幕間 ここなのこころ

 始まりは、なんだったろう。シンデレラだったかな、それとも別のものだったかな。


 憶えているのは、運命の出逢いに憧れたこと。お姫様になって、ひょんなことから王子様と巡り逢って、結ばれる。そんなベタな空想に憧れた。


 それが少し変わり始めたのは、物心がついてすぐだったかな。それまでは、絵本を読んでも、子供向けのアニメを観ても、「この子可愛い」と女の子を指すのはなにも違和感を覚えなかった。


 あるとき、ふとテレビで恋愛もののドラマが目についたときだった。もちろんそのときは話の内容なんて難しくてわからなかったけど、主人公が女の子で、その女の子がなにかしらで男の子を選んだ、というのはなんとなくわかった。


 そのときに、もう一人登場人物としていた女の子……今思えば主人公の恋敵だったのだろうその子を見て


「あの男の子よりこっちの女の子の方がいい」


 なんて言った。


 恋なんて知らない、もしかしたら男の子と女の子の区別すらまだまともについていなかったのかもしれないけど、お母さんはそんな自分に


「ここちゃんは、可愛い女の子が好きなんだね」


 と言ってくれたのを憶えている。


 もちろんそのときはよくわからなかったし、その言葉の真意がそういうことなのかはわからないけど、考えるよりもとうに女の子が好きだった。


 それに気づいたのはそこそこ早かった。小学校か、中学校か、おそらくそのくらい。学校の授業で知ったのか、はたまたどこかで見たことがあったのかも、わからないけど。気づいたときには女の子が好きだと自覚があった。


 自覚はあっても、そのことは誰にも話さなかった。自分自身に偏見があったわけではない。けれど、恐怖はあった。少数派であることは痛いくらいわかってたから。


 だからかもしれない。私は親の言うことを聞いて、勉強も習い事も全部こなして、自ら忙しい日々に吞み込まれにいった。


 今までもそうだったから、自分で決めるより楽だから……そんな理由も確かにあった。けれど、時間を進んでいくたびに周りから聞こえてくる色恋から目を背けるためが一番だったかもしれない。


 そんな中でも時間に取り残された自分の心は、憧れの姿も変わらずにいた。


 落とし物から始まる、運命の恋。未だそんなものに、ずっと憧れた。


 でもそれも叶わないって、そのときにはもう気づいてた。


 だって、落とした靴を拾ってくれるのは、王子様だから。自分の好きな、お姫様じゃない。


 そうやって時間を止めて、気づいたら周りの時間だけ進んでて。親が用意してくれた未来を歩いて行って、親のいる高校に入学することになった。


 中学の友達で同じ高校に進む人は誰もいなかった。確かに色々忙しかったけど中学はとても楽しかったし、仲良くしてくれていた子たちだっていた。親元から離れ、その子たちとも離れ離れになるといわれ、自ら受け入れたこととはいえぽかんと小さく胸の真ん中に空洞が空いていた。


 三月から四月に切り替わるくらいのころ。入学の準備も終わってしまい暇を持て余した自分は、買い物でもすれば気が紛れるかと思いわざわざ少し遠いデパートに行って目的もなく歩き回った。


 その中の雑貨屋で目に入った、五本のバラの刺繍がある白いハンカチ。なんとなく気に入って、中学から高校への気持ちを切り替えるために、とそれらしい理由を自分の中でつけてそれを買った。


 なのに、一階に降りた際に見つけた「自然の回廊」と書いてある小さな植物園のような場所。デパートになんでこんな場所あるんだろうと惹かれるようにふらふらと立ち寄ったそのとき。私は一度も手を拭いてすらいないハンカチをそこに落とした。


 気持ちを切り替えるために買ったのに、初っ端躓いた。空っぽになった心の中に土が入ってきて、埋もれて息苦しくなってく気がした。


「あのっ、どうかしたんですか」


 そんなとき、優しい声色で私の耳に入ってくるものがあった。声の主を見上げるように捉えると、ガラス張りの天井から差し込む陽射しの眩さに目を細めた。


 だんだんと影になってくれるように立っているその人の顔が見えてきて、すべてが視界に映った瞬間、私は目を見開いた。


 心の底から滲んだものが色移りしてしまっているような、深く心配そうな表情。なにかの拍子で壊れてしまいそうなほど悲しそうな表情は、私に向けられていると理解するまで少し時間がかかった。


