犬小屋に座敷童

蒼井どんぐり

犬小屋に座敷童

 生まれて間もないから人間の常識はよく知らない。

 でも多分、犬小屋に対して「広さは1L」と言う表現は普通はしない、とは思う。


 座敷童である私の家、その主人は柴犬のフクだ。彼の家は1L仕様。広い。


「フク! はい、朝ごはん!」


 私の家の主人、のさらに主人の岬ちゃんが今日も元気に餌をやりにきた。フクは元気に犬小屋から飛び出していく。小屋に負けじと、ぶくぶくと太った大きな体を俊敏に動かし、餌に飛びついた。


 座敷童はその家が建てられた時の思いに呼応する形で生まれる。フクは捨て犬だったらしく、それを拾ってきた岬ちゃんがごねる形で飼うことになったらしい。


 そして、彼?に対する大きすぎる愛が結実したのがこの犬小屋。犬小屋というか普通に小屋。多分人も住める。大きすぎて、家判定されたために私は生まれることになった、らしい。


 犬が主人だと困るのでは、と思われるかもしれないが、特にそういったことはない。座敷童は別に家の主人と交流したりするわけではないのだから、主人が喋れようが、人間じゃなかろうが特に気にしない。けど。


「は、は、は」


 主人ことフクがお腹いっぱいになってこっちに戻ってくる。もう朝ごはんをたいらげたらしく、この上なく幸せそうな顔をしている。わたしのことが見えているのか、私の姿を避けて、小屋に戻って寝っ転がった。いつもの昼寝だ。

 その様子をただ眺めつつ思う。私の役目とは。


「フク家の座敷童さん、そっちの方は頑張ってるかしら」


 そんな声が本邸の家から聞こえて来る。

 見ると豪邸の縁側にすらっとした身なりをした、女性が立っている。黒髪長髪な大和撫子。


「あ、本家の座敷童さん。おはようございます」


 岬ちゃんの家の座敷童が彼女である。さすがお金持ちの岬ちゃんの大きな大きな本邸に住む座敷童。私とは違い、スタイリッシュな洋服を華麗に着こなしている。座敷童と言っても、今風の装い。かっこいい。


「座敷童の役目は家の繁栄。それはわかってるのかしら」

「ええ、わかってますけど」


 家といっても住んでいるのが犬小屋では。しかもこの上なく幸せな顔している主人。もう幸福の絶頂じゃないだろうか?


「そちらは調子良さそうですね」

「ええ、お父様もお母様の会社もどちらもうまくいってます。岬ちゃんも元気いっぱいよ」

「さすが、ベテラン座敷童。仕事には抜かりないですね」


 庭の縁側から奥の方を見ると、リビングが遠くに見える。岬ちゃんがご家族と元気に朝ごはんを食べる様子が見える。

 この本家の座敷童さんはもう何年もいろんな家を渡り歩き、いろんな家を繁栄に導いてきたらしい。この家も岬ちゃんの祖父母、もっと前から担当しているのだとか。生まれてきたばかりで、座敷童のなんたるかもわからなかった私に、彼女が教えてくれた。


「じゃあフク、お散歩行くよ!」


 本家の座敷童さんの横を抜けて、岬ちゃんが縁側から庭の方にやってきた。

 朝ごはんを食べ終わったのだろう。元気いっぱいなお年頃で、フクが小屋から出てくるのを小さくぴょんぴょんとジャンプしながら待っている。

 それに引き替え、私の主人はというと。


「……くぅーん」


 眠そうにして微動だにしない。


「ほら、フク、お散歩! 行こうよ!」


 岬ちゃんが呼びかけるが、それでも全く動じない。

 お腹いっぱいになり、膨れた大きなお腹を地面から離そうとせず、じっと岬ちゃんをうるうるとした目で見つめてる。

 同情を買おうとするな、主人に。


「また、お散歩サボりなのー。わかった、じゃあまた今度ね!」


 諦めた岬ちゃんは、縁側に置いてあったランドセルを背負った。


「次は絶対お散歩行くからね! じゃあ、学校行ってきます!」


 そう言って、庭から玄関の方に走っていった。小学生の岬ちゃんは学校もあり、毎日が忙しい。

 フクを見ると先までのうるうるした目はどこへやら、しっかり目をつぶって、昼寝の続きをしっかりと続けていた。


「家の持ち主が幸せなのは座敷童のあなたが優秀なことの現れだけど…ちょっと怠けすぎじゃないかしら…?」

「私、何もしてないですけどね…」


 座敷童のお役目は家を繁栄させること。とはいえ、私が生まれてから、特に怠惰なこの主人の家は繁栄させるまでもなく、贅沢三昧な生活をしている。贅肉がついたお腹がどんどんとついて、幸せに比例するように、体が大きくなっている。毎日怠惰のように生活をしているが、もしかして、これって私のおかげ、というかせいなのだろうか……。

