短編集

三下


 嗚呼鬱陶しい。いつもいつもどうしてこれから寝ようってときに鬱陶しく俺の耳元で騒ぎ立てるんだ。昨日も一昨日もその前もそのまた前も。ずっと鬱陶しくて仕方がない。

 頼むから俺の睡眠を妨げないでくれ。お前のせいでこっちは寝不足なんだよ。睡眠ってのは人間にとって最も大切なモノだと俺は思っている。だって眠れなければ頭はぼんやりとして上手く働かないし体も怠くて重くなる。だから頼むよ。どうか俺を眠らせてくれ。


 何度頼んだってお前はいつもお構いなしだ。自分の勝手な都合で俺を寝かせてくれない。嗚呼そうだよな。お前はそういう奴だ。わかっている。わかっていたさ。でも俺にだって限界ってものがあるんだぜ?お前知ってたか?


 いつまでもお前の好きにさせるかよ。こっちが下手に出てりゃ何でも好き勝手していいって訳じゃねえんだよ。勘違いしてんじゃねえ。

 耳元で五月蝿いお前を手で払い退ける。そうするとお前は少しの間だけ何処かに行ってくれる。だけど今だと思って寝ようとする。うつらうつらして来たときにお前はまた耳元にやってくる。まったく最悪のタイミングだ。五月蝿えんだよ。何処かに行きやがれ!

 叫んでやりてえが今は深夜。こんな時間に叫んでる奴がいたら下手したら通報されちまうかもしれない。畜生。何でうちは壁が薄いんだ。


 まあ安月給の俺が手を出せるアパートなんて高が知れているもんな。だけど俺だって一生懸命毎日真面目に働いてるんだぜ?ちゃんと将来のことだって考えてるさ。わかってるよ。

 安月給は安月給なりに貯金しようと生活費を絞ったりしてるだ。そういう俺の苦労をお前は全然わかってないよな。だから疲れて寝ろうとしてる俺の睡眠の邪魔が出来るんだろ。お前はそういう奴だよ。


 嗚呼鬱陶しくなくなよ。お前のなき声は耳に障るんだよ。本当に鬱陶しい。なあ、俺もう限界なんだよ。頼むから出て行ってくれないか?頼むよ。もう限界。もう無理だ。耐えられない。これ以上なくなら本当に出て行ってくれ。

 腕をぶんぶんと振るがお前はしつこく俺の耳元から離れようとしない。


 五月蝿えんだよ!


 部屋の明かりをつけて、お前の姿を捉える。俺は腕を振り上げてお前を叩いてやろうとした。そしたらお前はすいっと避ける。

 益々腹が立ってもっと強い力で叩いてやろうとするがただでさえ連日の睡眠不足で言うことを聞かない体では上手く当てることが出来ない。


 お前の姿が見えなくなった。何処かに隠れて居ることはわかっていたがこれ以上探す気にもなれず、イライラしながら電気を消した。


 絶対にまた来る。断言していい。お前はそういう奴だ。俺が何でイライラしてるかとかお前を叩き潰してやりたいと思ってるとかそういうの全然わからないんだよな。お前は。


 お前、俺に叩かれたいの?叩かれたいからそういうことするんだろ?そうだよな?


 ほら、ないた。お前がいつなくかとか俺にはもうわかってるんだよ。今まで何回お前に同じことされてきたと思ってるんだよ。お前の鬱陶しいなき声に耐えて耐えて耐えて……。

 なのにお前は俺をおちょくる様に癇に障ることばっかりするよな。俺のこと馬鹿にしてるのか?そうだよな?

 お前、俺のこと下に見てるだろ?どうせ叩けねえって思ってるんだろ?


 ふざけんなよ、お前。


 こっち来いよ。叩き殺してやるよ。びびってんのか?今更もう遅いんだよ。もうお前を殺さねえと気が治まらねえんだ。お前を殺さねえと俺に安眠は訪れねえってわかっちまったからなあ。


 謝ったってもう遅えんだよ。


 渾身の力を込めて叩いた。当たった。一回じゃ仕留め損なってよろよろとした動きで逃げ出そうとする。その様子に更に腹が立って叩いた。これで仕留める。終わらせる。殺す。


 そう思って叩いた。



 ようやく部屋に静寂がやってきた。清々しい気分だ。お前の声が聞こえなくなるだけで、部屋の空気すら浄化された様な気になる。これでやっと眠れる。


 お前が悪いんだぜ?俺は明日も働きに出なくちゃいけないんだ。誰のためだと思う?彼女だよ、彼女。口煩い奴だけどいい女なんだ。将来のことだって考えてるんだ。今は安月給の俺だけど将来はもっと金稼いでさ。幸せにしてやろうって決めてんだ。だから悪く思わないでくれよ。これは全部彼女の為なんだからよ。








 朝、目を覚ますと隣で彼女は動かなくなっていた。






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短編集 三下 @little_nonnette

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