ちゃん、初対面の人にはほとんど懐かんのに」

 ふうむ。やっぱり世の中ってよくわからない。

「さあ、祭りの取材だ」

 と意気込む角倉氏を連れて、僕らは、庄太くんたちと別れ、藍色と薄桃色の浴衣を着た小さな二つの後姿を見送った。まあ、取材といっても、角倉氏はひたすら食べて遊んで、満喫しているだけだけれど。

 祭りの夜は、真っ暗な夜空に浮かぶ大きな満月を背景に、赤い提灯と朱色の鳥居が連なって幻想的な雰囲気だ。まるでこのまま妖しの世界に迷い込んでしまいそうな。


 祭りの夜も更けて、民宿に帰り、深夜、ようやくまどろみかけた頃、ガンガンとガラス戸を叩くような激しい音に目を覚ました。ガラガラと民宿の玄関戸が開く音がし、階下から少女の緊迫した声が響いてきた。茜ちゃんだ。

「庄ちゃん! 庄ちゃん来てない!?」

 玄関先に民宿の主人が出てきて、なにやらぼそぼそと茜ちゃんと話込んでいる様子だ。そっと耳を済ませていると、茜ちゃんのすすり泣く声が聞こえてきた。民宿の主人の宥める声が聞こえる中、僕も布団から出て一階の玄関へ向かった。

「庄ちゃんが帰ってきとらんって! 婆さがうちに来て……」

 玄関に下りると、茜ちゃんが泣き顔で声を上げている。主人は困り顔で茜ちゃんの背を擦りながら、顎鬚を捻っている。もう一組の老夫婦客も目が覚めたようで、旦那さんの方はやはり大きなサングラスを掛けたまま、心配顔でやり取りを見つめている。民宿の主人は、起こしてしもてすいません、と小さく頭を下げる。

「茜ちゃん、どうしたの」

「ああ、どないしよう。さっき、婆さがうちに来て、庄ちゃんがまだ帰ってこんのやて」

「茜ちゃん、庄太くんと一緒に帰ったんじゃないの」

「帰ったよ。お祭りのあと、庄ちゃんの家の前まで見送ったよ。おやすみ、言うて」

「庄太くんが家に入ったのは見た?」

「……そこまで見とらん」

「わかった、ありがとう。もう、警察には電話した?」

「うちのお父ちゃんが電話した。今はお母ちゃんと家で、婆さ落ち着けながら、警察待ってる」

「わかった。それまで僕らでこの辺りを探すから、茜ちゃんはここで待っててくれるかな」

「うちも行く!」

「いや、暗くて危ないから待ってて。すみません、茜ちゃんを見ていてもらえますか」

 老夫婦に視線を送ると、二人とも頷いてくれた。

「では。角倉クンを起こしてきますので、懐中電灯かなにか用意してもらえますか」

 民宿の主人にお願いし、僕は角倉氏を起こしに行った。

 僕らと、近所の住人、そして合流した警察、自警団が夜通し山の麓から奥まで探したが、山中の深い夜の闇のせいか、朝日が昇っても庄太くんを見つけ出すことはできなかった。 

 一度体制を立て直そうということで、一団は民宿の食堂に陣をとり集合した。角倉氏は放っておくと休憩もとらずに山をいくらでも越えていきそうだったのを無理矢理連れてきた。部屋の隅では茜ちゃんが不安そうに身を小さくしている。

「眠らなかったの?」

 ホットミルクを差し出しながら訊ねた。

「うん、とても眠られへん」

「大丈夫だよ。明るくなったし、じき見つかるさ。ウサギかなにか見つけて追いかけていったのかもしれないよ」

「あ」

 茜ちゃんがなにかを思い出したように声を上げる。

「庄ちゃん昨日のお祭りの帰り道に、ぱちくりさまの宝物もらいに行くって言うてた! したら、婆さにあげるって。うち、何言ってんのって笑ったんやけど、もしかしたら本当にぱちくりさまの宝物を探しに行ったのかもしれない。どないしよう……」

