エピローグ

①ようやく見つけた探しもの

 翌日、島を発つにあたって挨拶回りすると、島の誰もが我が子の門出を惜しむように悲しんでくれた。


 城崎さんは家族も同然。

 いつか豊永さんが言っていたあの言葉に嘘はないようで、それほどまでに僕のことを思ってくれた島のひとたちに、僕は言葉では言い尽くせないほどの感謝を覚えた。


 ありがとう。


 と言っても、結局はこの一言に収束してしまうのだけど。


 お世話になったのは島の方々だけではない。

 言霊神社を構える山にもお世話になった。


 特に結月の一件では、コダマ様のおかげで生き長らえることができた。

 もしあの場所に摂社がなかったらと思うと、ぞっとする。額に汗しながら言霊神社に参拝し、さらに山を登って摂社のコダマ様に頭を下げる。


 ありがとうございます。


 島に来た当初は神様なんてくそ食らえの無神論者だったけど、今となっては立派な有神論者だ。この島で神様が与えてくれた奇跡に、いつまでも感謝したいと思う。


 ありがとう。ありがとう。


 お世話になったひとに、場所に、次々と感謝の言葉を残していく。


 いつだったか、日葵は「ごめんなさい」という言葉が嫌いだと言っていた。

 その言葉に限らず、彼女は基本、否定的な言葉を忌み嫌っていた。


 ありがとう。

 そう呟けば、心がぽかぽか温かくなる。


 楽しい。

 そう呟けば、先に待つ未来が待ち遠しくなる。


 幸せ。

 そう呟けば、今を生きてる奇跡を痛感できる。


 日葵がそんな自説を自信満々に披露したとき、僕はまるで啓発本の一節をそのまんま抜き取ったみたいだと茶化したけど……うん、実際その通りだ。


 言葉に魂が宿ると言うのならば、前向きな言葉が幸せを引き連れてくるのだろう。


 ありがとう。ありがとう。


 僕〝なんか〟を救ってくれてありがとう、とは思わない。


 僕〝を〟救ってくれてありがとう、と切に思う。


 たった3文字の違いだけど、その違いが意味するのは文字数よりも遥かに大きなものだ。


              × × ×


 島を巡り、宿泊宿を掃除し、やり残したことなく迎えた翌日。


 僕の帰郷にあたって、たくさんの島民が停留所に訪れていた。


「歓待が過ぎるのでは?」

「ははは、俺もここまで大層な見送りは見たことねぇや。

 みんな城崎さんの知人だって、鼻にかけたいんじゃないか?」


 豊永さんが茶化すと、そんなことないわい! と漁師のおじさんが反論し、そうだそうだと後ろのひとたちも尻馬に乗り始めた。

 島のひとたちは今日も元気だ。


「また来るよね?」


 かくして始まった『別に自慢したい訳じゃない抗争』には脇目も振らず、じっと不安げに僕を見据える女の子がひとり。

 いつからかそのツインテール姿に、違和感を覚えることもなくなった。


「うん。毎年この時期に来ようかなって思ってるよ」

「この時期ってことは……ほぼ丸々1年会えないのかぁ」


 悄然と結月は項垂れる。


 足繁く訪れては貴重性が欠けてしまうというものだ。

 というより、仕事があるし、遠いしで、年に1回来られれば上出来な方だ。


「実は僕がいなくなるのが寂しかったりして」


 からかうような笑みを向けると、結月はこくんと頷いた。


「うん。寂しいよ」

「……」


 そんな捨てられた猫みたいな目をされては、罪悪感に苛まれてしまう。


 なんと言うべきか考え倦ねていると、結月はでもね、と切り出した。


「わたしはわたしのしたいことのために頑張るよ。もうひとりでも立ち止まったりしない。冒険家になって、晃次さんを未知の世界に連れてくんだからっ!」


 ニカッと勝ち気に笑う結月に翳った気配はなくて。


 僕と同様に、彼女もようやく歩き始められたのだろう。


 先のない姉と違い、この子には未来がある。

 僕はわしわしと結月の頭を撫でて言った。


「うん。期待してる」

「有給休暇確保するんだよ」

「どうかな。連休申請が通るかどうか」

「なら、晃次さんも冒険家になれば解決だね」

「んな滅茶苦茶な……けど、それはできないよ。

 たくさんのひとを笑顔にしてほしいって頼まれたんだ」


 それはきっと僕の使命。僕にしかできないこと。

 先月失った、長年の目標に代わってできた新しい目標。


 自身の要望があっさり拒絶されたというのに、結月はひどく嬉しそうな顔をしている。


「うんうん、そうしようそうしよう」

「いいの? 冒険ツアー行けないかも知れないよ?」

「その時はその時。病院に突撃して、城崎名医は頂きましたって手紙を残して、無理やりに連れ去っちゃうんだから」

「僕はお姫様じゃないんだけどなぁ」


 結月なら本当にやりかねない。


「それじゃ指切りしよ」


 すっと結月が小指を突き出してくる。

 

