第8話「一回目の旅」


「でけぇ病院だなぁ」


 僕はじいちゃんから譲り受けた年代物のスーパーカブから降りると、その建物を眺めてそう思った。白を基調とした巨大な建物には、ある種の威圧感さえ覚えるほどだ。この町にこの病院ができた理由は確か、都市から程近く、さらには地価が安いと言うどこにでもありそうな理由だった気がする。


 まぁ正直、健康体そのものの僕にこの病院はさほど関心がない。ここにいる理由は単純。仕事だからだ。オンラインフードデリバリーを業務とする、ウーパールーパーがマスコットキャラクタの「ウーパーイーツ」に所属する僕は、指定された配達先であるこの病院入口にいる。ただそれだけだった。


 でも、配達先が病院の入口、それもそこから近い休憩用のベンチというのは珍しい指定だった。どうして病院の中じゃないのだろう。先生の部屋やナースステーションへの配達だったらまだわかるけど、依頼主はなぜここを指定してきたのか。疑問に思ったが、その謎はすぐに解けることとなる。

 依頼主は、ここに入院する患者だったからだ。


 彼女は華奢な女の子だった。どんな病気を患っているのかはわからないが、肌は病的なまでに白く、目の下には少しクマができていて、そして一目でわかる入院着を着ていた。そんな彼女は、配達員である僕に気がつくと嬉しそうに笑ったのだ。


「ウーパーイーツの人?」

「あぁはい、そうです」

「よかったー、ほんまに時間通りに来てくれるんやなぁ。ウチ、看護師さんがおらへんタイミングで抜け出して来てるから、バレたらヤバいねん。そやから助かったわ!」


 この辺りでは珍しい関西弁が印象的な女の子だった。きっと、食べたらいけないものを食べるために僕を呼んだのだろう。今回の注文の品は某有名店のデミグラスオムライス。病院食とは比べものにならないくらい濃い味だ。

 ラップが湯気で曇っているそれを彼女に渡すと、嬉しそうにそのラップを外した彼女。まさかここで食べる気かと思ったのも束の間、彼女は付属のプラスチックスプーンでオムライスを掬い、大きな口を開けて放り込んだ。


「うーん、うまい!」


 ここまで美味しそうに何かを食べる人は初めて見た。そして何となくその場から脱するタイミングを失った僕は、彼女が瞬く間にオムライスを完食する姿に魅入っていたのだった。

 

「はぁー、ごちそうさん。最高に美味しかったわ! あとごめんけど、このゴミ捨てといてくれん? 病院のゴミ箱に入れたら一発でバレるやんか」

「いいけど……、こんなの食べていいのか? 病人だろ?」


 しまった、と思ったが遅かった。こういうタメ口が、僕の接客態度を悪化させている原因だ。やっちまったと後悔するが、相手の彼女はそれを気にしている様子はない。全くと言っていいほどに。


「あはは、あかんに決まってるやん! でもこの背徳感がええスパイスになるんよなぁ。デリバリーは初めて使つこたけど、これは最高やなぁ」


 にしし、と彼女は悪そうな顔で笑う。長く入院しているのだろうか。店に行けば普通に食えるオムライスを「最高に美味しい」と言うなんて。普段はやっぱり、味の薄そうな病院食だからなのだろうか。彼女はゴミを僕に渡して、そしてにこやかに言った。


「よし決めた。ウチ、死ぬまでデリバリーし続けよ。なぁあんた、ウチの専属になってくれん?」

「はぁ? 専属?」

「うん、専属。ウーパーイーツは初めて使つこたけど、毎回違う人が来るんやろ? ほな時間通りにこぉへんヤツもおるかもやん。でもあんたは時間ぴったりに来てくれた。そやから信用できる。さっきも言うたけどウチ、病室から抜け出して来てんねん。タイミングがめっちゃ重要やねん」


 専属なんて聞いたことがない。いつもウーパーからスマホに配達の指令が入るだけだ。たまに同じお客さんに当たることもあるけど、誰か一人の専属なんて可能なのだろうか。あぁそうか、ウーパーを通さず、お客さんと直接連絡をすれば可能なのか。もちろん僕がその時、別の配達をしていなければということになるけれど。

