口裂け女 2022

九十九 千尋

ねぇ……


「私、綺麗?」


 学校からの帰り道、知らない女の人から声をかけられた。

 黒い髪で、長い髪の、女の人。化粧が濃い人だ。


「もし、坊や」


 オレ唐突にそういわれてムッときてさ。思わず言ってやったんだ。


「オレ坊やじゃない。今度の春から小六だし」


 女の人はなんか驚いたような顔をして、その後ちょっと優しい目になった。少し押し黙った後、キツイ目でオレの顔を覗き込みながら訪ねてきたんだ。


「そう。じゃあ、名前はなんていうの?」

「知らない人に名前を教えちゃいけないんだよ」


 何がおかしいのかその女の人はクスクス笑いだしてさ、感じが悪いからそのまま走って、その日は逃げた。

 オレは帰ってゲームやりたかったし。



「私、綺麗?」


 そのまた次の日、同じ女の人に話しかけられた。


「『坊やじゃない』、小六の子」


 振り返ればやっぱり同じ人で、手に何か持ってた。あれはハサミかな。


「オレは小六の子って名前じゃありませぇん」

「じゃあ、名前、教えて」


 オレが意地悪っぽく言った返しに、静かに、ゆっくりと女の人は返した。でもまぁ、知らない人に名前を教えちゃいけないって言われてるし。


「知らない人には名前を教えちゃいけないんだよ」

「そうね。昨日も聞いた」

「だからさ」

「でも、昨日も会ったでしょう?」


 それは、そうだけど。

 女の人のキツイ目が線を引いたみたいな、糸みたいに細くなっていった。


「だから、もう知らない間じゃないじゃない」

「そういうことじゃないよ」


 そういうことじゃない。うん。そう。

 ちょっと納得しかけたけど、女の人に背を向けてオレは家に帰ろうと思った。

 すると、後ろからコツコツと、足音が付いてくる。振り返るとさっきの女の人が笑いながら手を振ってくる。付いてくるつもりらしい。


「ねぇ、小六の名前を教えてくれない子」


 また静かに、ゆっくりと女の人が声をかけてくる。


「君も、なの?」

「何が?」


 オレはイライラしながらも受け答えする。無視は良くないと思うし。


「だって、マスク。してるでしょ?」

「は? 何言ってんの? コロナでしょ?」

「ころな……?」


 この女の人はやっぱ変だ。

 仕方が無いから、近くの公園へ寄って、二人でブランコに座った。家に連れて行くわけにいかないし。

 そこで、コロナっていう悪い病気が流行ってるからマスクが必要なんだって教えたら、なんだか眉間にしわを寄せて困った顔をしてしまった。やっぱりコロナは悪いんだな。


 この時このお姉さんの横顔を見て気づいたけど、頬っぺに何か付いてる。マスクできっと何か隠してるじゃないかな、って思った。傷のようにも見えるから……聞かない方が良いんだろうなとも。

 近所の爺さんが言ってたけど、昔はみんなマスクをしなかったって。スーパーのレジのおばさんも学校のみんなも、道行く人も。でももしそうだったら、きっとこのお姉さんは外に出にくかったんだろうな。だって、マスクで隠したかっただろうし。