「えっと、ハンカチを落としてしまって。ここに入るときにはあった記憶があるので、多分ここのどこかにあると思うんです」

「……あ、そ、そうなんですね。よかったら、私もお手伝いします」

「そ、そんな! 悪いですよ!」

「困った時はお互い様、です」


 そう言って今度は微笑みかけてくれたその人に半ば流されるように承諾し、ハンカチの特徴を教えた瞬間。驚くほど真っ直ぐにその人は自然の回廊を突き抜けていった。


 唐突のそれに固まってしまい、ハッとしたときにはもうその人は探し物にすべてを捧げてた。放任してしまうのは申し訳ないと思った私もそれに突き動かされるように探し始めた。


 ちょっと探して見つからなければ諦めるだろう。そう自分はその人のことを見くびってた。


 おかしいと気づいたのはガラス張りの天井から見える空が赤く染まっていたのに気づいたとき。いくつもの時間が過ぎ去っていたことに気づいてその人に視線を向けると、未だその人は下に広がる土に熱い視線を向けていた。


「大丈夫です。流石にもうすぐ見つかりますよ」


 私がもういいと言ったとき、驚くことにその人はそう言って捜索を続けようとした。自分はとっさにその人の袖をつかんで無理やり止めた。


「ダメですよ! だって、あなたのスカートの裾、汚れちゃってるじゃないですか!」


 その人の身に着けていた白いロングスカートの裾は、土に汚れて茶色くなっていた。緑の中を臆せず突き進むその人に刻まれた、私の申し訳なさの表れだった。


 それを聞いて初めてその人は足を止めた。土の中をかき分けられるほど逞しくないその人の足は、痛く傷つけられた可憐な女の子の足だった。何時間と立ちっぱなしの足へ響くように滲む痛みが、私にも伝わってくるようだった。


「それじゃあ、私、行きますね。ごめんなさい!」


 半ば強引に探すのをやめさせられたその人は、罪悪感に圧し潰されそうなかんばせで逃げるように足を動かした。


 どうしてそんなに申し訳なさそうな表情をするんだろう。探させてしまったのは私の方なのに、どうして。足早に去ろうとするその人からちらと見えた表情を、自分は理解できなかった。


 数歩、その人が地面を蹴ると、ふいに立ち止まった。地面でなにかを見つけたようで、それは私の落としたハンカチだった。


 見つけた瞬間、さっきの表情が嘘のようにその人は今日一番嬉しそうな顔で、子犬のようにそれをこちらへと持ってきた。


「だって誰かからの贈り物なんですよね?」


 ハンカチを渡す際、そんなことを言ってきて私はきょとんとした。


「……なんだ、そうだったのかぁ。てっきり大切なものなのかと」


 それが勘違いなこと、ただ自分で買っただけなこと、それを伝えると、その人は呆れるでもなく、安堵の表情を浮かべた。


 探して損した、じゃなく、それでも見つかってよかったという顔。その顔を見て、私の胸がとくんと高鳴った。


「でも……今、大切なものになりました♡」


 ハンカチを抱くように胸に当てて、にっこりとその人を向いて笑った。


 ――見つけた。私の、お姫様。


 その人と別れた後だった、初めて自分の胸が高鳴っていることに気づいたのは。鼓動に突き動かされるように駆け足でデパートから出て帰路に就く。


 心臓って、こんなに早いものだっけ? 今の数分で、なにかの病気になってしまったみたい。


 それが恋という、これ以上ないほどベタな病気であることに気づくのには時間はかからなかった。


 この感情が淡い恋から運命の恋になったのは、ハンカチを探してくれたあの人が私の入学する高校の生徒であると知ったとき、そして、その人のルームメイトが新学期にいなくなってしまうと知ったとき。


 運命なんてものじゃない、奇跡だと思った。これは正真正銘、奇跡の恋だ。


 それから空っぽになった胸が一瞬でいっぱいになった。一度落とし物を拾ってもらっただけでなんて、自分でも一度だけそう思った。けれど、自分にとってはそれ以上ないほどの理由がそこにはあった。憧れが、初めて目の前に現れてくれた。


