第二十五話:最後の約束


「おおおぉぉぉぉぉッ!!」


 雄々しい叫びと共に、イグナールの《炎》が走る。

 強化を重ねた《竜炎》は、呪詛と毒気を一瞬で焼き払った。

 三つ首の黒竜が吐き出す《吐息》も、彼女の《炎》が吹き散らす。

 生じた空白に、俺は迷わず突っ込んだ。

 手にした《剣》と、身に纏う《鎧》。

 全てに《浄化》の輝きを宿し、魔王――カイネへと肉薄する。

 振るう刃は、カイネの手から伸びる爪とぶつかり合う。

 やはり、単純な腕力は向こうが上だ。


「カイネ――!!」

「ッ……!」


 名を叫び、《雷》の聖痕をゼロ距離で発火させる。

 近すぎるせいでこっちも余波を浴びてしまうが、構わない。

 《力》で倍加させた雷撃の槍。

 それは俺とカイネの間で爆ぜて、彼女の胸元を貫いた。

 表情が微かに苦痛で歪むのが、はっきりと見えた。


「無茶し過ぎだよ……!!」

「無茶しなきゃ、勝ち目なんかないからな!」


 呻くサーレの声。

 今もパシアスの《風》に乗って、絶えず《治癒》の光が届いている。

 その助けがなければ、こんな無茶もできなかっただろう。

 魔王となったカイネは、恐ろしく強い。

 俺一人では、とても敵わないほどに。


「敗北を認めてくれ、カイネ……!」

「…………」


 一人では敵わないが、今の俺たちは一人じゃない。

 か細いかもしれないけど、確実に勝機は見えていた。

 だからこそ、イグナールはカイネに向けて降伏を促す。

 《炎》を帯びた《剣》の一刀が、呪いごと竜の首を断ち切った。

 黒い竜は、どれだけ破壊しても復元してしまう。

 それでも首が欠けた瞬間は、カイネ側に隙が生じる。

 狙い違わず、振り下ろした刃が彼女の腕を斬り裂いた。

 浅くはない傷から、黒い血が溢れ出す。

 少しずつではあるが、俺たちは確実にカイネを追い詰めていた。


「……私、言ったよね」


 追い詰めている。

 それは間違いないはずなのに、カイネに焦りはない。

 むしろ、語る声は酷く穏やかで――。


「ッ――――!」


 その声が耳に届くのと、ほぼ同時に。

 冷たい予感が背筋を駆け抜けた。

 丁度、《炎》を纏ったイグナールが《剣》を振り下ろした――瞬間。

 錯覚ではなく、物理的な冷気が身体を包み込んだ。


「何……!!」

「っ、嘘だろ……!?」


 イグナールの《炎》がかき消された。

 カイネの手から放たれた、莫大な量の《氷》によって。

 骨まで凍えるほどの冷気が、漂う呪毒を塗り替えるように一気に広がった。

 自分自身も半ば氷結させた状態で、カイネは小さく頷いた。


「うん、案外やればできるもんだね」

「カイネ、お前は何を……!」

「教えてあげないよ? 自分で考えて」


 笑って、フォルテは身体についた氷を砕く。

 その直後に、俺の方に指先を向けた。

 《翼》の加速を強めて、その場を一気に離脱する。

 離れて一秒も経たない内に、俺がいたはずの空間を氷が埋め尽くした。


「イグナール、大丈夫かっ!!」

「あぁ、どうにかな……!」


 俺の呼びかけに、イグナールは呻くように応じた。

 《炎》を噴き出すことで、彼女自身は氷結に閉ざされずに済んでいた。

 が、恐らく周囲を覆う冷気の影響だろう。

 明らかに《炎》自体の出力は、さっきと比較して半分ほどに抑えられていた。

 一体、何がどうなってる?

 魔王であるザッハークの呪紋は《毒》で、カイネが使うのはその力のはずだ。

 氷や冷気を操るなんて、以前のカイネの力にも当てはまらない。

 なら、どうして――?


