第二十六話:なり損ない勇者の誓い


 魔王は討ち取られた。

 数百年で初めて成し遂げられた偉業。

 それは瞬く間に《都市》全体を駆け巡った。

 人類はようやく、世界を蝕む呪いの一つに打ち勝った。

 戦勝の祝いで、人々は大いに盛り上がっていた。


「……本当に良かったのかい、フォルテ」

「良いも悪いもないだろ」


 賑わう街の様子を、教会の窓越しに眺める。

 問いかけるサーレの言葉に、俺は迷わず答えた。

 地の底での決戦が、およそ五日前。

 俺がこの見慣れた病室で目を覚ましたのは、二日ほど前のことだ。

 消耗したせいか、丸三日はこんこんと眠り続けていたらしい。


「魔王を――ザッハークを討ち取ったのは、カイネの功績だ。

 だったらその名誉は、彼女の名前が受けるべきだ。

 俺がやったことにするのは、流石に違うだろ」

「君がそれで良いなら、ボクも文句はないけどね」


 目を覚まして、最初に問われたのが魔王討伐の事実をどう扱うかだった。

 サーレも、イグナールも、その判断は俺に委ねてくれた。

 「起こった真実の全てを、公表しても構わない」――そうも言われはした。

 が、俺はそれを選ばなかった。

 世間が知るのは、「勇者カイネが魔王ザッハークを討伐し、殉教した」。

 実際、一から十まで虚偽というわけでもない話だ。


「……カイネは、本当に生きてるんだね?」

「生きてる。それは間違いない」


 サーレは半信半疑といった様子だ。

 けど、俺は迷わずに頷いた。

 自然と、指先が首の辺りをなぞる。

 そこには、カイネに刻まれた小さな呪紋があった。

 今は何の痛みも感じない。


「カイネには、俺と同じ《転生》の聖痕がある。

 いや、同じっていうのは違うな。

 多分だが、彼女の聖痕は俺のモノより遥かに強力なはずだ。

 それこそ肉体が死んでも、時間をかければ蘇生が可能なぐらいに」

「……それが真実なら、とんでもない話だよ。

 彼女は実質、不死身に近いってことになる」

「まぁ、すぐに復活するってことは無いと思うけどな」


 少なくとも、急所である心臓を貫けば一時的には死ぬ。

 それは間違いないはずだ。


「カイネは諦めてない。

 俺たちに語った、全ての魔王を討伐するってことも。

 アイツは、必ず成し遂げるつもりだ」

「だから、君も?」

「あぁ。アイツよりも先に、全ての魔王を討つ」


 ちょっと前の自分が聞けば、酷い夢物語だと笑ったかもしれない。

 そのぐらいには、荒唐無稽に過ぎる話だ。

 ザッハークは死んだが、未だ七柱の魔王がその呪いで地上を蝕んでいる。

 人類に勝ち目はなく、じりじりと敗北を先延ばしにするしかない現状。

 その全てを、この手でひっくり返そうというのだ。


「……夢物語だね。今どき、子供でも言わないようなことだ」

「でも、やるしかない。

 でなきゃ、カイネの奴が全部やっちまうからな」

「彼女なら本当に、成し遂げてしまうだろうね。

 その過程で、どれだけ犠牲が出たとしても」


 窓の外を眺めながら、サーレは細く息を吐いた。

 と、病室のドアが軽い音を立てて開いた。


「やぁ、フォルテ。生きてるか?」

「まだいっぺんしか死んでないぞ。

 あと、ドアは開ける前にノックぐらいしろよ、パシアス」

「すまない、止める暇もなかった」


 入ってきたのは、パシアスとイグナールだ。

 彼らも大概重傷だったが、今は問題なく治癒している。

 なにやら、色々と大荷物を抱えているようだが。


「それは?」

「見舞いに来たのに、手ぶらじゃ悪いだろ?

