最終話「夏が終わるまでにしたい10のこと」


「──全部、思い出した?」


 長い長い回想を終えて。僕の意識は、夜の海が見える高台に戻っていた。打上花火はもう終わって、夜の静寂があたりを包む熱帯夜。

 僕に問いかけた立夏は急に距離を詰め、いきなり目を閉じた。唇が触れ合いそうな近い距離。僕はドキドキしてしまって、このシチュエーションに慣れてない童貞みたいに固くなる。思わず僕も目を閉じる。そして。


 パァン、と乾いた音がして。僕は自分の頬が思いっきり張られた事実に気がついた。


「いってぇぇぇ!!」

「へぇ、痛みはやっぱりあんねんな。不思議やなー、今の状況って夢みたいなもんやのに、しっかり痛みがあるとはなぁ」

「いきなり何だよ立夏りっか! 痛ぇだろ!」

「当たり前やろ、約束破ったヤツにこの程度の仕打ちなんてまだまだ生ぬるいわ」

「約束……?」

「ウチが死んでしもうても、あんたは精一杯生きろって言うたやろ。映画化決定レベルの、ウチのステキなセリフが台無しやん。ないわほんま」

「精一杯生きてたよ! 僕は立夏の分まで生きるって決めて、」

「あー、そういうのええから。なんや知らんけどとにかくな、現実のあんたは今、生き死に掛かった状況や思うわ。どっちか言うとウチと会えてる時点で、死ぬ方にだいぶ傾いてると思うけどな?」

「……どういうことだよ」

「知らんわそんなん。現実の世界でなんかあったんやろ? ウチはそっちまで干渉できひんよ、もう死んでんねんから」


 もう死んでる。重い言葉とは裏腹に立夏は笑った。それは充分にやりきったという満足気な表情で。立夏が死んでしまっていることを、僕は改めて理解してしまう。


「てっきりあんた、ウチのこと好きすぎて後追って来たんかおもてたけど。この分やとちゃうみたいやな。なんで生き死に掛かった状況になってんの? なんも思い出されへん?」

「思い出せない……、ていうかそれより、今のこの状況ってなんだよ? 立夏は死んでる? いや確かにその記憶はあるよ。めちゃくちゃ悲しかった思い出が確かにある。なのに今、立夏は僕の目の前にいる。なんで?」

「あんたの魂がここでフラフラしとったから、心配になって来てみてん。ほんならあんた、なーんも憶えてへんっぽいやん。このままやったらあんたまで死んでまうやん。ウチがあんなに素晴らしい最期を決めたのに、やで?」

「いやそう言われても」

「とにかく。ウチは精一杯、自分に与えられた時間を真剣に生きた。後悔は全然ない。だからあんたには生きてもらわんと格好つかへんやろ。てわけで、死ぬ気で生き返りぃ」


 立夏の言葉から察するに、ここは生と死の狭間ってことなのだろうか。病気で死んでしまった立夏と、生きているハズの僕。二人がこうして会話できるってのは、そう言う場所しか考えられない。でもどうして僕はここにいるのだろう。それを立夏に問うが、ゆっくりと首を横に振られてしまう。


「ウチも全部はわからへん。わかってんのは、現実世界のあんたが今まさに死ぬかも知れん状況にある、ってことくらいかな。自殺未遂はあんたの言動からなさそうや。ほな病気か? いやそれもない、朝勃ちギンギンでクソ健康優良児みたいなあんたが、病気で死にそうになるワケないわ。ほな消去法で事故やろなぁ、たぶん」

「事故……?」

「運のないあんたのことや、いかにもありそうやろ? ほんで問題はここからや。あんた、生きる気そんなになかったやろ。死んだらウチに会えるかもー、とかそんなしょーもないこと考えとうやろ?」

「それは……」

「そこが問題やったんよ。だからウチは、この世界であんたにもう一回生きようとする強い意志を持ってほしかってん。絶対に生き返るって想いを持ってほしかってん。それにはどうしたらええと思う?」


 僕はしばらく黙考する。「それかも」という考えはある。あるけれど今の状況みたいにそれは現実離れしていて、迂闊に口に出せない考えだ。なによりこのシチュエーションにそぐわない。でも立夏は僕の頭の中を覗いたのか、唇をニヤリと歪めて笑った。


「そうや、エロや。究極の生は性への執着。だからウチは、この世界でずーっと変態でおったんやで? あんたの頭ん中エロまみれにして、あんたがもう一度、心から『イキたい』って思えるようにな」

「いやおかしいって! 立夏が変態なのは元々だろ!? それに『生きたい』だろそこは!」

「ほんま大変やったわぁ。エロ響く言葉選手権も、AV片手に廃墟探索も。ぜーんぶあんたのためやからな? 感謝してよ、ほんま」

「いや頼んでないから!」

「またまた、嬉しかったクセに」


 めちゃくちゃだ、と僕は思った。僕の意識を戻すために、ただそのためだけに、立夏はこの世界を作ってくれたのか。死してなお、僕のことを救おうとしてくれていたのか。それにしてもめちゃくちゃだ。本当に意味がわからない。

 わからないけれど、でも。嬉しかったというのは、残念ながら当たってる。僕はもう一度、立夏と夏を過ごせたことが本当に嬉しかった。それこそ涙が出るほどに。


「──というワケで。このあたりでまたお別れやな? もう、一人でも大丈夫やろ? 現実でどんなことが待ってるかはわからへん。でもあんたなら大丈夫なハズや。しっかり生き返って、ほんできっちり童貞捨てるんやで?」