「…………まさか」

「あぁ、もう気が付いたの? 流石に、良く見てるね」


 最悪の想像を、瞬時に察したカイネが笑いながら肯定する。

 見た。見てしまった。

 カイネの肌に刻まれた、魔王の呪紋。

 その形状が、少し前までは明らかに異なっていた。

 いや、違う。それは正確じゃない。

 変わっている。

 今こうしている瞬間も、カイネの呪紋は形状を変化させているんだ。


「呪紋の内容を、書き換えてるのか……!?」

「当たり。できないかなって思ってたけど、やれば意外とできるものだね」


 あっさりと言って、彼女は容赦なく氷結を撃ち込んできた。

 冗談じゃない、天才と言っても限度があるだろ……!

 凍らせる範囲が広く、下手に近付くのは危険だ。

 イグナールと視線だけ交わし、俺たちはカイネとの間合いを広く保つ。

 そして《炎》と《雷》、その二つを同時に放った。

 炎熱は冷気を押し退けて、雷撃は大気を貫く。

 カイネは黒い竜の首と、氷結で壁を作ってそれらを受け止める。

 攻撃は防がれたが、向こうの視界は完全に塞がった。

 全身に焼ける痛みを感じながら、俺は《翼》を広げた。


「ッ――――!」


 駆ける。

 何か叫んだ気がするが、自分で音を認識できなかった。

 すれ違いざまに竜の首を断ち、冷気と氷結の壁とをすり抜ける。

 一閃。今度の手応えは、今までで一番大きい。

 反応が間に合わなかったカイネの胴体を、《剣》は深く斬り裂いていた。

 肌に浴びた黒い血は燃えるように熱く、同時に冷たさもある。

 矛盾した体液を流しながら、カイネは笑っていた。


「良いね、流石だよ――!」


 伸びてくる手に、氷結の気配が漂っている。

 歯を食いしばって、俺は《翼》によって再度の加速を行った。

 ブチブチと、身体の中で何かが切れる音がする。

 血反吐がこみ上げるのを堪えて、ギリギリで氷漬けになるのを回避した。

 カイネの間合いから離れた直後に、《治癒》を乗せた《風》が届く。

 ボロボロになっている体内が、無理やり癒されるのを感じた。


「助かる……!」

「役目だからね、任せてよ!」


 サーレの声に、軽く《剣》を掲げて応えた。

 傷は重なっている。

 カイネの方にも、そう余裕はないはずだ。

 こっちも当然そんなものはないが、サーレたちのおかげでギリギリ戦えている。

 相手の氷結の力で、イグナールの《炎》が半減させられたのは痛手だ。

 が、《呪毒》に比べれば、氷結の方が回避や防御は比較的に容易い。

 これなら――。


「……うん、やっぱり。慣れた力にした方が良いかな」


 ぽつりと、カイネは呟いた。

 その声の後に続くのは、呪紋の大規模な変容。

 また別の力に変えるつもりか!!

