海を越えた山姥の話

ババトーク

海を越えた山姥の話

 人喰い山姥ヤマヒメは、まだまだ幼い妖怪の娘。人里離れた山の奥に暮らしていた。


 かつては山に幸を求めて立ち寄った者、道に迷った旅人などを喰らって生きていたが、昨今は人里に飢饉が迫り、村々は塗炭の苦しみに喘いでいた。


 深い山奥を訪ねる者はもはやない。喰うためには山を降りねばならなかった。


 * * *


 ある年の暮れ、ヤマヒメは空腹に耐えかね、得物を懐に隠して山を降り、最寄りの村へとやって来た。そこは既に飢饉で廃村寸前となっており、家畜は食い尽くされ、稲も麦も稗も粟も、木の根すら食い尽くされていた。まともに動ける者は残っていなかった。


 ヤマヒメは、これ幸いと、遠慮の一つもなくパクパク喰べた。


 少ない村の人口は、飢饉によりさらに少なくなっていた。元来は大喰らいのヤマヒメにとって、そこでの食事は糊口ここうをしのぐ程度のものでしかなかった。


「ああ、まだ腹が減る」


 ヤマヒメはそう呟いて、骨を野良犬のように齧りつつ、大きな町のある方へと向かった。


 * * *


 ヤマヒメはやがて港町へと辿り着いた。そこは戦火に焼かれ、住民は既にどこかへと避難していた。あるいは不埒な輩に根こそぎ殺されてしまったか。

 見かけるのは武装した落ち武者狩りばかりである。彼らは身なりの悪いヤマヒメを一瞥し、得るものがないと判断すると、さっと目をそらすのだった。


 ヤマヒメは得物を懐から抜くと、見事な刃物さばきで食材をばらし、パクパク喰べた。


 そして、ああ、誰もいない。戦争とは嫌なものだ、と思うのだった。


 とぼとぼと海岸を歩いていると、波の向こうに大きな船が見えた。ヤマヒメは船を初めて見た。初めて見たが、それには人が乗っているように思えたため、若枝が木枯らしに揺れるように、それに向かってバタバタと手を振った。


 船はヤマヒメを視認すると、ゆっくりと岸に近づき、小舟を出し、そして数人の異邦人が上陸した。言葉は通じない。異邦人たちはヤマヒメを囲み、話し合った。

 

「この者は珍しい風体ふうていをしている。身分はとても低そうだ」

「見てみろ。あの歯の鋭さを。こんな人間がいるなんて信じられない」

「見世物の一つになりそうだ。母国に帰る前に死ななければいいが」


 彼らはヤマヒメをむんずと掴み上げると、有無も言わさず小舟に乗せ、船に乗せ、そして波を越え、西へと向かった。


 * * *


 異邦人の船は、幾日も、代わり映えのしない海の上を進んだ。

 ヤマヒメは雑に手足を縛られ、隔日で、まったく足りない水と食料を給された。

 

