第10話「雲を遏む彼女」


 気がつけば、イルミネーションが街を彩る十二月。ピンと張り詰めたような寒気が、空を支配する年の瀬。人々は華やぐ街にちょっとした期待を込めて暮らしつつも、今年の清算と来年への準備で忙しなく動いていた。

 もちろん、御多分に洩れず我が社も年末は忙しい。それこそ目がまわる勢いで。


 夏から秋にかけて、東雲製作所ウチでは本当に色々なことが起こった。

 今や売れ筋ナンバーワンとなったカーテン、【SORA-MOYOU】の開発と販売。そしてその販促にかかるメディア露出。

 その次はまさかの、競合他社クラウドワークスによる敵対的買収騒ぎ。その買収騒ぎはなんとか収まったものの、色々とその後始末にかなりの時間を取られることとなってしまった。

 しかし幸運なことにカーテンの売れ行きは留まることを知らず、この機にバージョン違いの新作開発などをすることになって、社是でもある定時退社を逸脱した勤務が続いている状況だったのだ。


 俺は霞んだ目を擦りつつ、随分とぬるくなってしまったコーヒーを無言で啜った。睨んだパソコンのモニタ、その右下。そこには「12/24 17:55」と冷たく表示されている。

 ──これは今日も残業だな。クリスマスイブだってのになぁ。


 ふと、ブラック企業に勤めていた時の自分を思い出す。クリスマスどころか、あらゆるイベントが仕事に塗り潰された前職時代。それに比べると「今日はクリスマスイブ」だと考えられるほどには余裕がある、ということだろうか。

 実際、忙しいけれど俺は充実していた。この会社で、ずっと働いていこうと強く思えるほどに、つまりはここで働くことが本当に楽しいと感じていたのだ。

 それに製造販売業にとっては、暇より忙しい方がありがたい。仕事が目の前にあるということは、きっと幸せなことなのだ。



「あれ? どしたののぶっち。なーんかニヤけてない?」


 さっきまで席を外していた、同僚の琉空りくさんが戻るなり俺に言う。咄嗟に自分の顔を触るが後の祭りだ。ニヤけていた自覚が思いっきりある。残念なことに。


「今日はクリスマスイブだからって、楽しみにしてたとか? 意外と子供っぽいとこあるんだねぇ、のぶっち。サンタさんには何をお願いしたの?」

「いやいや、そんなんじゃないから。それにサンタって俺もう27歳だよ? サンタなんか信じてるワケないから」

「えー、ほんとにぃ? じゃあなんでニヤけてたの?」


 俺以上にニヤけた顔で問う琉空さんに、思わず「う、」と言葉に詰まった。

 今、働くことの喜びを噛み締めていたなんて言える訳がない。そんなの言うくらいだったら、まだサンタを信じてるって言った方がマシ……いやこれもおかしいか。

 結局俺は、眉間にシワを寄せてパソコンのモニタを睨むことにする。これで琉空さんの追求を躱せるなんて思ってないが、馬鹿正直に答えるよりはマシだろう。


「あれー、無視とかしちゃう? 残念だなぁ。もしクリスマスをのぶっちも楽しみにしてるんだったら、お誘いしようと思ってたのになー」

「お誘い? それどういうこと?」

「最近さ、色々忙しくて二人で飲みにも行けてないじゃん? ここんとこほら、いろんなことがあったし。まぁ、大半は私のせいなんだけど」

「いや、別に琉空さんのせいじゃないよ」

「そう言ってくれるのは、本当に嬉しいんだけどね。だからそのお礼と言っちゃあアレだけど、のぶっちに美味しいものをご馳走したいんだ。ダメかな? 急すぎる? 今日はイブだから、やっぱり予定……ある?」