「ぱちくりさまの宝物? ぱちくりさま、って庄太くんの手毬唄にでてきた、妖怪だっけ?」

「そうよ」

「茜ちゃん、あの手毬唄、教えてくれる?」

「ああ、あの手毬唄すごい古いから、今の村の人間はほとんど知らんのよ。ちゃんと知ってんの、婆さと庄ちゃんしかおらん」

「じゃあ、お婆さんのところへ行こう」

 僕らは茜ちゃんの家へ向かった。茜ちゃんの家に着くと、小柄なお婆さんが茜ちゃんの母親に体を支えられて、心ここにあらずの様子でぶつぶつとなにか唱えている。

「お婆!」

 茜ちゃんが駆け寄ると、お婆さんは顔を上げた。

「茜ちゃんかい! 庄太は、庄太は見づかったかよ!」

「……ううん。でも、見つけられるかもしれない。お婆、あの手毬唄を教えて」

「手毬唄? なしてそげなこつ……、庄太と関係あるんがいな」

「うん。手毬唄から庄ちゃんを見つけられるかもしれない。ね」

 そう言って、茜ちゃんは僕らを振り返った。僕は言葉に詰まったが、角倉氏は間髪入れずに答えた。

「もちろんだ。必ず見つける」

「ああ、あんたらが探してくれちょるんですがいな。よそん人やのに申し訳なか。ありがどうごぜえます、ありがどうごぜえます」

 お婆さんは、分厚い眼鏡を掛けて、それでも見えにくそうに目を細めながら僕らのほうを見、手を摺り合わせて言った。

「お婆。手毬唄を」

「ああ、そうやった、そうやった……」

 そうしてお婆さんは掠れた声で手毬唄を歌った。


     ぱちくりさまが起きずんば

     村のまつりはできませぬ

     ぱちくりさまのうちのとの

     なかほど道を 右にいり

     青龍さまの紫ん手て

     赤き宝をごらんぜば

     ぱちくりさまも起きなさる


「……これでようござんすか」

「ありがとうございます」

 僕は手毬唄を紙に書き出した。そして、僕らは頭を寄せ合ってその紙を見つめた。

「庄太くん、ぱちくりさまの宝物をもらいに行くって言っていたんだよね」

「そう」

「ぱちくりさまの宝物って、手毬唄の、赤き宝、ってやつだよね。茜ちゃん、なんのことか分かる?」

「さあ、うちはこの手毬唄もよう知らんかったし……お婆、分かる?」

「さあ、知りゃあせん」

「ぱちくりさまのうちのと、っていうのが起点だよね。ここがわかれば、赤き宝の場所も分かりそうだね。そういう場所があるの? ぱちくりさまの家、の戸?」

「さあ、……お婆、分かる?」

「さあ、知りゃあせん」

「ぱちくりさまはお化けだって言ってたっけ?」

「うちはそう思ってたけど……」

「わあもよう知らんのですじゃ。土地に伝わる妖怪かなんかかと。ああ、でも庄太はぱちくりさまは妖怪と違うち言うとりましたけどな」

「うーん、ぱちくりさま、かあ」

 僕らは皆、手毬唄の紙を見つめたまま、黙り込んでしまった。八方塞がりだ。

 そうだ、今日はハルと映画を見に行くんだった、と疲れた頭でふと思い出す。

 しかし当然、このままでは帰れない。僕はハルに電話を入れるために座をはずれ、家の外に出た。もう、太陽は完全に昇りきっている。自警団は捜索を再開しているはずだが、まだ庄太くんは見つからないのだろうか。そんなことを思いながら、携帯電話でハルに電話する。

「これこれこういうことで、今日は帰れないかもしれない」

「……」

 ――プツ。ツーツーツー。切られてしまった。

 溜め息を吐きながら家の中に戻ると、皆、先程から一ミリも変わらぬ様子で考え込んでいる。

 僕も再び手毬唄の紙に目を戻す。

 ぱちくりさまのうちのと、とは?

 隣では角倉氏が「ぱち、くり。ぱち、くり……」とぶつぶつ言っている。集中できない。と――、

「そうか」

 僕は閃いた。

「ぱちくりさま。ぱち、くり。ぱち、くり。はち、くり。蜂、栗。これって、猿蟹合戦の登場人物だよね」

「蜂も栗も人物ではない」

 僕は角倉氏の横槍を無視する。

「猿蟹合戦といえば柿の木だ。この辺に柿の木はありませんか」

「あるけれど……」

 茜ちゃんは不安そうな顔をしている。

「大丈夫だよ。きっと見つかる」

 僕は茜ちゃんにウインクしてみせる。

 柿の木は民宿がある集落から随分離れた山の中ほどにある。僕と角倉氏は、茜ちゃんの先導で柿の木に向かった。僕は歩きながら、茜ちゃんを安心させるために話を続けた。

「ぱちくりさまとは、猿蟹合戦を暗示し、柿の木を指しているんだ。そして、猿蟹合戦で家の戸から落ちてきて悪い猿を懲らしめたのは、臼だ。柿の木に行くだろう。そこには臼が倒れているはず。そしてその臼の底には穴が空いてて筒のようになっている。その臼の中を通り抜ければ……」

「猿蟹合戦を暗示するなら、なぜ、さるかにさまとしなかったんだ」

 ちっ。僕は角倉氏の横槍を無視して続ける。

「とすると、赤き宝は蟹に関係するんだろうね……」

 と――。

「あれか」

「うん。あれが柿の木やけど……」

 目の前に一本の大きな柿の木が立っている。橙色の実がぽつぽつといくつか成りはじめている。

「けど、臼なんて見たことないけど」

「探すんだ!」

 と僕は勇んで柿の木に駆け寄ったものの、周囲には臼どころか桶ひとつ落ちていない。

「あ、あれえ? おかしいなあ」

「……」

「……」

 や、やめろ。やめてくれ。二人ともそんな目で僕を見ないで! 