 今は魔王討伐成功で、どこもお祭り騒ぎだからな。

 色々とお安く買えたんだよ」

「果物や焼き菓子と、食べ物ばかりをな。

 いや、私も嫌いではないが」

「良いじゃないか、折角だから皆で食べようよ。

 戦ったボクらはまだ、お祝いも何もしてなかったしね」


 それは確かに。

 俺が起きたのが二日前で、そっからサーレたちはドタバタしてたからな。

 魔王討伐の報を含めて、多分政治的なアレコレもあったはずだ。

 その辺は分からないので、俺は病室でぼーっと休んでただけだが。


「ほらほら、食えよ。腹は減ってるだろ?」

「ありがとう。でもあんま押し付けるなよ、食い切れるか分からん」


 でかい袋を丸々一つ押し付けられては、苦笑いも出てくる。

 触ると、まだほのかに温かい。

 口を開いてみると、中には焼いてそう間もないパンが幾つも入っていた。

 ……もし、叶うのなら。

 こんな平和で些細な時間に、彼女もいてくれたなら。

 胸の奥、心臓が少しだけ痛んだ。


「……フォルテ? 大丈夫か?」

「いや、悪い。大丈夫だよ」


 気遣うイグナールに、軽く笑って応じる。

 誤魔化すように、袋から白いパンを一つ取り出す。

 一口食べれば、その柔らかさにちょっと感動してしまった。

 これ、普段なら高くて買わないような高級品だ。


「美味いだろ?」

「美味い。良いのかコレ?」

「遠慮はしなくて良い。

 今回の一番の功労者は、間違いなく君だからな」


 イグナールは笑っていた。

 改めてそう言われると、むず痒いものを感じてしまう。

 まぁ、俺なりに頑張ったよな。

 勇者と呼ぶには、綺麗でも勇ましくもないと思うけど。

 やれるだけのことは、やったはずだ。

 その結果が今、目の前にある光景なんだ。


「……で、これからどうするつもりなんだ? フォルテ」

「しばらくは、魔王のいなくなった呪層の浄化を手伝うつもりだ。

 それの目処がついたら、別の《都市》に行こうと思ってる」

「全ての魔王の討伐か。本当に、やる気なんだな」

「あぁ。カイネよりも先に、それをやらなくちゃならない」

「……マジで言ってるんだな、それ」


 やや呆れ気味に、パシアスはため息を吐いた。

 サーレとイグナールは、真剣な顔で俺の方を見ていた。

 そこには、「俺を止めるべきか」という感情が浮かんでいる。

 俺自身、その気持ちはよく理解できた。

 言い出したのがカイネなら、きっと俺も止める側だったはずだ。


「悪いけど、《都市》外に移動する手続きとか頼むことになると思う。

 ギルドの所属とか、色々と面倒なんだろ?」

「その辺の仕組み、まったく理解してないって顔だね。

 構わないよ、事務仕事は嫌いだけど、苦手なわけじゃあないからね」

「ありがとうな、サーレ」

「ただ君、まさか一人で行こうとは思ってないよね?」


 んっ?

 いや、サーレやイグナールは、《都市》での立場とかがあるだろうし。

 俺は全然、一人で行くつもりだったけど……。


「君が《都市》外に行くつもりなのは、私たちも承知していた。

 だからそれに同行するため、既に行動を始めている」

「つ、付いて来る気なのか?」

「逆に聞くけど、一人で魔王退治の旅なんて、無謀過ぎるとは思わなかったのかい?」


 鼻先にサーレの指を突きつけられ、思わず後ずさる。

 確かに、それはちらっと考えはした。

 だけども、全ての魔王を倒すとか、それは俺のワガママみたいなもので……。

 頭の中でぐるぐる考えていたら、背中をばしっと叩かれてしまった。

 いつの間にやら、満面の笑みのパシアスが傍にいた。


「水臭い奴だな、フォルテ。オレとお前の仲だろ?