「う、うるさいな! 今そういう雰囲気じゃないだろ!」

「……アホやし鈍いなぁ。そういう雰囲気にしたいって察してよ。ウチだって、二回目のお別れは胸にくるもんがあるねん。でもまぁ、あんたにもう一度会えるとは思わんかったから。だから、ちょっとだけ得した気分かな」

「得したって、なにが?」

「夏が終わるまでにしたい10のこと。ウチは、おまけの11個目までできたから」

「それって……」

「いつかまた、会おな。その約束や!」


 立夏はもう一度、僕に顔を近づけて。そして今度はキスをしてくれた。ビンタされた時よりも強いその衝撃に、僕は全く身動きが取れなくなった。

 その時、高台の展望テラスに柔らかな夜風が吹いた。僕は立夏に胸を軽く押されて、どういうことかその風に体を持っていかれる。

 手を必死に伸ばすけれど、立夏には届かない。どこまでも浮き上がる体。抗えそうにない力だった。

 離れていく立夏は、寂しそうな、でも嬉しそうな笑顔を浮かべて。最期には泣き笑いの表情で、僕に言った。



「──次は来世で会おな。さよなら、夏哉なつや






  ──────────────





 目を開けると、白い天井が見えた。ここはどこだろう。体を動かそうとするけれど、嘘のように力が入らない。それどころか、腕には何本ものチューブが刺さっていて、どうやら僕はどこかの病院に入院しているようだった。

 カーテンを開けた看護師さんと目が合う。彼女は驚きの表情を一瞬浮かべた後、すぐさま僕の近くにあったナースコールのボタンを押した。

 先生と思われる男性がやってきて、僕の体をいろいろ調べる。目をこじ開けられ、鼻に何かを突っ込まれ、そして服をひん剥かれて。

 幸いなことに、先生が何を言ってるかは理解できた。どうやら僕は、一年近くも眠りっぱなしだったらしい。



 色んな検査を続けながらも落ち着きを取り戻し、目覚めてから一週間が経ったころ。見覚えのあるような、ないような女の子が僕の病室を訪ねてきた。彼女は「僕に助けられた」と訳のわからないことを言う。


「──小さな本屋に、強盗が来たんです。それはフルフェイスヘルメットを被った強盗で、店主に現金を要求して。たまたま私もあなたもそこに居合わせて、そしてあなたは私を助けてくれたんです」

「僕が、君を?」

「私が余計なことを言ったので強盗が激昂して。私が刺されそうになったところを、代わりにあなたが。大量の出血で、あなたは目を覚さなくて。でも、こうして目を覚まして本当によかった。あなたに直接、お礼が言えるから。あの時は庇って頂いて、本当にありがとうございました」


 半袖のセーラー服を着たその女子高生は、僕に深々と頭を下げた。正直言ってピンと来ない。とても自分がやったとは思えない行動だったからだ。


「これ、私の連絡先です。元気になったら一緒に食事でもどうですか? 私、いつまでも待ってますので」


 彼女はにっこり笑うと、僕の病室を後にした。なるほど、だからか。だからあの夢のような体験の始まりは、本屋での強盗事件だったワケか。微妙に現実とリンクしてたんだな、とぼんやりした頭で思う。


 あの体験は、夢だった。生死の境を彷徨っていた僕が見た、一夏ひとなつの淡い夢。それにしてはリアルで楽しくて、それと同時に切なくて。きっと死ぬまでずっと覚えているであろう、そんな彼女との夢。


「……立夏りっか


 彼女の名前を呼んでみるけれど、当然のように返事はない。だけど病室の窓から流れ込んできた夏風は、不思議と立夏のことを強く意識させてくれた。

 きっと僕が心配で、また近くで見てくれているのかも知れない。僕は苦笑して、さっきの女子高生から渡された連絡先のメモを手に取った。


「どうだ立夏。JKの連絡先だぜ、妬きそうだろ? 別にエロいことなんて考えてないけど、確かに強く生きようとするきっかけには、なるかもしれないよな」


 立夏はもういない。でも僕は約束をした。立夏がいなくなっても、強く生きていくと。立夏に助けてもらった命を、粗末にすることはできない。立夏は限られた時間の中でずっと強く生きていたのだから。


 そこでふと、ベッド横の棚に差さっていた本が目に入った。ピシリと綺麗に並べられた10巻組みのそれは、立夏と僕が愛した「夏が終わるまでにしたい10のこと」というマンガ。最期に立夏から譲り受けたものだ。僕は確かに、これを全て読んでいたのだった。


 でも記憶が曖昧で、最終巻の内容を思い出せそうにない。どんな話だったっけと僕はその巻を手に取って、まだ満足に動かない手でページをめくっていく。すると、ページの間から何かが滑り落ちてきた。



 それは、立夏と僕が写った一枚の写真だった。撮った場所はもちろん憶えている。瀬戸内海に沈む夕日をバックに撮った、オレンジ色の海面が印象的な写真だ。ちょうど潮が満ち、あたりは幻想的な雰囲気に包まれている。潮が満ちるだけで、こんなにも海の表情は変わるものなのか。


 立夏は珍しく綺麗な笑顔をして、夕日を反射するオレンジ色の海に目を細めている。僕も同じような顔で、珍しく真面な顔で笑っていた。

 何の気なしに写真を裏返してみると、そこには短いメッセージが書かれていた。僕はそれを見て、思わず涙を流しながら笑ってしまった。


 やっぱり立夏は、本当に。

 どこまでもどこまでも、変態だったのだと。






「満潮と干潮ってなんか、エロない?」







【完】




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夏が終わるまでにしたい10のこと 薮坂 @yabusaka

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