 フクの憎ったらしい寝顔をみながら私はため息をついた。


 怠惰なフクの1日は変わらず、

 朝、元気に食事をして、

 昼は寝て、

 夜も元気に食事をして、

 寝る。


 寝る以外にはたまに動くことはあっても、ベストな寝る位置を探して歩くぐらい。そしてまた寝る。小屋の広さの無駄遣い。移動圏内は狭い。

 そんな動きのない毎日が過ぎ去っていくが、私は彼の生活をただ眺めているだけだ。


 怠惰な生活が続いたある日。梅雨になり雨が数日続いたある週。

 昼の時間、フクはいつものように寝て過ごしていた。雨という散歩をしない言い訳を手に入れているためか、朝からゆったりした表情で満足した顔で寝ている。


 そんな寝顔を見ながら、本家の座敷童と縁側に座って雑談に興じていた時。


「私、そろそろ次の家に移動しようかなと考えているの」

「え、家の移動ってできるもんなんですか?」

「できるわよ」


 座敷童はてっきり家に住み着き続けるものだと思っていたので、正直驚いた。本家の座敷童は当たり前のことのように、いつものようにそのあたりの制限を教えてくれる。


「特に移動しちゃいけないことはないのよ。座敷童は家を繁栄させるのが生きがい。でも相性とかもあるじゃない」


 じゃあ先に教えて欲しかったと思わないでもないけれど、そのまま彼女はいつものように優雅に話を続ける。


「私もこの家について何世代か住ませていただいて。ここまで繁栄するまでは長かったけれどね。だからこそ、また次の環境で私の力を試したいなと思っているのよ」

「ほえー、やっぱり本家の座敷童さんはすごいですね。私と違って意識が高い」

「これでも百年以上やっていますのよ。ステップアップの時期は計画的に考えていかなきゃ」


 そんなことを話していた時、ふと思い出した。

 あれ、そういえば座敷童って…


「あ、でも確か座敷童が去った家には不幸が訪れるのでは…」

「そうよ」


彼女が何事もないように言う。


「ここまで一緒だったお家の人たち、いいんですか?」

「まあ、そこはしょうがないのよ。そうやって、人間の人生には幸福と不幸が波のように訪れるの」


 そう言って、彼女は縁側に立ち、遠くを見ながら寂しそうな表情で言う。


「流れ歩き、そういうものを調整していくこともまた、私たち座敷童の役目よ」




「本家の方の座敷童さん、家からいなくなっちゃうみたいですよ」


 今日、本家の座敷童の彼女に言われてからずっと頭の中を離れなかった。座敷童としての役目。家の繁栄、幸福を運び渡ること。

 夜、広すぎる小屋の片隅に背をもたれかけながら、フクに話しかけてみる。昼あれだけ毎日寝ているのに、この主人は夜もしっかりと熟睡している。


「これから私一人でやっていけますかねー。まあ、今でも何もしていないんですが」


 この小屋で生まれてから、いつも本家の座敷童の彼女に、様々なことを教えてもらってきた。座敷童のことなんて何も分からず、ただただ、小屋の大きさに驚き、放心していた私を導いてくれた彼女がいなくなる。あの、本家を繁栄に導いていた彼女が。


「あの人がいなくなったら、今の岬ちゃんたちの幸せも、やっぱり去っていってしまうのかな」


 毎日元気な顔でなんとか主人のフクを散歩に行かせようとしている岬ちゃん。彼女のその笑顔が崩れるイメージが、どうしても頭に湧かない。


「もしかして、私が本家の方に移動なんかしちゃたりすれば、変わるんだろうか…」


 そんなこと呟いてしまいながらも、私はフクの寝顔を横に、眠りについた。



 次の日、気づくと日差しに晒されながら目を覚ました。見ると、庭のど真ん中に倒れる形で寝ている。あれ?

 小屋の方に見ると、昨晩のようにフクが寝ている。もしかしてあの怠け犬の寝相のせいで飛ばされでもしたのだろうか。


 寝起きで目を擦りながら、小屋の方に戻ろうとすると、なぜかフクが小屋の入り口を塞ぐように横向きになってふんぞり返った。寝相が悪すぎるな、と思ったりもしたがどうもおかしい。寝ているし、私のことも見えていないはず。でも、明らかにこれは……。


