②これからの未来に思いを馳せて

「城崎、今日は休憩なしも視野に入れとけよ」

「2週間前にもっと自分を大事にしろって諭して、一も二もなく九州に飛ばした上司はどこの誰ですか……」

「な、俺の言った通り、慰安療法で完治しただろ?」

「話が脱線してます」


 東京に戻ってきて1週間。始めの3日ほどは様子見もかねて控え目だったものの、4日目以降は情け容赦なしの鬼スケジュールが組まれていた。


 早朝、出勤と同時に看護師さんが手渡してきたカルテの量は、今日も二目と見られないもので、けれども立場上、目を通さなくてはならない。

 曰く、僕の休養中も診察の要望がとんとん拍子で増えていたのだとか。


「加野さんと同等か、それ以上の要望ですよ。もう独立したらどうですか?」

「まだ早いよ。

 それに、これだけの患者に加えて院長業務まで増えたら、軽く死ねる」


 遠い目をして呟く僕を見て、僕の担当看護師、竹中たけなかさんは、引き攣った笑みを浮かべた。


 2週間前まではおっかなびっくり僕に話しかけていた竹中さんだけど、復帰してからというもの砕けた態度で接するようになった。


 真面目で繊細という印象があったけど、蓋を開ければ楽観的で捌けたひとだった。

 

 竹中さんが僕の専属看護師になったのは7月上旬のこと。

 つまり、日葵が亡くなって間もない時期だ。


 きっと今まで無意識の内に冷淡に接していたに違いない。

 そう思い謝罪すると、竹中さんは驚愕していた。


『え……ほんとに、あの城崎さんですか?』


 偽物を疑われるほどに、ひとが変わっていたらしい。加野さんも「お前、10年くらい若返ってないか?」と目を疑っていた。


「それで城崎さん、来週の火曜日なんですが……」

「オペ?」

「はい。おっ察しのいいことで」


 カルテではなく、口頭で重々しく告げられるのは手術の予定だと相場が決まっている。それも一筋縄ではいかない難ありの。


「1週間後ってことは、今のところ病状は安定してる感じ?」


 手術が前倒しになることは珍しくない。

 極端な話、1週間後の予定が明日やってくることもあり得る。


 だから、事前に病状は確認しておかなくてはいけない。

 いつその時がやってきてもいいように、当日のプランを立てる必要があるからだ。


「はい。まず安定を保つと思います。ですが……」


 なにやら気まずそうに、竹中さんは目を逸らす。


「そんなに成功率が低い大病なの?」

「……その、遺伝性鉄芽球性貧血いでんせいてつがきゅうせいひんけつ、なんだそうです」

「それって……」


 その病は医者になる前から知っていた。何度何度も調べていた。


 何故ならその病は、日葵が生まれつき罹っていたものだから。


「先日の健康診断で機能障害が見られたんです。肝障害と思われます。手術自体はそれほど難しいものではないのですが、その……城崎さんの心の方が不安で……」

「……うん、問題ないよ。予定通り担当医は僕で」

「本当に大丈夫ですか? 

 加野さんも恐らく症状までは把握していないので、申請すれば……」

「ありがとう竹中さん。でも、もう大丈夫だから」

「城崎さん……」


 強がってなどいない。あの日のしがらみは、すべて加麻鳥島に置いてきた。今、僕の中にあるのは日葵との温かい想い出だけだ。


 胸の中で日葵が叫んでる。


 頑張って、って。


「むしろようやくって感じだよ。

 この病気と立ち会いたくて、医者になったんだから」

「……わかりました。わたしも精一杯サポートします」

「うん、頼りにしてる」


 それから1週間後、僕は無事、患者の手術を成功に終えた。


 この成功を日葵は喜んでくれているだろうか。

 自分の手柄のように、鼻高々としているだろうか。


 そうあることを願い、僕は日を跨ぐ直前の電車に乗る。


 やはり5時間睡眠はきつい。これまでなにがあっても7時間以上の睡眠時間を確保してきたけど、ここ最近はそのルーチンが崩れている。

 2週間で溜まった作業量は膨大で、加えて日に日に増えていくものだから、しばらくは残業しなければならなさそうだ。


「……そういえば、明日は休みだっけ」


 危ない。

 危うく休日出勤して、加野さんから大目玉を食らうところだった。


 僕の家は無駄に高い14階建てマンションの9階にあって、こんな不満たらたらなのにどうしてそこに住んでいるのかと問われれば、職場から近くてアクセスがいいから、と答える他ない。家選びの基準なんて、こんなものだ。


