第18話:恐怖と飢え
コッコの狙い通り。状況はさらに悪化した。
カニ。デカい。カニの影絵。
「許してください……脚が八本のカニはタラバガニで、タラバガニは実はヤドカリの仲間だけど……許してください……」
厚みの無い脚を六本折り曲げ、わしゃわしゃと歩く巨大なカニ。
その目と、一対のハサミは、コッコに向けられている。
当然に。襲い掛かる。
「あはは! おいでよカニさん! 食べるとこ無さそうだけど相手してあげるよ!」
右手にメイス、左手にショートソードを手にして、カニに向かって啖呵を切るコッコ。
そこへ、右から左から鋏が襲い掛かる。コッコはそれらを撃ち落とし、受け流し、透かして、いなして、凌いでいく。 巨体の割に動きが素早い。元々は影絵だから、基底現実の物理法則が通用しない。しかし一方で、影絵の鋏はコッコの攻撃を全て弾き、破損する様子が無い。かなりの硬度を持っているようだ。
「許してください……私、戦うのか怖くて……とっても怖くて……だって、戦ったら怪我しちゃうから……死んじゃうから……それが怖くて、とっても怖くって……」
コッコと巨大カニの戦いを見下ろしながら、
膝小僧で顔を半分だけ隠して、長めの前髪の隙間から、コッコの戦いを見ている。
「影のみんなは。そんな私の代わりに、戦ってくれると言ってくれたんです……犬さんも。キツネさんも。ヘビさんも。カニさんも……許してくれたんです……」
「それで? 自分が戦わなくなって、怖いのは無くなったの?」
ぎん。と。振り落とされるカニの鋏を、コッコはメイスとショートソードを交差させて受け止める。
踵の拍車の回転を加速させ、カニを押し出そうと試みる。
「いいえ。怖いのは無くなりません……だって、あなたは私を許して無いでしょう? 白いコートで赤いツインテで、いかにも陽キャって感じのギャルの子は怖いです……」
「だ、大丈夫だって! ボクそんな怖くないよ! お友達になろうよ!」
「怖いです……なんで私のこと知らないのに友達になろうとするんですか……? あなたアナトリアの人ですよね? もしかしてカラダ目当てですか?」
「違うよお! 別に誰でもそういう風にするってわけじゃないから!」
「服装のかっちりした燕尾服の人も怖いです……クマみたいな男の人も苦手です……あ、でもあの子は良いですね。銀髪の……
ケツズが顔を上げて、コッコの後方を見遣る。
カヲルの運転するスポーツカー。その窓から身を乗り出して、マータがハコ乗り状態になっていた。
「あのサイズと硬度。私の拳銃では対処できません!」
「それならマータがやってみる! カヲルさんはこのまままっすぐクルマを動かしていて!」
そしてマータは屋根によじ登り、窓から『尾ビレ』を引き抜いた。
強風に煽られながらも屋根にしがみつき、黒と白に塗り分けられた尾ビレを夜空に向かって振り上げる。
「……ぐぬぬ」
ハイウェイを走行している最中だ。
マータの
慣性制御。
しかし。裏を返せば。振り下ろせさえすれば、それは強力な『一撃』になり得るということ。
「ああああ!」
叫びを上げて、マータは尾ビレを振り下ろす。背骨が軋もうとも構わず、風の重さもそのままに、強引に振り下ろした。振り抜いた。
そうして撃ち出された風は、重さと速度を伴いながら周囲の風を巻き込み、弱まる事も止まることも無く、まっすぐ巨大カニへ向かっていく。
「おっとお……!」
コッコも咄嗟に両足を拡げて、股割りの要領で姿勢を低くした。
その頭の上を、『嵐』のような猛風がかすめていく。
そして巨大な影絵のカニは、正面から風を受けることになった。
「な、カニさんが……!?」
元は影絵であり。基底現実の物理法則は通用しない。
しかしそれすら、
そう。影絵の巨大カニは、ひっくり返った。
脚をジタバタさせながら道路に転がって、そして後方へ流れる。リキヤとカヲルは左右に散ってその巨体を躱す。
巨大カニはさらに後方で、
「あ、ああ……ひどい……」
一時。呆然とするケツズ。
状況が、わずかにこちら側へ傾いた。
「マータさん! クルマの運転をお願いできますか!?」
「なんとなくわかる! 任せて」
「では、コントロールを
今度はカヲルは運転席から離れ、助手席に移る。
代わりにマータが運転席に乗り込み、ハンドルを握る。脚が尾ビレのままなのに気付き、ぱたぱたと二本足に戻してから、改めてギアを入れ、アクセルを踏み込む。
「コントロールを
「このまま直接ぶつかります! 気にせず加速してください!」
「やってみる!」
答えて、しかしマータは首を傾げる。
「ぶつかる? え、ぶつかっていいの? 追突? クラッシュ?」
「そうです。どうせレプリカなので!」
「……わかった!」
マータはさらにアクセルを踏み込む。
加速して、リキヤを追い越す。
「許しません……! カラスさん!」
ケツズはカラスの影絵を作り、実体化。
無数に現れた黒いカラスが、カヲルやリキヤのクルマに次々群がり、あちこちをついばんでくる。
「ああ! 痛い痛い! オイラ顔剥き出しなんだから! そこは痛いって! ああ!」
「フロントガラスが塞がって……前が見えない!」
リキヤともども、カラスの群れによって道を塞がれてしまう。
このまま進めなければ、またも時間と距離を稼がれ、大物の影を実体化されてしまう。また振り出しに戻るだけだし、今度はより危険な個体が出現する可能性が高い。
だが、コッコが、そこに居た。
「……フォースバースト!」
カヲルのクルマとリキヤのクルマに触れながら、自身のフォースフィールドの出力を全開に。
自分以外の存在である影絵のカラスのみを、