「私のこと、家に入れないようにしてるみたいです」

「そうみたいね」


 小屋に戻れず、いつもの縁側に戻り、私は本家の座敷童に相談していた。


「もしかして、私が小屋から本家に移動する、なんてことを言ったのが怒っているのかな……」

「まあ、あの怠け犬ですから、そんなことで怒ったりはしませんよ」


 縁側の向こうでは、今日も大量の朝ごはんをフクが貪っている。食い意地は変わらず。


「じゃあ、私は今日からもう次の家を探しに移動するわね。あなたも座敷童の役目、頑張るのよ」

「え、急ですね」

「次の家を探すのにも時間がかかるのよ。できることは早めにね。では、またいつか、お会いしましょ」


 そう言って彼女は縁側から立ち上がり、フクに餌をあげている岬ちゃんの方を優しい目で見つめる。

 最後に家に振り返り、一礼をした後、彼女は颯爽と行ってしまった。


「行っちゃった……」


 岬ちゃんと朝ごはんに夢中のフクは、そんな彼女の姿に気づかぬことはない。

 彼女を見送った後、私は小屋の方に戻ろうとした。その時、


「バウ!」

「わ!」


 フクが今まで聞いたことのない声で私に向かって吠えたので、私はその場に尻餅をついて転んでしまった。


「え、どうしたのフク!」


 岬ちゃんも驚いてフクの方に駆け寄っていく。

 それもそうだ。散歩にも行かないような、運動不足で半目のおとなしいフクが突然吠えたのだ。私が座敷童になってからも、吠えたのは多分初めてな気がする。


 私は驚きつつも立ち上がり、そろーと小屋に近づこうとするが、やはりフクがこちらを威嚇するような目つきでみている。もしかして私の姿が見えているのだろうか。


「フク! いきなり吠えたりしたら人がびっくりしちゃうでしょ! フク!」


 岬ちゃんがフクを落ち着かせようとしている。そんな岬ちゃんを見るフクの目はどこか心配そうな目をしていた。


 まるで岬ちゃんを守るかのように、私が小屋に近づくことを防ぐフク。まさか、岬ちゃんを心配して。私をあの大きな小屋から追い出して、家の方に移動させようとしているのだろうか。


「でも、そうしたら、フク……」


 座敷童が去ると言うことは、犬小屋も同じ。フクも同じように幸福がさっていってしまう可能性がある。一体どんな不幸に見舞われるか。

 私が心配しながら見ると、フクは先程までの威嚇していた顔とは違い、凛々しい顔で私の方を見据えていた。まるで私の姿が見えているように。私の考えが届いていたように。


 その目を見た瞬間、私は決心した。



 次の日、私は本家の方に移動を行なった。

 そして、それと同時に。フクに不幸が訪れた。


「フク、大丈夫! ねえ、フク起きてよ!」


 岬ちゃんが泣いて姿を見送る中、その日、フクは病院に運ばれていった。




 朝、前の日課のように私は縁側に座って、誰もいない、あの大きすぎる犬小屋を眺める。

 本家の方に移動してから、私の服装はあの本家の座敷童がきていたような、スタイリッシュな洋服に変化していた。どうやら、座敷童の服は、住み着いた家に応じて変化するらしい。そのことは教えてもらっていなかった。


「ただいまー!」


 元気な声が玄関から聞こえる。

 私が移動してから、しっかりこの家は繁栄を続けていて、岬ちゃんもしっかり元気いっぱいだ。

 移動してから気づいたことだけど、座敷童は家で特にすることはない。ただそこにいるだけで、家の人の幸せが続く。それも教えてくれはしなかったな。そういえば。


 岬ちゃんが庭にやってきて姿を見せる。その横には。


「フク! 今日もたくさん走ったね! えらいえらい!」


 今にも死にそうな顔をした、私の前の主人が岬ちゃんに連れられていた。

 犬小屋について、フクは崩れ落ちるように寝転がった。だいぶお疲れの様子だ。


「じゃあ朝ごはん! 今後は食べすぎちゃダメだよ!」


 さっきまでの疲れはどこに行ったのか、少しだけ小さくなった餌入れに向かい、フクは飛び込んできた。


 私が小屋から本邸に宿家を変えた日、フクは病院に運び込まれた。食べ過ぎと、今までの慢性的な運動不足から。


 それからと言うものの、岬ちゃんの中にあった大きすぎる愛は、甘やかす方向とは逆方向に働いたようだ。今では、毎日無理矢理でも散歩で走らされているらしい。

 結果的には、フクにとってはだいぶ不幸せな生活が訪れてしまったのかもしれないが。


「でも、だいぶ痩せて、いい顔になってきたじゃないですか。忠犬って感じ、しますよ?」


 そう笑いながらこぼすと、聞こえたのだろうかフクが餌入れから顔を上げて、恨めしそうな顔で見ている。

 でも、これからは同じ主人に仕えるんだから、元気な体でいてもらわないとね。


「じゃあ、学校行ってきます! フクまたあとでね!」


 朝ごはんをフクにあげた後、縁側に置いてあったランドセルを背負って、岬ちゃんは庭から玄関の方に走っていった。

 これからも毎日見ていくであろうその背中を、大きすぎる豪邸に座る私と、大きすぎる小屋のフク、二つの眼差しで優しく見送った。

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犬小屋に座敷童 蒼井どんぐり @kiyossy

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