 月が欠けて満ち、また欠けたころ、ヤマヒメの乗った船の中が慌ただしくなった。

 言葉はわからない。船員たちは真っ青になって頭を抱えている。


「食糧が足りない。このままでは全滅だ」

「航路を間違えているのだ。そろそろ母国へ到着しているはずではないのか」


 やがて船内は恐慌に包まれ、船員たちは樽を奪い合い、何かの肉片を奪い合い、仕舞いには生きたネズミすら奪い合うようになった。

 弱った船員たちがバタバタと倒れていった。船長は殺され、吊るされた。


 ある日、ヤマヒメは、するりと手足の縄をほどくと、ふらふらと甲板へと出て、そこが確かに海の上であることを悟った。

 船員たちは食糧が尽きたことに絶望し、皆がぐったりとしてうなだれていた。誰もヤマヒメのことなど気にしない。

 ヤマヒメは、空になった樽を覗いて口を開く。


「ああ、食糧がなかったらどうしようかと思ったのだが。これならしばらく足りそうだ。あの吊るされたのは干し柿を思い出すな。最後まで取っておこう」


 そしてヤマヒメ、陸にたどり着くまで、パクパク喰べた。


 * * *


 幸運にも、船は彼らの母国へと流れ着いた。

 異邦の民は戻ってきた自分たちの船を歓迎したが、そこには誰も残っていなかった。余所者であるヤマヒメを除いては。

 それでも異邦の民はヤマヒメを丁重に扱い、身なりを整えさせ、ぐしゃぐしゃの髪を櫛けずり、美しい靴まで用意した。着飾ると、馬子にも衣裳。目見麗しい少女のよう。ヤマヒメは、嬉々として貴族の屋敷へと招待された。


「おお、これが異邦から来た、人に近いサルであるか」

「牙を持っているよ。あれはサメのようだ」

「人のように完璧な二足歩行を行っている。ナイフを抱えており、研ぐ知恵もあるようだ」

「古代のサルも黒曜石を研いでいたというからね」


 貴族たちはヤマヒメを前にして、思い思いのことを口にした。ヤマヒメには異邦の言葉がわからないし、彼らの会話に興味もない。

 屋敷には、多くの人が集まっていた。そこはパーティー会場のようになっており、真っ白なテーブルクロスの上には、様々な料理が白磁の皿に乗せられて並んでいた。


 ヤマヒメは、せっかくなので目の前のご馳走をパクパク喰べた。

 フォークもナイフも使わないから、品がない。これを見て貴族たちは大騒ぎ。

 それでもヤマヒメ、遠慮なんかせずにパクパク喰べた。パクパク喰べた。


 ヤマヒメ、たくさんのご馳走を喰べて大満足。口のまわりに付いたソースをテーブルクロスでぬぐってこすると、誰もいなくなったお屋敷を後にした。


 * * *


 ヤマヒメ、着飾った服装のまま旅に出た。ここは大陸。土地は広く、町も村もたくさん。人だってたくさん。杖をついて食糧が街道を行く。


 異邦でも、少し歩けば戦争が行われていた。

 見たこともない道具を使って、不思議な力で玉を飛ばし、爆音を立てて、遠くの敵をやっつけていた。戦場に近付くと、火薬のにおいが血のにおいと混ざりあっていた。それは何とも食欲をそそらない。


 ある日、ヤマヒメは、食糧がたくさんあったので、とある軍隊の陣営へとやってきた。

 彼らは母国から遠く離れ、遠征に次ぐ遠征の末、辺境の敵国へと迫っていた。

 兵士たちは飢えていた。この頃の軍隊にまともな兵站戦略はなく、行く先々で町や村を襲い、物資を奪い、食糧を奪った。奪って相手の国力を下げることこそが、戦争の目的ですらあった。


 それでもこの兵士たちは飢えていた。戻っても食べるものはない。進んでも敵兵が待ち構えている。孤立していた。


 そんなことも知らずにヤマヒメは、陣地内の食べ物をパクパク喰べた。


 これを見て兵士たちは恐れおののいた。でも将軍はびっくりしてこう言った。


「なるほど、その手があったか。これで食糧問題は解決だ」


 狂った将軍、ヤマヒメを勝利の女神として担ぎあげ、狂った兵士たちがそれに便乗した。


 軍隊は息を吹き返し、壁のようですらあった目前の敵軍を一気呵成に打ち砕いた。

 潰走した敵兵たちを見て、狂った将軍はこう言った。


「見てみろ、敵軍は、愚かにも我々に食糧を置いていったぞ!」


 ヤマヒメ、そうしてみんなと一緒に、戦場に置いていかれた食糧をパクパク喰べた。


 * * *


 狂った軍隊は快進撃を続ける。撤退の必要はどこにもなく、むしろ進まなければお腹が減ることは間違いない。振り返っても何にもないが、進めば少なくとも敵はいる。敵がいるなら、ほらね、食糧もある。