 まさかのお誘いだった。クリスマスイブに、それも当日に、琉空さんから直々にお誘いを受けるなんて。

 予定なんてない、あるハズがない。俺は咄嗟に首を振る。振りすぎて首が取れるかと思う勢いで。


「ほんと? じゃあ、私とクリスマスディナーとかどうかな?」

「ええとそれって、琉空さんと俺、二人でってこと?」

「他の人も呼びたいならもちろん構わないけれど。でも、私はのぶっちと二人きりがいいな」


 琉空さんはそう言って、照れくさそうに笑った。俺は即座に言葉を返す。俺も二人きりがいい、と。


「ようし、じゃあ決まり! 残ってる仕事全部ほっぽり出して退社しよう!」


 弾けるような笑顔で言った琉空さんは、そのままずんずんと荒川主任の席へと向かった。そして一言、室内に響く大きな声で宣言する。


「荒川主任! 私たち、今からご飯食べに行くんで帰ります! クリスマスディナーです! 残ってる仕事は明日以降ののぶっちが頑張りますので!」

「いやそこは琉空さんも頑張ってよ!」


 俺の方をちらりと見た琉空さんは、悪戯がバレた子供みたいな目で笑う。舌をちろりと出しながら。

 荒川主任はクスリと小さく笑うと、琉空さんに負けない声で皆に言った。


「皆さん、連日の残業お疲れ様です。筒抜つつぬけさんの言う通り、今日はクリスマスイブ。忙しいのは重々承知ですが、今日は残業を厳禁としましょう。家族、恋人、親しい同僚。つまりは皆さんの大切な人と一緒に過ごしてください。私も大切な家族と過ごすので一番に退社します。では、お疲れ様でした」


 主任の一礼とともに就業の鐘が鳴った。そそくさと準備する琉空さんに続いて、俺もカバンの中に荷物を詰める。


「よし、行こうのぶっち! 美味しいチキンを出すお店を知ってるんだ。楽しみにしといてね!」


 振り返りながら笑う琉空さんを見て、俺も不思議と笑顔になる。久しぶりに、本当に久しぶりに。楽しいクリスマスイブになりそうだと思う心を、何故かちょっとだけ隠して。俺はスキップをして前を行く彼女の後を追った。





   ──────────






「えーっと、美味しいチキンの店って……ここ?」

「そう、ここ! 普通のクリスマスチキンって言ったらアレじゃん? 骨ついてる鶏モモ的なアレじゃん? 確かに美味しいけどさ、でも骨よけて食べるの面倒じゃん。それに比べてここのはさー、あらかじめ一口サイズに切ってる上に、鶏モモだけじゃなくてムネとかササミとか臓物の部位まであってさ、そして串に刺さってんだよ? 手も汚れないし美味しいしスタイリッシュ! それにクリスマスにぴったりの、ゴージャスな黄金色に輝くこのお酒! これがこのクーシー・チキンと最高に合うんだよねぇ」

「……クーシー・チキンて、つまりは焼き鳥とビールだよな。で、ここいつもの居酒屋だよな?」

「ま、そうとも言うね?」


 琉空さんはケラケラと笑い、ジョッキを俺のそれに軽くぶつけてきた。まぁ、畏まったクリスマスディナーよりは気を使わないし、ある意味で俺たちらしいのかもしれない。

 琉空さんは黄金色に輝く液体(つまりはビール)をぐいぐい呷って、「やっぱりうまーい!」と楽しそうに言った。


「まぁ、ここで勘弁してよのぶっち。さすがにさぁ、クリスマスイブ当日にちゃんとしたディナーは押さえられなくてさ」

「いや、ここでよかったよ。俺、実はああいうディナーって苦手なんだよな。なんて言うか、場違い感が甚だしいっていうかさ。だから、いつもの居酒屋でいつもの焼き鳥を食べるクリスマスの方がいいよ。俺にとってはね」

「……やっぱり優しいねぇ、のぶっちは。いろいろ、ありがとね。きっとのぶっちがいなかったら私、何もかも諦めてたんだと思う。もうダメかもって思った時、のぶっちのその優しさが私を踏み止まらせてくれたんだ。だから、ありがとう。ちゃんと、のぶっちに言っておきたかったんだ」