 階段で9階まで上がる気力が残っているはずもなく、糸の切れた人形のようにエレベーターに身を任せて目的の階に到着するのを待つ。


 機械音声がした後、ドアが開く。

 鉛のように重たい足を動かして家の扉に鍵を挿すも、開かない。


「あれ?」


 壊れた? と疑うと同時に、内側から鍵を開ける音がした。


「ふふ、また昨日と同じことしてる」


 そういえば昨日も同じ失敗をしたような……それだけ疲弊しているのだろう。


「慣れないから仕方ないよ」


 僕の家は、1週間前から自分探し中の女の子の家でもあった。

 いや、正確には自分を探していた少女だ。彼女はもう、ゴールに辿り着いている。


「ご飯にする? お風呂にする? それとも……わたし?」

「寝る」

「ちょっとちょっと! 駄目だよ、せめてご飯くらい食べないと」

「大丈夫だよ。16時間断食した方が健康にいいって、学説があるくらいだし。

 それに紗英の料理は個性的だし」

「こ、今回は大丈夫っ! レシピ通り作ったから」

「……ま、明日は休みだし。毒味させてもらおうかな」

「毒味って……ふふん、今回はなかなかの自信作だよ」


 記憶にある限り、5回中5回がなんとか食べられるレベルのものだったのだけど、果たしてその根拠のない自信はどこから湧いてくるのだろう。

 ぜひ、ノウハウを教えて頂きたい。


 と、今の光景を見ればわかるように、僕は加麻鳥島で自信と女の子を得た。

 といっても、紗英はやはり僕以外のひとには見えないようで、このマンションではエレベーターが時々誤作動を起こすとちょっとした話題になっている。


 ここは9階。

 エレベーターを使わず階段を使うように、なんて無理強いをするのは気が引ける。


 シャワーを浴びてリビングに向かうと、紗英が仏壇の前で手を合わせていた。


「日葵さん、今日も城崎さんは元気だよ。疲労困憊しながらも、誰かの笑顔のために頑張ってます。だから安心してください。

 頼まれた通り、城崎さんはわたしが守りますから」


 幽霊が故人に合掌してる……。


「安心ねぇ。コナかけてきたのは、どこの紗英さんでしたっけ?」


 はっと、意表を突かれたように紗英は振り返る。


「びっくりしたぁ……脅かさないでよ」

「それはこっちの台詞」


 こてんと首を傾げる紗英。


 自分がなかなかに不可思議な行為をしていることには、無自覚のようだ。


「それはさておき、今日のご飯は豚肉の生姜焼きだよ」

「醤油の分量とみりんの分量が滅茶苦茶で激甘に1票」

「ふふ、今なら申し開きを聞き入れるよ?」


 得意げな顔は失敗の予兆。つまり、前言撤回しないのが正解だ。


 かくしてその賭けの結果はというと。


「まさしく生姜焼き……」


 激甘ではなく激辛だった。

 醤油とみりんの影はなく、肉の食感と酸味しか感じない。


「そう? 普通に美味しいよ」

「それ本気で言ってるなら、たぶん味覚障害だよ」

「ほんとほんと、なら食べてよ」


 ひょいと出された丸皿に載った豚肉を箸でつまみ、その時点で違和感に気づいた。


「僕の方だけ生姜てんこ盛りに見えるのは気のせい?」

「ううん、意図的だよ。

 ほら、パフェって底のチョコレートソースが美味しいじゃん?」

「いや、それとこれとはまったく別問題で……」


 紗英の皿に載っていた豚肉を口に運ぶと、普通に美味しかった。

 無駄なサービス精神がなければ、初めて合格ラインに達していたというのに。


 紗英の料理は今日も今日とて残念だった。


「むむ、多ければいいってわけでもないのか。料理って奥が深いですなぁ」

「次はレシピ通りに作ってみよう。そうすればうまくいくよ」