 狂った軍隊は本国の指示も聞かなくなった。友好国も中立国も、未開の地も神聖な地も、川も海峡も、森も砂漠も、そこに食糧があればどこだって進んだ。

 やがて軍隊は大陸を横断し、世界の端まで辿り着いた。五十の国を焼き、五百の町を串に刺し、五千の村をスパイスと混ぜてねた。口にした肉はその百倍はある。

 

 ヤマヒメは成長し、名実ともに美しい勝利の女神となっていた。


「本国で革命が起こった。お前の軍隊は雇い主が変わったので戻ってこい」


 遠路はるばるやってきた伝令が、こんな便りを持ってきた。ヤマヒメは、伝令が持ってきた食糧をパクパク喰ベながら、「遠くまで来ちゃったし帰ろっか」と提案した。旅も飽きてきたし、戦争だって、やっぱり嫌なものだと思うので。戦争は、たくさんの食べ物がどっさり手に入るのはいいけれど、食べ残しが多くてもったいない。


 世界地図を見ると、ヤマヒメが生まれ育った島は、今いる場所とそう離れていなかった。少なくとも、最初に船で辿り着いた港よりかは随分と近い場所にいる。


 ヤマヒメは、軍隊とお別れして、故郷に帰ることにした。


「それなら仕方がないですな。我々は引き続き喰うために戦い続けます。なに、勝利の女神の故郷には手を出しませんので」


 狂った将軍は、伝令が持ってきた食糧をパクパク喰べながら、ヤマヒメにそう伝えた。


 * * *


 ヤマヒメは、軍隊の陣営で、最後の夜を迎えていた。眠り、夜が明けると、また一人で旅に出て、どうにかして海を渡り、故郷の島へと帰る予定だった。


「聞いたか」

「ああ」

「この軍隊から女神様がいなくなるのだと」

「勝利の女神に見放されてしまうのか」


 最後の夜、狂った兵士たちが幕舎の内側でこんなことを話していた。


「この軍隊は大丈夫なのか」

「我々の快進撃は女神様の加護があってのことではないのか」

「俺は不安だ」

「俺もだ」


 一人が寝床から起き上がると、それに合わせて他の者たちも起き上がった。眼は血走り、歯は薄汚れて軋み、興奮して腕をぶんぶんと振り回している。


「このまま見放されるくらいなら、女神様を喰ってしまってはどうだ」

「実は俺も同じことを考えていた」

「俺はもう我慢ならない」

「俺だってずっと我慢していたのだ」


 狂った兵士たちは、「喰っちまおう」「喰っちまおう」と呟きつつ、幕舎をこっそりと抜け出した。しかもその影は、同時に、幾つもの幕舎からぬっと現れた。彼らは群れをなし、夜の闇に紛れて、一際ひときわ豪奢な幕舎の前に集まった。そこがヤマヒメの寝室だった。


「俺はあの歯をお守りにして大事にするぞ」

「俺は女神様を喰って勝利と共に生きるのだ」

「俺はあの黒髪を手首に巻こう。銃弾から身を守るというからな」

「俺は、血だ。喉の渇きは勝利への渇望と同じだからだ」


 そして狂った兵士たちは幕舎の入口をそっと開け、中へと侵入した。携帯式とは思えない立派な寝台からは、確かにヤマヒメの寝息が聞こえてきた。狂った兵士たちははやる気持ちを抑えつつ、寝台を取り囲んだ。


 狂った兵士の一人がヤマヒメを包んでいた、薄汚れたシーツを引きはがした。それと同時に、薄く輝く光が寝台の周りを巡った。それはヤマヒメの愛用する大きな肉切り包丁で、狂った兵士たちの腕や顔の一部が吹き飛んだ。

 ヤマヒメは、自分を取り囲んでいる狂った兵士たちに、躊躇なくその刃を振り回していた。


「女神よ」

「どうか行かないで欲しい」

「どうしても出ていくというのなら」

「俺たちに喰われてしまうがいい」


 仲間が血を噴き上げて倒れていく空間で、狂った兵士たちは交互にこのようなことを哀願した。

 