 《翼》の力で、俺とイグナールの双方を加速させる。

 しかし、相手の方が一手早かった。


「《雷》よ」

「ッ――――!!」


 瞬間、黒い雷が全てを斬り裂いた。

 俺が使える《雷》と比べても、威力も範囲も段違いにデカい。

 視界は黒く焼かれ、凄まじい衝撃が全身を貫いた。

 意識を飛ばさず持ち堪えたのは、ハッキリ言って奇跡だった。


「く、そ……っ!!」

「……凄いな。本気で撃ったのに、堪えるんだね」


 身体を黒い《雷》に焼かれながら。

 それでも踏みとどまる俺を見て、カイネは感嘆の吐息を漏らした。

 追撃を仕掛けないのは、こっちを舐めてるわけじゃない。

 焼かれた眼でも、彼女の姿はハッキリと見えた。

 肌で蠢く呪紋から、しゅぅしゅぅと煙のようなものが立ち上っている。

 本気の一撃ってのは、嘘じゃないらしい。

 連続での力の行使ができないほど、カイネにとっても全力の《雷》だったようだ。

 それを受けて、持ち堪えられた。


「けど、それはフォルテだけみたいだね」

「……っ」


 カイネの言葉に、少しだけ視線を巡らせる。

 イグナールにサーレ、それにパシアス。

 他の三人は全員、黒い《雷》を受けて地に倒れ伏していた。

 ……生きてはいる。まだ、誰も死んでいない。

 けど、立ち上がるのは難しいだろう。

 今やカイネと向き合っているのは、俺一人だけだった。


「結局、この形になったね」

「……そうだな」


 本当に、カイネは嬉しそうに語り掛けてきた。

 正直限界だが、六つの聖痕だけは途切れさせないように気力を振り絞る。

 感じる苦痛が《雷》に焼かれた痛みか、聖痕の反動によるものか。

 もうそれすらも曖昧な状態だった。


「……魔王として、もう一度だけ勇者に聞くよ。

 もう、終わりにしない?