「なら、明日一緒に作ろうよ。いつも通り予定ないんでしょ?」


 出不精みたく思われていて心外だけど、実際その通りだから不承不承頷く。


「……いいけど、朝はゆっくり寝かせてよ」

「もっちろん! 朝ごはんも任せてよ!」


 びしっと親指を立てて、ウインクしてくる。


 これまでの成績を振り返れば間違いなく自分で作った方がいいけど、今日の生姜焼きを見るに、紗英の腕前は日に日に進歩しているように感じる。

 一筋の希望にかけて、明日のスタートメニューは紗英に任せることにした。


「いやぁ、やりたいことがあるって幸せだね」

「そうだね。目標があるのとないのとでは、世界の見え方がまるで違う」

「わたしを見つけてくれてありがとう、城崎さん」


 自分の存在意義を求めていた紗英が、はにかむような笑みを向けてくる。


 毎日孤独に苛まれていた女の子が、今が楽しいと微笑んでいる。


「紗英がしたいことをしていいんだからね」

「城崎さんを幸せにすることがわたしのしたいことなんだよ」

「……はは、困ったなぁ」


 僕が紗英に幸せでいてほしいと願うように、紗英もまた僕に幸せでいてほしいと願っているようだ。

 けどまぁ、お互い今が幸せだし、この関係のままで問題ないだろう。


 苦笑する僕を見て、紗英は上機嫌に笑い声を上げた。


              × × ×


 ……ねぇ、日葵。君のおかげで僕は前を向いて歩けてるよ。


 一時は悲しみに暮れて歩くこともままならなかったけど、今はこうしてひとりの女の子を養えるくらい余裕ができてる。


 もしこの光景を見たら、浮気だ、不倫だって君は騒ぐのかな。


 ……いいや、君はきっとあの時みたいに、さすがわたしの晃丞くん! って、直視できないほどに眩しい笑顔を振り撒きながら僕を褒めるんだろうね。


 そんな君の笑顔が、僕はたまらなく好きだったよ。


 けど、もう卒業しなきゃいけない。


 君がもういないんだって、現実を受け入れなきゃいけない。


 ……大丈夫。


 たくさんの支えがあったおかげで、僕はとっくに立ち直ってる。


 約束通り、毎月旅行話をするよ。シオンも忘れずに育てる。


 日葵が生きられなかった分まで、僕が生きていくから。


 君が見たかった世界を、僕が代わりに見てくるから。


「……楽しみにしてて」


 遺影に微笑みかける。


 遺影のなかの彼女はいつも笑顔だ。生前となにも変わらない。


「城崎さ~ん、そろそろ焼き上がるよ~」

「オーブンには一切触れてないよね?」

「もちろん。けど、アレンジなしってなんか寂しくない?」

「寂しくない。紗英の毒薬を日葵に贈るわけにはいかないからね」

「また毒薬って……むぅ、絶対見返すんだから」


 リビングに甘い香りが満ちる。どうやらうまく焼き上がったようだ。


 焼き上がったクッキーの半分ほどを仏壇に供えて、残りは紗英とふたりで味わう。


 生前の食事制限に不安を抱いていた日葵のことだ。

 きっと彼女も笑顔でクッキーを頬張っているはず。


 温かくて柔らかい昼下がりの休日。


 今日も笑い声が、幸せの音が、先月までは無音だった部屋に満ちる。


 ベランダで日差しに晒されたシオンの花は、少しだけ芽を出していた。

 

                                 ーFIN-

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妻が亡くなった。歩けなくなった。 風戸輝斗 @kazato0531

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