【ショートショート】バカには見えない道【2,000字以内】
石矢天
バカには見えぬ橋にて候
「いてててて。ご隠居、なんとかしてくださいよ」
青年が青あざの出来た目を押さえて不満を訴えている。
「また、
「ほかに誰がいるってんですか!」
ご隠居と呼ばれるこの男。
ありていにいえば町の顔役というやつだ。
「困ったねえ。五郎兵衛への苦情だけで今月はもう5件目だよ」
「アイツの横暴にはみんな限界なんですっ!」
青年が涙ながらに訴える。
苦情だらけの五郎兵衛も町の青年たちのひとり。
ご隠居が何度か呼び出して説教はしているものの、どこ吹く風と知らん顔。
「ちょいとお灸を据えてやるしかないか」
「ご隠居! なにか良い案があるんですかい?」
青年が目を輝かせる。
ご隠居は腕を組み、あごをさすり、さすり。
「そういえばお前さん、大工だったな」
「へぇ、まだまだ未熟モンですが」
「うん。腕はそんなに必要ねぇから問題ない」
「そう言われると複雑ですね」
「複雑なもんはいらねんだ。立て札をひとつ作ってくれりゃあいい」
「立て札ですかい? へぇ、そりゃまぁお安い御用ですが……なんに使うんです?」
いぶかしげな顔の青年を見て、ご隠居はちょっと悪そうに口の端を持ち上げた。
まるでイタズラっ子のような顔だ。
「まあ、見てなさい」
半刻ほど経って、青年が木で作った立て札を持ってきた。
未熟者が作ったとは思えない立派な立て札だ。
「はあ。お前さん、いい腕してるじゃないか」
「そ、そうですかい?」
ご隠居に褒められて、青年も満更ではない様子。
一方、ご隠居の方はというと筆に墨をつけて立て札になにやら書き込んでいる。
「なになに。『この先、バカには見えぬ橋にて候』……。へぇ。そんな橋があるんですかい?」
「あるわけなかろうて。そんな橋があったら、一度お目にかかりたいわな」
「するってぇと、この立て札はなんに使うんで?」
青年の顔が、疑問符を絵に描いたような表情になっている。
「こいつをな。裏山の崖あんだろ? あすこに立てておきな」
「へぇ、でもこんなん立てて誰か落ちたら大変ですよ」
「裏山の崖の先なんざ、熊の出る隣山しかないんだ。誰も先に行こうとは思わねぇよ」
「だったらなんのために立てるんで?」
「そいつがキモよ。こいつを立てたら、五郎兵衛に手紙を届けておくれ」
∇ ∇ ∇ ∇ ∇
「ご隠居、ご隠居! 大変だ! 五郎兵衛が崖から落ちたってぇ」
昨日の青年がご隠居の家に駆け込んできた。
「そうかい、そうかい。それで、様子はどうだ?」
「幸い、足を捻挫したくらいだって話で」
「そりゃ、そうだ。崖ったってあそこは七尺(約2.1メートル)くらいしかねぇんだから」
「いったいなにがどうなってんだか」
青年は、昨日以上にちんぷんかんぷんといった顔をしている。
誰も気にしない立て札を立てたら、次の日に五郎兵衛が落ちた。
その理由がわからないのだ。
「ご隠居、いじわるしないで種明かししてくだせぇよ」
「はっはっは。これで少しは大人しくなればよいがなあ」
ご隠居は笑うばかりで、ハッキリとは教えてくれなかった。
青年はただ首をかしげるばかり。
実は昨日、ご隠居が青年に預けた手紙の内容はこういうものだ。
「五郎兵衛へ
最近のお主の言動は目に余る。
この儂が直々に指導してやる故、覚悟せよ。
もし、儂に勝つことが出来たら、
今後一切、お主の行動に文句はつけぬ。
バカのお主ではたどり着けまいがな。
今日の夕暮れ、裏山の崖の、橋の先で待つ。」
これを受け取った五郎兵衛。
顔を真っ赤にして裏山へと向かった。
夕陽に照らされ、その顔はさらに朱に染まる。
裏山の崖へと着いた五郎兵衛は、立て札を読んで怒髪天を衝く。
裏山と隣山の間から、夕陽が差し込んでいた。
その眩しさの中で目を凝らすと、隣山の奥に人影が見えるではないか。
五郎兵衛は人影をご隠居だと確信した。
「ぬううぅぅぅ、あのジジィ! ひとをバカにしくさりおって。橋など見えなくても、あるとわかっておれば通ることは容易いわっ」
いざ、ゆかん。と、崖の先へと足を踏み出した五郎兵衛。その勇敢なる一歩は空を踏み、あれよあれよと崖下へ。
人影の正体がただのカカシとは気づかぬまま。
この事件のあと、道なき崖から落ちた五郎兵衛は恥ずかしさのあまり多少大人しくなったとか。
【了】
【ショートショート】バカには見えない道【2,000字以内】 石矢天 @Ten_Ishiya
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