第二十四話:嘘だったじゃないか
踊るように戦いは続く。
聖痕の光が散り、呪紋の闇が瞬く。
《雷》を至近距離で放ちながら、《剣》で竜の首を裂く。
自爆覚悟だった、六つの聖痕の同時使用。
けれど今は、常にそれを行っているような状態だ。
そうしなければ、とても追いつけない。
魔王となったカイネの力は、あまりにも強大だった。
「――大丈夫? 息が上がってきてるよ」
「ッ……!」
軽口を返す余裕はない。
下手に口を開けば、血反吐をぶち撒けてしまいそうだ。
《翼》による加速を維持しての高速戦闘。
彼女は特別な強化無しで、完全に対応してのける。
《浄化》の光を帯びた刃が、掠めたカイネの肌を焼く。
届けば、ダメージは与えられる。
しかしそれだけでは、彼女には勝てない。
今さらながら、絶望的なまでの格差を見せつけられていた。
「フォルテは、よくやったよ。
他の誰も、きっとここまでは頑張れなかったと思う」
優しげな口調。
穏やかに語る声とは真逆に、竜の三つ首は容赦なく攻め立てる。
一つは《剣》で切り裂き、二つは《雷》で貫いた。
しかし三つ目は間に合わず、呪いを帯びた牙が《鎧》の上から突き刺さった。
激痛。《浄化》が間に合わないほどの、強烈な呪毒。
今やカイネは、ザッハークが持つ毒の呪紋を完全に使いこなしていた。
《力》で増幅した腕で、強引に竜の顎を引き剥がす。
同時に、腹部に強い衝撃が走った。
「がッ……!?」
「――けど、ここまでかな」
蹴り飛ばされた。
理解するより早く、派手に地面に叩きつけられる。
息が詰まる。
呪毒が身体の内側を食い漁り、心臓に杭を打ち込むような苦痛が襲ってきた。
――死ぬ。
どうしようもなく死ぬ。
伸びてきた死神の手が、首筋を撫でるのを感じた。
いや……触れたのは、死神の幻覚ではない。
カイネだ。
倒れ伏す俺の傍に膝を付いて、カイネはこちらを見下ろしていた。
冷たい指先が、首から頬をなぞるように触れている。
「もう、諦める?」
「っ……カイネ……!」
「良いよ、諦めて。フォルテは頑張ったよ。
私の身体を上げたからって、誰でもそこまでできるわけじゃない」
慰めの言葉を、彼女はゆっくりと重ねる。
それが本心から出たものなのは、疑う余地もない。
魔王である彼女は、勇者になり損なった俺を哀れんでいたんだ。
「これ以上続けたら、流石に死んじゃうよ。
私は、貴方を殺したいわけじゃない。
だからまだやる気なら、手足をもぎ取らなくちゃいけなくなる。
流石にね、そこまではやりたくないんだ」
故に諦めろと。
カイネは諭す声で、倒れたままの俺に囁いた。
俺は何も答えず、それを黙って聞いていた。
「大丈夫だよ、全ての魔王は私が討つ。
地上が汚染されても、私の身体があれば平気だよ。
心配することなんて何もない。
私にまかせてくれたら、全部終わらせてあげるから」
……きっと、その言葉は正しい。
カイネに任せれば、彼女の言う通りに世界は救われる。
全てが失われることに比べれば、最小限の犠牲と引き換えに。
その犠牲の中には、カイネ自身も含まれる。
彼女に躊躇いはなかった。
必ず、語った通りのことを実行するはずだ。
だから、俺は。
「……ダメ、だ」
「……フォルテ」
「そんなのは、認められない。
例え、世界の半分をくれてやるって言われても、お断りだ」
立ち上がる。
《浄化》し切れてない呪毒が、血肉を蝕んでいる。
神経そのものを火に炙られたみたいな苦痛を、気合で噛み潰した。
諦めてない俺を見て、カイネは少し驚いた顔をしていた。
このぐらい、当たり前だろうがよ。
「魔王になったお前の代わりに、俺が勇者になる。
そう、言ったはずだろ。カイネ」
「…………本当に馬鹿だなぁ、貴方は」
満身創痍の俺と比べて、カイネにはまだ余裕がある。
再び戦ったとしても、結果は見えていた。
だからこそ、彼女は呆れたような笑みを浮かべた。
「まだ、諦めないの?」
「まだ、じゃない。この身体が動く限り、絶対に諦めるかよ」
「じゃあ、手足をもぎ取るしかないね」
ざわりと、黒い竜の首が蠢く。
主である魔王の言葉通り、俺の手足を奪うために。
「ホントは心臓を抉っても良いんだけど。
私の身体に入ったフォルテが、ちょっと可愛いから。
手足だけで許してあげる」
「ありがたくって涙が出る話だな……!」
冗談めいたことを言ってるが、カイネは本気だ。
本気で俺の手足を潰して、それで無力化するつもりだ。
抵抗できる気は、まるでしなかったが。
それでも、最後の最後まで抗うために身構え――。
「――下がれ、フォルテ!!」
「ッ!?」
届いた声に、半ば反射的に後ろへと飛ぶ。
間髪を入れずに、紅蓮の炎が前方の空間を呑み込んだ。
この炎は……!