 王子様はたまたまガラスの靴を拾っただけだけど、あの人は見つかるまでずっと探してくれた。


 結婚相手を探すわけでもないのに、白いスカートが汚れることにも気づかないで、真っ直ぐに。


 本当は優しい人なんかじゃなかったらどうしよう、なんて思ったりもしたけれど、目の前でどろんこになるのも構わずに他人の落とし物を探して、見つかったときには本人よりも安堵する。その姿を見ていたら、そんな思いが馬鹿らしくなった。


 真っ直ぐ私の落とし物に向き合ってくれたあの人に、私は一方的に向き合う。ルームメイトになって、同じ部屋を共有できるようにしてもらうくらい盲目になって。


 始業式の前日、寮に移る準備をするのと同時に、あの人にもう一度、今度はルームメイトとして逢う。


 割り当てられた部屋の前で深呼吸をする。初めて出逢ったときと同じ胸の高鳴りを感じながら、目の前の扉をノックする。


 あの人の顔を思い浮かべながら、扉が開かれるのを待つ。


「あー! ほんとにあなたなんですね!」


 初めての出逢いと落とし物は順番が逆で、再会は一方的で。御伽噺とは似ても似つかないけれど、自分の心は抗いようもない力で惹かれた。


「初めまして、ではないですよね。昨日ぶりです。ここは、天羽心愛っていいます。ぜひ、『ここ』って呼んでくださいね♪」



***



 それから同じ時間をしばらく過ごして、私は最初に感じていた高鳴りよりも闘志に似た感覚が胸の内で燃え上がっていた。


 というのも。先輩がとてつもなく鈍感だから。どれだけ恋心を露わにしても、信じられないくらいに避けられる。


 次第にわかった。この人はそういう人なんだ。底なしに優しくて、誰かのために自分を捧げられてしまう人。その誰かは、誰というわけでもなく、人を選ばない、そんな人。だからこそ、愛すら誰に対しても平等で。


 それに対しての闘志だった。絶対に振り向かせてやる、そんな闘志。


 誰にでも向けられる優しさを、独り占めしたい。わがままに優しくしてくれて、かまってくれて。困った顔はしても嫌な顔は一つもしない。そんな先輩を見るのが好きで、自分だけのものにしたい。誰に対しても優しい先輩だから好きだけど、その優しさを私以外に向けさせたくない。