 私は貴方を殺す気はないけど、勝ち目がないのは分かるでしょう?」

「ありがたい申し出だけどな」


 虚偽はなく、どこまでも真剣に。

 魔王であるカイネは、勇者ではない俺に降伏を促してきた。

 ……それに頷くことができれば、楽だったんだけどな。

 もう、決めてしまったことだ。

 その決意と覚悟を、今さら覆すことなんてできない。


「悪いが、お断りだ。

 それにまだ、俺は勝つのを諦めちゃいないんだ」

「……この状況で、まだ勝てるつもりなの?」

「ゼロじゃないさ。だったら、やる価値はある」

「そう」


 ため息一つ。

 カイネは細く息を吐き出して、嘆くように天を仰いだ。

 ここは未だに地の底。

 見上げても、空が見えることはなかった。

 俺はそんな寂しい場所で、彼女を葬らなくちゃならない。

 そう考えると、少しだけ心臓が痛んだ。


「――だったらやっぱり、手足をもぎ取るしかないね」

「できるもんならやってみろよ……!!」


 カイネが右手をかざした。

 黒い《雷》が、その腕に収束していくのが見える。

 一秒も経たずに、『加減した』致命の一撃が放たれるだろう。

 こちらは、それを全力で迎え撃つ。


「「《雷》よ!!」」


 奇しくも、同じ声が重なった。

 弱った状態で放った《雷》など、カイネの黒い《雷》には届かない。

 簡単に蹴散らして終わりだと、向こうも思っていたはずだ。

 だが、出力された現実は彼女の予想を僅かに上回る。


「っ……何故……!?」


 二つの《雷》は、真っ向からぶつかり合う。

 そしてすぐには押し切られず、互いの威力は拮抗していた。

 いや、押しているのはカイネの黒い《雷》の方だ。

 ただ一瞬で押し負けたりはせず、俺の《雷》はギリギリで押し返していた。

 ……立っているのは、もう俺一人だけ。

 その認識は間違っていない。

 けど、カイネは気付いていなかった。

 パシアスの《鼓舞》の加護は、まだ俺に戦う気力を繋いでくれている。

 サーレの《治癒》は、今も俺の傷を癒やし続けてくれている。

 立ち上がれないだけで、まだ誰も折れていない。

 俺たちはまだ、戦えている。

 当然、残る一人も。


「――――《炎》よッ!!」


 命を吐き出すような叫び。

 倒れ伏したままで、イグナールは《炎》を放った。

 これ以上はないという規模の炎熱。

 その狙いは、ぶつかり合う二つの雷の接触点。

 引き起こされた爆発は、音すら聞こえないほどの凄まじさだった。


「ッ――――!!」


 熱と衝撃を《鎧》越しに浴びながら、俺は迷わず走った。

 恐らく、これが最後の勝機だ。

 二つの《雷》と《炎》は、周りを灰色の煙で覆い尽くす。

 ほんの少し先も見通せない中に、《翼》を広げて飛び込んだ。

 カイネがどこにいるのか。

 見えてはいなくとも、想像はつく。

 きっと、彼女は動いていない。

 俺が迷わず来ると予想して、不動のまま迎え討つはずだ。

 その考えに根拠なんて欠片もなく、ほとんど妄想と言っても過言じゃない。

 それでも俺は確信を持って、カイネの元へ真っ直ぐに駆けた。

 そして。


「カイネっ!!」


 躊躇いなく、その名を叫んだ。

 呪詛が渦を巻き、強烈な圧力が押し寄せてくる。

 薄紙を破り捨てるように、カイネは分厚い煙を容易く振り払った。

 先ほどの一撃を放って、まだそう間もないはず。

 しかしカイネの身体に刻まれた呪紋は、既に黒い雷光で満たされていた。

 距離を詰め切るまで、あと数歩。

 今の状態で《雷》を放っても、今度は防ぎ切れない。

 《剣》が届く間合いでもなかった。

 勝利を感じたか、カイネは微笑んでみせた。

 彼女のかざした右手に、黒い《雷》が収束する。

 一秒後には、彼女自身が予告した通りに、俺の手足は砕かれるだろう。

 それに対して、俺は。


「ッ――――!?」


 

 《力》と《翼》は解け、《鎧》と《剣》は消える。

 《浄化》の光も失せ、《雷》は沈黙する。

 完全に無防備な、裸も同然の状態だ。

 カイネの表情には、これまでで一番の動揺が見えた。

 ――彼女に、俺を殺す気はない。

 絶対的な強者であるカイネは、偽りを口にはしない。

 そして隔絶しすぎた強者であるが故に、彼女は加減が不得意だ。

 ただ、その一点に賭けた。

 今、この瞬間に《雷》を放てば、こちらはほぼ確実に即死する。

 それが、カイネの判断をほんの僅かに鈍らせた。


「…………酷い人だな、フォルテ」

「……悪い。これしか、お前の不意を打つ手が見つからなかった」


 カイネの手から、《雷》は放たれなかった。

 彼女は飛び込んできた俺の身体を、力なく抱き締めていた。

 胸元を貫く《剣》には、熱い血が流れ落ちる。

 間違いなく致命傷だ。

 彼女は躊躇ったが、俺は躊躇わなかった。

 卑劣極まりない手で、俺は魔王カイネを仕留めたんだ。

 心臓が、キリキリと痛む。


「そんな顔をしないでよ。

 勝ちは、勝ち。貴方がどれだけ無茶をやらかすのか。

 それを読み切れなかった、私の負け」

「……カイネ、俺は――」

「あくまで、今回はね」


 囁く声は、甘く。

 死に瀕しているにも関わらず、カイネは変わらぬ笑みを浮かべていた。

 彼女にはもう、戦う力はない。

 けれど、抱く腕には離すまいという強い意志が込められていた。

 抗うことはせず、俺はカイネを見た。

 吐息を感じる。

 そのまま、口付けでもされそうな距離で――。


「っ……」


 痛みが、首筋を鈍く刺した。

 何か熱いものが、裂けた皮膚へと流し込まれる感覚。

 戸惑っている内に、カイネは唇を離した。

 赤く濡れた口元。

 舌で舐め取ってから、もう一度だけ微笑んだ。


「貴方の身体に、呪紋を刻んだから。

 私が生きてる限り消えないし、私が近くにいたら伝えてくれる」

「……なんで、そんなものを?」

「これは約束だよ、フォルテ。

 今回は負けたけど、私はまだ何も諦めてないもの」

「……そうか」


 頷く。

 言葉を交わしている間に、カイネの身体は崩れつつあった。

 呪詛の残滓だけを残し、黒い塵へと変わっていく。

 最後に、彼女の唇がまた俺に触れた。


「またね、フォルテ。約束したから、絶対だよ?」

「……あぁ。またな、カイネ」


 それは、呪いのような愛の言葉だった。

 カイネ自身は、自分の言っていることを理解しているのか。

 問いかける暇もなく、彼女は一陣の風と共に消えた。

 後に残るのは、首筋に刺さった鈍い痛み。

 それから、唇に微かに残った温もりだけだった。

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