 妙に畏まって言う琉空さんに、俺は怪訝な顔をしてしまった。

 そんなことはないハズなのだけど。そんなこと、絶対に起こらないと信じているハズなのだけど。

 まるで琉空さんが、俺の前からいなくなってしまう。そんな気が、したからだ。


「……なぁ、琉空さん」

「ん? なに?」

「急にいなくなったり、しないよな?」


 口をついて出たのは、絶対に違っていてほしい問い。でも琉空さんは、それには答えない。曖昧な笑顔を浮かべて、運ばれてきた焼き鳥を一本、手に取るだけ。

 彼女は大きく口を開けてそれにかぶりつく。流し込むようにビールを呷って、一息ついてから言った。


「……さすが、私の見込んだバディ。どうしてわかったの? 私が、もうすぐ会社を辞めるってこと」


 彼女は場違いなほどに嬉しそうに笑う。決して短くない付き合いから、俺にはわかるのだ。琉空さんが無理をして笑っているってことを。


「今回の騒動。私がクラウドワークス所属の産業スパイだった件だけど、やっぱり責任を感じてるんだよ。私の願いだったとはいえ、みんなを騙してたんだからさ」

「でも結果的に、琉空さんにウチは救われたんだ。だから、誰も琉空さんのことを恨んでなんかない。あの優しい人たちのことだ、それだけは絶対に言えるよ。琉空さんもそう思ってんだろ?」

「だからこそ、だよ。ケジメをつけなくちゃ。それにみんなに迷惑をかけた以外に、もう一つ理由はあるんだよ」


 思い当たる理由はひとつしかない。どうしても琉空さんが叶えたかった夢。それは『雲海組』の再興に他ならないから。


「……独立、か」

「さすがのぶっち、話が早い。私はね、お祖父ちゃんが作った『雲海組』を本当の意味で復活させたいんだ。それはイチから作らないとダメなの。クラウドワークスはもう、かつての雲海組とは別の会社だよ。だから私が起業することに決めたんだ」


 琉空さんが、クラウドワークスに所属していたのは経営権をヤツらから奪うためだった。しかし前身が『雲海組』とは言え、あのクラウドワークスは琉空さんの言う通りもう別会社だ。雲海組を復活させるには起業しかない。

 でも。それは、東雲製作所に所属しながらでは到底叶わない大きな夢だ。つまりはウチを辞めなければ、琉空さんの夢は見ることすら叶わないのだ。


「私はね、のぶっち。夢を叶えるために、前向きに東雲製作所を辞めるんだ。だから、のぶっちには応援してほしい。丁度、あの騒動の事後処理も終わった。だからタイミング的には年内が良いと思ってた。社長にも主任にも話は通してるんだ」


 ……どうして、俺には言ってくれなかったんだ。そう琉空さんに問うても彼女を困らせるだけだろう。それにもし俺が逆の立場だったら。きっと彼女には言えていない気がした。

 だからここは笑って応援するのが一番だ。バディからの餞は、それが一番相応しいと思う。


「……そっか。寂しくなるけど、本当に寂しくなるけどさ。俺は応援してるよ、琉空さん。なんか女社長っていいよな。うん。似合う気がする」

「でしょ? 採用面接とかでもさー、社会を舐めたヤツには『キミ、不採用ね』とか言うんだよ。で、とっても良い人材には『うん、採用!』とかってさ。なんか面白そうだよね。でも、その100倍くらいはキツそうだけど」


 お互い、グラスを持って笑った。笑っていないと涙が出そうになる。大切なバディの門出に涙はいらない。だから笑おう。笑って送り出そう。それが俺にできる、精一杯だと思うから。


「……琉空さん、会社経営のノウハウとかはあるの?」

「東雲製作所の先代社長の手ほどきを受けたし、お祖父ちゃんが大事にしてきたものはわかってるつもり。急がず慌てず、ゆっくりやっていこうと思うよ。さすがに誰か雇わないと、一人じゃあすぐにダメになるだろうからね。はやく良い人、見つけなくちゃ」