「私は帰りたいのだよ」


 刃物を振り回しながら、寝台に転がった食糧を一つまみ、パクパク喰べながら、ヤマヒメはそう言った。幕舎の外から狂った兵士たちがなだれ込んだ。背後からヤマヒメの腕が掴まれ、刃物は叩き落された。狂った手や足がヤマヒメの腕や腿や腹にのしかかり、化け物のような数の歯がヤマヒメの体に噛みつき、指は齧られ、髪の毛はしゃぶられ、狂った舌は一滴たりとも漏らすまいとその血を啜った。


「仕方のないやつらだ。勝利に飢えることが何だというのか」


 ヤマヒメが最後に口にしたのは、そのような、呆れ気味の、彼女の故郷の言葉であった。狂った兵士たちは、順番もマナーもなにもなく、しかし敬意だけは忘れることはなく、幕舎の中の勝利の女神をパクパク喰べた。


 * * *


 狂った兵士たちは全身を血で真っ赤に染め、満足して、涙を流して幕舎を後にした。幕舎の中は彼らの仲間と勝利の女神の血で真っ赤に染まっていた。

 狂った将軍は、狂った兵士たちの規律の乱れを問題視し、この騒動を扇動したものに罰を与えた。有責者が身に着けていたヤマヒメの一部は没収された。没収の憂き目にあった彼らの、そのうちの数名は、狂いすぎて死んだ。


 幕舎があったその場所には、ヤマヒメの墓が建てられた。ヤマヒメはそのすべてを喰われ、奪われたため、肉切り包丁が代わりに埋められた。

 狂った軍隊が去って数年後、復権した土地の権力者はこの墓を掘り返し、包丁と掘り返した土を焼き、清め、呪いの言葉とともに川へと流した。住人には、ヤマヒメの名を口にすることを固く禁じた。


 狂った軍隊は母国へは戻らなかった。最寄りの目ぼしい都市を襲い、喰い、通り道を血で染めた。ヤマヒメの亡き後も勝利を重ねた。最後は冬の猛吹雪の中で立ち往生して全滅した。彼らが身に着けていた勝利の女神のものとされる歯や髪の毛は、凍死した狂った兵士から剥ぎ取られ、市場に出れば稀物まれものとして珍重された。


  * * *


 ヤマヒメが死んだ土地では、その名を呼ぶことが禁じられたことは先に述べた。しかしながら、ヤマヒメの名前は、その土地の近辺において、次のような童謡の中に今も残っている。この歌は、国境を越え、言語の違いを越えて、彼女の故郷の近くでも、似たような歌詞と節で、手鞠歌として歌われている。どのような経路で広まったのかは不明である。どちらの土地で歌われ始めたのかすらわかっていない。


 人喰い山姥ヤマヒメ お腹を減らして山を降り

 飢えに苦しむ人里で それでも構わずパクパク喰べた


 人喰い山姥ヤマヒメ お腹を減らして港町

 戦火くすぶる街道で それでも構わずパクパク喰べた


 人喰い山姥ヤマヒメ 異人の船に乗せられて

 食糧が尽きた船の中 それでも構わずパクパク喰べた


 人喰い山姥ヤマヒメ 貴族の酒宴に誘われて

 豪華な料理を前にして マナーも守らずパクパク喰べた


 人喰い山姥ヤマヒメ 狂った歩兵と共に行く

 兵站尽きた前線で それでも構わずパクパク喰べた


 ヤマヒメの故郷では、一昔前は、子供のしつけの中で、「ヤマヒメ様が来るよ」「ヤマヒメ様に言いつけるよ」という言い方をしていたこともある。

 現代では、その健啖のみが強調され、豊穣の女神としての扱いを受けている。そこでは、ヤマヒメは山と盛られた白米を「パクパク」、愛嬌のある女神として表象されている。

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