 角倉氏が大きな溜め息を吐く。

「おい、戻るぞ。見ろ、この娘なんて目をぱちくりさせて……」

 言いかけて、角倉氏の動きがぴたりと止まる。

「ぱちくり、まばたき、まばたき・さま? さま……神? まばたきする、神……」

 なにやらぶつぶつ言っている。そして、角倉氏はジーンズのポケットに手を突っ込み、昨夜庄太くんからもらったレモン色のビー玉を取り出し、見つめた。

「そうか!」

 大声を上げると、角倉氏は猛然と走り出した。

「戻るぞ!」

 僕らは角倉氏のあとを追いかける。行きの倍の早さで、来た道を引き返していく。集落に戻る。角倉氏は真っ直ぐに月讀神社に向かう。そして、鳥居をくぐって、昨夜祭りがあった拝殿を囲む境内に出て、吠えた。

「坊主―! どこだ! 坊主―! 返事をしろ!」

 山から微かに角倉氏のこだまが返ってくるだけだ。

「くそっ」

 そう言って角倉氏はじっと目を閉じる。そして、鼻をぴくぴくさせる。くんくん、くんくん。くんくん、くんくん……。

 しばらくして、かっと、目を見開いたかと思うや、また敢然と駆け出した。

 境内から、また千本鳥居の方へ戻り、村道に出るのかと思いきや、鳥居が続く中程で、鳥居の脇から横道に出て、道なき道を進む。しばらく行くと小川のせせらぎが聞こえてきて……、と、静寂を破るように、また角倉氏が吠える。

「坊主―! どこだ! 坊主―! 返事をしろ!」

 すると。

 川岸に生えた大きな木の根元のうろから、がさがさと音がして、小さな少年が這い出してきた。

「おいちゃん!」

 と言って角倉氏のもとへ駆け寄り、角倉氏の大きな体に身を寄せて、おいおい泣きだした。一晩も一人ぼっちで過ごし、怖くて不安だったのだろう。

 じきに泣き疲れて眠ってしまった庄太君を角倉氏が抱き、僕らは民宿へ戻った。

 お婆さんも、すぐに茜ちゃんの家から駆けつけて来て、すやすや眠る庄太くんの姿を見て安心したのか、泣き崩れてしまった。

 民宿の主人がお茶を出してくれて、僕らもやっと一息ついた。

 庄太くんの目が覚めたら事情を聞こう、ということになった。村の皆は「婆さ、よかったな」と、お婆さんと庄太くんを囲んで、早くも宴会の雰囲気だ。と、角倉氏が僕の肩を叩く。