 彼女とはいつかもこうやって指切りをした。けれど、お互いに秘密を隠し合うためにした後ろ向きな約束と違い、これからするのは前向きな約束。


「どんな約束?」


 半ばわかっていながらも問いかけ、小指を伸ばす。


「わたしは冒険家に、晃次さんはたくさんのひとを笑顔に。

 お互い目標に向かって頑張るって約束」


 予期していたものとはやや違う内容だ。


 といっても、前向きな約束であることには変わりない。

 するっと指を絡めて僕は言う。


「うん。約束だよ」

「元気でね、晃次さん」

「結月こそ、信念を曲げずに頑張って」


 互いに目を閉じて、僕らは心を通わせる。


 明るい未来を願って。これまでの日々に感謝して。


 目を開くと、結月は真夏の太陽にも負けない輝かしい笑顔を浮かべていた。


              × × ×


 フェリーが到着し、いよいよ別れの時間がやってくる。


「つらくなったら、いつでも帰ってきていいんだからなぁ~」

「なによりも大事なのは健康よ。お野菜たくさん食べて精を付けなさい」

「城崎~お前、俺の恋愛問題解決してねぇじゃんかよぉ~!」

「また来年、ぜひ来て頂戴ね」

「ありがとうございます」


 最後の最後までこの島は温かい。涙ではなく、笑顔で送り出してくれる。


 加野さんに言われるがままにやってきた加麻鳥島。


 摩天楼は大木に、騒音は風音に、車はカブに。


 都会とはまるで違う大時代的なこの島に、やってきた当初は不安を覚えていた。


 ところがどうだろう。

 2週間の宿泊を終えた今、僕が感じているのは満足感と感謝だけだ。 


 不快だったことなんて一度もない。

 島のひとは優しくて、食べ物は新鮮で、都会のしがらみを忘れられて、神様は寛容で。こんなにも素敵な島を、僕は加麻鳥島の他に知らない。


 フェリーが出発してからも、僕は島で手を振るひとたちに大きく手を振り返し続けた。


「ありがとうございましたぁ~!」

「昨日からありがとうを安売りしすぎだよ」


 後ろから呆れたような声がした。


 知らない声ではない。

 僕が坂道で足を止めそうになったときに、背中を押してくれた声だ。


「いいんだよこれで。ありがとうって言葉は、言った方も言われた方も心地良くなれる魔法の言葉なんだ」

「へぇ、理屈的な城崎さんにしては珍しいこと言うじゃん」

「お堅い思考に囚われるのはもうやめたんだ。

 そうでなきゃ君を見つけられないよ、紗英」  


 振り返ると、驚きに目を見開くセミロングの女の子がいた。


 懐かしい。

 初めて会った日も、彼女は今のような腑抜けた顔をしてたっけ。


「どう……して……」

「さぁ? 神様が頑張りを労ってくれたんじゃない?」


 違和感に気づいたのは一昨日の就寝直前のこと。


 この二週間で特に関わった4人に感謝したとき、記憶にない女の子が脳裏をよぎった。豊永さんではなく、名前も知らない女の子が真っ先に思い浮かんだのだ。


 不思議に思った僕は、記憶が抜けているのではないかと思考を巡らせたけど、ついに思い出すことはできず。けれども今、彼女の声を耳にした途端に記憶が蘇った。

まるで閉じられていた蓋が開いたように、彼女との日々を鮮明に思い出した。


「海の向こう側まで行こうとしてたの?」

「……うん」


 上擦った声。


「誰もわたしに気づかないから。だから、どこか遠くに。