 今更置いてくなんて言うなよ、なぁ」

「お前とオレの仲がどうかは知らんけど、お前は今更他と組めないだけだろ」

「良く分かってるじゃないか! 頼むよ、親友」

「ホントにコイツは……」


 自分に素直過ぎるってのも、心底どうかと思う。

 パシアスのことは、どうこう言ったところで仕方がない。

 問題は、サーレやイグナールの方だ。


「……良いのか?」

「それを問われるべきは、ボクらじゃなくて君の方だろう」

「魔王を討つことだけじゃない。

 今後必ず、カイネは君に対して関わりを持ってくる。

 それを黙って見過ごすのは、私たちには無理だよ」

「そうか……それは、そうだよな」


 考えてみれば、当たり前過ぎる話だ。

 カイネを止めたいと思っているのは、何も俺一人だけじゃない。

 むしろ仲間だった二人の方が、その気持ちは強いはずだ。

 自分だけで勝手に結論を出そうとしたことに、遅れて恥を感じてしまう。


「顔を上げてくれ、フォルテ。

 むしろ、これは私たちが君に頼む側なんだ」

「……そうだね、イグナールの言う通りだ。

 フォルテ、君の迷惑でなければ、ボクらを君の旅に同行させて欲しい」


 お願いだよ、と。

 頭まで下げようとする二人を、慌てて押し留めた。


「そんな、頼むだなんて。逆に、俺の方から頼みたいぐらいだ」

「じゃあ……」

「あぁ、一緒に来て欲しい。改めて、お願いするよ」

「話が纏まったな」


 嬉しそうに微笑んで、イグナールが左の手を差し出した。

 それを握って応えると、サーレの細い指が上からそっと重なった。


「あのー、オレは?」

「……別に、ダメとは一言も言ってないだろ?」

「ありがとう、親友ともよ……!」

「調子の良い奴め」


 マジで涙を浮かべるぐらい感謝しながら、パシアスの手も触れた。

 ……俺も含めて、誰も彼も傷だらけだ。

 魔王を討ち取って、世界を救う勇者の一党と呼ぶには、あまりに不格好だ。

 最強の勇者は、もうここにはいない。

 いるのは、出来の悪い代役だけだ。

 きっと、俺は自分が望むような勇者にはなれない。

 それでも今は、やれることがあると信じていた。

 この場にいない彼女が、俺を『勇者』と呼んでくれたように。


「よし、戦勝ついでに先ずは前祝いだな!

 折角だから、酒も持ってきたら良かったかなぁ」

「教会にそんなものを持ち込むな、馬鹿者」

「いやぁ、別にちょっとぐらいは構わないけどね?

 なんならボクも、手すきの時はたまーに呑んでるし」

「仮にも教区長が何を言ってるんだよ。一応お偉いさんだろ??」

「所詮は悲しい中間管理職を、大層な肩書で呼んでるだけさ。

 旅立つ前に引き継ぎを済ませたら、ボクも晴れて自由の身ってワケさ!」

「なぁ、イグナール。これ良いのか?」

「……一緒に行くと言った手前、今更ダメとは言えんよ」

「やっぱり酒持ってきて、パーッとやるべき流れじゃないか? これ」

「しょうがないなぁ、パシアスくんは!

 そこまで言うのなら、ボクが私室にひっそり隠していた秘蔵の酒を……」

「おい待てサーレ、今のは聞き捨てならんぞ。

 何をどれだけ隠し持ってるんだ、素直に白状しろ」


 穏やかな時間は、賑やかに過ぎていく。

 その中に身を置いて、俺も心の底から笑っていた。

 今は遠く、見えない場所にいる彼女。

 カイネのことを、心の内で思いながら。

 生まれ変わって得たこの時を、決して無駄にはしないと誓った。

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心臓転生 ~なり損ない勇者の英雄譚~ 駄天使 @Aiwaz15

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