「どんな人を雇うつもりなんだ?」

「そうだなぁ。仕事に強い責任感を持ってて、途中で投げ出したりしなくて。それに熱い心を持ってて、なにより優しい人、かな。つまり、のぶっちみたいな人。ううん違うな。『みたい』じゃない。のぶっちが欲しい。ダメかな?」


 なに冗談言ってんだよ、と笑い飛ばそうと彼女を見てみると。彼女は全く笑っていなかった。ジョッキを静かにテーブルに置いて、真剣な眼差しで言葉を継ぐ。


「ダメもとで聞くよ、のぶっち。私と一緒に『雲海組』を作ってくれないかな。いろんな人と出会ったけど、のぶっちが一番なんだ。仕事のバディは、のぶっちじゃなきゃダメなんだ。私の夢を、どうか一緒に手伝ってほしい。お願いします」


 目を閉じた彼女は、俺に深々と頭を下げる。彼女は本気だ。そこまで俺なんかを買ってくれているとは思わなかった。


 だからこそ。そう、だからこそ。俺も本気で返さなければならない。自然とそう思えて、俺はゆっくりと言葉を紡ぐ。彼女に負けない真剣な眼差しで。


「ごめん、琉空さん。その誘いには、乗れない。琉空さんがお祖父さんの作った雲海組を大事に思っているように、俺もじいちゃんの作った東雲製作所が大切だ。まだまだその器じゃないけどさ。俺もいつか、東雲製作所を継ぎたいと思ってるんだ。だからごめん。その誘いは嬉しいけど、本当に涙が出るほど嬉しいけどさ。自分に嘘はつけない。だから本当に、ごめん」


 顔を上げた琉空さんは、「わかってたよ」と言いたげな笑顔をしていた。


「……振られちゃったなぁ。うん。まさに『雲に梯』だね」


 雲だけに、ね。彼女はクスリと小さく笑って続けた。


「きっとのぶっちならそう言うと思ってた。わかってた。ごめんね、変な誘いしちゃって。でも、そういうところが好きなんだよ。その場しのぎの嘘なんか言わない、本当に優しい人だけが言えるセリフだよ。だから、好きなんだなぁ」


 顔を隠すように、半分以下になったジョッキを傾ける彼女。でもその顔は、晴れやかな笑顔だった。


「ようし、じゃあ私とのぶっちはこれからライバルだ! 絶対負けないからね! で、あの時私の誘いに乗ってれば、って後悔させてやるから!」

「望むところだよ、琉空さん。あの時東雲製作所に残ってれば、って思わせてやる」

「あ、言ったな! 手加減しないでよね!」

「そっちこそ。絶対に負けないからな」


 もう一度、俺たちはジョッキをぶつけ合う。終生のライバル、その誕生の瞬間だ。



 ──でも、それだけじゃあ勿体無い。だから俺は、かねてから言おうと思ってずっと温めていたセリフを口にする。


「……なぁ、琉空さん。俺の方からもひとつ、言っていいかな」

「んー? 何を?」

「さっき、俺のことを『バディ』って言ってくれてたよな。仕事のバディって」

「うん、言ったよ? でも、今まさに断られたんだけど」

はね。俺がお願いしたいのは別のバディ」

「別の? 何のバディ?」

「仕事ではこれからライバルになるけどさ。人生は別にそうじゃあないだろ? だからさ、だから……」


 息を大きく吸って。そして大きな声で彼女に伝える。

 今までの感謝と、そしてありったけの勇気を込めて。

 彼女の心にこの言葉が届くようにと、そう願いながら。


 俺は、彼女の目を真っ直ぐに見つめて言った。



「──俺の、人生のバディになってほしい。これから先、死ぬまでずっと。どんなことがあっても琉空さんを護りたい。いや、絶対に護り抜くよ。こういう人材はどうかな。琉空さんの面接には、通るかな」


 一瞬、目を丸くした彼女は。それでもすぐに嬉しそうな顔をして、俺にこう告げてくれたのだ。



「……うん、採用!」







【おわり】




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雲を作る工場 薮坂 @yabusaka

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