リキヤをついばむカラスが離れ、フロントガラスからも黒い影が消え去った。
「カヲルさん! 後はお願い!」
だがその反動で、コッコ自身のフォースフィールドは一時的に弱体化している。
この状態で敵の攻撃をまともに受ければ、即致命傷に繋がってしまう。
それでも。コッコは
「お任せください!」
カヲルが助手席から飛び出し、階段を上っていく。
その前に立ちはだかるのが、カゲロウ男であるトーズ。
『おおっと! まだ放送時間は残っているぜ!』
そして。派手に光るナイフを煌かせる。
くるくると。威圧的に。挑発的に。
だがカヲルは、彼の姿を真っすぐ見据えたまま、歩みを止める事もない。
『俺はこの通り、食べ物を必要としない体質だがな。戦場ではそれ以前に、飲み水すら手に入らないものだ。何日も何日も。まともに水が飲めない』
「…………」
『乾いた道路のアスファルトにな。水が見えるんだ。しかし。近付くと消えてしまう。がっかりしていると、遠くにまた水が見えるんだ。それもやはり。近付くと無くなってしまうんだけどな……』
思えば。最初からそうだった。
トーズは一貫して。スピーカから声を聞かせ続けた。ナイフを煌かせ、空を飛び、こちらに向かって存在をアピールし続けていた。
なのに。それなのに。
彼が直接。そのナイフで攻撃を仕掛けてきたことは、これまで一度もない。
いつも一定の距離を保っていて、決して近接戦闘の間合いに入っては来なかったのだ。
そしてカヲルの背中に、ナイフが突き刺さる。
虹色の刃が貫通して、カヲルの胸から先端を覗かせている。
『それが俺の
一種の認識阻害。
その姿。その声。その存在。それらと、自分自身の実体を分離させて行動できる能力。
要するに。見ている方のトーズは常に幻影であり、本体は見えない場所にこそ存在している。幻影の方のトーズを認識している限り、本体のトーズは見えない。
例えその背に刃を突き刺されたとしても。本体の位置を認識することは決してないのだ。
「やはり。認識阻害ですか。物理的に見えなかったり、異層次元を利用するタイプだったら厄介でしたが……それくらいなら、対処できます」
しかし。カヲルは。
刃を突き立てられていながら、平然としていた。
それどころか。その傷口が。煙を発しながら広がっていく。
胸から首へ、胸から腰へ。ドライアイスが気化するように、カヲルの身体が煙に溶けていく。ついには、身体の正中線に沿うように、カヲルの身体が二つに裂けてしまった。
『な……なんだこれは!?』
トーズは驚愕する。
エーテリウムを利用して『派手に』光るようにはしているが、ナイフ自体は特筆すべきことは何も無い。ただのナイフだ。敵をこんな風に真っ二つにするような
となればこれは、カヲル自身の
「紫流。【絵合】」
二つに分かれたカヲルの身体が、服も含めて完全に煙と化す。
そしてそれぞれが、その半身を煙で再構築させて補って、二人分の『煙の人間』へと変貌した。
右の分け身が軍刀を。左の分け身が拳銃を。それぞれに構える。
「煙に変化し、分身……いや、元から自分自身の身体をエーテリウム化していたのか!」
俺は思わず、感嘆の声を上げた。
カヲルが
彼女は普段から、自分自身の肉体のほとんどをエーテリウム化しており、自身の
そしてだからこそ、いつでも肉体を
だがそれは、理論上可能と言うだけで、実際に行うには問題点が多い。そもそも普段から
それこそ。それ自体が
『だが! 俺の攻撃を躱せたとしても! お前には
そう。躱すことには成功したが、それは
トーズからすれば、認識されないという優位性は未だ揺るぎない。
「いいえ。これで通ります!」
二人分の煙となったカヲルが同時に宣言して。
軍刀を運転席にいるカズに。拳銃を後部座席にいるケツズに向けた。
『し、しまった! 王手飛車取り……!』
認識されないと言っても、トーズはあくまで一人でしかない。
だからこそ、正面からの戦闘はケツズの影絵に任せて、自身は遊撃的なサポートに徹していた。複数人から同時に攻撃を受ける状況は、そうなる前に潰すのだから。
しかし。これでは。こうなってしまったら。
トーズは、瞬間的に判断する。そうなったときの訓練は受けていた。
煙となったカヲルが振り下ろす軍刀を、ナイフで以って防ぐ。
だが。それで限界。
「ディレクター! 助けて!」
ケツズが悲鳴を上げる。
煙となったもう一人のカヲルが、銃口を向け、引き金を引く。
銃弾が虚空を裂き、ケツズへ迫る。
「……ああ。わかったよ。
だがその銃弾は、鋼の塊によって防がれた。
鋼の。三本指の。巨大な手。
そして次の瞬間。
突如前方を炎に塞がれ、リキヤとマータは慌ててブレーキを踏み込む。タイヤを四つとも滑らせて、マータはリキヤのコンパクトカーをかばう形で、炎の手前でなんとか停車に成功する。
その間も、空中で
二本の脚で。
「さあ。第二ラウンドと行こうじゃないか。太陽の騎士。煙の剣士。そして嵐の王よ!」
タイヤの二本は足元に。一本は腰に。
左腕は無骨な腕を模したマニュピレータに。右腕は、炎を吹くマフラーを束ねてまとめた火炎放射器に。
そして頭に当たる部分はコクピットで。そこにカズが座っていた。
つまり。変形した。
「か、かっこいい……!」
そして全くそんな場面ではないが。
四方八方を火の海に囲まれながら、現れた鉄と炎の戦士に、コッコは感激していた。
【第2章開始】クラウドブレイカー 七国山 @sichikoku
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