 僕がそれを伝えると、彼女は悩み始める。そんなにタイミングがシビアなのだろうか。そして彼女は、悩んだままの表情で僕に問うた。


「なぁ、ウーパーイーツって、なんでもどこにでも配達してくれるん?」

「まぁ、配達可能圏内なら」

「ふうん、なるほどなー。よしわかった、信用できるあんたを個人的に雇お! どうしても配達できへん時は言うてな、諦めるから。ほんで配達料は倍額出すで。ええやろ?」

「倍額? 何を配達させる気だよ」

「ふっふふふ……、なつ10てんってマンガ聞いたことない? 次までにそれの最新刊、うといてな!」



 彼女との出会いはそんな感じだった。僕は彼女に個人的に雇われて、次第にフード以外のものも配達するようになったのだ。

 そして「なつ10てん」には驚いた。女の子が読みそうにない、ガッチガチのエロマンガだったからだ。

 あまりにもアレな内容に、僕は戸惑いながら彼女にマンガを渡すことになる。彼女は「病院の本屋にはこんな刺激的なもん置いてへんからなぁ」とゲスい顔で笑う。「ちなみにウチはかなりエロい女なんやで」と聞いてないのに付け加えて。

 そして彼女はそのマンガを僕に、頼んでもないのに一巻から貸してくれた。悔しいことにめちゃくちゃ面白かった。エロマンガなのに、不思議と青春を感じるマンガだったのだ。


 そんな天衣無縫な彼女と仲良くなるのに、時間はそう掛からなかった。彼女は自身を「立夏りっか」と名乗り、名前の通り「夏のはじまりみたいな女」だと言っておどける。

 僕は立夏にフードやそれ以外のものを配達するたびに、立夏は本当に病気で入院しているのかと不思議に思った。立夏は確かにその名が表す通り、元気で活動的な女の子だったからだ。


 そんな日々がしばらく続いたある日。季節は初夏から、いつの間にか盛夏になっていた時のこと。僕は立夏から、不思議な配達をお願いされることになる。彼女は「これが最後の配達や」と前置きして、いつになく真面目な顔で続けた。


「あんたに配達してほしいもんがあるねん。ウチ自身を、関西の海の街まで配達してほしい。この病院からウチを連れ出して、地元に帰してほしいねん。あんたはこの配達、受けてくれるかな?」


 当然、僕はどういう意味だと彼女に問う。彼女はあっけらかんと笑ってセリフを続けた。


「──ウチな、もうすぐ死ぬねん。たぶんこの夏が終わるまでに。なんや難しすぎて名前も覚えられへんような病名でな、治すんがめちゃくちゃ難しいからこの大きな病院に入院することになったんよ。この病気レアすぎてな、専門医が関西にはおらんらしいから。ほんでこの病気、ラッキーなことに最後は眠るように死ねるんやって。苦しないんやって。そこだけはまぁ、救いやんな?」


 彼女は僕に、軽い口調でそう告げた。昨日食べた晩御飯の献立を言うくらいの軽いノリだ。淡々としたその口調は、死んでしまうという覚悟がもうできているように思える。


「せやからこれが、最後の配達の依頼。どうかウチの願いを叶えてほしいねん。なつ10てんにもあるやろ? 『本当に死ぬ気になれば、何でもできるはず』やって。ウチはほんまに死ぬ。死ぬ気やなくて、死ぬ。ほんならウチは、何だってできるハズやんか。そう思わん?」

「……まさか自分で死にたいとか言うんじゃないだろうな、立夏」

「アホやなぁ、死にたいワケないやん。この夏が終わるまでにしたいこと、全部するねんで? 終わらせる前に死ねるかいな!」


 立夏のその力強い笑顔を見て。

 僕は、彼女を目的地まで配達することを決めたのだった。



  ◆



 手配したチケットで、僕たちは西へ向けて旅に出た。きっと最初で最後の、立夏との二人旅。だから僕は、彼女の願いだったらなんだって叶えてやりたいと思っていた。正直に言うと、それほどまでに立夏に惹かれていたのだ。