 自分でも思う、歪んでるって。いたずらをして喜ぶ、悪い子だ。


 その闘志が全部空回って、数か月。それでもそんな空回ってる時間が好きで、ずっとそのままでいたいと思った。


 そんな気持ちは、夏休み明け両親が寮を訪ねてきたときに崩れた。


「場合によっては、心愛のルームメイトを変える必要がある」


 その言葉は提案ではなく、命令だった。今まで通り、高校までと同じく親の言うことを聞く、それだけの言葉だった。


 初めて先輩の存在が重しになった。今まで難なく吞み込めてた命令を、先輩が邪魔をする。


 いらないですよ、今は優しさなんて。先輩がどけてくれるだけで、両親も、ここも、全部円満に解決できますよ。


 だから。


「ここちゃんが、好きなんです……!」


 だからあのとき、そう言ってくれて自分の心は本当に救われた気がした。


 隣で泣きそうになってる顔も、震えて、潤んで、頼りないくらいへなへなな声も、全部全部心の深くに優しく滲んで、私の黒い部分を全部溶かした。


 あのとき、今までと同じように無理矢理呑み込ませてた自分を、本当の意味で優しく手を差し伸べてくれた。そう思った。


 初めてあの人が自分を犠牲にするんじゃなくて、自分の気持ちに素直になって、それでもこんな自分を選んでくれた、そう思えた。


「先輩、あんなにここのこと思ってくれてたなんて嬉しいです♡」


 その後、夜ご飯を済ませて部屋に戻ったとき、そう訊かなければ未だ幸せでいられたのかもしれない。


「そりゃあ、ルームメイトだし」

「だとしても、あんなにも愛してくれてるなんて……その気持ちに気づいてなかったのは、先輩じゃなくてここの方だったんですね♡ すみません、鈍感で♡」

「……? なんの話?」


 ぽかんと首を傾げる先輩。その様子に悪い意味で「いつも通り」を感じた。


「え? だって完全にそれだったじゃないですか」

「どれ……?」


 そのいつも通りの感覚が確信に変わりかけ、身体がぴたりと固まりおそるおそる訊いてみた。


「……先輩、恋愛とかしたことあります?」

「唐突だねぇ。全然。縁もゆかりも」


 ……。


 …………。


「………………ですよねー……」


 その言葉にどん底へと落とされた気分だった。やっぱり、先輩はいつも通り鈍感のままだった。


 あそこまで言っているのにあれは告白でもなんでもないのか。それほどまでにこの人は鈍感でニブチンで朴念仁だったのか。それはそれとしてもしそうならこの人は内の内から純粋に自分のことをあんな風に思ってくれているのか。


 いろんな感情がごっちゃになった。多分喜ばしいものでは、ない。


 心のやり場に困った挙句、その矛先が先輩の元ルームメイトのるるさんに向くのには時間はかからなかった。


 唯一ルームメイトとして先輩への愚痴を吐ける人。最初は敵だと思ったその人へ半ば怨念すら籠ったメッセージを送る。夏休みが明け、暫くぶりに先輩と会えたというその日に隠れて愚痴を吐くため同じベッドで寝なかったというのは少し前の自分なら信じられないだろう。


 そして明くる今日。夜にるるさんとの愚痴大会がヒートアップしてしまい新学期早々寝不足だった。るるさんも痛み分けのように寝不足にさせてしまったのは申し訳ないけど、るるさんも「こういう風に愚痴れる人欲しかった!」と言わんばかりに一年分溜まってた愚痴を濁流のように放出してきた。鈍感さだけで二人の女をここまで悶々とさせてしまうのだから先輩のそれはもはや才能の域だ。


 その代償を引きずって、あくび交じりにホームルームで話し合いをまとめるクラス委員の話を聞く。


 うちの学校の文化祭は、どこと見比べても有数の大きさだと思う。グランプリ制度、出し物の質、有志の企画や、保護者側でも色々と組んだりしている。そんな高品質さを裏付けるように一ヶ月くらい前からやるのがこのホームルームでの出し物会議。


 ただ一年生で初めて臨むからか、それともまだ焦るほどの時間でもないからか、クラスメイト達に現実味を帯びている様子はあまりなかった。


 代わりに聞こえてくるのは、「学校祭、みんなで一緒に回ろうね!」や、「俺彼女と回るからお前らとは無理だわ~」など、当日の回り方の話。これだけは気が早いらしい。


 自分はもちろん、先輩と回るつもりだ。その予定は変わることはない。変わることはなかったのだが。


「私、先輩に告白してみようかな……」

「俺、後夜祭で告白するわ」


 周りからひそひそと消え入りそうな声で、けれどしっかりと存在感の放つその言葉。それが耳に入ったとき、眠気がすっ、と薄らいだ。


 今まで聞き入れていなかった雑音。聞こえてきても現実味がなかった騒音。あの人が目の前に現れた今は、私の意識をすべて奪い去るほどはっきりとしたものになっていた。


 先輩と回る、それは変わらないとしても。自分は、ルームメイトとして、それとも恋人として……どちらの関係で回りたいのだろうか。


 そんな胸の奥に気づいた瞬間、同時にある決意がそこに宿った。


 両親が寮へ訪ねてきたときにわかったはず。このままじゃいずれ離れ離れになる。


 それに、今までどれだけ押しても振り向いてくれなかった上、こんな一大イベントがある日にすら一個も進展がないのは、嫌だ。


 押してダメなら……もっと押せばいい。


「ここちゃん。ここちゃんは誰と回るの? やっぱり相部屋の先輩?」


 いつもよく話す友達が話しかけてくれているのすら、今の自分には聞こえなかった。ただ、身体の内で熱く決意の炎が燃えているのだけ感じられる。そんな気持ちに背中を押されるように、友達のいる目の前よりもどこかもっと遠い場所をにらみつけた。


「……とす」

「はい……?」


 今、自分の瞳は澄んでいるだろう。眠気など一切感じさせない顔つきをしているだろう。それらの正体が、自然と口を突き動かすほど私の中で大きく膨れ上がった。


 ここは、今年の文化祭で、先輩を――堕とす。

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逢魔時に天使の魔は差す 霜月透乃 @innocentlis

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