 何者にもなれないわたしを見つけてくれるひとを探そうと思って……」


 やはり紗英は好奇心からではなく、恐怖心から新天地を目指そうとする。


 いつかと同じように。

 存在意義を探すことが、自身の生まれ持った使命であるように。


 けれど。


「そっか。ならもう目的は達成だ。僕が紗英を見つけたんだから」


 僕が日葵と翼咲と会うことを代償に、自らを犠牲にした女の子がいた。

 彼女が犠牲にしたのは、おそらく記憶。

 それは、彼女がずっと探し求めていた存在意義を破棄することと同義だった。


 言霊祭に際して起きた奇跡の中でたくさんのひとが幸せになったというのに、ひとりだけ不幸になるなんて不公平だ。

 コトダマ様もそう思ったから、僕にだけ彼女の記憶を残したのではないだろうか。


 豊永紗英とは異なる豊永紗英という少女。

 分離体とでも言うべきか、どう考えても科学的に説明できそうにない彼女は、これからも自分を認識してくれる誰かを、そして自分が何者かを探し続けるのだろう。


 そんな果てしない冒険をひとり、孤独に続けるのは苦痛に違いない。過酷な運命に手助け禁止というルールまでつけるほど、神様は人情に欠けていないはずだ。

 疲れたら休める場所が、帰る場所があってもいいだろう。


 返す言葉を見つけられずに肩を震わす彼女に、僕は微笑みかけた。


「約束したでしょ。僕は紗英を忘れないって。大丈夫、もうひとりにはさせないよ」

「うぅぅ、うぐっ……うわああああ!」

「今までよくひとりで頑張ったね」


 思えば、日葵と翼咲とでは一連の出来事に対する見解が矛盾していた。


 日葵の説は、僕に助けられたひとたちが翼咲を生み出し、翼咲が〝架け橋〟となったから日葵と巡り会えたというもの。


 深月の話も考慮すると、この説が最も道理に合っているように思う。

 しかし、だとすれば翼咲の16年間の記憶はなんだと言うのだろう。

 幻想。可能性。

 仮にどちらかだったとして、そんな不確定要素を加えることにどんな意味があったと言うのだろうか。


 続いて翼咲の説は、僕と日葵を会わせたいという今から16年後の、加えて並行世界で祈ったことが実現したというのもの。


 この説を肯定した場合、僕が日葵と会えたのは僕が願ったからではなく、翼咲が願ったからということになる。主軸は僕ではなく、翼咲だったということになる。


 これは見方の違いによるものではないだろうか。ただ難しいのは、僕の願いも翼咲の願いも叶っているという点。双方の願いが叶えられているため、現在で生じた奇跡なのか、未来で生じた奇跡なのか、はっきりと断ずることができない。


 そして、そもそもまったく別の力が働いていたという可能性もある。


 例えば、自分の存在意義を求める女の子が、僕を幸せにするために生まれたのだと解釈し、自らを犠牲にして奇跡を起こしたとか……。


 つまるところ、一連の出来事を明瞭に説明することは不可能だ。

 3つの仮説がどれも間違いという可能性だって、十分にあり得る。


 そして僕は真偽の知りようがない。

 ただ確かなのは、加麻鳥島で過ごした2週間が存在したということ。


 失意のどん底にいた僕がこうして希望を持って歩き出せたことが、あの日々が偽物でないというなによりの証拠だろう。


 遠くに小さく見えていた加麻鳥島は、ついに見えなくなった。

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