 立夏はこの旅が終わるまでにしたいことをあらかじめ決めていた。それは本当に些細な願い事だ。


 海に沈む夕日の写真を撮りたい。

 綺麗な川で冷やしたスイカを食べたい。

 本格的な流しそうめんを食べたい。

 ビアガーデンでビールを飲んでみたい。

 肝試しがしたい。

 日焼けをしてみたい。

 何か無茶なことをしてみたい。

 打上花火を間近で見たい。

 一夏ひとなつの恋をしてみたい。


 そんな小さな、普通にできそうなことばかり。それを二人でゆっくりとやっていく。でも。

 僕はひとつ終わらせるたびに悲しい気持ちになっていった。それが全部終わってしまったら。立夏との別れがやってくることが、どうしようもなくわかっていたからだ。


 そして。旅の終わりに立夏が最後に願ったこと。それは「故郷の地で眠りたい」というものだった。



「……夏ももう終わりやね」

「それ、なつ10てんのセリフだよな。最終巻の最後のシーン。ヒロインが主人公に、本当の気持ちを言おうとするところ」

「あんたも読んだ? 最終話。あれ最高に切なかったよなぁ。エロ目的でうたのに、思わず涙出てもたわ。エロマンガ、アナどり難しやで」

「アナを強調すんなよ、変態」

「人類皆変態、って聞いたことない?」

「あるワケないから」

「まぁしゃーないな。今はじめて言うたから!」


 クスリと笑う立夏は、防波堤から海に沈む夕日に目を細めていた。何度も見た光景だけど、場所が違えば毎回新鮮に映る。僕もそれを同じように眺めていた。何となくそれが最後だと感じて、立夏を見ることができなかったから。


「これで終わるなぁ。ウチの、夏が終わるまでにしたかったこと、全部」

「なぁ立夏、本当によかったのか? 病院を抜け出して、治療まで放っておいて。ちゃんと治療を続けてれば、」

「これがよかってん。治療しとっても、どうせ秋あたりであかんようになってた思うわ。でもあんたとこの夏を自由に過ごせて、ウチはほんまに幸せやったよ。誰が何と言おうと、これがええねん。これがよかってん。あんたとこうしたかってん。そやから、ウチは後悔とかカケラもしてへんよ」

「でも……」

「あ、そや。きっとこれが最後やから、一言だけ言っといてもええかな」


 立夏は「最後」だと強調する。その言葉には力があって。今から死んでしまうとは到底思えなくて。結局僕は、黙って立夏の言葉を聞くことしかできなかった。


「よう聞いてや。ウチが死んだ後でも、あんたは絶対強く生きなあかんで。ウチのことが好きすぎて後追い自殺とかほんま笑えんからな、許さへんで。関西人は笑えんことが一番キライやねん」

「……誰が好きすぎるってんだ。自意識過剰なんだよ、立夏は」

「へぇー、おかしいな? ウチのこと好きとちゃうんやったら、あんたなんで涙出とんよ?」

「うるせぇな、夕日が目にしみたんだよ」

「へぇ? へぇー?」


 ニヤニヤと笑う立夏。僕の顔を至近距離で覗き込んで、ケラケラと笑い声を上げる。そして。


「ほな、頼んだで。精一杯、これからも生きてな」

「待てよ立夏、まだまだ時間、あるだろ? なんかもうひとつくらいないのかよ。立夏がやり残したこと」

「……ないよ。ウチはもう充分やりきった。でも強いて言うなら、ウチが死んであんたが大泣きするとこを見られへんのが、唯一やり残したことかなぁ?」


 夕日に照らされ、オレンジ色に染まった立夏の笑顔。浮かべた涙が宝石みたいに光る、美しい笑顔。それが立夏の、最後の笑顔だった。


「いつかまた、会おな。それまで元気で」



 ──そうして、僕らの夏は終わった。





【続】

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