「イグナール!」
「彼女だけじゃなくて、ボクらもいるよ」
温かい光が背中に触れる。
サーレと、その近くにはパシアスの姿もあった。
《治癒》の聖痕が輝き、呪毒で傷んだ体内が癒やされていく。
「悪いな、フォルテ。ちょっと手間取った」
「パシアス……」
「彼に、説得されてしまってね。
『このまま膝を折って、見てるままで良いのか』って」
「……情けない話だ。
カイネの仲間を気取っていながら、私たちは彼女に依存してるだけだった。
想像もしていなかった事態に、考えることすら止めてしまっていた」
炎が渦巻く。
間違いなく本気の《竜炎》――だが。
直撃したはずのカイネは、大した負傷もなく炎を裂いて現れた。
その表情は、穏やかに笑っていた。
「それが、君たちの答え? サーレ、イグナール」
「……あぁ。正直、今も考えただけで指が震えそうになるけどね。
ボクも、フォルテと同じ答えだ。
君の出した結論を、認めるわけにはいかない」
「私もだ、カイネ。君のやることが、恐らく最も正しいだろう。
だとしても、私はその結論を拒否する。
君とフォルテの仲間だからこそ、それは認められない」
迷いは、あるはずだ。
それを言葉にするまで、どれほどの葛藤があったのか。
俺では想像もつかない。
サーレとイグナールの決断は、それだけ重いものだった。
「……お前が、説得してくれたのか」
「説得なんて、上等なもんじゃないさ」
パシアスは苦笑まじりに応える。
「ただ、何もできずに仲間を失うなんてのは、マジでしんどいからな。
そんな思いは、できればさせたくなかった。それだけだよ」
「……ありがとう」
「やめてくれよ、返事に困るだろ」
笑うパシアスと、軽く手を叩き合う。
改めて、カイネの方を見た。
刃を向ける仲間たちを前に、彼女は何を思うのか。
その表情に、怒りや敵意はなかった。
ただほんの一瞬だけ、寂しそうに笑ったのは、俺の気のせいだろうか。
「――それが答えなら、仕方がないね」
「全員、構えろ! 来るぞ!」
「あぁ。サーレとパシアスは援護を頼む……!」
「了解!」
「勝てる気がまるでしないんだよなぁ!」
俺とイグナールが前に出て、サーレとパシアスが後方に下がる。
陣形を瞬時に整える間に、カイネもまた戦いの構えを取った。
より多くの呪詛を供給されたか、竜の首が肥大化する。
三つの首がとぐろを巻く中心、そこに
「来なよ。フォルテ以外は、優しくしてはあげないからね」
「構うものか……!」
《炎》を噴き出し、イグナールが突っ込む。
凄まじい勢いではあるが、カイネの目はそれを捉えている。
同時に、大して脅威と感じてないのもすぐに分かった。
力の差は、あまりにも大きい。
カイネの注意は、あくまで俺に向けられていた。
イグナールは片手間に叩き潰して、俺の相手を優先する――そんなところだろう。
けど、あんまり舐めてくれるなよ。
「ッ――――なに……っ?」
驚愕の声を漏らしたのは、カイネだった。
突撃したイグナールの炎。
真っ赤に燃える一撃が、竜の首一つを真っ向から爆砕したのだ。
恐らくカイネは、それで叩き潰して終わりのつもりだったんだろうがな。
「自分の聖痕の力ぐらい、ちゃんと覚えておけよ……!」
笑う。
笑いながら、右目と背中に刻まれた聖痕に意識を集中させる。
《力》による強化と、《翼》による加速。
そこにパシアスの《鼓舞》と、サーレの《奇跡》も加わっているはずだ。
複数の援護を重ねられたイグナールの炎は、カイネの想定を飛び越えていた。
ただ、単純に支援を施しただけなら、こうはならなかったろう。
彼女の予測を超えたのは――。
「勿論、自分の聖痕ぐらいは覚えてる。
けど、そんな使い方は流石に想定してないよ、フォルテ……!」
呆れと驚きを半分ずつに、カイネも笑みを見せた。
焼け付く痛みを、歯を食いしばってどうにか耐え抜く。
最初の頃、俺は聖痕をロクに制御できずに、身体を焼くような出力で使っていた。
今やっている事は、要するにその時と同じだ。
制御なんて完全に度外視した、限界以上の最大出力。
イグナールに施した《力》や《翼》も、普段より数倍上の威力のはずだ。
当然、それを補助だけで済ませる気はなかった。
「《雷》よ――――!!」
「ッ……!!」
叫び、左目から鉄槌の如き雷撃を放つ。
力を行使する度に、血肉がガリガリと削れるのが分かる。
自殺に等しい攻撃は、カイネの身体も深く焼き貫いた。
通じている、間違いなく。
本当なら、今の一発だけで力尽きるには十分過ぎた。
けど、俺は一人じゃない。
「頼むから、もうちょっと頑張ってくれよ、フォルテ……!」
「死ぬほど頑張ってくれなきゃ困るが、死んだらもっと困るからな!」
パシアスの《風》に乗って、《鼓舞》と《治癒》の力が届いた。
折れそうな気力を繋ぎ、聖痕の反動で焼かれた身体が回復していく。
苦痛までは消えないはずだが、それはサーレの《奇跡》が誤魔化してくれた。
「一時的に痛覚を麻痺させてるだけだから、過信はしないでおくれよ!」
「十分だ、ありがとう……!」
戦える。
俺は――俺たちはまだ、戦える。
戦えるのならきっと、勝てるはずだ。
例え相手が、
「――――勇者じゃない、なんて。
やっぱり嘘だったじゃないか、フォルテ」
イグナールの《炎》と、俺が振り下ろした《剣》。
それらを竜の首で受け止めながら、カイネは笑っていた。
囁く言葉の意味は、何であるのか。
「けど、今は私が魔王。
簡単に勝てるなんて、思わないで欲しいね」
安い女と思われるのは、心外だと。
冗談めいた言葉とは裏腹に、纏う呪詛と向ける敵意は嵐の如く凄まじい。
――これからが本番だと、そう感じると同時に。
戦いの終わりが遠くないことも、俺は予感していた。
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