 そう思うと少し胸がぎゅっとなった。


「じゃあ、オレ帰るから。お姉さんも帰ってね」


 オレはなんだか居心地が悪くなって、走って家に帰ってしまった。お姉さんが何か言っていたような気がしたけど上手く聞こえなかった。



「私、綺麗?」


 次の日もお姉さんは下校中に現れた。


「ごめん、オレ今日は急いで帰らないとなんだ」


 オレは足を止めずにお姉さんの隣を素通りして答えた。

 また後ろからコツコツと足音がして、後ろから声がかかる。


「急いで、家に帰るの?」

「うん、そう」

「怖いから?」

「え? なんで?」


 お姉さんはその質問には答えなかったが、足音はずっとついて来ていた。

 二人で無言で、でも急ぎ足で家に急いだ。


 突然、お姉さんがオレの肩をすごい力で掴んで引っ張ってきた。その直後に目の前をトラックがものすごい速度で走っていった。

 お姉さんはオレを睨むような表情で見ていた。オレは思わず謝った。


「あ、ごめんなさい」

「いえ、いいのよ」


 お姉さんの表情は変わらなかったが、声はいつもの調子に戻っていた。


「あの、離して」


 お姉さんはじっとオレを見た。息を荒げ、見開いた目が、オレを叱っているようで……

 そして何かに弾かれるように、お姉さんがオレを離した。


「あ、そう、ね。ええ、そう。気を付けなくちゃ」


 オレはもう車が来てないことを確認して帰り道を急いだ。

 後ろから足音と共にお姉さんの声がする。


「ねえ、急いでる理由は何?」

「友達と遊ぶため」

「いつも一人で帰ってるのに?」

「スイッチで遊ぶの」

「友達、居たの?」

「居るよ、友達ぐらい!」


 なんだかムッとした。


「でも今日は母さんも父さんも早帰りなんだ。だから急いで晩御飯の用意しないといけなくて、ちゃんとしないと母さんが“荒れる”から、オレが頑張らないといけなくて」


 ふと振り返ると、お姉さんは居なかった。



 次の日、朝から結構強い雨が降ってた。

 学校でプリントが配られた。学校の周辺で不審者が出ているらしい。隣町の子が刃物で切られたって。不審者に気を付けて帰れってさ。


「ねぇ、私、綺麗?」


 今日もまたお姉さんだ。そう思って振り返ると、雨に打たれてずぶ濡れになったお姉さんが居た。

 真っ黒で長い髪が肌に張り付き目が見えず、その髪の間から真っ白なマスクとその向こうにうっすらと赤い唇らしきものが見える。


「ねえ」


 オレがその様子を見ていると、お姉さんは急に倒れて四つん這いで、ガタガタと震えながらこっちに這って来る。


「わたし」


 長くて黒い髪を雨で濡れた地面に引きずって、雨水を撥ねながらものすごい速度で俺の顔を覗き込んでくる。


「きれい?」

「傘、ないの?」


 いつものキツイ目が、オレをじっと覗き込む。

 少しして、その目がちらちらと左右に動いた後、何かで吊るされるようにお姉さんは立ち上がった。見開いた目でオレを見下ろしながら、お姉さんは呟くように口を開いた。


「傘……?」

「ずぶ濡れじゃん。風邪ひくよ……」


 お姉さんはオレを見下ろして呟くように静かに言った。


「泣かないの? 怖いでしょう?」

「泣かないよ。オレ男だよ。ガキじゃないんだからさ」


 お姉さんに何が有ったのか知らないけれど、そういう気分の時もあるって母さんが言ってる時があった。だから知ってる。こういう時は優しくするのが一番だって。

 オレは自分の傘をお姉さんに押し付けた。


「あげる」


 お姉さんは傘を受け取らなかった。子供っぽい傘だから嫌だったのかもしれない。


「あげる!」


 オレはそのまま走り出した。後ろで傘が地面に落ちる音がした。

 後ろからいつものコツコツという足音は聞こえない。あるいは強い雨音にかき消されているのかもしれない。どっちにしろ、雨が強いしオレは走って帰った。



 その次の日、お姉さんは現れなかった。

 代わりに、男の人が居た。短い黒髪の、Tシャツに青いデニムの。マスクをしていない人。


 手に包丁を持って、何か呟きながら、近くにある物を蹴飛ばしたりしながら、道の向こうから歩いてくる。通学路のど真ん中に居る。まっすぐ、こっちに歩いてくる。

 そうだ、プリントにあった不審者だ。


 オレは目を合わせないように、抜け道から帰るにはどうするか考えた。

 急にこっちが道を変えたら向こうは追いかけてくるだろうか? それならこのまま、すれ違うしかないのだろうか? 足を止めたらそれもまた駄目だろうか? 刺されないことをお願いしながら通り過ぎるしかないだろうか?

 お願いお願いお願いお願い、来ないで、来ないで、来ないで……

 男の人がオレに近寄って来る。何か叫んでいる。何か怒鳴っている。来ないで……


 男の人がこっちに走って来た。オレは怖くなって叫びながら学校へ戻ろうとした。ランドセルが何かで叩かれ、オレは転んでしまった。擦りむいた膝も痛かったが、男の人がオレを仰向けにして馬乗りに乗ってきたことが怖かった。

 オレが思わず叫んだことで、男の人はオレのマスク越しの口に包丁を当てて何か怒鳴った。口の横が熱くて口の中に鉄の味が溢れてきて、喉に血が流れてくる。目の前が涙で滲んで、振りあげられた包丁を見る事しかできなかった。


 でもその男の手を、いつものあのマスクのお姉さんが掴んでいた。

 いつ掴んだのか、いつの間にそこに居たのか、でも思った。


 良かった。助かったんだ。


 オレは血の臭いや怖さから目の前が真っ暗になっていった。でも助かった。誰か大人が来てくれたんだから。

 視界が真っ暗になった。


「ねえ、私、綺麗でしょう?」


 お姉さん、また聞いてるよ。男の人が何か叫んだり、何か潰れるような音が聞こえたりしたけれど、徐々に耳も聞こえなくなっていく。

 オレは心の中で、お姉さんを……カッコよく思ってた。



 それから何日かして、オレは病院で目が覚めた。

 真っ白なシーツとベッド、真っ白な病室。お菓子の詰め合わせの入った籠がおかれた机。でっかい窓から青空と雲が見える。ベッドの傍では母さんが寝ていた。

 病室に父さんが入ってきて、オレに一言二言、気まずそうに話しかけた後、母さんを起こした。母さんは泣きはらした目でオレを見て、痛いぐらいに抱きしめてくれた。

 その日は家族みんなで外食をした。久しぶりに、オレが用意してない御飯をみんなで食べた。



 あれからお姉さんを見かけたことが無い。

 みんなに聞いても誰もお姉さんのことを知らなかったし、大人はみんなお姉さんの話を聞いて笑うか妙に怖がっていた。どうやらお姉さんはオバケか妖怪の親戚みたいなものだったらしい。

 例の不審者の男の人に関しては、どっかで殺されていたとか……よく解らない。


 オレはお姉さんにはあの時のお礼を言いたかった。

 それに、お姉さんに「オレも同じだよ」と、マスクを取って今回出来た傷跡を見せたかった。口の横、頬っぺたに大きな傷跡がオレにもできていた。とはいえ、オレは子供だから傷跡はほとんど残らないんじゃないかってお医者さんは言ってたけど。

 コロナがいつか消えて、マスクをまたみんながしなくなったらお姉さんはまた“荒れて”しまうんじゃないかな。そうなる前に、オレも同じだって見せたかった。


 ある日、お姉さんを探しながら帰り道に公園に寄ってみると、公園のブランコにはオレの、お姉さんにあげた傘が引っ掛けてあった。ブランコの座るところには。飴の包み紙が置いてあった。

 オレはその飴の包み紙と傘を家に大事に持って帰った。



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口裂け女 2022 九十九 千尋 @tsukuhi

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