「おい、帰るぞ」

 角倉氏が立ち上がった。

「え、もう? 事情とか、謎解きとか、気になるんだけど」

「俺は知らん。お前、女と映画を観に行くんだろう。とっとと帰るぞ」

 そう言いながら、角倉氏は立ち上がり、さっと荷物をまとめて、民宿の主人に支払いを済ませ、すたすたと出て行った。ま、待って。僕も主人に礼を言い、あとを追いかける。

「角倉クン、待って。そんな急がなくても……」

 いつの間にか太陽は傾きかけている。腕時計を見る。ああ、今から帰っても映画には間に合わないな。と、

「待ってー!」

 誰かが追いかけてくる。畦道の真ん中で足を止め、振り返ると、茜ちゃんが走ってくる。僕らに追いつくと、ツインテールの髪を揺らしてぜいぜい息を切らす。

「よ、よかった。追いついて。何にも言わんと帰っちゃうんやもん」

「ごめんね、庄太くんは?」

「まだ寝てる。ほんとにもう帰っちゃうの? お礼とか、したいのに」

「急ぐからな。また来るさ」

 角倉氏がそう言うと、茜ちゃんは嬉しそうに笑った。

「本当に、絶対に、また来てね」

 ぶんぶんと手を振る茜ちゃんに見送られながら、僕らは村をあとにした。


 バスを乗り継いで、帰りの電車で、ようやく僕は角倉氏に尋ねた。

「角倉クン、どうして庄太くんが月讀神社のはずれにいるってわかったんだい?」

「ぱちくりさまとは、月だ!」

 そう言い、角倉氏は右腕を真っ直ぐに上に伸ばし、天を指差した。

「え、どういうこと?」

 戸惑う僕を、角倉氏は一刀両断した。

「あとは、知らん!」

 そう言うとシートに体を沈めて眠ってしまった。


   *


 やっぱり、映画の時間には間に合わなかった。喫茶・三日月館にて、膨れ面のハルに平身低頭で謝罪すると、ハルはじろりと鋭い視線を僕に向ける。

「もう、すーんごいお土産話でも聞かせてくれないと許せない」

 そこで僕はハルに顛末を話した。

「なるほどね」

 ハルはブラックに口をつけて言った。

「お婆さん思いの子だね、庄太くんは」

「え、どういうこと?」

「手毬唄、覚えてる?」

 僕はテーブルの上に、手毬唄を書いた紙を広げる。


     ぱちくりさまが起きずんば

     村のまつりはできませぬ

     ぱちくりさまのうちのとの

     なかほど道を 右にいり

     青龍さまの紫ん手て

     赤き宝をごらんぜば

     ぱちくりさまも起きなさる


「ぱちくりさまは、角倉くんの言う通りお月さまのことだろうね。ぱちくりと瞬きするように欠けて、満ちて、また欠けるから」

「なるほど」

「で、あんまり詳しくないんだけど、赤き宝っていうのは、枸杞の実のことじゃないかな」

「クコの実?」

「杏仁豆腐のトッピングにのってる赤いドライフルーツだよ。不老長寿の効能があるなんていうんだけど、眼精疲労にも効くらしいから、開かないぱちくりさまの目を開けるにはちょうどいいでしょ。河原とか湿地に咲いて、ちょうどお祭りのある初秋頃に五枚の花弁を持つ紫色の花を咲かせるらしいよ。青龍さまの紫の手、だね。そして、赤い実をつけるの」

「へえ……」

「とすると、この手毬唄はつまり、ぱちくりさまのうちのと、は、お月さまを祀る月讀神社の「と」=「門」=「鳥居」の、中程の道を右に逸れ、進むと、青龍さまのいる小川があって、そこに紫の花を咲かせ、赤い実をつける、クコの実がある、ってことかな。庄太くんはおばあちゃん子で、昔の言葉をよく使っていたし、お婆さんから昔話もよく聞いていたようだから、唄の意味を理解したんだね。庄太くんはお婆さんの目が良くなるようにクコの実を採りに行ったんだろうね。お婆さんと一緒にお祭りに行きたかったのかな。ま、残念ながら赤い実がなるのは初冬になってからなんだけど」

「ハルがそんなに薬草に詳しいなんて知らなかった」

「……調べたんだよ。電話で心配したから。あいにく角倉くんが先に見つけてくれたようだけど」

 ハルは気まずそうに目を逸らしたけれど、僕はなんだか嬉しくなって、村で買ってきたお土産をハルに差し出した。ぱちくりさまの、月見団子だ。

「まとめると、お婆さんにとっての宝物は庄太くんで、庄太くんにとっての宝物はおばあさんだった、ということだね!」

「ばーか」

 僕が総括をすると、ハルは大袈裟に溜め息を吐いて苦笑いし、団子を一つ口にした。

「写真、見せてよ」

 ハルにデジタルカメラを渡す。と――、

「あ」

「なに?」

「これ……」

「あ」

 僕も声を上げた。

 境内の祭りの様子を撮影した写真。写真の奥の方には拝殿も写っている。拝殿の御神体、大きな球状の岩の周りに、たくさんの小さな赤い実が供えられている。

「クコの実?」

「……たぶん」

「でも、実が成るには早いんじゃないの?」

「そうだけど……」

 僕らは一心にデジタルカメラの小さな画面を見つめて頭をぶつけてしまった。写真に映る、小さな少年――藍色の浴衣を着て兎のお面をかぶり、赤い実をお供えしている――少年が笑ったような気がした。

 ふと窓の外を見ると、満月から少しだけ欠けた月が、それでも美しく浮かんでいる。

「ハル」

 僕は思わず声を掛ける。

「なに?」

「月が、とてもきれいだ」

 なぜだかハルは、顔を赤くして俯いてしまった。そしてとぷとぷとコーヒーにシロップを落として、窓の外に目を逸らせながら呟いた。

「ばーか……」

 夏目漱石もろくに知らない僕には、やっぱり何も分からない。窓の外の月明りが、やさしく僕らを照らしている。

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